がんばれジーコ(その1)

Last Updated 2003/6/24

ジーコ擁護、でもないけれど。
どうもコンフェデグループリーグ敗退で、ジーコへの風当たりが強くなって来そうな感じですね。
ジーコ自身は言い訳しないかも知れないんですが、もしかしたがジーコのチーム作りの方法論(そういうものがあれば、という前提ではありますが(笑))は、時間がかかるような気がしますねえ。試合を重ねて自発的なコンビネーションが生まれるのを待つ、みたいな。
中田英寿のように頭が良い人は、すでに「時間がかかる」と明言すらしてますね。最低限の教え込みしかしないジーコのやり方を見てそう感じているのだろうし、擁護する必要性も感じているのだろうと思います。
そして、ジーコ自身も「時間と手間がかかる」ということを自覚しているがゆえに、アメリカ遠征から東アジア選手権、キリンカップから日韓戦シリーズまで、限度一杯の試合スケジュールを立てていたのだと思います。しかし、めちゃくちゃ不運なことに、最大9試合?くらいの試合数が実質半減してしまったわけですね。
ということはですね、計画をいくら前倒しにしたとしても、本来の計画であればまだコンフェデ前くらいの段階なわけで。
その段階で采配がどうよとかメンバー選定がどうよとかってのは、少しアンフェアな気がします。
もちろん、ハプニングにも対応するのがプロフェッショナルだし、軌道修正も必要でしょう。しかし、システム屋さん的に言わせていただくと、必要なリソースが削られているのに納期を守れ、というのはどだいムリですよ(笑)。あ、言い訳じみてますね(笑)。
もう一つ危惧されるのが、コンフェデレーションカップの結果をものすごく重視している感じが蔓延してることですね。
確かにさらに2試合戦えたであろうチャンスをみすみす(洒落ですな(苦笑))逃したことは大きいっす。でも、ぶっちゃけそれ以上のものではありません。つまり、例え間違って優勝したとしても、たかだかFIFAの国際大会の、しかも限定的なトーナメント戦でたまたま優勝したってだけに過ぎず、ワールドカップ予選通過を決定付けるものでも何でもありません。だから、試合の内容が重要なんだと思います。
ではその内容はどうだったか?と言うと、3試合を見て思うのは、悪くないじゃないですか、ということですね。
世の中のトレンドを掴んでいたように見えるトルシエ時代のスピーディーな攻めの形はすっかり影を潜め、むしろゆったりしたタマ回しから崩していくという、この時代にあえて困難な道を選択しているように見えます。しかし、トルシエ時代には、ビルドアップのパターンを研究されて、きっちりスピードに応対されてしまうと成すすべがなかった傾向があったことも事実だと思います。あえて言えばそのアンチテーゼとして今の形をやらせているようにも思えます。しかし、このやり方には時間がかかる。というか、いっそうの成熟(狡猾さ、精神的持続性)を求められる。その点こそ今の日本には最も欠けている部分でしょう。そこを埋めようってんだから、そりゃ時間がかかりますよね。(もっとも、ジーコはもう少し日本にいわゆる決定力がある、と考えていたようですけど)そして、まだまだ若いという感じがします。今のチームで本来持つクオリティを発揮できていたのは中田英寿、中村、山田くらいでしょうか。山田はもっとやれたかなあ?
守備でも同じですね。コンフェデの3失点とも明らかにミスがらみ。しかもイタリア人だったら子供でもやらなそうなミスばっかし(笑)。しかし、全体として見てみれば、連動性連携性はかなり良くなってきているような気がしますね。
もちろんこれはドシロートたるサッカー馬鹿の評価ですが、こういう類の内容や質の評価をもっとやらないとあかんのではないでしょうか?
97年の予選の地獄を見て、サポーターはそういうサッカーメンタリティを獲得したかに思えたんですが、まだまだ目先の勝敗、目先の結果のみに囚われすぎているような気がしてなりません。
そういう意味では、コンフェデ前に「方向性が見えない」と言っていた方々は正しかったかも知れませんね。この3試合で方向性は見えた、と思っていますがどうでしょうか?

Copyright © 2002-2003 Sonoda Michio

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