537.拡大日本の新解釈について



日下先生の新解釈の一部を紹介します。そして、その発展系を検討
しましょう。  Fより
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21世紀、世界は日本化する 日下先生
http://www.phpsoft.com/kusaka/01_21seiki/
の転載、14話題の内3話題しか転載していないので、全部読むに
は、上記のURLで。
(世界は日本人とアメリカ人の真似をする)
21世紀、世界は日本化する。ずいぶん大げさなことを言うようだ
が、どうもそんな気がする。読者の中にもこれからの話を読んで、
「そういえばそうだ、自分も外国へ行って同じように感じた」と似
たような体験をした人がたくさんいるはずである。しかし多くの日
本人はその反対を考える。

かねて「日本はだめな国で遅れた国である、外国のほうが日本より
立派である」と教えられ、新聞やテレビもそう言い続けているから
、日本が世界の手本になるとは考えられない。しかし日本がだめな
国であるという教えと、現実が方々で食い違いを見せ始めている。

日本は知らず知らずのうちに世界に影響を与えている。そのキーワ
ードの一つは「大衆社会」である。じつは大衆社会として世界最高
のものを、日本は江戸時代からすでにつくっている。
他の国がいくら真似しても、こういう大衆社会はすぐにはつくれな
い。10年か、20年か、あるいは100年くらいの先進性が日本
にある。

現在、アメリカと日本だけが大衆社会の完成したものを持っている。
他の多くの国は(先進国も途上国も)まだ階層社会である。貴族が
いて下流がいて、普通の国民の数が少ない。ヨーロッパもアジアも
アフリカもロシアも中国もそうである。しかし最近、世界中で「普
通の人」が増えつつある。これはここ十数年に生じた、世界史的に
見てもまったく新しい事態である。

そして新しく「普通の人」に仲間入りをした人は、日本人やアメリ
カ人の真似をする。大衆社会の見本は日本とアメリカしかないのだ
から、おのずとそうなる。だからアメリカと日本の商品や文化は自
然に輸出が増え、自然に世界各国から尊敬されるようになる。
無理やり押し付けているわけではない、故意にしていることでもな
い。自然にそうなっていくのが面白い点である。

(日本から世界へ発信している文化がたくさんある)
韓国の女性は伝統文化では挨拶するとき頭を下げない。
少し膝を曲げる程度で、深々と頭を下げたりはしない。
頭を下げておじぎをするのは、王様の前へ出て命乞いをする時だけ
のようで、普通にはそんな習慣がない。
アメリカで荒れる若者が相手にそういう姿勢を強制して、しかも射
殺すると間違いなく死刑になる。陪審員が最も悪質な殺人行為と判
断するのである。

ところがもう10年ぐらい前だが、日本のテレビ番組できれいな女
子大生の前で、男子学生が難行苦行をしてみせる番組があった。
最後に男子学生が「僕はどうですか?」と聞き、彼女に「だめ」と
言われると、水にポチャンと落ちるような展開である。

この番組が韓国でも爆発的な人気となったが、日本の女子大生が「
だめ」と言うとき軽く頭を下げているのを見て、その真似で韓国の
女性も頭を下げるようになった。
風俗、習慣までは変わらないが、その番組のそのときだけはするの
である。韓国の一般の人が日本の真似をするのは、政治家がどんな
反日教育をしても、国民は内心やはり日本のほうが上だと思ってい
るからである。近頃は『なんでも鑑定団』のソックリ番組もできた。

振り返れば日本人の習慣も、昔から世界文化の影響を集大成してど
んどん変わっているのであって、逆に日本から世界に発信しても不
思議はない。日本人と中国人が握手するなどは、もともとの両国の
伝統的習慣から考えればおかしなことである。
これは欧米の真似から始まったことだが、しかし定着してしまった
から誰もおかしいとは思わなくなった。

このように世界中がお互いに影響し合って、仕草や習慣などがだん
だん一緒になってくる。ますますそうなっていく。

これは文化・生活面におけるグローバル・スタンダードの発生で、
政治や経済と違って良い悪いの話ではない。強い弱いの話でも、
優劣の話でもない。自然と広がっていくのである。

そして、日本も世界へ発信している。文化交流≠ニは誰でも言う
が、多くの人は文化は欧米から後進国に向かって流れるものだと思
っている。あるいは文化には高低があって、水が流れるように高い
方から低い方へ移ると思っている。
だからこそ日本文化や地方文化が伝播すると、鬼の首をとったよう
に喜ぶが、そういう人は文化直流℃蜍`者で、その考えは間違っ
ている。

文化には本来高低がないのであって、人間性の自然にしたがって交
流するものだとわからないと、21世紀はわからない。
それが「文化相対主義」である。

(世界がどんどん日本を真似し始めている)
今の日本には、将来日本が良くなるという、その「新しい理由」を
探して書く人がいない。それを探したらどうだろうか。

日本には素晴らしいものがたくさんある。それを世界が自然に真似
し始めている。アメリカがこれに対抗して日本を批判できることは、
防衛タダ乗り論くらいしかない。
(ご自分は国連にタダ乗りしているのに……)。

アメリカは「北朝鮮が危ないぞ。日本の皆さんはどうする気ですか?」
「中国は軍事化を進めている。日本はどうする気ですか?」
と盛んに言うが、あれは日本を揺さぶっているにすぎない。
総理大臣は「放っておいてください」と言えばいい。アメリカにい
ろいろ言われる筋合いはない。本当に危険が我が身にふりかかれば、
日本はすぐ変わるし、底力はあるのだから安心である。
右往左往して不要な武器を買わされたり、不合理な分担金を支払わ
されたりするほうが問題である。

アジア通貨危機? それも日本にとっては何でもない。
本当はアメリカが困っているのである。株価が暴落したとき本当に
困るのはアメリカである。困っているのなら「自分は困っている」
と言えばいいのに、なぜいちいち日本に向かって、「お困りでしょ
う。あなたはどうする気ですか?」と聞くのか。
日本の総理大臣が「今の世界状況は日本にとって素晴らしい。何も
困ることはない。とやかく言われる必要はない」と言えば、一番困
るのはアメリカである。ぜひそう言っていただきたい。

対等の対話が始まるのはそれからである。日本がそういう毅然とし
た態度をとることを期待している世界もある。

日本は日本独自の21世紀の世界像を提案しなければならない。
そして世界の多くはそれを待っている。日本は超先端国である。
世界は日本化する。いくらでも例を挙げていくことができる。

脱軍備、脱武器輸出、脱宗教、脱イデオロギー、経済第一、清潔第一
、勤勉第一、平和第一、少子高齢化、女尊男卑、民主主義、自由主義
、家族主義、省エネ、巨大都市、教育の普及、知識と文化の尊重……
など、
多くのことを日本はすでに実行している。

少子高齢化が問題だと言うが、これからは世界中がシルバー社会に
なっていくのだから、それなら日本が先進国である。
日本のシルバー生活、シルバー産業、シルバー社会のあり方は必ず
世界に普及することになる。

少子化もいずれは世界中がそうなっていくのだから、それも日本が
先進国である。それから世界中が平和を目指し、経済発展を目指す
ならば、それも日本は済んでいることだから先進国。

あるいは巨大都市化。農村を出て都市に住むということが世界中に
普及すれば、これも日本は他国より先に済んでいる。
あるいは教育を普及させること。これも日本は他国よりずっと先に
いっている。

あるいは政治と宗教を分離する。これは織田信長のころにもう済ん
でいる。今、アメリカがようやくそれをやっている。
それから政治と軍隊を分離するのは、日本は平安時代にもう済んで
いる。天皇は軍隊をもっていないが、アメリカの大統領はまだ五軍
の最高指揮官で(陸・海・空・海兵隊・沿岸警備隊)、上院の宣戦
布告はなくても大統領命令で兵隊は動く。
建国以来アメリカは200回も戦争をしたが、そのうち憲法通りに
上院が宣戦布告したのは4回しかないと、ボブ・ウットワードは
湾岸戦争を書いた『将軍たち』という本の中で言っている(つまり
軍人政権の国)。

ベトナム戦争に続く湾岸戦争で議会はその弊に気づいて、上院が事
後承諾を与えないときは撤兵せよ、という法律をつくったが、
それでも開戦は勝手なのだから軍事独裁政権であることは変わらない。
しかし、多少日本化したとは言える。政軍分離の方向へ進んでいる。
宗軍分離の問題もある。アメリカでは陸軍士官学校にも海軍兵学校
にもキリスト教会がある。しかし日本の自衛隊に宗教施設はない。

あるいはアメリカ人が勤勉になって、夏休みに長期休暇を取らなく
なった。一週間以上取っていると恥ずかしくなり、忙しいのが自慢
になってきた。(日本は反対の方向に進んでいるが……)。

あるいは日本経済は省エネにおいて世界の模範中の模範である。
GNPの世界シェアは15%もあるのに、エネルギーは世界の5%
しか使わない。それに対してアメリカのGNPは25%なのに、
世界中のエネルギーの50%も使っている。浪費の極致。
環境会議の開催などアメリカはとても言えた柄ではない。
めちゃくちゃな数字で傍若無人である。これだけでも日本の道義力
は世界最高である。

日本は世界のために、このことをアメリカに対して言わねばならな
い。もしもアメリカの省エネが日本並みになれば、CO2問題など
は雲散雲消だが、多くの国はアメリカが恐いから言わない。
それから自分も工業化途上だから黙っているが、日本は違う。

日本は男女同権が遅れているなどは冗談ではない。
ほんの一例だが、女性の天皇はいるが、アメリカにはまだ女性の大
統領はいない。明治憲法以来、天皇は男性でなければいけないと決
まっているが、これは欧米の影響により後退したのである。

今はグローバル化の波が押し寄せたので、「日本は普通の国になろ
う」といっているが、かえって後戻りするようなこともしている。

世界は日本を見習って前進し、日本は世界に合わせて後退する
――この状況を延長して21世紀を見ると、正解は相互乗り入れだ
から、その場合はお互いになるべく良いものは取って悪いものは取
らないようにしようということになる。

そのような過程を経て21世紀は世界中が相互に似てくるはずだが
、日本は良いものをたくさん出して、悪いものはぜんぜん出してい
ないから、自然に世界は日本化するのである。
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(Fのコメント)
拡大日本は、日本の大衆社会が世界に伝播することであると、いう
ことらしいが、そのように思う。私も、諸外国に行くことが多いが、
日本の文化の方がいいと思うことが多い。
1つには、大衆社会で身分の差があまりないことだ。搾取される階
級と搾取する階級という社会悪を見るのは、あまりいいことではな
い。米国もその兆候があり、日本と同じような中産階級中心の社会
にして、大衆を基盤にした政治をしないと、暴動が多い社会になる
と思う。

フィリピンのアヨロ政権がいい例で、フィリピンの財閥の政権であ
り、弱者を基盤とするエストラダ前政権とは、政治基盤が違う。
このため、政権交代の方法も軍事クーデターや治安部隊がマスコミ
や財閥と組んで行うことになる。それも、大統領になるための選挙
資金を非財閥であるエストラダ氏が捻出した資金疑惑を取り上げて
いる。もし、このような大統領拒否ができると、残念ながら非財閥
の人間が、どう足掻いても権力を取れない。それは、身分階級制度
を固定化することになる。この恐れから、貧困層は暴動を起こすこ
とになる。

2つには、日本の事情が世界の事情に近いため、米国の事情が世界
の事情と違うために、日本製品が世界のデファクト・スタンダード
になる確率が高いように感じる。日本とアジア・欧州は古い時代か
ら人口密集地であり、道路狭さや生活習慣上の節約精神がある程度
、伝統的に持っている。それに比べて、米国は大きいことはいいこ
とだ。エネルギーや物を消費することはいいことだ。というテーゼ
があり、これが20世紀の世界を動かしてきたが、欧州が日本と同
じような省資源、省エネルギー社会になると宣言して、ここでも、
日本式の商品が販売できるチャンスが出てきた。軽自動車、インバ
ータ式のコンピュータ内臓家電、工場の煙突を倒し温度差発電や
有害物質の回収・再利用などなど。
ヨーロッパは、これからですから、日本の技術導入すれば、工場の
省エネ化が可能です。今後の削減率は高くなる。
京都議定書は、今後の削減率しか言っていないため、日本は今まで
に、相当の省エネルギー化を行っているため、不利なことになって
いるが、世界的な省エネ化をしているのは日本なのです。これも
日下さんの論にある通りですね。

3つに、米国もとうとう日本の真似をすることになるようです。
「ごめんなさい」と言っても、裁判では不利にならないという法律
を各州が作り始めたようですね。下記の記事の通り。
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あやまるアメリカ 「ソーリー法」施行の州も  朝日
 最近、アメリカが謝罪を迫られる場面が多い。えひめ丸沈没事故
に続き中国機との接触事故もあった。沖縄知事に対する中傷メール
というのもあった。市民生活レベルでは、訴訟を警戒するあまり、
不始末をしてもみだりに謝らないのが米国流。だが徐々に反省の機
運も出ている。「もう少し素直に謝ろうよ」という空気である。

 カリフォルニア州では今年1月から、交通事故の現場で謝っても
、その言葉を非を認めた証拠とはしないという新法が施行された。
俗に「アイム・ソーリー法」と呼ばれる。

 事故を起こしたことを悔いて謝罪が口をついて出るのは、人間の
自然な感情のはず。裁判で不利にならないよう双方が不機嫌な顔で
にらみ合うのはどうにも窮屈で我慢しがたい、という立法趣旨だ。

 裁判で証拠にされないことになったのは「すみませんでした」「
ごめんなさい」「申し訳ない」など、とっさの一言だけ。「すみま
せん。私がわき見をしていたもので」とまで言ってしまうと、わき
見部分は裁判で自分に不利な証拠とされうる。

 米国で最初にソーリー法を制定したのはマサチューセッツ州だ。
きっかけは、74年に地元で起きた交通事故。自転車に乗った16
歳の少女が、車にはねられて亡くなった。当時、州上院議員だった
父親は、どんなに頼んでも事故の相手が謝罪してくれなかったこと
に憤慨し、「わびる言葉さえ封じられたのでは社会生活が立ち行か
ない」と、ソーリー法案を考え出した。86年に立法化された。

 一昨年、テキサス州でも制定されたほか、バーモント州では謝罪
してもただちに法的責任を認めたとは解釈しないとする判例が確立
した。

 「大恐慌のころまでは今ほど乱訴社会ではなく、人々も謝りやす
かった」と話すのは、デビッド・リンク前ノートルダム大法学部長
(64)。

 「法律は医療や宗教と並んで、人々をいやす3大発明の1つだっ
た。ところが今の米国では法律は人々を争わせる道具に落ちぶれた
。長らく紛争を丸く収める職業だった弁護士が、今では紛争をあお
ってばかりいる」

 あるべき謝罪の仕方を研究してきたリンク氏からみると、えひめ
丸でも中国軍機の事故でも「米政府の謝り方はいかにも遅すぎた」
そうだ。

 最近、加害者にまず謝罪をさせようという動きが広がっている。
被害者と対面し、加害者が自分の言葉で謝罪する。被害者が納得す
ると、心理学的なセラピーと似た効果が双方に表れるという説に基
づく。「治療の司法」と呼ばれ、導入する自治体が増えている。


 「もし医師が誠実に謝罪してくれたら提訴はしなかった」。全米
で医療過誤訴訟を起こした原告の3割が、フロリダ大学の調査にそ
う回答した。米医学誌メディカル・ニュースは昨夏、「誠意ある謝
罪こそ訴訟を防ぐ近道」とする特集を組んだ。(10:33) 


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