2004年お正月企画「温泉の科学特別コラム」



 
明治の鉱泉概念

byやませみ


鉱泉の意義およびその尋常水との区別
鉱泉冷温の区別
鉱泉分類法
附:筆者が考えたこと


 明治19年(1886)に当時の内務省衛生局が編纂した「日本鉱泉誌・全3巻」は、全国の鉱泉を網羅的に調査してその全貌をはじめて明らかにした記念碑的な大著です。通常の図書館ではめったに閲覧できない希少本でしたが、ありがたいことに国立国会図書館のサイト「近代デジタルライブラリー」の完成により、手軽に画像ファイルとして見ることができるようになっています。

 本誌の第一巻冒頭の「通論」には、鉱泉とはいかなるものかについての当時の考え方が述べられており、これを現在の温泉の概念と比較するときに微妙な差異があることが伺えてたいへん興味深いものとなっています。本文は漢文読み下しなので多少わかりにくいですが、およその意味は理解できるかと思いますので書き写してみました。なお、カナはひらがなに換え、古い漢字はなるべく現用の字体に置換してありますが、筆者の無知による誤りがあればお許しください。




鉱泉の意義およびその尋常水との区別 

地下より湧出する自然泉水に多数なる他の物質を混有し、もしくはこれに兼するに常水より高き温度を保つときは、水のほかその物質もまた多少人身の機能を感起せしむるの能あり。しかして実験上これを疾病に応用して治癒するの功験あるものを名づけて鉱泉、あるいは療用泉と云う。けだし鉱泉の創見はみな偶然にかかるものにて、世人の一回これを病痢に適用せしよりようやく世に賞用せられ、もって遂にその名声を永遠に伝うるに至りしなるべし。

鉱泉と尋常水とは、その性質成分及び泉源の状況にしたがいこれを地質学、鉱物学及び化学上の研索等によりもってこれを区別せんと欲するも、はなはだ難事にて特異の標準を発見するは能はず。

そもそも宇宙間に存在するところの水は一として酸素水素の二原子より成らざるはなく、また全く純粋にて毫も他物を夾雑せざるものなし。何となれば、およそ水の性たる諸物を溶解しかつガス類を吸収するの力は他の液類に卓越するがゆえに、雨水蒸留水といえどもまた多少不純ならざるをえず。これに加えもしその水に炭酸ガスを混有するかあるいは高度の熱を帯びるにおいては一層その溶解力を増し、堅緻なる巌石をも疎解分離せしむるの性あり。いわんや深く数種の地層を浸透して湧沸する泉水においておや。

ゆえに鉱泉中に含有するところの諸物質は、ただに尋常の飲用水にもまたこれを含むのみならず、その量のかえって鉱泉より饒多なることままこれあり。ドイツ国ザルツブルクのごときはその一万分中に鉱成分三.四九分を含み、またスイス国ベツフエル泉の固形分含蓄量はその一万分中わずかに一.七九二分に過ぎず。これを尋常の飲用水に比するもその鉱成分の少なきこと明らかなり。この如き鉱泉を「単純泉」と名け、もって含有成分の多きものと区別せり。本邦相州箱根の湯本、堂ヶ島の温泉のごとき、およびその他温泉にもこれに属するもの多し。

けだし通常飲用に供すべき水の固形成分は水一万分につき一分ないし五分をもってこれが制限となす。ゆえに、固形分所含の量にしたがいて鉱泉と飲用水とを区別するは学術上においてよくこれをなすことを得べきものにあらず。また理学的性質すなわち温度にしたがいて鉱泉と尋常水とを区別せんが、これまた一定の標準を定むること能はず。何となれば、鉱泉といえども冷泉に属するもの極めて多く、また尋常の飲用水に供給することを得べきものといえども高熱を帯びて鉱泉に属するものあればなり。

およそ水の温度は摂氏の零度より百度の間を往来すれば流動の態を保ち得べきものにて、地下より湧出する泉水の温度におけるもまたしかり。ただ欧州においては摂氏零下八度の泉水ありこれを寒冷の極とし、また摂氏九十七度ないし百度の温泉ありこれを高熱の極とす。爾余(そのほかの)諸泉の温度はすなわち皆ここの両極の間に列置するものとす。

鉱泉自然の帯温は、そのよりて来るところいまだ詳ならず。あるいはこれを地心固有の熱に帰し、あるいは電気および化学作用によりて生ずるものとなし、あるいは地水火山の熱に触し来るによるとなす等諸説紛々との碩学の論理家もいまだこれを確定すること能はずと云う。しかしてその温度は気候の来往に従いて時々多少の変化あるも概ねはなはだ高からざるを常とす。欧州には摂氏百度の温に達するもの唯一泉あるのみと云う。

以上論ずるがごとく、学術上において鉱泉と尋常水とを区別するの規準なくをすこぶる実際上に不便を生ずるが如しといえども、数多の経験に徴するに、有効の鉱泉は多くはみな固形成分もしくはガス成分に富み、あるいは高温を保有して多少常水と異なるところあり。ゆえに経験上左の解説を下し、これが区別をなし、もって実際に便にす。

鉱泉とは概ね常水に比すれば多量の固形分もしくはガス分を含有し、あるいは高温を保ちて湧出し、または臭味色の三性を異にし、人体の疾病を治癒しあるいは軽快ならしむるの効能あるものを云う。


鉱泉冷温の区別

すでに鉱泉と尋常水との区別判然せば、更に温度の高低に従い鉱泉の冷温を区別するはまた実地要用のこととす。すなわちこれが区別を定むるには、別に一定不換の温度をもって比較の標準となすものなかるべからず。ただ人々の感触により鉱泉を冷泉、微温泉、温泉および熱泉等に区別するがごときはもとより、また学術上においてこれが限界を定むるの規準あるにあらず。

しかれども強いてこれが区別を為さんには、鉱泉所在地の大気の中等温度をもって鉱泉の温度に比較せば則その規準すこぶる穏当にて一定するを得べし。ゆえに今この比例をもって鉱泉の冷温を区別するの憑據(よりどころ)と為し、その温度該地の中等大気の温に超えざるものを冷泉と云い、そのこれに超越するものを温泉と為す(その超過多少の度に従いて更に微温泉、温泉、熱泉の別を定む)ときは、その冷温の別おのずから判然たり。しかれども熱帯地方に在りては大気温すこぶる高度なるをもって温寒両帯の地方とその比例の同一ならざるは、もとより弁を費さずを明なりとす。


鉱泉分類法

輓近(近年)通常鉱泉の主成分を記載し、もってその種類の何たるを一目の下に詳にする類別法を採用せり。ゆえに、鉱泉分析は各邦皆精密なる定性および定量試験法を用いてその中に発見したる有力成分につきて分類命名す。

よって一類内の鉱泉はことごとく同一の通性を有するのほか、各泉また特別の副成分に属する特異の性能を有すべしといえども、その主成分の大別によりてはすなわち六七種もしくは九種にすぎず。これを例え、単純泉、食塩泉、苦塩ボウ硝泉、硫黄泉、炭酸泉および鉄泉の六種となし、あるいは鉄泉、硫黄泉、炭酸泉、塩類泉・・・・(中略)・・・等のごとき各国鉱泉の性状と各識者の所見とにしたがいすこぶる差異あるをもって一定の規則なしといえども、各国鉱泉種類の主成分を標準として化学試験法によりてその種類の何たるを瞭然たらしむべき名称を附するは最有益の法なりとす。

しかるに本邦の鉱泉はこれを欧米諸国に比すれば多量の遊離性鉱物酸を含有するもの極めて多し(その主成分と為りて存す)。ゆえに今欧米諸国の鉱泉類別法をもって直にこれを我邦に襲用するは、ただに穏当ならざるのみならず、かえってその実を失うに似たり。よりて衛生局試験所および医司薬場おいて試験したる成績に従い、欧米諸国の類別中に在りていまだかつて見ざるところの特異なる酸性泉の一類を設け、もって全国の鉱泉を左の五種に分類す。

(甲) 単純泉 または温和泉
この鉱泉は多少高温を有する尋常の水にて、硫化水素ガス、炭酸ガスあるいは他のガスをも含有することなく、ただ僅微の塩類を溶解するものを云う。例えば千分中おおよそ〇.五分以下(0.5 g/kg)の塩類を含むの類なり。(単純泉の区別において単に塩類総量〇.五内外の区別によるは適確ならざるに似たれども、他に特徴なきときはしばらくこれに準拠せざるをえず。)

(乙) 酸性泉 または酸性鉱泉
この鉱泉は多量の遊離硫酸、亜硫酸、塩酸、緑礬(Fe-SO4)、硼酸等を含み特異の酸性を有するものを云う。左の各項に掲ぐるもの皆これに属す。
〔其一〕 尋常酸性泉
  主として遊離硫酸あるいは遊離亜硫酸あるいは塩酸を含み、多量のガスを含めることなき尋常酸性泉
〔其二〕 酸性収斂緑礬泉
  遊離酸のほかさらに多量の緑礬(Fe-SO4)あるいは硫酸礬土(Al-SO4)を含める酸性収斂緑礬泉
〔其三〕 酸性発煙泉
  他の遊離酸のほかさらに硼酸を含める酸性発煙泉

(丙) 炭酸泉
この鉱泉は多量の炭酸を含み、これを震盪すればはなはだしく気球を生ずるものを云う。左の各項に掲ぐるもの皆これに属す。
〔其一〕 単純炭酸泉
  主として多量の遊離炭酸(CO2)を含み、固形塩類を有することかえって僅少なる単純炭酸泉
ただしこの泉は弱酸性反応を常とすれども煮沸の後は中性反応を現すものとす。
〔其二〕 カルキ炭酸泉 または被膜泉
  多量の炭酸を含むのほか、さらに多量の重炭酸カルキ(Ca-HCO3)を含み、その表面に白色の重渣すなわち炭酸カルキの皮膜を生ずるカルキ炭酸泉
〔其三〕 アルカリ泉またはアルカリ性炭酸泉
  多量の遊離炭酸を含むのほか、さらに多量の炭酸ナトリウム(Na-CO3)、重炭酸ナトリウム(Na-HCO3)を含み、その反応アルカリ性にて、煮沸の後はことに至強のアルカリ反応を現せるアルカリ泉
〔其四〕 食塩アルカリ泉 または食塩アルカリ性炭酸泉
  尋常のアルカリ泉のごとく多量の炭酸および炭酸ナトリウムを含み、加うるに多量の食塩を有して鹹味を帯びる食塩アルカリ泉
〔其五〕 含鉄炭酸泉 または鋼鉄泉
  多量の炭酸と重炭酸鉄とを含有し、その水面に抱水酸化鉄(Fe-OOH)の茶褐色皮膜を生じ、これを煎熬(せんごう)すれば多量に不溶解の抱水酸化鉄を得べき含鉄炭酸泉

(丁) 塩類泉
この鉱泉は総て多量の塩類、たとえば食塩、硫酸ナトリウム(芒硝)、硫酸マグネシウム(瀉利塩)等を含み、しかして多量に硫化水素あるいは炭酸を有せざるものを云う。左の各項に掲ぐるもの皆これに属す。
〔其一〕 弱塩類泉
  反応中性にて鹹味および苦味なく適宜の塩類(およそ千分の〇.五以上に至る)を含める弱塩類泉
〔其二〕 アルカリ性塩泉
  アルカリ性食塩泉に均しくアルカリ反応を呈し、煮沸の後は殊に強くして多少刺激性の鹹味を帯えるアルカリ性塩泉
〔其三〕 芒硝泉
  他の塩類のほか多量の硫酸ナトリウム(芒硝)を含有して瀉下(下剤)の効ある芒硝泉
〔其四〕 苦味泉
  他の塩類のほか多量の硫酸マグネシウム(瀉利塩)を含みて苦味あるもの、すなわち苦味泉
〔其五〕 石膏泉 またはジプス(石膏)性塩類泉
  他の塩類のほか多量の硫酸カルキすなわち石膏(Ca-SO4)を含み、これがためその性硬にて洗濯の用に供するべからざる石膏泉
〔其六〕 食塩泉
  他の塩類のほか多量の食塩を有し、これがために鹹味を帯える食塩泉
〔其七〕 沃度あるいは臭素泉
  食塩のほか沃度(ヨード)あるいは臭素(ブロム)の痕跡著明なる沃度あるいは臭素泉
ただしこの泉は食塩泉に付属すべきものとす。

(戊) 硫黄泉
この鉱泉は臭気ありて多量の硫化水素を含み、あるいはアルカリ性硫化金属を含むものを云う。左の各項に掲ぐるもの皆これに属す。
〔其一〕 単純硫黄泉
  多量の硫化水素ガスを含み、しかして塩類を溶解すること僅少(千分の〇.二以下)なる単純硫黄泉
〔其二〕 塩類性硫黄泉
  多量の硫化水素ガスを含み、あわせて多量の塩類(千分の一以上)を含める塩類性硫黄泉
〔其三〕 アルカリ性硫黄泉
  多量の硫化水素ガスを含み、かつ多量の炭酸ナトリウムあるいは重炭酸ナトリウムを含めるアルカリ性硫黄泉


<附:筆者が考えたこと>

 本誌の冒頭では『地下より湧出する自然泉水に・・・』というのが鉱泉の大前提になっています。もちろんボーリング技術など未発達な時代ですからほとんどの湧水は自然湧出で、ごく一部で浅い掘り抜き井戸や横穴式の掘削が行われていたにすぎません。したがって、『常水より高き温度を保つ』というのは、鉱泉の定義として有効な規準になっていたでしょう。

 さて現行の温泉法の定義では、「地中からゆう出する温水、鉱水、及び水蒸気その他のガス」とされており、湧出の形態にとくに限定はありませんので、自然湧出から深層ボーリング井まで同じ規準が適用されるように考えられています。そこでは湧出口での水温25℃以上は成分に関係なく「温泉」であると規定されるため、通常の地下水と成分的には何ら変わらないような深層水が、水温だけで温泉と認定される不可思議な状況になっています。本来は自然湧出の泉水について発した概念を、深層水にまで拡張して当てはめる現在の温泉概念は、じつは根本的な大間違いを犯しているといえるかもしれません。

 歴史の古い鉱泉(冷鉱泉)では、現在の規定で「温泉」に該当しないものが数多くみられます。つまり、明治の分類では固形分が0.5 g/kg以上からが塩類泉に含められることになっているため、現在の1 g/kg以上という規定からは外れる冷鉱泉が出ているためです。希薄な石膏泉、緑ばん泉などがこれにあたります。また、炭酸成分の正確な定量は現在でもかなり難しいものですが、明治の定性的な分類で「アルカリ性炭酸泉」とされたものの多くは希薄な重曹泉タイプで、これも現在の規定からは外れるものが相当数あります。

 これらの鉱泉は、薬効が高いとして湯治療養にずいぶんと貢献したものが少なくないですが、今は表だって「温泉」の看板を掲げられないため廃業したものが多いのは残念なことに思います。鉱泉の療養効果については未だ不明なことが多く、民間療法の一部にすぎないとして医学の研究対象から除外される形勢になっていますが、解明が充分に試みられないままに多くの鉱泉が消え去っていくことは、後世の人々にとって大きな損失となることなのかもしれません。


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