432−3.政治と自分(学生たちへ)



白鳥 宙
 政治のことは自分と関係がないと思っている中学生・高校生・大
学生が大変に多いようです。悪い政治は虎よりも怖いと中国の偉い
学者が言いました。
 今、日本では一年間に約三万人の自殺者がいます。未遂も推計す
ると自分の命を自分で断とうとする人が七〜八万人、もしかすると
それ以上いるのではないでしょうか。三万人といえばちょっとした
田舎町の人口に匹敵します。三万人の死骸の山を君は想像できます
か?人間一人の死体を見ても何か恐ろしい気持ちがするのに、三万
人の死体の山が、それもすべて自殺をした死体の山が日本に毎年で
きているのです。
 これは何故か。確実に言える最も大きな原因は政治が悪いからで
す。「自分で死にたくて死んだから、誰のせいでもない。自分が悪
いんだ」という人がいるかも知れません。確かに最終的な責任とい
うのは本人にあります。でも、死ななきゃいけなくなるくらい辛い
情況を作ったのは政治にも大いに原因があるのです。

 君たちは、政治が悪くなれば経済がおかしくなり、お父さんの給
与が下がったり会社が倒産したりすることがあるということは分か
るでしょう。
 だが、君たちは気づいているだろうか。政治は君の意識やものの
考え方、感じ方にも大きな影響を持っているんだということを。
 「俺は俺さ、これは俺の考え方で、自分で考えたもので、誰の影
響も受けていない」と思うかも知れません。しかし、それは間違い
です。どんな思想や考え方も、育った家庭環境や自分の受けてきた
教育や自分が読んだ本などの影響を必ず受けているものなのです。
人間は皆その時代の制約、また育った土地(風土)の制約を受けて
いるものなのです。
 人間は一つの生き物です。その人間には肉体と心と頭があります。
頭で考えることはその人の心(感情)の影響を受けており、その心
(感情)は肉体の影響を受けています。たとえば、腹が減ってひも
じい時は、心(感情)がイライラする。すると頭は何か食物を捜そ
うというふうに働くわけです。

 また、たとえば君が何か一つの考え方(思想)を持っているとし
て、その考え方(思想)の中には必ず君の感情が入っています。
 たとえば君がこういう考え方(思想)を持っていたとしましょう。
「人は頼りにならないものだ。結局人間は自分一人の力で生きてい
くしかないのだ」と。この考え方の中にどんな感情が入っているか
といえば、「淋しいなあ、孤独だなあ、俺はいつだったか他人を頼
りにして裏切られたことがある。あの時はくやしかったなあ」こう
いう感情とか「俺のおやじは酒ばかり飲んで仕事もろくろくしてな
かった。それでおふくろが苦労して見ていてかわいそうだった。お
やじは許せない。おやじは頼りにならない。くやしいなあ」――
こういう感情が入っていることもあるかも知れません。

 私が言いたいのは、自分の体験や経験に基づかない純粋に頭だけ
で考えた思想(考え方)なんていうのはないということなのです。
 また、たとえば自分は誰かの考え方に共鳴して、もっともだと信
じたとしましょう。それは君の中にそのような考え方に引き込まれ
やすい心理的傾向があり、それは必ず君の生い立ち(育てられ方)
に影響を受けているということなのです。君の心が最も影響を受け
るのは、君の育った家庭環境なのです。その次が学校で教わった
教育の内容や君の友人たちの考え方や性格、それに君の見るテレビ
や映画、本などの影響……これらがミックスされて君の考え方
(思想)を形成していくことになるのです。そして一つの考え方が
形成されると、君は同じ考え方をする友人を好むようになり、自分
の考え方に近い本や映画などを好んで見るようになります。そして
君の考え方というのがどんどん固められていき、考え方がただの考
え方から確信になり、他の考え方を受けつけなくなっていき、自分
の考え方をだんだんと絶対視するようになります。そしてひどい時
にはドグマ(盲信)へと陥っていくのです。と、まあだいたいこう
いう経路をたどっていきます。そこまでの確信といったものはなく
ても、なんとなく「こうじゃないかなあ」という考え方というのは
誰しも持っているものです。……それが家庭環境をはじめとするま
わりからの影響を受けているということなのです。
 人が一つの考え方を持つというのは必ずこういった背景というも
のがありますから、「彼は何故あんな考え方をするんだろう」と、
その背景というものを考えてみるというのも大変面白いことなので
す。そして、それは自分自身についても言えます。
自分はどうしてこんな考え方をするようになったんだろうと、自分
で自分を調査してみるわけです。まず、自分の家族がどういう家族
か調べてみましょう。お父さんの性格や考え方、お母さんの性格や
考え方など、そして最も肝心なことが、家族の中の大人たちの愛憎
関係なのです。この影響は大変に大きく子供の心理形成に影響を与
えます。
 たとえば、お母さんとおばあちゃんの関係がまずいと、子供の心
は大変傷つきます。お父さんとお母さんの考え方が一致していて
愛情でしっかり結ばれているのが理想だが、そうなっていない家庭
は少なくないようです。お母さんが大きくなってお父さんが小さく
なっている家庭も最近ではけっこうあります。これは子供の心理形
成にあまりよい影響は与えません。人という字は左の「ノ」が男で
右の「丶」が女だと言われています。父親が一家のリーダーとなり
、母親がそれをしっかり補助するというのが理想です。
 人間が二人以上で何かを成そうとする時は、そこに自然と「主」
と「従」の関係ができるのが普通なのです。場合によっては主と従
が入れ替わることもあります。しかし、そこにはやはり主と従とい
うものが必要です。家庭の中にもこの主と従というものがしっかり
していなければ、子供の心理は不安定になるのです。
 スポーツでも、キャプテンがおり、先輩・後輩がいます。会社で
も社長と従業員、学校では先生と生徒といった関係です。最近は友
人同士でこの主従関係がはっきりしてないのが多いようです。こう
いう関係というのはバラバラな関係なのです。そう言うと君たちは
反発するかも知れません。しかし、これは事実なのです。二人でい
るとして、何か事を成そうとするときは、どっちかが必ずリーダー
にならなければ大したことはできません。

 たとえは悪いが、二人でいっしょに万引きをするとしましょう。
成功するにはどっちかが指示を出さないといけません。一方が「俺
が店員の様子を見ているから、お前は盗め」と、こういう指示関係
がうまくいっていなければ成功はおぼつかないのです。
 君の家庭ではお父さんとお母さんにしっかりとしたこういう主従
関係ができているかどうか。ある時はお母さんが主となって、お父
さんが従となることもあります。
 政治の話からとんだ話になってしまったが、実はこれは全部関連
していることなのです。
 現代の家庭は、昔の家庭に比べて人間関係がバラバラになってき
ているのです。主と従の関係がなくなってきています。それで家族
同士の心の絆が弱くなってきているのです。こういった中で育つ子
供の心というのは不安定なものになりがちなのです。
一番問題なのは、昔に比べ男が大変弱くなったということです。
君たち若者も、女の子は元気なのに、男の子に元気がないのが多い
ようです。
 このように、家の中でも父親の存在が薄くなっているということ
です。戦前までは天皇が絶対者で、家制度というものがあり、その
家の家長というのは父親で、天皇陛下の代理という存在だったから
、反発したり反抗したりすることはできませんでした。男は女より
偉い存在だったから、女は我慢しつつもその父親を支えていました。
どんなダメおやじでも父親は父親として偉く、尊ぶべき存在だった
のです。その時代は父親の権力の下で残りの家族みんなが我慢して
いたということも確かにあります。
しかし、子供たち、特に男の子はそんな父親の権威というものに
内心反発しながら成長していきました。その権威というものにぶつ
かることによって当時は子供の心が成長していけたのです。その反
動として若者たちが皆で国家の権威というものに反抗した時期が
戦後続きました。
 とにかく、権威というものがみんな憎らしかったのです。それが
学生たちの政治運動に発展し、さかんに国会議事堂に向けてみんな
で火炎ビンを投げたりしていたのが君たちのお父さんたちです。
 戦争で日本が負けてから、アメリカは一週間ぐらいで自分たちが
考えた憲法を日本に持ってきて、これを日本の憲法にしろと言いま
した。その憲法が今の日本国憲法なのです。その憲法は日本の家制
度というものを解体しました。おやじの言うことを聞かなくても
自分の判断で自由に結婚したり仕事を選んだりできるようになった
のです。国民は戦前と違い、何でも自由に天皇の悪口でも何でも言
えるようになって喜びました。とにかく、自由の侵害だ、人権の侵
害だ、と叫べば、警察も黙っていてくれる。戦前とは大違いの世の
中に、国民みんな大喜びしました。それで皆、勝手気ままに行動す
るようになりました。女は男に従わなくてもよくなったから大喜び。
労働組合が憲法で認められたから従業員は会社の社長に何でも文句
が言えるようになりました。俺たち従業員は社長さんと対等な関係
だと思うようになったのです。女は「男と私は対等よ」と思うよう
になりました。子供たちは父親に自由に反抗できるようになりまし
た。なんせ、憲法が守ってくれるのですから。「これは俺の基本的
人権だ」と叫んでいれば、親に反発しようと何をしようと、警察も
先生も黙っていてくれる。
――その結果、どうなったか――今の世の中になったのです。昔は
考えられないような青少年の犯罪が今起こっています。皆、心が
孤独なのです。淋しいのです。頭だけで勉強してきて、心が成長で
きていないのです。
 人間には年齢というものがありますが、それが必ずしも心の年齢
とは結びつかないのです。五十歳でも心の年齢が四歳ぐらいの人は
いくらでもいます。
 君たちは自分の心の年齢をいくつくらいだと思いますか?
 もし、君たちが十五歳だとして、「ぼくの心の年齢も十五歳です
」と言える人がいたらたいしたものです。そんな人は少ないです。
皆、ほとんど心が幼いのです。
 君たちにちょっと聞きますが、君たちは「愛」というものが分か
りますか。愛というものを心から実感したことがありますか。感謝
感激した体験がありますか。誰かに涙を流すくらい感謝をした体験
がありますか。
 また、君たちは「責任」という言葉の意味が分かりますか。「責
任をとる」とはどういうことなのか分かりますか。こういうことが
頭では分かったつもりでいるが、心で分かっていない人も大勢いる
のが現代なのです。
 また、自分の心にある「罪」というものが分かりますか。それを
もし実感していたなら、人を恨んだり、人の悪口を言ったりするこ
とができなくなるんです。
 もし、私の今言ったことが心(体)で分からないなら、君たちの
情操というのは実に幼いということなのです。心というものは成長
すればするほど、利己から利他へと変わっていきます。自分のこと
ばかり考えている人間は心が幼く、他人への思いやりを多く示す人
は心が大人だということなのです。
 そして、心を成長させにくいのが現代なのです。それは何故か。
家庭に秩序がなく、社会にも秩序がないからです。主と従の関係が
バラバラなのです。そういう環境の中では難しい言葉ですが、自分
の「アイディンティティ」は築きにくいのです。
「自分はこれだ!」と言える自分の心、信念みたいなものが持てな
いのです。君たちの父親には自分の信念といったものがあるでしょ
うか。子供を育てる上での信念(しっかりした考え)とか、社会と
いうものにどのように係わっていくのかという考え方とか、君が求
めれば説明してくれますか?
 自分のアイディンティティがなければ、人に説明したり、人を説
得したり、教育したり、導いたりすることはできません。
 今は皆の中にしっかりしたアイディンティティがないのです。
生徒の中にはもちろん、先生たちの中にも、社長の中にも、そして
、日本を導くべきリーダーである政治家の中にも、総理大臣の中に
も。
 だから今、大企業のトップなどはさかんに自分の会社のアイディ
ンティティを持とうと努めています。
 このアイディンティティがないから、世界は日本のことを「顔の
ない国」と呼ぶのです。「日本は世界の中で世界人類のためにこう
いう国の建設を目指す」というしっかりしたポリシーがないのです。
君らの中にもない。「ぼくは家庭の中ではこういう役割を果たす、
学校のクラスの中での自分の役割はこうだ」というものを自分でし
っかり自覚してないといけないと思います。
 私はよく中学時代頃から高校時代にかけて、自分のクラスの中で
の自分の役割ということについて考えました。勉強はそんなにでき
る方ではなかったので、勉強で皆のお手本になろうとは思いません
でしたが、私には皆を笑わせる才能があったから、皆を笑わせるこ
とが自分の役割だと思っていました。そういう感じのことがアイデ
ィンティティと言えるかも知れません。だから、何か自分の役割を
自覚することです。俺は皆にいじめられるのが役割だと思っていれ
ば、いじめられたからといって自殺することもありません。皆がぼ
くをいじめて喜んでくれるなら、どんどんいじめたらいいと思えば
いい。面白いもので、そういうアイディンティティを持つ人はいじ
められなくなります。
 今、何故日本の国家にアイディンティティがないかと言えば、
「俺の役割使命はこれこれで、それに対して俺一人が全責任を負う」
と言い切れる自信と勇気のある総理大臣が出現しないからです。
 日本の社会というのは、何かを決める時は、みんなで仲良く話し
合いして決めようとします。そして、全会一致が原則です。異なっ
た意見を言わせまいという空気に持っていくのです。会社でも町の
会合でも同じです。
 そして、失敗したら皆で責任を取りましょうということなのです
。その結果、何か事が起こると、責任のなすり合いがはじまります。
「あいつがこう言ったから俺も言ったんだ」というふうになる。
責任を追及する側はとまどってしまいます。いったい、誰に言った
らよいのか分からなくなってしまうのです。
 諸外国が日本を見る目はこういった目なのです。それで、日本は
顔の見えない国といわれるわけです。
 大人たちがこういうふうだから、君たちの世界もぜんぶこういう
感じになっています。
 皆はAの方法でやろうと言う。自分はどうもおかしいBの方法で
やった方がよいと思う。そこで、「おい皆、失敗したら俺が全責任
を負うからBでやらしてくれないか」と、こういうことがほとんど
ないのが日本の社会なのです。リーダーが生まれてこない土壌があ
るのです。これは何かと言えば、村八分を恐れる意識、変わったや
つだと烙印を押されるのが怖いのです。私の場合は、昔から変わっ
たものや人が好きで、興味がどうしてもそっちの方へ向いてしまい
ました。誰も言わないような意見を言う人に興味があり、何か奥深
いものがあるんではないかと想像してしまうのです。
 この変わったものや人を尊ぶという土壌が今の日本に必要なので
す。偉大な発明や発見を成した人たちは、皆変わり者と呼ばれてい
た人々です。
 しかし、自分一人が皆と違った意見を言うには、自分というもの
に「自信」がないといけないのですが、その自信というものを自分
の心に植えつけられるような教育もしつけも君たちは受けてきてい
ないのではないでしょうか。
 自信というのは、誰かに勝ったからといって生まれてくるような
ものではないのです。自信が生まれるには、愛情というものを心に
たっぷりと誰かからいただかないといけないのです。自身は、自分
が真に誰かから認められ、受け入れられていなければ育たない感情
なのです。しっかりと、自分が誰かか何かに依存していなければ、
自信は生まれません。したがって、自立ということもできないので
す。自立というと、皆勘違いするのですが、しっかりとした依存が
あってはじめて自立ということができるのです。その依存する対象
となるのが、自分自身のアイディンティティなのです。
 だから、真に自立を果たすには、これが俺のアイディンティティ
だと言えるものを持たないといけないのです。
 そろそろ、まとめて結論的なことを言うならば、君たちは今、
自分自身に自信を持ちたいのに持てないという状況、これは家庭や
社会の雰囲気が心を成長させてくれる方向に向かっていないという
こと、そしてそれは家庭や社会に主と従のしっかりした関係が築か
れていないという現代的状況があるということ、そういう中では
責任を取るという感覚や義務を果たすという感覚が分からなくなっ
てしまうということ、したがって自分自身(だけ)の役割とか責任
とか使命というものが感じられなくなっているということが原因な
のです。「これが俺だけの、俺だけにできる仕事」というものを持
つのは理想です。
 そして、ハッキリ言いましょう。君には君にしかできないことが
クラスの中にあるのです。それは君の個性だということなんです。
君がクラスから突然いなくなったとしましょう。クラスに必ず穴が
あきます。君がいなくなることでクラスの空気が少しかも知れない
が、必ず変わります。君が今、いじめられっ子なら、君がクラスか
らいなくなれば、いじめている方は必ず戸惑います。したがって、
君には存在価値があるということなんです。いじめっ子たちは次の
いじめの対象を捜します。そして言います。「前のやつの方がいじ
めがいがあったなあ」と。
 人間が生きる理想とは何でしょうか。理想的な生き方とはどうい
う生き方でしょう。それは自分も喜び、全体も喜ばせるような生き
方です。そういう生き方を君はしなければなりません。
 人間は全体(他者)のために生きることによって、喜びも勇気も
自信も湧いてくるように作られているようです。自然界も、原子の
世界から宇宙の構造に至るまで、全部そうなっています。
 たとえば、君の肉体を見て下さい。心臓もあれば肝臓もある。
皮膚も毛穴も、目も鼻も口も……これらはすべて、自分自身にしか
できない仕事をすることによって君の命を生かすということに貢献
しているのです。そして、そこに一つの大きな「調和」というもの
を存在させています。
 天体もそうです。恒星と惑星の力のバランスで一つの系が維持さ
れています。向心力と遠心力のバランス。向心力が働かなければ
惑星は接線の方向に宇宙のかなたへと一人ぼっちでさまようことに
なります。遠心力が働かなければ恒星に吸い込まれてしまい、その
惑星の存在はなくなります。
 今は、社会の一人一人の中に全体意識(公徳心)がなくなってき
ています。だから社会がおかしくなるのです。そしてそれは結局、
自分に跳ね返ってきます。君は世の中を悪くしてやりたいと望みま
すか。望む人も今の日本にいます。青酸カリを食物に入れたりする
人々です。世の中の治安が乱れればそういう食物を君が食べさせら
れるということになるかも知れないのです。
 そういう世の中にしないために、みんなで、もっと政治に関心を
持ち、皆のためによいと思ったことは小さなことでもいいから実行
していきましょう。

コラム目次に戻る
トップページに戻る