注)この文書は1991年に書いたものだが、所々内容が欠落しており、要するに未完のまま放置されていたものである。今回UPするに当たり、補筆して完成させたいところだったのだが、何せ昔のことで細かいことはとっくに忘れてしまっている。とは言うもののそのままにしておくのは不親切と思われる部分について、斜体で1997年時点の私による補注を入れた。



◇BE YOUセミナー 参加の記録


 何かと話題になっている例のセミナーに参加した。
 この文書は、自分がそこで経験し、感じたことを雑観記事の形式で記述したものである。

 「Be You」というのが当時職場で流行ったセミナーである。当時セミナー業界の最大手は「ライフダイナミクス」というところだったが、ここに次ぐ準大手である。最近はあまり聞かないので潰れてしまっているのかもしれない。
システムは、
 (1) 3日間の通いコース(スターティングコース 12万円)
 (2) 5日間の合宿コース(トランスフォーメーションコース 35万円くらい)
 (3) 一定期間週に一回づつくらい通う最終コース(名前は忘れた 5万円くらい)
となっている。最終コースは一見楽そうだが、実は組織的な勧誘を行うものであった。

 私は12万払って通いコースに行ったのだった。


1.第一日

(1) 集合
 当日は、8時半受付開始の9時スタートと言うことで、8時40分には会場に居て欲しいとのことだったのだが、実際、ついた時には50分近かった。
 参加するに当っては、事前にアンケートのようなものをとらされている。内容は、心身の健康状態についての告知事項とか、参加の目的などであった。
 自分の参加目的は、このセミナーがどんなものなのかを見極めたいということで、自分自身、セミナーに期待するものは特になかったので、アンケートにはその旨を書いておいた。
 が、受け付けではアンケートの内容確認のようなことをさせられた。ここでは、具体的な参加目的をもつよう強制され、アンケートの書き直しを命じられた。大きなお世話だバカヤローなどと思いつつもアンケートの書き直しなどをして、そんなこんなで、会場に入れたのは開始寸前、遅刻ギリギリであった。
 会場に入ると、一番前にはホワイトボードと教壇があり、その回りをイスが劇場風に取り囲んでいる。参加者は9割5部がた席についており、自分も一等後ろに腰を下ろす。前評判では参加者には女の子が多くて、しかも、かわいい娘が多くて、結婚のチャンスもあるとのことだったのだが、回りを見るぶんには、それがとんでもない大ボラであることが判明。若干後悔するも、気をとりなおす。(このセミナーが縁で結婚までいってしまうのは、実際、多いらしい。)
 今回の参加者は139名だそうだ。

(2) 前口上
 トレーナーのS氏登場し、基本的なルール、運営の仕方等についての説明があった。
 内容、概ね次の通り。セミナーに参加するに当ってとるべき態度は3つあって、即ち、1.コミットすること。2.参加すること。3.シェア(グループサイコセラピーで言うシェアリング。自分の感想を皆の前で発表すること)すること。この3つは、日常、なんらかの成果を出そうとする時に非常に重要なことで、ものごとにコミットメント(誠心誠意取り組むこととの補足説明あり)しないと成果はあらわれない。人間関係がうまく行っていないところでは、必ず、シェアが不充分である。等等。それから、成果をあげるには「ビジョン」が大事だ、などとも。
 参加者は、皆、神妙に聞いてる様子だったが、自分は、あまりに青春出版風の物言いに若干辟易。あんたはビックトモロウか。

(3) 自己紹介
 と、一通りの説明の後、お定まりの自己紹介の段取りである。当セミナーのソレは、隣の人と、まず、自己紹介(と言うか、要するにお話)をし合いましょうという、霊友会風のアレであった。ま、ありがちな展開と言ったところだろうか。
 そのあと、目をつぶらされ、Sトレーナーの云わく、「どんな人でしたか。」 「髪型を憶えている人は手を挙げて。」 「名前を憶えている人は?」 等。人との接し方の深度を問いかける。このような「問いかけ」はその後何度となく出て来て、その時時の参加者の心の内側を確認する仕組みになっている。

(4) 人と出会うゲーム
 と言っても、別に、全然、たいしたことをする訳ではない。イスを全部後に片付け、会場全体をフリースペースにする。で、参加者139人が一斉にその中をウロつき回り、その辺にいる人を捕まえ、5秒間目を合わせる。但し、その間一切口をきいてはダメ。ただそれだけ。
 このバリエーションはその後、何度か出てくることになる。
 最初はこんなもんかと、トホホな気分で参加する。が、途中、本社K氏(仕事上時々お世話になっている本社の係長氏)発見し激しく動揺。後で挨拶しとかなきゃ。

(5) 休憩。
 ここで第一回目の休憩をとることになるのだが、本セミナーでは休憩の度毎に必ず宿題がでる。初回のそれは、「できるだけ多くの人と出会うこと」。つまり、その辺の人とお話しなさいということらしい。大人をナメるのもいいかげんにしろと思ったが、回りを見回すとナメられてもしょうがないような気弱なタイプの奴らばかりだった。トホホ感強まる。
 一応、義理なので、本社K氏に挨拶する。自分も困ったが、K氏も困った顔をしていた。
 K氏は、自分の職場で強力に紹介活動を推進している??さんの紹介で参加したとのことであった。実は、自分の職場では当セミナーは問題になっていて、紹介活動がやりにくい雰囲気になっている。そのはけぐちが本社の方へいってしまったということではないかと危惧。K氏は生真面目なタイプの人なので、普段お世話になっている??氏のたっての願いを無下に断るわけにもいかず、やむなく参加、ということだったのではないかと、これは、勝手な想像だが。が、もし、そうだとすると、本来パーソナルなはずの人間関係を人集めに利用してしまうような、このセミナーのやり口に憤りを覚える。

(6) グループ作り
 [チーム作り]
  このセミナーで行うような「心理ゲーム」の適正人数は5、6人である。それくらいの人数に経験を積んだ指導者がついて、そのコントロールの下におこなわれるのが普通、と言うか、こういったものの正しいあり方なのである。
 チーム分けの主旨は、139名を、その、適正人数に分けるということだろうと思うのだが、ともあれ、人数6・7人、うち女性二人、年齢のバランスをとること、というルールでチーム作りを行った。
 分けると言っても、参加者が「自主的に」チーム作りを行うことが要求される。
 で、結局、自分がその辺でボーゼンとしている青年2、3人引っ張って、ウロウロしているオバサンと女の子の二人連れを引き入れて一応のチーム作りを行った。その後の「調整」で青年一人がどこかへ行って、代りに、落ち着きのなさそうなオジサンが来て、これがうちのチームですということになった。
 
 [アシスタント選び、その他]
 話は前後するが、最初、会場に入ると、後方にイスが一列、授業参観風に並んでいて、そこには明らかに常人とは違う目付をしたヒトビトが座っていた。(20名ほど)概ね、20代前半青年と、後半オネー様というかんじで(中にはハズれてる人もあり)、青年たちは一様に全然似合っていないスーツを着込んでいる。それが、顔には不自然な微笑みを浮かべていて、ハッキリ言って、気持ち悪い。オネー様方はきれいな人ばかりだった。それがまた、前向きなホホエミを浮かべていて、トレーナー氏がつまんない冗談を言ったりすると、ザーとらしくドッと受けてみせたりして、要するに、ムード作りに一役買っていたのであった。
 この人達がアシスタントさん達で、セミナーの卒業生(全コース終了者)がボランティアで来ているとのこと。後で聞いた話では、セミナーからは交通費すら出ていないそうだ。
 実は、このような目をした人達を、昔、見たことがある。憑かれたような目、何かを信じ切っているような毅然とした物腰。ああーっ!!あの、イヤらしい、原理の奴らとおんなじではないか!!! しかも、女の人が必ずきれい、というところまで一緒だ。
 このセミナーが原理=統一教会や勝共連合とつながりがあると言っている訳ではない。実は、このセミナーに対する最大の危惧はそこにあったのだが、参加してみての率直な感想は、そこまでタチの悪いものではないだろう、ということである。しかし、セミナーを卒業した人が、原理の奴らと同じ顔つき、つまり、洗脳された人間の顔になってしまうという事実が、このように、現実としてあらわれてしまうと(しかも、後方一列授業参観風)、なんというか、脱力感すら感じてしまうほどであった。せいぜい、気を付けよう。

 話をもとに戻す。

 アシスタントが何をするかと言うと、各チームに必ず一人ついて、指導監督をする。
 チームは「自主的」にアシスタントを選ぶよう求められたので、一人選んだ。
 次にリーダーを決めるよう求められたので、決めた。リーダーになったのはうちのチームの青年A、25才建築会社勤務だった。
 ちなみに、うちのチームの構成員は以下の通り。青年A(前述)、青年B(24歳、山梨の中小企業勤務)、オンナノコ(23歳、某大手コンピューターメーカー・F通勤務)、オバサン(32歳、専業主婦)、オジサン(47歳、大手プラントメーカー勤務)、自分(27歳、今一歩大手になり切れない某中小損保勤務)、アシスタント氏(32歳、F通、都銀・F銀行を経て現在大手広告代理店T急エージェンシー勤務。)

(7) 昼休み
 昼食はチーム単位にとることになる。
 アシスタント氏から、チーム内のコミニュケーションを高める手段として、チームに愛称を付けたらどうか、お互いニックネームで呼び合うことにしたらどうかなどの提案があった。が、この歳になって、昨日今日知り合ったばかりの人に「てっちゃん」なんて呼ばれるのもたまらないので強硬に反対し、オバサンの賛同を得る。他の人たちはどっちでもいい風だったので、結局、うちのチームではそういうことはしないことになった。
 昼食から戻ると、他のチームは早くも盛り上がっている様子で、勝手に前で自己紹介を始めているチームもある。
 「Aチームのゆきちゃんでーす。」、「おとーさんでーす。」、「のっぽさんでーす。」 
 「Aチームは、チーム名を ”白雪姫と七人の子羊たち” にすることになりましたのでよろしくおねがいしまーっす。」 パチパチパチ(拍手)。

 どこのチームでも同様の「提案」が行われていたらしい。
 
(8) 恐れと不安について
 ダイアード(一対一のスタイル)でブレーンストーミング風、或は、自由連想風に自分の恐れるものを列挙して行く。A「あなたの恐れるものはなんですか?」、B「××です」。これを互いに繰り返す。
 その中から自分が一番恐いと思うものを一つ選んで、例のウロつき回りをする。今度は、その辺の人をつかまえて、一言。「私の恐れるものは××です。」
 そして、シェアをとる。
 シェアした人の中にこんな人がいた。「今の実習で自分が何を恐れているかが初めて分かりました。」 あんたは何十年も生きてて、今まで、何やってたんですか。

(9) 赤黒ゲーム
 要するに、よくある「囚人のジレンマ」ゲームである。(参考文献参照。)

 文中、「参考文献」というのが何度か出てくるが、グループセラピーのハウツー本、つまりセミナーでやるゲームの元ネタが書いてある本である。今でも家にあるはずなので探したが、見つからなかった。  ゲームの内容については「洗脳体験」(二澤雅喜・島田裕巳著 宝島社)に詳しく書かれているので参照されたし。


 このゲームの場合、「囚人のジレンマ」で言う「黙秘」(相手を信頼すること)が「黒玉」、「自白」(相手を陥れて自分だけいい目を見ようとすること)が「赤玉」ということになっていて、139人を2チームに分けて、いっぺんに行なってしまう。つまり、両チームが2部屋に分かれて各々合議して、赤を出すか、黒を出すか決め、その結果を判定する。これを6ターン位繰り返す。
 この手のゲームの主旨は、「お互い信頼し合うことが、結局は両方の為になるんですよー」ということを実感させることにあるのだが、ゲーム自身にコトバで引っかけるような部分があるので、実は、もともとあんまり好きなゲームではなかった。
 それが、又、集団の合議制になっているので(昔、仲間うちでやってた時は1対1だった)、ゲームとしても全く成立していなかったと思う。
 このゲームのトリックはルールの説明の曖昧さにあり、合議の焦点も曖昧なルールをどう解釈するかということになるのだが、最後にタネあかしされるまで、そこの確認はとれないのである。1対1で行なっている分には、そこの解釈は個人の責任においてなされる。そのため、その人が他人に対してどう接しているかが分かったりもするのだが、今回、集団でやってみると、単に声の大きい人の意見が通って、それでおしまい、といった印象であった。
 実際、ゲーム終了後の反省会でも、ルール説明の不備に対する不満の声が上がっていた。セミナーは、そのような声には、誠意をもって対応すべきだと思うのだが、そういう意見は黙殺されていた。
 しかし、大方は、すっかり感心し切った様子でトレーナーの話に耳を傾けていた。
 「あなたは他の人に黒玉を与えていますか?」、「人に黒玉をもらった時、それに対して黒玉で応えていますか?」

 と言う訳で、第一日目はようやく終了する。
 二日目以降に期待することにしようと思う。
 
 言い忘れたが、このセミナーでは宿題が出ることになっていて、一日目のは「自分にとって大切な人に黒玉を送ること」。 信じられないことだが、これから(セミナーの終了時刻は夜9時)人に会うなり、電話するなりして、押しつけがましい話をしろということらしい。この晩、夜中に訳のわかんない電話をかけて来られた被害者が100人はいたということだ。(結構、皆、真面目に宿題に取り組んだらしい。)
 
2.二日目

(1) 宿題の総括(シェア)
(2) オマエが悪い。
 つい、自分の意見なり立場なりに意固持になってしまうので、人間関係、うまくいかなくなるんですよ、たまには他人の立場に立つのもどうですか、という話。
 参考文献、「アサーションゲーム」参照。

(3) 恐怖のキーパーソン
 内容は参考文献の「重要な他者ゲーム」参照。
 休憩があけて、会場に入ると(休憩中は会場から追い出される)、いきなり照明がおちている。まず、アシスタントのデモンストレーションがあるということで、アシスタントの一人が前に出て、これからどういうことをするのかを実演してみせる。
 このゲームは、要するに、グループサイコセラピーで言うロールプレイングで、他人の立場に立って、自分を見つめ直してみようということなのだが、アシスタントのデモンストレーションが超強烈だった。すっかり感情を全開させて、約150人の前で泣きじゃくってしまうのである。(具体的な内容は、当人のプライバシーに属するものなので、ここではちょっと書けない。つまり、そういう内容。)
 これは、はっきり言って、マズい。
 こういったゲームを行う場合、感情をたかぶらせてしまうのは、実は、タブーなのである。下手をするとトラウマを残してしまう危険があるからだ。それが、このセミナーでは、わざと感情を煽るようなやりかたをしてしまうのである。実際、ゲームが始まると、泣き出してしまう女の子なんかもいるようだった。
 最終的には、会場の中は、ヘンな宗教のヤバい集会のような雰囲気になってしまっていた。
 
(4) フィードバック
 主旨は、自分が周囲にどのように映っているかを確認する、ということである。
 ダイアードのスタイルで、お互いの好ましい部分、好ましくない部分を言い合うのだが、心の弱いタイプの人にとっては、結構、残酷な経験だったのではないかと思う。
 自分自身が持っている「自分のイメージ」と、他人が抱いているそれとを一致させることにより、人生を楽に生きられるようにしようというのがサイコセラピーの重要なテーマだったりするのだが(この両者にギャップがあると、人生、苦しい)、普通、こんな乱暴なやり方はしないはずだ。
 何人かは、これで、トラウマを受けてしまったのではないか。自分は心配性なのである。
 
(5) 両親との関係について。
 ここでは精神分析で必ず出てくる親子関係論を「体験」することになるのだが、そのやり方というのが、例によって、お涙頂戴式なのであった。
 会場を暗くして、いかにもそれらしいBGMを流す。
 「目をつぶって、目の前にお母さんがいると思ってください。」、「どんなお母さんですか? お母さんの人生はどんなだったでしょうか?」、「さあ、目の前のお母さんの手をとって、そして、今まで言えなかった、お母さんへの想いを、声に出して、ぶつけてください!!!」
 勿論、お父さんについても同じことをする訳だ。
 次第に、会場のあちらこちらから泣き声が聴こえるようになる。よっぽど醒めてる人間以外は、皆、泣いているようだった。
 グループサイコセラピー経験者としては、ここで一言言わない訳にはいかないのだが、泣かせるのも、タブーだ!!!
 実際、人間、泣くと気分がすっきりするのだが、これは、どちらかと言えば、単なる生理的カタルシスであって、根本的な問題解決とは言えないのである。しかし、このセミナーでは、手口として「泣かせ」を使っている訳で、これは、自分に言わせれば、ルール違反もいいとこ、一種の詐欺行為である。
 このセミナーの底の浅さ、手口のインチキさが見えたようだった。

 こうして二日目も終った。
 この日の宿題は「一時間以上かけて自分の人生を振り返ること」。要するに、トラウマほじりをしなさいということらしいが、そんなの、普段、やっているので相手にしないことにした。

3.最終日

 最終日の印象は次の2つに集約できる。
 1. 次のコース(トランスフォーメーションコース)へのほとんど強引な勧誘。
 2. 最後の盛り上げ方がほとんど全く、新興宗教の集会のそれとおなじやり口だ
   ったこと。内容が宗教がらみということではないのだが、やり方が正にソレ、
   といった感じなのであった。

(1) トラウマほじり。
 みんなで子どもの頃の辛い思い出を語り合う。交流分析でいう人生シナリオの形成過程を再確認するというのが主旨なのだが、単なる茶飲み話(ああそう。辛かったのね。ふーん。という感じ)で終わってしまったような印象であった。これは、個々のグループの指導をしてるのが素人のアシスタントだったためと思われる。これも実は危険な話で、本当に辛い記憶(生死にかかわることとか、性的に酷い目にあったこととか)を意識下に隠しているような人に不用意にこういうことをすると、抑圧されていた記憶が爆発して精神がバラバラになる(ゲシュタルト崩壊)危険もある。そこまで行かなくても、辛い思い出を追体験することで精神的外傷(トラウマ)を深くしたり、顕在化させたりする恐れがある。
 うちは茶飲み話で済んで本当に良かったです。
 
(2) ほとんど宗教、選択のゲーム。

 これも、具体的内容は「洗脳体験」(二澤雅喜・島田裕巳著 宝島社)に詳しいので参照されたいのだが、要するに、文章で表現するのは骨が折れるようなことをする訳だ(説明になってない)。ということで途中は省略するが最終的には、みんなで抱き合ってわんわん泣いている、付いていけない人間は周囲の光景が信じられず呆然としている、という状況になっている。ここでハマった人間はもう後戻りできなくなっているということで、このセミナーのクライマックスではあった。


(3) 宣言と実現ゲーム
 人間、自分でやろうと決めたことは必ず実現してしまうということを体験。
 イスを輪の形に並べて、輪のこちらからあちらへ行くことを、まず、全員で宣言する。ところが、全員が全員、各々違うやり方で行かなければいけない。
 こんなの、やれば、いくらでもできてしまうのだが、参加者の顔には「オレ達やったじゃん」みたいなすっかり満足し切った表情が浮かんでいた。実際の人生はこんなに甘かないでしょ、しっかりしてよ、と言いたい気分。

 セミナーの構成上、このゲームは取って付けたような印象だったのだが、今にして思えば、これは勧誘への布石である。コースを進むと組織的な勧誘をさせられることになるのだが、その際も期限と人数を宣言させられて、それを実現しようと、勧誘する(させられると言った方が正しい)方は努力することになるのである。このゲームでは、一見実現不可能だが実は容易なルールを設定することで、一度宣言さえすれば何でも実現可能のような錯覚を与えるのが目的である。実はこのゲームはその方面では有名なものの一つで、本来は鬱病などで自信喪失状態の人をケアするために考案されたのだが、そんなものでも使い方次第では危ないものとなる見本(深読みしすぎかも)。

(4) チーム解散
 最後、「チームは一つの家族です」とのトレーナー氏の御託宣。チームでお互いの腰に手を回して輪を作り、音楽に会わせて体をゆすったりする。
 自分は、ひたすら、気持ち悪いだけだったのだが、回りのヒトビトは、もう、恍惚とした表情を浮かべていて、声を出して涙ぐんでいるのが大勢いた。最終的には泣きじゃくっちゃう人すらいたみたい。

(5) もーやめて!!!の解散式

 補筆しようかとも思ったけれども、ネタバレになるので止めておきます(今までのは何?)。ここまでバラしちゃうとこれからセミナーに行こうと思ってる人に悪い。一言だけ言うと、とってもあざといことをしてくれます。あまりにあざと過ぎて普通の人はついていけないだろうと思うのだが、ここまで来た人達は素直に感激してしまうのであった。
 これも例によって「洗脳体験」(二澤雅喜・島田裕巳著 宝島社)に詳しく出てます。


4.三日間の総括

 要するに、内容的には一般向けのグループサイコセラピーなのである。こういったものは、昔自分もやっていたし(自分は受ける方ではなく、施す方だったが)、うまく利用できれば、日常生活において、非常に効果を出すこともできるし、実際、ヨイものなのである。それをお金儲け用にアレンジするにあたって、結果、なんか杜撰なものになってしまった、という印象を受ける。
 方法論は、マス化、過激化ということだ。

 それから、お金の使い途も気にかかる。
 参加してみた限りでは、このセミナーの運営には、お金は全然かかっていない。設備はお粗末なもんだったし、専従のスタッフはほんの2,3人で、その他の作業レベルの話には、ボランティアの「卒業生」を動員して(何百人単位で)、それで済ましている。
 最初、何かの政治団体か宗教団体の資金集めなのではないかという危惧があったのだが、その危惧は終了した今でも晴れていない。ま、穿ち過ぎだとは思うが。
 
 しかし、一番腹立たしいのは、お金儲けのための人集めにパーソナルな人間関係を利用してしまう、そのやり方である。自分にとっては、結構、大事にしたいと思っている友情関係(紹介者との)が、なんか、土足で踏みにじられてしまったような−と言うと大げさですけど−感すらある。
 例えば、自分の職場を見ても、セミナーに行く人・行かない人、紹介する人・される人、といった部分で、人間関係が割れてしまう、割れないまでもぎこちなくなってしまう、というようなところがあり、ここに、このセミナーの最大の問題点があるように思える。
 うちの職場は、そうでなくても、人間関係が最近ヘンなので、そこにつけこまれているということなのかもしれないが。

  
5.その後の情報収集から。

(1) チームメンバーのその後
@ 青年Aの物語
A オバサンの変節
B オジサンの決意

 一週間後位に面接(というか、次のコースの勧誘)のようなものがあって、そこでチームメンバーのその後の身の振り方について情報を得ることができた。
 結構ハマってたオバサンが時間が経ったら冷めてしまって、次のコースへは行かないことにしていたとか、逆に一見面白くなさそうだったオジサンが突然ヤル気を出して次コース出馬を決めていたとかということを書こうしていたのだと思う。実生活にどれだけリアル感を持っているかでここの態度が変わってくるのではないか、主婦の生活リアリズムは流石に強力だなあという感想を当時持ったものだった。
 青年Aがどうなったかは忘れた。


(2) トランスに参加したSの物語
 Sというのは、職場の同期の女の子で、人生前向きに楽しんでしまうタイプと言うか、どっちかというと、脳天気なタイプのコである。(読んでたらゴメン。これ、ほめてるんだからね。) 因みに、彼女は近く結婚を控えている。
 このSが、トランスフォーメーションコース(自分が参加したコースの次のステップ)に参加するそうなので、実際に参加する前後に渡って、話を聞いてみた。このインタヴュウでこのセミナーの本質がかなり分かってきたように思うので、その内容をここに記す。

1 参加前。動機、心構えなど
  • あ、ねーねー。俺、こないださー、スターティング行ってきちった。
  • あら、そぉー。で、どーだった?
  • んー、あんま、ピンと来なかったねー。
  • あ、そーなの。
  • で、明日さー、行くんでしょ、アレ。
  • そーなのよー。
  • なんで? スターティング行って良かったから?
  • 別にそーゆー訳じゃないけどー。スターティングが良かったって訳でもないけどねー。どっか、旅行、行こうと思ってたからさー、その代りったら、なんだけどねー。
  • あ、そーゆーこと。そーゆーことだったら、ま、面白いかもねー。でもさー、アレ、行ってみて分かったけどさー、気ィつけろよ。結構、ヤバいぞ。
  • え、どーしてー? 
  • 要するにね、凝り固まってるんだよ、アイツら。
  • どゆこと?
  • あの人達ね、色々言うけど、結局はプログラムがどーのとか、ビジョンがどーのとかって、よーするに、セミナーの言うこと、鵜呑みにしてるだけじゃん。
  • ....
  • で、セミナーはセミナーでそーなるよーに仕向けてるんだよね。そら、も、巧妙にだけどね。 
  • そーかなー。
  • そー、そー。で、ね、そこんとこを図にするとこーなんじゃないかと思うんだけど...(白紙の真ん中に横線) こーね、真中に線がピュッと入るわけ。線の上がセミナーの世界で、下がその他の世界ね。この紙一枚で全世界になるはずなんだけど、「セミナー」が介入して来たとたんに、真中に線ができちゃう。で、セミナーの人たちには線の上だけが全世界で線から下は上に上がれない気の毒な人達に見えちゃうんだよ。
  •  ふーん。(感心している)
  •  上の人達は上の人としかまともにつきあわないようになる。ってのは下の人はセミナーを体験していないので自分らを理解できっこないと思ってるからね。ほんとはセミナーの内容を説明すりゃいいんだけど、口止めされているからそれもしない。そうなると実際、下から見ても上は理解できないよね。
  •  そうだねぇ。
  •  それで、上と下とか絶対的に対立しちゃって、上の人間は下の人間を上に引き上げようとする。それにはセミナーを体験させるしかないと、上は思い込んじゃってる訳。下はますます警戒するわな。
  •  うん、言うとおりだよ。
  •  おい、そーゆー素直な奴が一番危ないんだ。で、上の人間が何でそういう思い込みをしてるかというと、セミナーの言うことをそのまんま信じ込んじゃってるからなんだねぇ。つーことで結論的にはセミナーが悪い。ホントはこんな線なんかないんだけど、引いたのはセミナーだ。
  •  やーだー、怖くなっちゃうじゃない。明日いくのに。
  •  だから、上に行きっぱなしになんないようにするには、こーゆーカラクリが分かってればいいんだよ。行きゃ、少しは面白いだろうから、楽しむだけ楽しんで、ハマらずに帰ってきてくれりゃいいです。
  •  あー、よかった。
  •  今のオレ達は線の真上にいるわけだよ。上が何であーなっちゃったのかも分かるし、下が何を怖がってるかも分かる。線を取っ外ずせるのはオレ達しかいない。
  • えー、どやって?
  •  だから、上の人達が何であーなっちゃったかをだね、説明できればいいんだよ。上と下に。ってことで、明日、行ったら、用心だけはしといて欲しいってのと、あと、帰ってきてから又、話を聞かせて欲しいってのがお願いです。
  •  わかった。
  •  じゃ、気を付けて行ってきてね。
  •  うん。気を付けるよ。
  • 2 参加後。


     インタビューと言ってる割に私が一方的に話をしているのは、対話をすることで実は自分の考えをまとめているということで、こーゆーことはプラトンもやってるから、いーんだ、これで(開き直り)。
     参加後も何か話をしたと思うのだが、忘れた。
    結局彼女はヘンにハマることもなく帰ってきて、その後結婚退職して、今では生保レディとして成功しているらしい(課長になったらしいが、課長の生保レディというのがどういうものかは分からない)。この事例は、セミナーに変にハメられることなしに、成果のみ活かすことができた例として記録されるべきかもしれない。



    と言う訳で以上。





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