394−1.一神教と多神教



                                         得丸久文
 どばしさん、 
一神教と多神教の違いは、神様の数の違いではなく、むしろ概念神
か実存神かの違いなんです。ええ、この違いは大きいです。 
重たいです。遠藤周作の「沈黙」なんかでもこの違いが明らかにさ
れていますよね。
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多神教の神               得丸久文   
とりあえず多神教の神について、考えを整理してみましょう。 

−1− 神の概念 
まず、一神教と多神教の違いは、神の数ではないということ。 
一神教とは、ユダヤ教の流れをくむ宗教で、ほかにはキリスト教、
イスラム教があります。一神教の神とは、この世界を造ったとされ
る神であり、6日働いて7日目に休んだといわれている神ですね。
この神の姿は目にも見えず、その存在に触れることもなく、その声
を聞くこともない。この神について、南博通著「ヨーロッパ人のこ
ころ」 第一章 唯一絶対神の誕生から引用してみよう。

−1− キリスト教のルーツ (より得丸が抜粋) 
「(ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の)三宗教は、他に類を見
ない、きわめて特異な特徴を持っている。それは神がひとりしかい
ない、という点である。またひとりしかいないだけに、絶対的な力
を持ち、人間からは圧倒的に超越した存在になっている。

 こんな神様は世界にいない。どちらかというと、非常に不自然な
考え方である。古代の人間は、自然の背後に超越的な力を感じた。
現代のわれわれでも、山に登ってこの木々や岩に触れると何かしら
力を得るように感じ、海に臨んでは大いに勇気づけられるような気
がする。

 また海の幸・山の幸というように、海や山には、われわれを見守
り食物を与えてくれる存在がいると考えられた。人類が農耕を営む
ようになると、自然への畏敬はますます強くなる。雨が適度に降り
、日光が適度に照らなければ作物は育たない。天の恵みがあって、
大地の恵みもある。だから、人間が山の神、海の神、大地の神、天
上の神を信じるのはごく自然のことである。 

 やがて人間は様々な神を作り出す。水の神、火の神、風の神、雷
の神など自然現象に関わるもの。狩猟の神、農耕(豊穣)の神、病
気治療の神、商売の神、戦いの神など社会生活に関わるもの。後者
に対してはご利益を求めるようになる。 

 だから、インド、中国、エジプト、ギリシャ、アメリカ大陸、そ
して日本でも、神々は数多くいた。日本ではそれを八百万(やおよ
ろず)の神という。もちろん中心になる神、主神はいる。たいてい
の場合、天をつかさどる神が主神になる。しかし、あくまでも主神
であって、唯一神ではない。神々は自然に満ち満ちているのだ。」

多神教と一神教の違いを感じていただけますか。 

ユダヤの民たちが、どのようにして一神教を作り出したかについて
も南博通氏が書いています。それはまた次の機会にお届けします。
(今澁谷の漫画喫茶に長男といっしょにきています。彼は遊戯王の
レアカード情報をサーチしています。これからプレゼントを買いに
いかなくてはならないので) 
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どばしようこ 
   
日本人の優秀がどうのこうのですが、じっさい他国人と暮らして 
いると、どっちが優秀とかダメかとか、あんまり考えなくなるので
はないでせうか?わたしだけでせうか? 

一神教について考えましたが、今世紀・前世紀の終わりに 
「相対」の概念がいろいろ広まっていくにつれて 
「絶対」の概念がだんだん薄れていったのではないかと思い 
ます。 
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得丸です。
週末東京で小5の長男に論語の素読をさせました。
有名でわかりやすい章句に限って、50くらいかな、1時間かけて
訓読だけ読ませ、意味の説明はしませんでした。
最初はたどたどしかったんだけど、だんだん自分ひとりでも訓読で
きるようになるんだ、おもしろいね、

論語500章ある中で、子供に読ませたいものを100でも200
でも選んで、子供用の教科書(訓読だけさせるための)をつくった
らいいんじゃないかな、できれば大人もいっしょに読むといい。
日本はよくなるよ、きっと。

富山は今晩から雪だそうで、平地で20cm積もる予定とか、わー
い、なんかわくわくします。
うちのアパートのとなりの公園には融雪装置がついていないので、
雪だるまを造れるかもしれない!!!
ところで、来年1月13−14日に富山県八尾町で論語を読む合宿
をしようかと思っています。一人一泊2000円の別荘を借ります。
あとは食費だけ。

13日の昼に集合して、14日の昼すぎまで、みっちり論語を読み
、余った時間にはフリートークもしようかな(前回は「空」と「無
」の違いについてのフリートークでした、これも結構おもしろかっ
た)

ご興味のある方、どうぞ気軽にご連絡ください。誰でも参加できま
す。テキストは岩波現代文庫の宮崎市定現代語訳「論語」です。
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得丸です、読者の声を一部お届けします。私にとって勉強になるも
のばかりです。お二人の方、どうもありがとうございました。
お二方以外にもいくつかご感想をいただいております。この場を借
りてお礼申し上げます。

−1−
雄大な”一瞬”の話、本当にありがとうございます。なんか、読み
入ってしまった・・・仏教では仏のことを「如来(にょらい)」と
いいますよね。
「如来」とは「如々(にょにょ)として来(きた)る」の意です。
つまり「止まることなく流れては来る一瞬の生命」を「仏」と定義
していたと聞きました。

空の話を読んで、そんなことを思い出しました。
>短い人生だけど、一瞬一瞬を大切にして生きなさい、一瞬一瞬に
>全てをかけて悔いのない人生を歩みなさい。
>色即是空、空即是色も、「そこに世界として厳然と存在している
>ように見えるものも、実は一瞬一瞬のできごとの積み重ねに過ぎ
>ない、一瞬一瞬の積み重ねこそが世界をつくりあげるのだ」と読
>みたい。

法華経には「諸法実相」という言葉があります。
よくは説明できませんが、諸々の法(森羅万象、あらゆる出来事・
現実)は実相(その真実の姿)である。
その後に十如是という、生命体の十の側面を表す言葉が続くんです
が、「如是相(姿・形)、如是性(性質や性分)、如是体・・・
如是本末究境等」「かくのごとき相、かくのごとき性質・・・これ
らは終始一貫して等しい」というのがあります。
つまり、ある人(生命)の今の一瞬の表情や性格、環境(人も含め
て)に与える影響力、作用、縁、それによってつくる原因とその結
果とその報い、それらは全て実相(その人のその瞬間の生命の状態
)を示しており、すべての側面はばらばらでなく一貫している、と。

これは、この一瞬の自分の生命によって、自分の状態や環境全てが
決まっていくのだ、ととれます。
僕はこの部分に、自身を磨いていくことで、変えられないものは何
一つないのだ、という仏教のすごい楽観(楽天ではなく)主義や
人間(あるいはあらゆる生命体)への絶対的な信頼というか、生命
の持つ力への自信みたいなものを感じるんです。

なんかうまく言えませんが・・・
それはさておき、得丸さんとの出会いは本当に大きな出来事でした。
釈迦の弟子が釈迦に「修行の目的」を問うたところ、「善知識(自
分を善の方向にむかわしめる存在)に値(あ)うことである」と答
えたと聞いたことがあります。
来世紀もどうかお元気で、得丸節でたくさんの人に勇気と元気と笑
顔を与えてください。
それでは、よいお年を・・・

−2−
 面白いお話をありがとうございました。戸塚さんは、人間は本能
として理性を持っているとお考えなのですね。サル学の研究や生物
学の研究からは、性善説は支持されないですね。

 生物は7ー6億年前に雌雄に分かれて以来、実に多様な子孫を作
ることに成功しました。だから競争に勝ちのこったのですが、それ
は、多様な子孫を作ると、例え大変な環境変化がおきても、例えば
エイズや黒死病が流行っても、絶対に全部は死なないという効果が
あるからです。少数は必ず残るという作戦です。

 だから、生物は、人間は、死ぬと分かっていても少数ですが、ヒ
マラヤに登るし、深海に潜るし、探検に出かける。人間は多様なの
です。
 同じように、少数ですが、殺人が楽しくてしたかがない、人が苦
しむのが楽しくて仕方がない、そういう人間がかならずいます。
そしてそれは本能です。そういう人間が存在することが生物として
健全な証拠でもあるわけです。従って犯罪のある社会が健全な社会
になります。

 空と無の定義は得丸さんのいう通りではないかと私も思います。
人間の生きる目的とか生き甲斐とか神とか、いろいろなものを人間
が勝手に造り出しましたが、そんなものは何も無い、真実は何もな
いことである、例え人間が絶滅しても地球は知らん顔してたんたん
と太陽の周りをまわり続け、人間に代わって別の生物が生物界の新
たな頂点に座るでしょう。

 生物の中で人間ぐらい残虐でひどい生物はいなかったですね。生
物の歴史のなかで。しかも人間のなかでさらに差別をして、天国組
みと地獄組みを分けようとしたりしています。もしも神が存在した
ら、人間など誰一人天国へはゆけないですね。

(以上, 2000.12.28)


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