385−3.父親の悩み



Re:父親の悩み BABEL 
 どばしさん、大変丁寧な回答をくださって本当にありがとうござ
いました。 

「まず「母子・父子家庭が弱者の家庭」である、という意識があま
りここにはないように思います。それは、前にも書いた離婚する 
夫婦/同居していて別れるカップルなどがあまりにも多すぎて、何
がなんだかわからなくなっているせいもあります。」 

日本もやがてそういう流れになっていくのでしょう。 
それに伴って、「弱者の家庭」のとらえかたも変化していくのでし
ょうね。 
「子どもの権限は、どんな場合でも法的には平等なので。 
それに、デンマークでは大学まで教育費は無料なので、 
両親の負担もある程度は軽いのかもしれません。」 

法的に平等であることと、事実上平等に扱われることは必ずしも
パラレルではないと思いますが、デンマークでは現実に突き動かさ
れることで、乖離しなくなったということでしょうか。それとも、
伝統的に法を大切にする国民性を備えているのでしょうか。 
それにしても、大学まで教育費が無料というのは、大きいですね。 

「障害も「個性」とみなしてできるだけふつうの意識のもとに育て
ることが多いように思います。」 

すごく大切なアプローチですね。その通りだと思います。 

「障害をもつ人たちも、できる限り人に頼らず積極的に街に出てい
ることが多いように思います。 
もちろん、車椅子の人や乳母車を押している人がバスに乗ろうとし
ていたら、周りの人は積極的に手を貸します。」 

いいですねえ。アメリカでも同じような光景をよく目にしました。
残念ですが、日本はまだここまできていないように思います。 
駅のホームを歩いていた目の不自由な人に、通りすがりに「危ない
のに、外出しないほうがいいですよ」と言ったり、四肢と言葉が少
し不自由な人から電車に乗るのを手伝ってほしいと声をかけられた
グループが「施設のバスを使えばいいのに」と答えるのを聞いて、
愕然としたことがあります。 
障害は、日本では「自分とは異質の劣るもの」という意味が加味さ
れることもあるのです。 
だれという区別なしに、「Help me」をキャッチした人が、「OK, 
what can I do for you?」を返して、共に手を携えて歩けるような
社会とはほど遠いです。くやしいですが。 

「でも、忘れてはならないのは、「弱者」と思われている人たちも
、人を選ぶということです。彼らも、自分を助ける人が誰でもいい
とは思っていないと思います。」 

うまく表現しにくいのですが、無関心であること、感じる心を放棄
することの恐ろしさを言いたいために、私が、弱者−非弱者という
関係からアプローチしたのが悪かったのかもしれません。 
この世に生を受け、共に生きるものとして、互いに何をすべきか、
を考えたかったのです。 
どばしさんがおっしゃるように、助けを必要としている「弱者」と
思われている人たちも、助けてくれる人を選ぶでしょう。 
その人が、自らの意思を持ち、自ら何か対応する術を持つなら当然
でしょう。 

でも、幼い子供の場合などは、助けを求める度合いはもっと切迫し
た悲痛な気がします。 
心有る人ならだれでもいいから、だれか助けて、と泣き叫んでいる
人たちもまた現実にいるのです。 

この人たち(かつて、私自身がそうでした)に、これ以上目を閉ざ
すことはできない、じゃあ何ができるかを考えたかったのです。 
助けを求めて声にならない悲鳴を上げつづけている人たちは、日本
のいろいろなところで、着実に増えています。子どもであろうと、
大人であろうと。弱者であろうとなかろうと。 

今の日本の社会で、私たちはよりどころのない不安を抱えてはいな
いでしょうか。 
法律や金銭では手の届かない傷を負ってはいないでしょうか。 
共に生きるものとして、社会をつむぎ、次世代へ渡すために、何か
を始めなければならない。 
そんな気がするのです。 
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Re:町内会レベルのアプローチ=国際問題です    BABEL

 ありがとうございました、YSさん、 

『「言語、宗教、文化、血の共有はコミュニティーの形成を「支え
」はするが、真に「つむぐ」ためのカギは別のところにあるという
のだ。人類学の答えでは、その「コミュニティー創造のカギ」は「
お互いに与え合うこと」にある。』 

すごくいい言葉ですね。 

『「私は自分の子供に目一杯の愛情を注ぎます。でも決して一方通
行ではありません。子供はたくさんの元気とぬくもりを与えてくれ
ます。それに子供から学ぶことがいかに多いことか。」』 

私は今までは、常に子として、大人から与えられてきた者でした。
「子が親に与えるものがある」ことはよく知りませんでした。 
もうすぐ、きっと、YSさんが書かれたことを実感できるのでしょ
う。
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Re:父親の悩み           どばしようこ   
 BABELさん、レスありがとうございます。 
難しいなあと思いますが、今の時点で考えたことを書いてみます。

> 「子どもの権限は、どんな場合でも法的には平等なので。 
> それに、デンマークでは大学まで教育費は無料なので、 
> 両親の負担もある程度は軽いのかもしれません。」 
> 
> 法的に平等であることと、事実上平等に扱われることは必ずしも
>パラレルではないと思いますが、デンマークでは現実に突き動かさ
>れることで、乖離しなくなったということでしょうか。それとも、
>伝統的に法を大切にする国民性を備えているのでしょうか。 

ここがすごく難しいところなのですが。。。いい答えが今、思い浮
かびそうにないです。すみません。 
そもそも法とは、書かれてあることが実行されてはじめて意味があ
るように思うのですが。。。 

デンマーク社会は、他の多くの社会と同じように、「。。。の権利
の拡張」という方向でシステムが出来上がっていったように思いま
す。女性にしても、障害者にしても、子どもにしても、高齢者、
ホモ・セクシャルな人たちにしてもそうです。 

考えてみれば、日本も表面上は似たような処置というか、体裁はと
ってきていると思います。違いは、立法とかシステムができる理念
的なものがなかなか一般まで浸透しているようには見えない、とい
うことでしょうか。 

デンマークも、そう遠くない昔には障害者を隔離していたような時
代もあったし、労働者の権利も女性の権利も今からは想像できない
くらい制限されていたころもあったようなのですが、その名残りを
人々が頭の中にほとんど残していない、というのは結構おどろくべ
きことかもなあと思います。 

確かに、いくら法によって保障されているとはいっても、個人の中
にはさまざまな差別的感覚や偏見はあるようなのです。 
ただ、それらが「一般」化しないであくまで「偏見」のままとどま
っている感じがあります。 

力が強者から弱者に向かうような事件も、日本ほどではないにして
も、まったくないわけではありません。学校でもいろいろ事件があ
ったせいか、現在では学校で教師が生徒に体罰を与えることは全面
禁止になっているし、これは近年ですが、事件があったようで、
生徒のナイフ(あの片手で刃が出せるようなの)の携帯も禁止にな
りました。 

> それにしても、大学まで教育費が無料というのは、大きいですね。 

ここは、所得税が50%以上・消費税に当たる税が20%以上と高税率
なので、公共サービスや教育一般はお金があまりかからないシステ
ムになっています。 

> 「障害をもつ人たちも、できる限り人に頼らず積極的に 
> 街に出ていることが多いように思います。 
> もちろん、車椅子の人や乳母車を押している人がバスに乗ろうと 
> していたら、周りの人は積極的に手を貸します。」 
> 
> いいですねえ。アメリカでも同じような光景をよく目にしました。 
> 残念ですが、日本はまだここまできていないように思います。 
> 駅のホームを歩いていた目の不自由な人に、通りすがりに 
> 「危ないのに、外出しないほうがいいですよ」と言ったり、 
> 四肢と言葉が少し不自由な人から電車に乗るのを手伝ってほしい
>と声をかけられたグループが「施設のバスを使えばいいのに」と答
>えるのを聞いて、愕然としたことがあります。 

そうなんですかー。。。「外出しないほうがいいですよ」はいくら
なんでも過剰な干渉ですよね。白いつえをもった人は、非常によく
見かけます。一番危ないところとか、頼まれたところだけ手をかせ
ば、なんとかなるのに。 

あと、ときどきバスの中で会う人は、精神障害みたいなんですが、 
その路線のバス停と、乗り継ぎを全部記憶していて、一番前の席に
座って運転手を差し置いて大声でアナウンスのマネをしています。 
それが、非常に上手なのでみんな笑っていますが。。。 

一人暮しのさびしいお年寄りも多いみたいで、スーパーにいくと 
よく話しかけられます。「値段の札を読んで」「レモンとオレンジ 
が見分けられない」「広告にあった品物はどれ?」などですが。。。 

> でも、幼い子供の場合などは、助けを求める度合いはもっと切迫
>した悲痛な気がします。 
> 心有る人ならだれでもいいから、だれか助けて、と泣き叫んでい
>る人たちもまた現実にいるのです。 

そうですよね。 
デンマークでも、例えば幼児虐待などは結構あるようなのですが、 
発見が十分に早くない場合が多く、問題になっています。 

> この人たち(かつて、私自身がそうでした)に、これ以上目を閉
>ざすことはできない、じゃあ何ができるかを考えたかったのです。
> 助けを求めて声にならない悲鳴を上げつづけている人たちは、
>日本のいろいろなところで、着実に増えています。子どもであろう
>と、大人であろうと。弱者であろうとなかろうと。 
> 
> 今の日本の社会で、私たちはよりどころのない不安を抱えてはい
>ないでしょうか。 
> 法律や金銭では手の届かない傷を負ってはいないでしょうか。 
> 共に生きるものとして、社会をつむぎ、次世代へ渡すために、何
>かを始めなければならない。 
> そんな気がするのです。 

たとえば、どんなことをはじめようとお考えですか。 
まとまらないレスですみません。 
またお話してくださいね。 


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