仙人の会11月例会発表


発表者:三尾裕子 氏(東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所)

日時:12月23日(火:祝日) 14:00−17:00頃まで

場所:
法政大学 92年館(大学院棟:お堀の外側の校舎になります) 601号教室
 JR中央線飯田橋あるいは市ヶ谷下車、徒歩約10分 外堀通り沿い
 場所の詳細はこちら。
   http://www.hosei.ac.jp/gaiyo/campusmap/ichigaya-c.gif
 交通機関については、こちらをご覧ください。
   http://www.hosei.ac.jp/gaiyo/campusmap/020407ichigaya.gif

発表題目 
 「植民地下における人類学についての「異質化の語り」の可能性−『民俗台湾』を例に−」

要旨
 昨今の植民地主義批判により、人類学では、被支配者(被害者、弱者)を支配者(加害者、強者)の文化に全面的に適応する受動的な存在として捉えるか、或いは外来の文化を拒否して伝統へと内向していく存在として捉える見方を脱却し、暴力的な権力作用の中で支配者文化に適応しながら巧妙に自らの主体性と創造性を滑り込ませて行くソフトな抵抗実践主体として立ちあがらせる見方が生まれてきている(松田 1996)。
 他方、植民地期の人類学者の実践については、科学的リアリズムの標榜の裏に忍び込んでいた権力性への無自覚や、植民地統治政策への人類学者の積極的な関与、あるいは結果としての幇助が指摘・批判されている。しかし、被害者側について異質化の語りがありうるように、加害者側を一枚岩の均質的存在として見ることは再検討されてよいはずである。
 本論で扱う雑誌『民俗台湾』に関わった人々は、従来、戦時期において精一杯の良心を同雑誌に発露してきた、と回想し、また台湾の人々にもそのように評価されてきた。このような評価が一変したのが1990年代後半、主に人類学・民俗学以外の研究者からの日本植民地期の人類学・民俗学批判である。これ以降、台湾における戦前の人類学・民俗学は、良心を装いつつ(意図的に)植民地支配へ貢献した、との批判にされされている。しかし、当の人類学者の間からのこのような批判に対する反応(否定、肯定を含め)は、はなはだ鈍いと言わざるを得ない。そこで、本報告では、『民俗台湾』批判を再検討することによって、以下の点を論じる。
  1.「『民俗台湾』の意図」をめぐる解釈の多様性。
  2.支配者側における「異質化の語り」の可能性。
  3.植民地主義批判の建設性の所在。
 以上の作業を通し、本報告では、過去の植民地支配を分析する今日の研究者側も、今日の価値観を特権的にふるうことによって過去を判断するという「見る者」の権力性から脱却することの必要性を強調したい。