YS/2001.12.10 ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)−5 ■金融界のピカソ、アンドレ・マイヤー 20世紀を代表するインベストメント・バンカーのひとりアン ドレ・マイヤーもパリで生まれたユダヤ人である。キャサリン・ グラハムの高貴なマイヤー家とは関係がなく、貧しい家庭で育っ たようだ。パリの小さな銀行で認められ1925年パリのラザー ル・フレールに入社、すぐにパートナーに迎え入れられる。 しかし、第二次世界大戦が勃発し、ナチに追われてアメリカへ と向かう。そしてニューヨークのラザード・フレールで再びオペ レーションを開始する。彼は、シトロエン、エイビス、ホリディ ・イン、ワーナー・ランバート、エンゲルハート・ミネラルズ& ケミカルズ等を一流企業に育て上げ、不動産分野でも大きな実績 を残す。 とりわけ当時を代表する政治家や財界人のプライベイト・アド バイザーとして現在のラザードの基礎となる人脈を築き上げた。 キャサリン・グラハム、ケネディ家、リンドン・ベン・ジョンソ ン大統領、三大ネットワークのひとつCBS会長を長く務め、メ ディア界のゴッドファザーと言われたウィリアム・ペイリー等の 厚い信頼を得ていた。 そして、ロックフェラーグループの代表を務めるデビッド・ロ ックフェラーチェース・マンハッタン・バンク元会長とイタリア のフィアットグループのアニェリ家を育て上げたのもアンドレ・ マイヤーである。デビッド・ロックフェラーは、彼のことを最も 創造的な金融の天才と呼んでいた。 『三人の女』『アリス・B・トクラスの自伝─わたしがパリで 会った天才たち』などで知られるペンシルバニア州出身の女流作 家ガートルード・スタインは、パリに渡り、当時まだ無名であっ たピカソと親交を深めるが、彼女の死後残されたピカソ・コレク ションを購入したのは、アンドレ・マイヤー、ネルソンとデビッ ドのふたりのロックフェラー、ウィリアム・ペイリーとインター ナショナル・ヘラルド・トリビューン誌の社主であり、駐英大使 を務めたジョン・ヘイ・ホウィットニーの5人からなるコンソー シアムであった。 アンドレ・マイヤーは1979年に亡くなるが、その時には新 たな金融界のスターが誕生していた。 ■フェリックス・ロハティン 合衆国移民の象徴とされている自由の女神の台座には、「あな たの国の貧困や疲労で息苦しい人たちを私のところに連れてきな さい。私は黄金の扉のそばでランプを掲げています」という有名 な詩が刻まれている。女流詩人エマ・ラザルスのものである。 今年5月17日、このニューヨークのピエール・ホテルで華や かなパーティーが開催される。アメリカン・ジューイッシュ・ヒ ストリカル・ソサエティー主催のこの宴に登場したのが、ラザー ド・フレールのマネージング・ディレクターであったフェリック ス・ロハティンである。 この時、ロハティンはユダヤ人であったエマ・ラザルスの名を 冠したエマ・ラザルス賞を授かる。アメリカのユダヤ人社会の発 展に貢献した人物に与えられる賞で、ジョージ・ソロスのオープ ン・ソサエティーも資金提供している。 これまでユダヤ歴史家アブラム・L・サッチャー(1986)、 オキシデンタル・ペトロリアム元会長アーマンド・ハマー(19 87)、現在ビベンディ・ユニバーサルとなったシーグラムのエ ドガー・ブロンフマン元会長(1989)、フィギュアで知られ る玩具大手ハスブロを支配するシルビア・ハッセンフェルド元会 長(1994)、アウトドアウェアの最高峰フリース「ポーラテ ック」で知られるマルデン(モールデン)・ミルズのアーロン・ フュウスタインCEO(1996)、世界的なオペラ歌手ビバリ ー・シルズ(1998)、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官 (1999)、シティグループのサンフォード・ I ・ワイルCE O(2000)が受賞している。 ★メモ−−マルデン・ミルズのフュウスタインCEOについて なおここでマルデンミルズのアーロン・フュウスタインCEO について少し触れておきたい。現在フリースウェアと言えばユニ クロを想像する方がほとんどであろう。努力の跡は見られるもの のやはりポーラテックとは、比較にならない。アウトドア・ブラ ンドで知られるパタゴニアが実証してきた品質は、愛用する方な ら理解できると思う。 ニューヨーク市立大学の霍見芳浩教授の「苦言直諌」をご紹介 したい。 http://www.mediajapan.com/ocsnews/96back/575b/575/575kugen.html 『「模範とすべき米企業のトップは」と尋ねられると、私はため らわずに、マルデンミルズ社のアーロン・フュウスタイン社長、 七二歳だと答える。みんなきょとんとするが、同社が世界一のシ ェアを持つ「ポーラテック」というスキーウエアなどの耐寒と耐 水の魔法の布地をあげると、なるほどとうなずく者もいる。しか し大半は、若くして世界一の起業家となり、パソコンの基本ソフ トの「ウインドウズ95」で知られるマイクロソフト社のビル・ ゲイツなのでは、という顔をする。』 『そこで、マルデンミルズ社がなぜ米国第一の品格かの説明をす る。九五年のクリスマス直前に自社工場が全焼した時、フュウス タイン社長は失業の不安におののく全社員の前に進み出て、工場 再建まで全員の賃金は業界水準以上のまま全額保証するし、医療 保険の掛け金もちゃんと払うと確約した。全社員が泣き出しただ けではなく、取材中の海千山千のテレビ記者たちまで貰い泣きし た。社員の大半が、ドミニカやプエルトリコからの貧しい移民だ ったのだ。』 なおマルデン・ミルズは、古くからペットボトルや廃品プラス チックの再生にも取り組んである。 (つづく)