604−1.台湾にある国



新しい中華民国へ、故宮博物院を訪ねて(ST研究会主催の報告)
                      秋好
故宮はメトロポリタン、ルーブル、エルミタージュと並ぶ世界4大
美術館とのこと。
 中華航空、金府大飯店の3素泊まりは、65,000円という
エコノミーで企画。まず出発は海外というから成田から飛ぶのか、
と思いきや、羽田という。

 聞くと、天敵の中共が支配するシナ大陸を飛ぶ国際航空と同居し
たくない!という。*国民党の我侭から、とのこと。平成13年の
風薫る5月15日のテークオフ。

東シナ海上空の雲海でワインをお代わりしながら思いめぐらすのは
ーーー激烈な国共内戦などのシナ大乱であった。(*これは逆で、
共産中国が嫌がったはず。)

 始まりは大日本帝国の国都:東京で孫文が中国革命同盟会を結成
した時である。革命の相手は満州民族王朝:清。これを倒して、
シナ大陸を漢民族の手に取り戻すこと。10年かからずに、大正元
年に清朝打倒に成功する。

漢族が中華民国の建国を宣言すると同時に、モンゴル族、チベット
族が独立を宣言。シナ大陸の1つの帝国が滅びて、3ケ国が生まれ
たのだった。

 しかし、漢族の野心家たちは「我こそ、シナの覇者たらん!」と
立ち騒ぎ、孫文は日本へ亡命してくる始末。第1次世界大戦が始ま
り、日本がドイツに宣戦した都市・・・「革命、いまだ成らず!」
と、革命家:孫中山、今後は中国革命党を東京で組織。これが5年
後、中国国民党と改名した頃、レーニンのロシア革命に刺激され、
シナで中国共産党、日本で日本共産党が結成される。

日共はただちに潰されたが、中共は軍閥乱立の中で育ち・・・30
年後、蘇州大会戦で中華民国:政府軍を打ち負かして。北京に入城
。中華人民共和国の成立を宣言。

敗れた蒋介石は100万の民国軍民を率いて台湾へ亡命し、800
万島民をその独裁下におく。(半島では、毛沢東の勝利に刺激され、
金日成はできたての韓国に攻め込むーー)


さて、台北の街はバイクが歩道まで溢れ、露天商や立ち売り物凄く
、活気に満ちていた。故宮には、国父:中山の大座像が一室を占領
しており、中正紀念堂には蒋介石の大座像が鎮座していた。(中正
は蒋の号である。)広い博物院、足を棒にして探せど、期待した漢
や唐のモノは見当たらず、宋以降の陳列にガッカリして退館したこ
とでした。

「ここは台湾省、大陸から中共を追い出して、南京に首都を!」と
、大陸反攻を夢見た蒋が死に、国民党一党独裁が終り、民進党によ
る静かな革命が進む・・・と、感じられた。まず、通貨。
「行銀湾台」から、中央銀行へ。発券行を変えた。つぎが台湾省と
言うのをやめた。つまり、中華民国:台湾省という。叶わぬ夢を捨
てて、中華民国本土とする。現実路線を採ったのだ。中共の人民共
和国が「中国は一つ」と叫んでも、第七艦隊が守っているから、
チベットのようには手が出せないのだーーー。
 民国90年の5月18日、中正国際機場を飛び立ち3泊4日の
台北訪問を終える。再見、中華民国。

追記:帰国後、中共は「解放1号」と称する上陸演習を挙行、これ
に対抗して、民進党はパトリオットの試射を実施ーーーこれに中国
外務省は「先進兵器配備によって、中台統一を拒んでも成功しない
。」と反発した。台湾海峡波高し!というべき6月であった。
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(Tのコメント)
 私もST研のメンバですが、ST研究会のメンバが台湾に行って
、その報告書が届いたので、入力した。今度は米国とのことで次回
は行きたいですね。仕事が忙しいのでムリか??

私の新ビジネスは、日本企業のビジネスマンたちと違い、忙しくて
しかたがない。新分野のビジネスであるから、コンペティターの数
が少なく、かつオーダは多い。

また、どんどん新分野のベンチャーの人が、案件を持ち込むので、
そのビジネスを仕掛けるのにも忙しい。このため、どうしても、
このコラムに目を通すこともできないでいる。今の所、更新はして
いるが。もちろん、原稿を書くことができない。そして、Fも週に
3本程度しか書かない。このため、みなさまの投稿をお待ちしてい
ます。


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