446−1.得丸コラム



元国立市民だった得丸と申します。
私は「右系」とカテゴリーされている国際戦略コラムで記事をかい
ています。
ただ、私の書いていることは、左の人よりも、より平和思想である
という自信があります。それでとりあえず皆様に読んで頂いてご批
判をいただこうと思って昔の記事をお送りします。
コメントがあれば、心のBBSに書きこんでいただくか、メールを
ください。

得丸久文
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak1/120411.htm

国歌と国旗についていろいろな方の議論が紹介されていますが、私
はもう少し別の視点(といえるかどうか)から問題を整理してみた
いと思います。

「鶏が先か卵が先か」という難問がありますが、国家と人間はどち
らが先かと問えば、間違いなく人間が先です。国旗や国歌のなかっ
た古代国家と比べても、人間が先です。

しかし、これが国家と国民とどちらが先かと問うと、難しいことに
なります。国民という存在自体が国家を前提にしているからです。

実は民族(nation)すら、国民(nation)と同様に国家を前提として存
在している「概念依存型概念」です。国家がなかったら民族という
概念は存在しません。これは国家の中の少数民族はけっして民族
(nation)と呼ばれることがなく、民族(ethnicgroup)として取り扱わ
れていることからも明らかでしょう。
(以前にもご紹介したかもしれませんが、ベネディクト・アンダー
ソン「想像の共同体」(NTT出版)は、中国とベトナムという社会主
義国同士がどうして戦争をしたのかという疑問に発して、「国家が
あるから民族があるのだ」という原理を探りあてます)

戦後日本では一貫して自虐的な歴史観が表舞台にありましたので、
国家、国旗、国家官僚、天皇、神社神道など日本的なものが否定さ
れてきました。これは多分にアメリカの占領政策のおかげであろう
と思われます。

最近の国家と国旗をめぐる論争は、このアメリカの占領政策による
伝統的な反日的歴史観と、占領政策の風化や海外情勢が身近になっ
たために広まりつつある「普通の国」国家観の対立ではないでしょ
うか。

私はそのどちらも時代を誤るものであると考えます。つまり、戦後
の反日的な歴史観への固執と、それから解放された揺れ戻しである
かぎりにおいて、どちらも同じ穴のむじな(アンチ巨人は巨人ファ
ンであるのと同じ)だと思うからです。

自分の生まれた土地や、身近な親類縁者、クラスメートや同僚を愛
することは正しいことです。同じ言葉を話す人間とは心を通わせや
すいことも確かです。しかしながら、地理的・政治的国境線という
概念的存在に惑わされて、自分が愛するべきものはその国境線の中
に限ると考えることは間違っています。

つまり、愛するべきは人間であり、国民ではない、といいたいので
す。愛国は愛世界へと広がるべきで、愛国が憎他国へと発展しては
ならないと思うのです。

二重国籍や国際結婚がこれからますます増えるでしょう。そのとき
に「ふたつの祖国」あるいは「複数の祖国」「複数の母語」をもつ
人間が増えてくるでしょう。いまのような国家システムでは分類不
能となる人間が増加します。彼らを困らせないために、彼らといつ
までもともだちでいるために、できるだけ早い時点で近代西欧で生
まれた「国民国家システム」の罠から自由になる必要があります。

「日の丸」は、シンプルでなかなかいいデザインです。この旗をか
かげることに目くじらをたてる必要はないと思います。
「君が代」はとても短い言祝ぎ歌です。国民国家制度が続くかぎり
、これらの旗や歌を日本のシンボルとすることに私は異存はありま
せん。

しかし、同時に私は、それらを過渡期的な存在であると常に意識し
ています。また、国旗や国歌が、他の国に所属する人間とのコミュ
ニケーションや交友を阻むものであってはならないと思います。

国家という概念にとらわれることなく、ひたすら人間と人間の交わ
りをよりよいものにしていくことが大切ではないでしょうか。国旗
も国歌もそのためにのみ存在するべきでしょう。
      得丸久文(思想道場 鷹揚の会)

関連記事
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak1/120419.htm

得丸 心のBBS
http://www5.a-nets.co.jp/iboard5/cgi-bin/mkres2.cgi?tsuday

==============================
白鳥さん、みんなに批判されて可愛そうなので、ちょっと弁護して
おきました。

あれだけの文章を書くってことは、なかなかできないことですからね。
「ヒトラーの建築家」は面白かった、シュペーアは西洋人にしては
珍しいくらい君子ですね。建築家という職業がら、システム的に考
えられるのかなあ、おそらくそれとやはり天性のものがあったので
しょう。

そのシュペーアは、しかし、やはり、孤独だったようです。
1981年に滞在先のロンドンのホテルで急死します。その時彼は
彼の著作を通じて知り合いになった女性といっしょにいたというと
ころも、なんとなく共感がもてました。
==============================
ふるさん、

豪雪地帯のおばさんが使っている一輪車の輪がないような奴は
ママさんダンプと呼ばれています。いいでしょ。

で、今回ご紹介したのは、それとも違う新兵器なのです。

ブルドーザの先の板(横長です)に、柄がついていて、まるでモッ
プで床を掃除するような感じで、雪を押して、溝なりマンホールに
落とし込むという奴です。
まだ雪が積もっていないので、試していませんが、、、、、、

得丸

Furukawa Yutaka wrote:

> tokumaru wrote:
>
>>ふるさん、
>>あなたのメールを読み返してみて思いました。
>>ああ、もしかして、お互いに勘違いしていたかも。
>>これはプラスチックのショベルではないです。
>>
>>両方に刃のある髭剃りみたい。あるいはブルドーザーの前の部
>>分に柄がついたみたい。押して使うものなのです。雪をすくうの
>>ではなく、雪を押すのです。
>
>都内でもあるのでは?と、言ったのは、プラスチックの雪掻き用
>スコップです。
>値段が、千円半ばで販売していますので、これかなと思ったのです
>が。形状は、1m50ほどの棒の柄に、スコップ部分が雪をすくい
>易い形状で(ブルドーザーの前ほど湾曲していませんが、平式のス
>コップよりは湾曲しています。)水抜きのためか大きなパンチ穴等
>が開いています。このスコップは、5cm以内の積雪ならば、すく
>うよりも押す感じで雪を集めていき、最後にすくって処理が可能で
>す。
>我が町田では、2回とも10cmぐらいの積雪だったので・・・
>すくって処理する方法でした。
>
>豪雪地での、ニュースでオバさんが処理している風景で出てくる
>「本家雪掻き」は、手押し車の荷物部分が90度ぐらいに回転起立
>して、まさにドーザーの前部分風になっており押し掻きするもので
>す。
>これは、いくら地元でも1300円では買えない代物だと思いまし
>たので、先のプラスチック製ではないかと、判断したんですが・・・
>
>やっぱり違いました?


コラム目次に戻る
トップページに戻る