てけてけ日記  次のページへ
プロローグ 楽器に興味を持つ  日記と表記してありますが、小学生のある時期を除けば、書いていたことはないので、正確に言えば回想録といったものです。しかも文才があるわけでもないので、その辺りは適当に読み流していただければ幸いです。
 
さて、人はある物事を好きになったり、嫌いになったりする時に、必ずきっかけがあります。思い返してみると私と楽器とのそんな出会いは、昭和30年の中頃辺りでしょうか。その当時、埼玉の浦和市というところに住んでおりました。浦和市といっても現在の東浦和駅の近くで、当時は市街地へは、バスか車で30分程度の時間がかかったように記憶しています。バスには車掌さんが黒い鞄をさげて料金を徴収していました。バスもボンネットバスで、今のバスのように前面がフラットになっていません。また、ウィンカーもオレンジ色をしたバーが横へ飛び出すやつで、今、思い出すと本当におかしいですね。
 
話が脱線してしまいましたが、当時住んでいた借家の家と家の間に通路があり、真ん中に井戸がありました。井戸を挟んでもう一軒の借家に音大生が住んでいて、私の記憶が正しければ、「オカサカさん」という名前だったと思います。時々、ピアノやバイオリンの音が聞こえてきて、窓越しに覗くと、部屋にはピアノとバイオリン以外は無いようでした。私は当時、5才位だったと思いますが、非常に興味を持ち、親に習わして貰えるように頼みました。しかし「だめ!」との返事であえなく撃沈。ここでの音楽歴のスタートはきれませんでした。
禁じられた遊び

小学校時代
初めて楽器にさわる  昭和42年位でしょうか、ギターがブームになり、私の周りでは猫も杓子も「禁じられた遊び」をギターで弾くのがステータスのようになっていて、年上の従兄弟に弾き方を教わり、初めて楽器を弾く楽しさを味わいました。この当時、エレキブームが到来し、グループサウンズが数多くテレビに登場し、「自分が弾く楽器はこれだ!」とエレキギターを欲しがりましたが、小学校中学年の身ですので、ここでもあえなく撃沈。次の機会を待つことと相成りました。
 
余談ですが、この当時、「シャボン玉ホリデー」という番組だったと思いますが、オープニングにエレキギターを「テケテケ・・」とグッリサンドするおじさんが毎回登場し、あれはお笑いのおじさんが弾いているまねをしているのだと思っていました。ある日親に「エレキの若大将」という映画を見に連れていって貰ったら、後ろでそのおじさんがかっこよくエレキを弾いていて、、びっくりしました。そのおじさんが有名な「寺内タケシ氏」とは・・・・・本当に知らないとは恐ろしいことです。
中学校時代
ついに入手  中学にあがると、フォークブームが到来し、ギターを持ってない人はいないんじゃないかという位、アコースティックギターが周りに溢れていました。教室にも部屋の後ろには何本もギターが立てかけある状態で、休み時間や放課後は、先生が「たくろうのあの曲のコードを教えてくれ。」とか「今度の林間学校のキャンプファイヤーでみんなで歌を歌うから、こ曲は弾けるようにしておけ。」とか言われて、教師も生徒も一緒になって音楽していた時代です。ちなみに「遠い世界に」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とか教師の立場としても問題のない楽曲があったからかも知れないですね。
 
 この頃も私の本来の目的はエレキギターを弾くこと、特にベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」や「パイプライン」を弾けるようになりたいとの思いがありました。が、環境はフォークソング一色で、とてもエレキバンドを組める状態ではありませんでした。
 中学2年になって、東京から伊早坂(イハヤザカと読む)君という子が転校してきました。かなりとっぽい子で、「うちの姉ちゃんはリーブスの後ろで踊ってるんだぜ。」とか言っておりまして、「リーブスって何だよ?」と聞くと「フォーリーブスの事だよ。だけどそんな呼び方はイモがするんだよ。」との事。なるほど東京から来た子は僕らとは違うななどと妙に感心してしまいました。また、ドラムを叩くとのことで、よく彼の家へ遊びに行っておりました。これでバンドメンバーは2名になり、夢のエレキバンド結成に一歩近づきました。ところが肝心のエレキギターがありません。彼に相談すると、「そんな物は質屋へ行けば沢山ある。」と言われて、小銭を集めて物色に出かけました。伊早坂君の地の利のある近辺へ出かけて行くと、確かにあることはあったのですが、欲しいなと思うギターはやはり私の手持ちのお金では買えません。何軒か廻っている内に、3千円(記憶が正しければ)の値段が付いている物を見つけ購入、喜び勇んで家路につきました。
 今思うと、以前のエレキブームだった時代にエレキの形をしていれば売れたので、色々なメーカーが怪しげな商品を出していたんだと思います。どうもその辺りのギターのようでしたが、憧れのエレキギターを手に入れたわけですから、とても嬉しかったと記憶しております。
 さて、ついにエレキを手にしたわけですが、これまた肝心のアンプが有りません。
中学校時代 恋は水色  アンプの件ですが、その頃は家にテレコ(カセットではなく、オープンリールスタイル)が有りましたので、それを使うことにしました。
 録音用マイク端子に、エレキをつなぎました。マイクの入力にゲインを合わせてあるので、エレキをつなぐと、音が割れ雰囲気は出ておりました。しばらくは、ベンチャーズや寺内タケシになりきって、楽しめました。

 しかし、楽しめたのは最初だけで、すぐに飽きてしまいました。音の問題だけでなく、やはり加山雄三の持っているようなギターが欲しかったのです。(当時は知りませんでしたが、モズライトのボディがホワイトのモデルでした。)ここは親に泣きつき月賦販売で購入、当時はローン販売をしているのは丸井くらいしかなく、カタログで注文、購入しました。

 ギター、アンプともグヤトーン製で、ギターは12、700円定価だったように記憶しております。もちろん形はモズライトモデルで加山雄三と同じ、ホワイトボディでした。また、当然ながら、ギターが新しくなっても、腕が上がるわけでもなく、ろくに演奏出来ないことは変わりませんでした。
 結局、中学時代に人前でエレキを演奏したのは、美術室で2年の時の担任(畠田先生)を無理矢理呼んできて、イハヤザカ君と二人で「恋は水色」を演奏しました。なぜ?「恋は水色」かは、まったく記憶していませんが、とにかくドラムとエレキ一本のデュオによる演奏で、畠田先生はこの曲のイメージがゆがんでしまったに違いありません。

※高校に上がってから、ジェフ・ベックが「恋は水色」を弾いていて、すぐに購入して聞きましたが、オーケストラをバックにした演奏は、まさに原曲イメージそのままでした。(ただし本人が弾きたくて弾いたかどうかは疑問ですが・・・)
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