329−1.以心伝心



Fさん説 「悲しいかな欧米より日本の方が悪いと思うアホがまだ
いる。例えば、村山元首相は、マハディール首相に、「日本の侵略
で大変ご迷惑をかけた。」と言ったため「なんで謝るのですか?そ
のようなことは、お止めなさい。」と言われている。一国の首相が
自国やアジアの戦後史を知ら過ぎ。どうしてかと言えば、学校で教
えていないからです。」
ken→→チョットだけボクの経験談を聞いてください。 20年もまえ
、台北のあるロータリークラブ(台湾人<もと日本人>会員80%、
大陸系会員20%。前年度会長は学徒動員<一ツ橋>の元少尉)の例
会で、中部地方のある田舎町から来たロータリーの団長さんが延々
とスピーチをしていた、「われわれが戦争中に貴方がたの国でひじ
ょうに乱暴してご迷惑をかけた。しかし蒋総統さんの温かいお情け
で赦して頂いてまことにありがとう。これからは絶対にあんな暴挙
は致しません」。 縷々切々の挨拶に、台湾本省人諸公は目のやり
場、耳の聞き場を失い、当惑の表情を隠せず、何を場違いな!とい
う雰囲気がみえ見えであった。しかし知人の大陸系実業家は、「ま
ことにいいスピーチだった」と、例会後ボクに洩らした。学徒動員
元少尉の令弟は台大教授で、そのワイフはボクが仲人した日本人で
ある。
大陸系実業家の方はボクが日ごろ親しい取引相手である。間にはさ
まったボクは、どうコメントしていいか、分らなかった。
同じころ、ロイヤルホテルで在阪留学生を招集してパーティを開い
た。席上、台南出身のY君(司馬遼の「街道を行く-台湾編」に、こ
の父子の話が出てくる)が、<見よ東海の>を歌った。それをスリ
ランカのR君が、あとでボクに激しく詰った「あなたがあのような
軍歌を歌わせたのが悪かった。戦争中、日本がどんなに悪い事をし
たか! アナタには反省がない!」。ところがその頃、スリランカ
最初の孤児院が出来、ボクは寄付団体を代表して落成式に出席した。
ボクの眼前におけるジャワルディナ大統領のスピーチには「戦争裁
判で、日本は無罪であるとわれわれは主張した」という言葉を含ん
でいた。あの軍事裁判での、インドのパール判事の<無罪票>には
スリランカの意向も包含されていたらしい。Y君もR君も阪大で工
学博士号を取得し、いまは両君とも故国の大学教授である。

 村山さんは昭和史の生き証人の一人、そのような人にいまさら歴
史教育を云々するのはいかがなものか。彼は相手が悪かった。もし
マハテールさんでなく、他のマレーシア人だったら、案外率直に受
け入れてくれたかも知れない。村山さんのお人柄から勘案するに、
誠心誠意お詫びしたかったのだろう。それを相手にたしなめられて
、さぞバツが悪かったろうと、同情する。ひょっとしたら村山さん
も戦争のとき、軍隊で無辜の民の一人か二人殺めたかも知れない。
戦争とはそういったものである。ともあれ、一国の宰相が他国の首
相にたしなめられるというのは、恰好のイイざまではない。
 不見識、不手際な首相を選んだのも、所詮は国民の不徳の致すと
ころ。国民の一人として、ボクももっとしっかりしなければ、と思
う。

Fさん説 「中国の日本非難は、日本サイドで怒る必要がある。そ
うすれば、中国サイドは、損と思い態度を改める。日中がお互いに
影響し合うことが必要なのでしょう。それにより、意思疎通ができ
る。中国と以心伝心を期待してもできない。よって、友好関係はで
きないことになる。日本も主張するべきことは、主張することなの
でしょう。」
ken→→ボクは反対意見の表明方法に三つのステージがあると思う。
先ず「怒る」こと。つぎに「論戦」を挑むこと。そして「以心伝心」
を期待すること、この三つである。ボクの交友で見る限り、日本人
と韓国人は先ず怒る。アメリカ人とドイツ人は論戦をしたがる。イ
ギリス人とインド人は以心伝心が好きなようだ。口下手な人、つま
り論理に弱い人は議論を中断して怒る方へ進み、論戦好きな人は
相手に理があれば率直に自説を引っ込める。以心伝心好みは、喋り
きらず自分の腹芸を楽しむ。

「以心伝心」好みのサンプルをお目にかけよう。台湾の共同経営者
M氏(蘇州生まれの上海系実業家)が、ボクたち共営の公司の若い
マネージャとこわ談判し、大枚を巻き上げて去ったという報告が届
いた。つまりはボクとの共同経営の一方的解除である。苦情をいっ
ても仕方がない、ボクも、ボクの現地マネージャも諦めてそのまま
事業を続行した。 ある日、そのM氏がボクのもとを訪れ、天気晴
朗な話をし、いっしょに食事をして分れた。そんな食事が数回重な
ったが、ついぞボクもM氏も、M氏の金を巻き上げてさった話には
触れなかった。
その後台湾出張したとき、ボクは現地のわがマネージャに、M氏が
なぜカネを持って去り、そしてそれにもかかわらずボクの元へ遊び
に来るかを訊ねた。 すると若きマネージャはメモ紙に「以心伝心」
の4文字を書いてボクに示した。言わんとするところはこうである、
「今後10年共同事業を続けても、その配当はたかが知れている。
公司の仕事が順調なときに驚くほどの大枚をせしめて去れば、その
方がずっと得、と考えてそれを実行した。相手はいっとき怒るかも
知れぬが、日が経てば納得するはずで、ぼつぼつその日も来たから
旧交を温めにまたやってきた、それだけの話」。なるほどそのころ
、ボクも、ボクの若い現地人マネージャもすでに腹の虫が納まって
いた。 M氏のボクに対する信用失墜は、いつか回復でき、また回
復しなかったとしても、M氏にとってはその両方の損得勘定を計量
してからの行動だったに違いない。 

「こうしたドラスティックな腹芸は中国人のもっとも好むところ」
と、わがマネージャは付け加えた。 いずれにしろ、ボクという日
本人と、M氏という中国人の間は「以心伝心」が通ったわけである。 
中国の日本非難に対して、はたして日本は怒る必要があるのかどう
か。腹芸好きの中国政治家たち、ということを弁えたうえで行動す
べきであろう。ボクなら怒るより、諄諄と誠意で説いて倦まない態
度がいいと思う。

 ついでに「以心伝心」の例をモウ一つ。ニューデリーの日本大使
館から電話がかかってきた、「貴方の商用招請状を持ったインド人
が、日本へのvisaの発給を求めている。ほんとうに商売であなたの
ところへ行くつもりかどうか疑問だが・・」。「未知の人だけど、
商売したいそうだから発給してやってくれ」。ということでやって
きた初老の、気の弱そうなインド紳士は、ちゃんとインド更紗のお
土産を持ってきた。 商談のいとぐちのような話の合間に彼は、
「子供が病気で療養費が嵩んでこまる」と洩らした。

夕方になって、どこかホテルでも紹介しようかと言うと、「新大阪
ステーションンの近所に旧知の人がいて、宿を紹介してくれること
になっているから、今夜はそこに泊まる。あすまた来るから」との
ことでその日は別れた。

 それからあと、ぜんぜん音沙汰無しの日が続いた。ニューデリー
大使館の疑異の通り、彼は商売でなく、出稼ぎに来たらしいとさと
ったが、連絡のしようもない。それからちょうど半年のち、気弱そ
うな初老のインド人はふらりとまた現れた。「ありがとう、お蔭様
で日本の生活は楽しかった。これはわずかですが・・」といって
京都のお菓子を呉れた。この半年、かれがどこで何をしていたか、
ボクが訊ねもしなければ、彼も説明しなかった。
「病気の子供さんは?・・」
「Yes, thank you、 充分療養させてやれると思います・・」
「では元気でね・・」
「はい、今日の飛行機でインドへ帰ったら、私はまたもとの小学校
教師に戻り、子供たちに親切で楽しかった日本を説明するつもりで
す。」
そしてあと連絡も何もない、名前さえわすれた。インド人と日本人
の間でも、「以心伝心」はじゅうぶん通用するようだ。
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(Fのコメント)
Kenさんの経験は、説得力と迫力があり、毎回感福する。
しかし、現実、中国の朱首相が日本批判をしなかったのは、日本政
府が中国の日本非難では、ODA支出に対して国民を説得できない
と言ってからで、朱首相は「日本非難は損」と止めたのです。

中国は商売人ですから、損得勘定には優れています。そのため、こ
ちらの要望をストレートに言った方が、話が早い。中国人は割合、
論理的な民族だと認識している。
ところが、今までは中国と日本は同一な文化であるから、以心伝心
ができるを言い過ぎたように思う。日本の中国文化人の間違いであ
る。
それと、以心伝心の基礎である心を読む必要があるが、これを日本
人はあまり上手でない。日本人の心を読むが、外国人の心を読んだ
経験がない。そして、心の方向として、中国人は損得で動くことを
知っている必要がある。

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