400−3.内なる日本文化について



内なる日本文化について 389-3日本人に対する外部の評価

>長年日本に暮らしている外国人や長年海外で暮らしている日本人、
>国際結婚をした日本人などの経験が書かれた本には、私たちが気づ
>くこともできない指摘があふれています。

どうして外国で暮らすと日本人として目覚めるのか、ということを
考えてみましょう。

私自身、3度にわたる海外生活経験(1986-7 フランス、1991-3フラ
ンス、1993-7 イギリス)の中で、自分の意識が日本人として形成さ
れていること、それも昭和34年に生まれて、戦後民主主義と経済
成長の真っ只中で育った人間であることに気づかされたのでした。

そして、そのような自分の意識を、フランス人やイギリス人の意識
と比較すると、けっこう違っていることがわかりました。

大事なことは、日本文化というときに、自分の外にある何かではな
く、自分の意識の上に構築された何かが問われる体験であるという
ことです。

博物館や日本紹介ビデオの中の日本の文化ではなく、外国で孤立無
縁で生きている自分自身の中で培われた日本文化が問われる体験で
あるということです。

私の文化や文明についての所見もすべてこの体験にもとづいている
わけです。

日本にずっと住んでおられる方に、ご理解いただけますでしょうか。
まさしく異文化(の人間の中に混ざって孤立を味わう)体験だった
のです。
(得丸久文、2000.12.26)
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日本人はダメ?                        森 
 余り歴史に精通していませんが、自分なりの意見を書いてみました
。
自国民が「優秀」だと思うことがどうしていけないのでしょうね。
僕のまわりにも「日本人はダメダメ」論者が、やはり大勢います。
どうしてでしょうね、きっと、それを論ずることも、日本を良くし
たいという気持ちの現れなんでしょう。(それとも、よくすること
を、あきらめてる?)、もっとも、その反対に、もっと積極的に「
優秀、優秀」と洗脳していくことも、同じく日本を良くしていく方
法の一つだと思います。 

どちらかというと、やはり前者のほうが圧倒的に多いのではないで
しょうか。少なくとも僕の周りではそうです。特に、外国文化に中
途半端に興味を持っている方に多いようです。歴史的にも、まずは
「ダメダメ論」から始まっているようですし。 

個人的な意見ですが、こういった議論のポイントは3つあると思い
ます。1つは、外国に行く日本人が増えていることです。また、他
の国に暮らすと日本がよく理解できます。これは「住めば都」の応
用ですが、他国に住めばその国がだんだんいい国と思えてくるでし
ょうし、さらに日本の「よい点」や「まずい点」も見えてきます。
また、その意見や主張することも慣れてきますし、それらの意見や
比較論を知らない日本人に言いたくなります。 

そして、その意見を聞いた第3者の日本人が、あらゆる解釈をする
のでしょう。しかし、その解釈は、なぜか、「まずさ」ばかりに焦
点をあてた解釈をしてしまうようですよね。そういった意味で、他
人の(メディア)の日本評価は余り信用しないことにしています。 

第2に、日本人は外国で堂々と出来ないということですね、つまり
自信がないんでしょう。要するに、引け目を感じるんです。歴史的
要素かもしれないし、地理的要因かもしれないし、国民性かもしれ
ないし、教育(議論力や英語力)かもしれない。そんな理屈はどう
でもいいです。でも、それを「日本人ダメダメ論」が、さらに悪化
させていません? 

「子供の教育」や「仕事」、または「喧嘩」、全て自信がなければ
、うまくいった試しがありません。ちょっとした自信のなさを見透
かされた為に、取り返しのつかない自体に陥ったことがあるでしょ
う。この国は、僕も含めて、自信を無くした日本人がたくさんいる
んです。その理由なんて、どうでもいいでしょう。ただ、これ以上
自信を無くすような言動は、聞きたくないし、子供や若い世代に取
り返しのつかない意識を植えつけてしまうことが不安でたまりませ
ん。 

3つ目は、100年後の日本人は、僕たちをどう評価するかという
ことです。外国へいくと頻繁に日本の車を見かけます。さらに、世
界の都市部ではいたるところに日本の企業広告が存在します。さら
に日本は先進7ヶ国(8?)の1つです。100年後の日本人は、
この状況をどう評価するでしょう。チョンマゲ時代を終わらせ戦争
、占領、不況、などを乗り越えて、結果的にこれほどの国となった
のです。日本は、頑張ってきたじゃないですか。「ダメダメ論者」
は何が気に入らないでしょうね。 

もし、いや100年後、僕たちは評価されていないと思います。と
言う方は、じゃあ日本は、どうすれば良かったんでしょうね。完璧
な国を目指すんでしょうか?それとも、どこどこの国のようになれ
ば良かったのでしょうか?完璧な国なんてどこにもないでしょう。
完璧な人種だってどこにもいません。それに「優秀」「非優秀」を
付けたらそれこそ人種偏見でしょう。今の日本の暮らしが「優秀」
かどうかの判断基準と思います。日本に住む他国人がいう日本の悪
評も、「何をぬかしやがる、だったら来るな」でいいじゃないです
か。 

100年後に評価される日本人は、間違いなく「家族」の為、「日
本」の為と思い自分を犠牲にし、行動し、かつ、勝ち得た日本人で
あると思います。100年後の歴史作家が、その事を面白おかしく
描き上げ、100年後の日本人や他国人が、それを読み、感動し、
また次の世紀に活力を伝えくれる。そういった「人物」が日本人、
又は日本民族の血を引く人が、今の世の中にたくさんいてくれるこ
とを望みます。 

少なくとも自分達に自信が持てない「日本人ダメダメ論」を主張す
る国民が100年後に評価されることは、あるわけがないと思いま
す。さらに、そんなに日本の事が嫌いであれば、日本の技術者が頑
張って開発している、「日本車」、「コンピュータ」、「携帯電話
」、「iモード」を使用するのを控えていただきたいですね 
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優秀論もダメダメ論も乗り越えて        得丸久文   
日本人は優秀というとき、あなたは自分がその優秀項目をすべて満
足させていますか。 
日本人はダメだというとき、あなたはそのすべてに当てはまってい
ますか。 

いいことがあれば真似するなり獲得すればいいし、ダメなことがあ
れば、それを捨てるなり改めればいい、それだけのことです。 
概念化された日本人が、優秀なのかダメなのかを議論することは不
毛です。 

そうではなく、あなた自身、あなたの家族、あなたの友人たちが今
どんなで、これから何を目指して生きていこうとしているのか、
どのようによりよくなるための努力をしているか、そういったこと
が大切ではないかと思うのです。 

とくに日本には、武道や各種稽古事があります。これは大変にすば
らしい。しかし今いったいどれくらいの人が武道を実践しているで
しょうか。 

どんなに武道が立派であっても、あなたがそれを実践しなければ意
味はない、実践していくなかで、あなたの肉体が、精神が、自信が
培われる、と思います。 

外を見て評論するのではなく、自分自身を見つめて、自己改革を図
ることが一番大切ではないでしょうか。 
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顔が見えてくると違ってくるんだ         得丸久文 
 どばしさん
> 優秀がどうのこうのですが、じっさい他国人と暮らして 
> いると、どっちが優秀とかダメかとか、あんまり考えなく 
> なるのではないでせうか?わたしだけでせうか? 

そうそう、顔が見える関係が出来上ってくると、○○人はダメだと
か、△△人は偉いとかいうレッテルが通用しなくなって、あいつは
仕事ができるけど、そいつに仕事を頼んでもうまくいかない、てな
具合に個人の力量の問題に、民族も人種も解消してしまう(溶融し
てしまう)んだ。 
ボーダーレス社会では、否応なしに、そういった顔の見える関係が
増えていって、国籍とか民族とかのレッテル貼りが有効性を失うと
思うよ。 
だからこそ一人一人が有用な人間になる必要があるんだ、仁智勇が
大切なのもそこさ。 


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