667−2.得丸コラム



1 9月の立山止観の会の報告
9月20日の立山止観の会は「論語」第十郷党を読んだ。

「論語」をひとりですらすらと読むのと、何人かでいっしょに読む
のとでは、読み進む速度が全然違う。たとえば今回は、第十章の18
の短い章句を読むのに2時間かかった。

だけど、不思議なのは、ゆっくり読むことによって、一人で読んだ
ときには思いもしなかったこと、気づかなかったことに気づくとい
うことだ。これは私だけが感じていることではなく、参加者みんな
が感じていることなのだ。自分のペースで読めないで、人とペース
を合わせているときに、頭が余計に回るのだろうか。読解が深くな
るのだ。

普通、本なんて速く読むほうがいいと思われている。だから速読術
の本まである。私たちが立山止観の会で感じているのは、常識とま
ったく逆のことだ。

論語の第十・郷党は、孔子の立ち居振舞いについて書いてあるとこ
ろだ。

冒頭句の「孔子、郷党に於ては、恂恂如たり。言う能わざる者に似
たり。其の宗廟、朝廷にあるや、便便として言う。唯だ謹しむのみ
」の現代語訳は、「孔子が町内会の会合の席では、ぽつりぽつりと
話しするのを聞いていると、言語障害かと思うくらい。ところが朝
廷の祭祀や政治の場では、すらすらと雄弁に語る、ただひどく丁寧
に言う。」である。

ひとりでこれを読むと、「ふむふむ、町内会ではゆっくり話して、
政治の場ではすらすらとでも丁寧に言うのだな」という程度で、
すぐに次に読み進んでしまう。読み進むところが悪いのかもしれな
い。だから、この章句についてじっくりと味わうことができない。

立山止観の会では、レポーターがまず読み下し文を読んで、つぎに
意味を説明し、それについて自分の感想なり説明を述べる。それを
聞いている間、残りの参加者はじっくりと章句と向き合うことがで
きる。そこがいいのかもしれない。

「実は最近、僕は町内会でマンション問題の集会に何度も出ている
んです。町内会には、ふつうのおじさんやおばさんがいるわけです
よね。だから、難しいことをすらすらしゃべると、おじさんおばさ
んたちはついてこれない。ゆっくりと噛んで含めるように、わかり
やすい説明をしてあげなくてはならないんだ。一方で、政治や祭祀
の場では、周りにいるのはみんな官僚や聖職者や政治家なのだから
、速度を落とす必要はない。ただ、謹みや丁寧さは必要だ」と、
孔子の行動の合理的意味までをも理解することになる。

孔子は自分の弟子に何かを教えるときでも、弟子の性格をよくつか
んでいて、相手に応じた説明をする。(たとえば「孝」について説
明した為政第二の通番21,22,23,24の章句を比較されたし) それと
同様な心づかいをしているのではないか。町内会の人の知識や経験
を思い遣り、どういう話し方が一番相手に受け入れられやすいかを
考えているのではないか。これは、妙恵上人の説いた「あるべきや
うは」の精神とつながりますね。

相手の心と自分の心を結び付けて、それがもっともいい関係になる
話し方や振舞いを考えておられたのではないだろうか。孔子の行動
や立ち居振舞いには、よくよく考えて、考え抜いて、最良の選択と
なるよう周到に計算された跡が感じられる。

この章では、生前の孔子の立ち居振舞いが実に的確に描写されてい
る。もしかすると、孔子をモデルにして理想的な立ち居振舞いが説
かれていると思ったほうがいいのかもしれないが。

町内会での議論の仕方と職場での口のきき方(236)、上司と部下それ
ぞれの口のきき方(237)、国賓の迎え方と見送り方(238)、君主のい
る職場への登庁の仕方(239)、外国に使いとして派遣され贈り物を手
渡すときの立ち居振舞い(240)、TPOに応じた服の選び方や着方(241)
、斎戒の仕方(242)、食事についての注意事項(243)、座席について
の注意事項(244)、町内の宴会やお祭りのときの身の処し方(245)、
使者の見送り方と薬物をもらってそれを飲用しないときの口実(246)
、火事の際にはまず人間の命や怪我を心配せよということ(247)、君
主といっしょに食事をするときの礼儀作法および君主が病床を見舞
ってくれたときの対応の仕方(248)、友人との交際について(250)、
寝るときの姿勢や喪中の客との付き合いかた(251)、馬車の乗り方
(252)などなど、実に具体的である。そして、とても大切なことは、
それぞれの理想的な立ち居振舞いは、相手と自分の関係をよくよく
理解した上で、自分の心を十分に尽くしたものとなっているところ
にある。

今回読んでいて気づいたのだが、この郷党の章句には、「子曰く」
で始まる章句がひとつもない。具体的な立ち居振舞いを客観的に描
きつつ、行動する者の心の動きやあり方を感じさせる、実に味わい
深い章なのである。

2 次回は10月11日(木)、第11ー13章で説かれている仁
について

さて、オリジナルの論語は第十郷党までだったという説がある。
たしかに、今回読んでみて、この章の独特さは、最終章であったと
いうにふさわしいものがあるかもしれない。

近藤啓吾先生に相談申し上げたところ、論語の通読はいったんこの
あたりで中断し、つづいて仁や知や孝などについて個別にテーマを
決めて読みあうのがよいのではないかというご助言をいただいた。

そこで、次回はためしに、第11章から第13章にかけてひと通り
読んでみることにする。とくに仁について説かれた章句を拾い上げ
てみよう。それをレポーターが担当することとする。それ以外でも
、議論したい章句があれば、各自持ち寄ることとする。

次回の立山止観の会は、10月11日(木)午後7時から、富山市元町の
そば処大庵二階にて。その日は定休日にあたるため、大庵での食事
はできません。念のため。
得丸久文、2001.09.22
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ここはあなたの席ですか? いいえ、違います
1 どうしても我慢できないときの救済

昨年の今頃、私はブラジルでの建築ツアーを終えて、日本に帰る途
上だった。ブラジリアからサンパウロに飛び、そこでロスアンゼル
ス経由東京行きのDC-10に乗り込んだのだった。

日本の旅行代理店が用意したブラジリアのホテルが、あまりにひど
かったので、二泊目と三泊目のホテルを変更することになり、私は
代わりのホテル探しに飛び回ったりして、かなり疲れていた。飛行
機が飛び立つなり、寝たいと思った。

ところが、なんと私の座席は、一番後ろのトイレの前だったのだ。
リクライニングができないだけでなく、すぐ後ろのトイレのドアが
開け閉めされるたびに、匂うのだ。
あまりにひどいので、乗務員にひとこと言ってから、前のほうの空
いている座席に変えてもらった。

ロスで休憩して飛行機に戻ると、エコノミーは100%満席になってお
り、私がそれまで座っていた席にもう誰か座っていた。困った、困
った。仕方なしに、私は乗務員が休憩するためにあけてあった席に
陣取った。

すると、スチュワーデスが私の側を通りかかるたびに、「ここはあ
なたの席ですか」、「ここに座ることは許されていません」と声を
かけてくる。その都度、「いいえ、違います。ここは私の席ではあ
りません。私が今まで座っていた席に、ほかの誰かが座っていて、
座れないでいるのです」と丁寧に答えていた。

一番後ろの席はトイレが臭くて、我慢できないことも何回か説明し
たところ、最後にはチーフパーサーとなのる女性がやってきた。「
ビジネス席に移ります。目立たないように、カーテンの向こうに移
ってください」

トイレの匂いが我慢できない客は、トイレの前の席に座ることがで
きないので、機内をさまようことになった。乗務員はそれをビジネ
ス席に救うことを心得ていたのだ。

2 深沢庭園集合住宅で**工の株価が急上昇する!
私が**工のマンションに反対しているのは、同じ理由だ。全国ど
こでも同じ画一的な設計の安っぽい、まるで風呂屋の下足箱のよう
なマンションは、深沢2丁目には絶対に似合わない。こんなマンシ
ョンが建設されると、住民の心は日々傷つくことになる。あの図面
を見るだけでも、心がはりさけそうだ、息苦しいと住民は考えてい
る。
今おきている住民運動も、環境が破壊されることへの悲痛な叫びな
のだ。建ってからでは遅い。今のうちに、**工は設計を変更しな
ければならない。どう変更するか? 簡単だ。深沢2丁目の住民の
声にしたがえば、絶対にセンスのいい、上品な物件になる。なぜな
らば、深沢2丁目の住民は、ニューヨーク在住の建築家荒川修作氏
に深沢庭園集合住宅という設計図を書いてもらって、それを代案と
して提案しているからだ。**工のニワトリ小屋のような設計にく
らべると、荒川氏の設計は、まるで森の中に住戸が展開しているよ
うに見える。21世紀を感じさせる、自然環境とも調和したすばら
しい景観だ。

**工が荒川氏の庭園集合住宅を採用すれば、今ひと株30円の株価
も急上昇するだろう。10円上がるごとに、時価総額は100億円上がる
のだ。**工は深沢住民の声とアイデアにしたがうべきだ。
(得丸久文、2001.09.23)
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(Tのコメント)
**工は実名でしたので、伏字にしました。今後も伏字にしたすの
で、得丸さん、ご了解ください。


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