385−2.行く世紀,来る世紀に一考



Mondさんへ  kenから 
 
貴説378−02、まことに立派で感服いたしました。 ただし、
決して野蛮な欧米文明の風下に立つべき文明ではないし、シナや
コリアに阿訣追従的迎合をこととして、日本人としての矜持を放棄
したような品のない行為を止めるべき事は今更言うまでもない。
 
という文面についてはご一考を願いたいと存じます。

なぜなら、欧米文明を「野蛮」ときめ付けるような言葉には、それ
こそ「百日の説法、屁一つ」のような効果がありはしませんか。
わが文明にも誇るべきところがたくさなりますが、反対に、欧米文
明によってわれわれが裨益させられたところもいっぱいありますよ
ね。 折角のご卓見ですから、「どちらも立派だが・・」というよ
うな言い回しをされた方が穏当でもあり、聞く人をしてより感服せ
しめると思います。
 
それと、気になる「シナ」という言葉。このコラムではおおぜいの
人が好んで中国のことをこう呼んでいらっしゃるようですが、皆さ
んにご一考願いたいのは、この「シナ」という呼び方についての、
中国人の方々の激しい嫌悪感です。
ぼくは長らく台湾で事業をやっていました。あるとき、いくつかあ
った現地法人の社長の一人(その人は「聴けわだつみの声」を読む
のが好きだった)に、ボクの作った歌「南シナ海の雲断崖を朱に染
め コレヒドールに秋の陽は落つ」を披露したところ、予期せぬ異
常な反撃を食いました。 
「あなたは「シナ」という言葉がもつ、あの異様な響きを知らない
のか。われわれ元日本人だった台湾人にとって、シナ人という言葉
ほど屈辱的な言葉は他にない。戦後数十年、いまだにシナ、もしく
はシナ人という言葉を聞いただけでぞっとする。あなたのこの歌を
聞いただけでも虫唾(むしず)が走る」と、これはもう激しい反撃
で、ふだん温厚な彼にもそうした心の鬱屈があるのを初めて知らさ
れました。 
われわれ日本人がいかに言い訳しようと、かって彼らに与えた
「シナ」という言葉のイメージをいま急に修正するわけにはいきま
せん。 どうぞ、ボクの意のあるところをお察しください。


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