646−1.人類が最期に見る夢



− 映画「千と千尋の神隠し」を見て           得丸

「出てくる風景や街並みが、はじめてなのになつかしい。こんな映
画を作ってしまって、宮崎監督はこの後作るものがないんじゃない
か。とにかく必見」という友人の言葉にすなおにしたがって映画「
千と千尋の神隠し」を見てきた。
 冒頭の車が細い道に迷い込むシーンから一気に引き込まれて最後
まで、2時間20分ほどの時間があっという間に過ぎた。自分自身
が夢の中でさまざまな出来事に出会い続けているような不思議な気
分だった。
 観終わって、人生の最期にそれまでに経験してきたことが走馬灯
のように頭の中をかけめぐるときもこうかもしれないと思った。
美しい空、海、川、そこにすんでいる様々な精霊や動物たち。人間
という心無い存在によって汚され傷つけられた彼ら八百万の神々が
、汚れを流し、傷を癒し、宴会をして楽しむ不思議な温泉旅館。
そこで働くのはやはり人間によって絶滅させられた動物や両生類や
爬虫類や昆虫たち。彼らは人間に対して異常な敵意を燃やす。
千尋は、両親といっしょにその町に迷い込む。しかし両親は、無人
の店にあった料理をむさぼり食って豚に変えられてしまう。食べる
ことを拒否したおかげでひとりぼっちで人間の姿のままでいる千尋
は、温泉旅館を牛耳る湯婆(ゆばば)に会い、働くことを願い出る
ことによって人間のままそこで生きることを許される。
物語は、そこで働く千尋をめぐって展開する。(あとは見てのお楽
しみ)

この汎神論世界は、日本人にとっては、昔なつかしい、なじみある
世界である。だが、戦後の高度成長以降に、急速に姿を失った世界
である。
宮崎監督は、消えていってしまった神々とその居場所を思い出しな
がら、同時にそのような世界なしに人間も生きていられないという
ことを訴えたかったのではないだろうか。
たまたま読んだ吉岡忍「M、世界の憂鬱な先端」は、宮崎勤事件以
降日本で発生している若い世代によるおぞましい事件が、ニュータ
ウンという神不在の町で起きていることを指摘している。神なき土
地で生れ育つと、肉体として生存していても、精神としては死んで
しまったというよりほかにない存在になってしまうのかもしれない。
人間が多すぎる。人間は自分の利益のために、あまりに多くのもの
を破壊し尽くした。おそらくこの人口過剰な状態は、もはや人類の
力では適正な規模に戻すことはできないであろう。この地球という
惑星の生態系は、人類というわがままな存在によってバランスを崩
され、命を奪われているのだと思う。異常気象や人類の精神の不安定
は、おそらく人類が自ら招いた罰なのだろう。
宮崎監督がこの映画を作ったのも、死すべき運命にある人類に、
最期の夢を見せようと思ったからかもしれない。
(得丸久文、07-Sept-2001)


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