349−1.ジェンダー論について



男女共同参画社会とは?  (総理府男女共同参画室)

 「男女共同参画社会」とは、「男女が、社会の対等な構成員とし
て、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画す
る機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及
び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社
会」です。すなわち、男女の人権が等しく尊重され、社会参加意欲
にあふれた女性が自らの選択によって生き生きと活躍でき、男性も
家庭や地域で人間らしい生き方を楽しめる、お互いが支えあい、
利益も責任も分かちあえる、いわば、女性と男性のイコール・パー
トナーシップで築き上げるバランスのとれた社会像です。

 本当に豊かな社会を実現するためには、育児や介護を家庭で女性
だけが担い、もっぱら男性は外で働いて税金や年金などの国民負担
を支える等の固定的役割分担にとらわれず、男女にかかわらず多様
なライフスタイルを選択できる社会構造が不可欠です。しかし、我
が国の現状を見ると、法律・制度上では男女平等がほぼ達成されつ
つあるものの、女性の政策・方針決定への参画、職場における能力
発揮は十分ではないほか、女性の家事・育児・介護における負担が
重く、また、伝統的に男性の家事や育児への参加が「男らしくない」
とされる傾向が残っているなど、さまざまな面での男女共同参画が
諸外国と比較しても不十分であり、「男性は仕事、女性は家庭と子
育て」などの固定的な男女の役割分担意識は依然として根強く残っ
ています。

 私たち一人一人が固定的な男女の役割分担意識を改め、男女が政
治の場にも、職場にも、家庭でも共に参画し、生き生きと充実した
人生を送ることができる社会を実現しましょう。 
==============================
ジェンダー論について :田中 
   
 はじめまして。学生の田中です。国際戦略コラムにより思い知ら
された自分の無知さをひとつひとつ今後の自分のテーマとして挙げ
ながら購読させていただいています。 

今回新しい試みとしてのジェンダー論についてですが、素人でもか
まわないとの文句につられてしまい、この文を書くことにしました。
議論慣れしていないため、企画者の方の意図から離れてしまうかも
しれませんが、どうかご容赦を。 

「社会には男の役割・女の役割が存在するのか?」、「その弊害は
何か?」、また「どのように改善できるか?」などがジェンダー論
の中心的議題のようですが、そのことに対する、女性としての私の
意見を以下述べさせていただきたいと思います。 

正常な人間関係を築くには、まず個が自立していることが前提です。
自分を大切にしていない人間は他人を大切にできないし、自立して
いない人間は建設的な人間関係を創造することは難しい。 
男女間の問題はまず、その前提をふまえていないところから生まれ
ている場合が多いと思います。既婚女性は夫への依存から子供への
依存へ切り替えることにより、自己としての人生を歩まない場合が
多いように見受けらることと、また生活力がなく、他人に依存しな
いと健康的な生活が送ることができない男性が多いことが男女の依
存関係を端的に表しているように思います。 

人間関係に価値があるのはその相手が自分にない物を与えてくれる
からです。同性の友人からももちろん得る物は多々ありますが、身
体的にも大きく異なる異性とのコミュニケーションはより大きな
補間関係が築き上げられる可能性があるからこそ、価値があるので
あり、それはまず、自分と相手は異なった能力、性を持っていると
言うことを認識した上で成り立つ物であると思います。私が女であ
るという事自体が私の個性の一つであり、時により男性の助けがあ
った方が私自身の生活がより実り多い物になることがあるだろうし、
その反対に、女性としての私の方が得手とする事もある。そういう
メリットがお互いに持てて、初めて建設的な男女関係を持つことが
できるのではないでしょうか。その認識を誤ったときに出てくるの
が性差別問題ではないかと思います。 

出産問題は働く女性にとって、大きな問題の一つだと思いますが、
そのことについても補間関係としての夫婦関係があることが大切な
のではないかと思われます。ただ、実際に女性の方がどうしても
時間的、労力的負担が大きいことは否めませんが、そのことについ
ては、母親である以前に、一個の人間としての実り多き人生を歩む
ために必要とあれば、自分のために生きることが家族のためにもな
るのだという認識の元にベビーシッターや家政婦を雇うなどの方法
を用いることも一つの方法だと思います。 
そうすることによって、能力ある女性が出産後もその能力を生かせ
る基盤ができるし、また、夫や社会も、そういう女性を受け入れる
こと自体が自分たちのメリットになるのだということを認識するべ
きです。夫は母親としての妻ではなく、魅力的な一個の女性との
人間関係を共有することにより、自分自身も実り多い人生を送るこ
とができるだろうし、社会としても、有能な人材をより長期間、
確保できるわけです。 

つまり私は、男や女である前に、自立した、自分自身を尊重できる
人間であることがこの問題の解消に役立つのではないかと思います。 
男性は、家政婦としての妻がいなくても、健康で健全な生活を送る
ことができるだけの家事能力を持ちまた育児もできること、そして
、女性は経済力を持ち独立した自分の人生を持てることが大切だと
思います。 
また、自立した母親のその姿を見つめること自体が、子供の自立を
促す物であり、育児にかける時間と労力自体が育児の重要さではな
いと私は思います。 

これが未婚の学生である私の現時点での考えです。既婚者の方、お
子さまをもっていらっしゃる方、反論もおありでしょう。私が今後
、結婚したり、子供を持つことになったとき、どのような持論の
変化が見られるのか、もちろん今の段階では分かりません。 
理想論にすぎないことを思い知らさせるのかもしれません。どうぞ
みなさまの議論のたたき台にでもしていただければと思います。 

田中 
=============================
田中さんへ YS   2000/11/06 20:07 

 田中様 

早速の御意見ありがとうございます。 
私自身キャンプに行く時だけ大ハッスルする育児も家事もダメダメ
親父のためいささか耳の痛い御指摘です。いや〜ほんとなさけない
ですね。 

社交性という面でかみさんの方が私よりはるかに上回っておりいず
れは再度活躍できる機会がくることを願っていますが、積極的に後
押しできる環境作りをしないといけないんでしょうね。 

ただ悲しいかな子供達の接する態度を見ていて、男の限界みたいな
ものも感じてしまうんですよ。 
これもまた努力不足なのかもしれません。 

一応11日からの開始にて管理人さんの許可を得ています。 
始まったらどんどん意見をぶつけてみてください。 

YS 

コラム目次に戻る
トップページに戻る