・特集「犬」

犬に噛まれる

よく言われる表現ですが、「犬に噛まれたと思って忘れてしまえ」という言い回しがあります。この表現は、女性が男性から性的暴行を受けた時、慰めの言葉としてしばしば用いられるようですが、この慣用句ほど当の被害者を傷つける無神経な言葉はないでしょう。吉田秋未の漫画「川よりも長くゆるやかに」の中で主人公が知り合いの女性にたいしてこの言葉を使い、「じゃあ、あんたは犬に噛まれたことをわすれられるの?」と反撃されるシーンがありましたが、まさにその通り。犬に噛まれるということは、痛いし悲しいし、そうそう簡単に忘れられることではないでしょう。

つまり、この「犬に噛まれたと思って忘れてしまえ」なるフレーズは、レイプされた被害者にかける慰めの言葉としては、かなり適正さを欠いた表現であると言わざるを得ません。とすれば、この表現に値する状況は、果たしてどういうものなのでしょうか?

・いつもの通勤電車の中で、やくざ風の男に因縁をつけられ、腹部を数発殴られた。

・路地を飛び出してきた自転車にぶつかった。

・何カ月も根回しをして、やっと契約にこぎつけた大口の取り引きを、無能な上司に差し止められた。

・正価では買えないため、ずっとバーゲンシーズンを待っていたショーウインドウのブラウスを、さあ明日からバーゲンだ、というその日に、自分よりずっと年下の学生にカードで買われてしまった。

・一回しか着ていないセーターが、甥が悪戯で投げつけてきたソフトクリームで台無しにされた。

・固定料金制のプロバイダが、お試し期間はわりと空いていたのに、いざ契約して金を振り込んだとたん、話し中ばかりでさっぱりつながらなくなった。

・本当に犬に噛まれた。

こうして考えてみると、どんな仕打ちを受けたところで、それを「犬に噛まれた」と思うことはできないし、そもそも犬に噛まれた時以外、犬に噛まれたと思うことはできないのではないか、という気分になってきます。現実に犬に噛まれた方で、それを忘れてしまったひとがいるのなら、ぜひその体験談を伺いたいところですが、もう忘れてしまっているのなら、それも無理ですね。また忘れていないのなら、それは忘れることのできないような「犬に噛まれた」体験ですから、比較の材料としては不適当です。

そこでお願いです。どなたか犬に噛まれたことのある人、そしてそれを忘れてしまったものの、どういうわけかそれを知っているとか思い出したとかいう方がいたら、ぜひ連絡下さい。そして、いったいどの程度のことならば犬に噛まれたと思って忘れることができるのか、教えていただきたいのです。

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飼い犬に手を噛まれる

まずはじめに言っておきますが、私は犬に噛まれたことがありません(思い出せる限りは)。それに犬を飼っていたこともないです。

ですから、この飼い犬に手を噛まれるという表現が、いったいどれほど当人にとって衝撃があるのか、理解できません。 そもそもこの「飼い犬に手を噛まれる」という表現は、部下や身近な人間から突然裏切られた時のショックを形容する表現だと私は理解していたのですが、そうすると先に挙げた「犬に噛まれたと思って忘れてしまえ」という言い回しと矛盾しますよね。だって犬に噛まれたことは忘れられる程度のことなのに、飼い犬に手を噛まれることがそんなにショックだというのは、どうもおかしいんじゃないでしょうか? たとえば前者の表現がもっとも多く用いられる「女性が乱暴された場合の慰めの言葉」としての意味あいを後者にも適用するとすると、「飼い犬に手を噛まれる」ことは、近親者から暴行される、ということなんでしょうか? とすると、うーん、確かに忘れがたい記憶、一種のトラウマになってしまうでしょうね。

とすると、たとえば同僚にセクハラを受けた女性にたいし「まあ飼い犬に手を噛まれてと思ってわすれなよ」というのは、適切な表現なんでしょうか? 実際にこういう言葉を使ったひと、あるいは使われたことのある方は、ぜひご連絡下さい。

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可愛い犬に手を噛まれる

犬に噛まれるといっても、頚動脈を食いちぎられるのと、軽く人差し指に歯を当てられるのとでは、雲泥の差がある。これを「犬に噛まれる」という表現でひとくくりにしてしまうことに無理があるのだが、それはひとまず置いておこう。

ちょっとここでは、その相手である犬の容姿について問題にしてみようと思う。みなさんは、犬に噛まれた時、その犬がどういう犬だったら許してやろう、とか忘れてやろうと思えるだろうか? 犬は犬であり、どんな犬でも噛まれりゃ痛いさ、そうおっしゃるむきも多いだろうが、それを承知のうえで、あえて伺いたいのだ。たとえば犬が土佐闘犬であった場合とプードルだった場合とでは、たぶん噛まれた時の対応が変わってくるんじゃないだろうか、とも思うのだ。土佐犬だったら、もっと噛まれてはいやだから、私だったらひたすら逃げる。また、プードルだったら、痛みはたやすく怒りに転化して、いきなりキックを見舞わしてしまうかもしれない(断っておくが、この場合飼い主はそばにいないものとみなす)。

もし相手の犬にかかわらず、常に差別心のない対応をすることができる、というひとがいるとすれば、それは聖人か暴力的な肉体に自信のある人間だけではないか。非力な私たちとしては、世界から差別を根絶するためにも、日頃から犬に噛まれた時の対応を統一すべく、心構えを強く持っていたいものである。

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