318−1.持続可能な開発は可能か?(4、完)



柳太郎&YS/2000.10.11
★★サステナブル・ディベロプメント=持続可能な開発は可能か?★★
            ==(4)==
☆環境と政治

YS  現在の与党三党は「循環型社会基本法案」で票を取りにいった
    ようですが、見事に空振りに終わりました。現在はITを柱に
    した経済再生に集中しています。

    「失われた10年」は環境面では「失われずにすんだ10年」
    かもしれません。バブルの狂乱より現在のほうがまともですよ。
    この点でもう少し踏み込んだ理性ある議論を期待しています。
    経済成長率や失業率、財政赤字統計などに一喜一憂している様
    子が最近非常に滑稽にみえて仕方がありません。どこまで伝統
    的なマクロ経済指標にこだわるべきかの議論も必要ではないで
    しょうか? 環境評価を反映した新たな指標が望まれます。
    このあたり柳太郎さんはどうお考えですか?

柳太郎 GDP、消費、貯蓄等のマクロ経済指標を基に経済を測ると、
    これらの指標を改善する為の策しか練られませんから、環境は
    無視されることになります。本来なら、YSさんの仰る通りバ
    ブル後の日本は「環境評価」を含んだ経済の構造改革を進める
    べきだったのだと思います。あのような状況下であったからこ
    そ思い切った改造ができたかもしれません。

    しかし、政治的な面では実際的な話ではないのでしょう。これ
    は以前にBBSの方で申し上げたことですが、「環境にやさし
    くする」ということは「国民の生活を不便にする」という面が
    あるからです。

    再利用よりも再使用の方が環境にはやさしいとしたら、例えば
    ドイツのようにペットボトルを禁止してビンに置き換える必要
    があるでしょうし、缶ジュースの類や、コンビニ弁当といった
    ものも規制の対象にすることになると思います。
    
    これは、消費活動においてはマイナス要因になるでしょうし、
    便利さに慣れた国民の同意を得られるかも疑問です。もちろん
    関連企業にとっては迷惑この上ないことですから必死に反対工
    作を練ることになるでしょう。

    このようなことに対処できる政治家など日本に存在しないでし
    ょうね。彼らにとっては、選挙での票の獲得が一番の課題です
    から、票獲得のマイナス要因になるものには触れたくない訳で
    す。これを当たり前だと感じる政治家は発想が乏しい証拠です。
    全体の為の戦略的な考えが出来ない、利己的な人間でしょう。
    
    逆に「環境問題」を自分の票につなげられる政治家にお目にか
    かりたいものです。その重要性を論理的に訴えることができれ
    ば、その政治家は支持されるべきでしょうし、この点において
    は国民が意識を変えていかなくてはならないでしょう。コンビ
    ニと携帯電話会社の提携で「さらに便利な社会に」という話が
    出てきたばかりですが、悪いとはいいませんが、正直あまり感
    心しない話ですね。「便利」=「良い」といった短絡的な思考
    はもうやめるべきです。

    ただ、日本政府が何も手を打っていないかというと、そういう
    訳でもありません。例えば、1993年の環境基本法では国際
    環境法で打ち出された、「地球益」と「人類益」という新たな
    概念を盛り込みました。残念なのが、これらの概念が形骸化し
    ており、国民の間に浸透していないという現状です。これでは
    政治家は「環境問題」を票につなげるのは難しいでしょうね。

YS  得丸さんがエネルギーのことを触れていました。現在、国会で
    は2001年4月の施行を目指して太陽光や風力発電などを加
    速させるための「自然エネルギー発電促進法案」の審議に入っ
    ています。
    
    自民、民主、公明など五党の超党派の議員で構成する「自然エ
    ネルギー促進議員連盟」(会長・橋本竜太郎元首相)が検討を
    重ねてきたものですが、ここにきて雲行きが怪しくなってきま
    した。

    与党側が電力会社に対する推進義務表現を削除した代替法案作
    りを進めていることが明らかになったからです。小売り自由化
    による電力市場の競争激化を背景に、自然エネルギー買い取り
    義務に反対する電力業界などに配慮したようですが、野党や現
    行案の作成に参加した市民団体からの反発は大きいようです。

    結局のところこれも票ですね。循環型社会基本法案も同様です
    が、もう少しオープンに議論していけば新たな票の獲得にもつ
    ながるようにも思うのですが、どうも過去の呪縛から逃れられ
    ないようです。

    票にならない分野として日本では「外交」も挙げられますね。
    「外交」すなわち国際戦略と呼んでもいいでしょう。近頃「環
    境戦略」的な議論も多くなってきました。

    途上国はこれまで「今後『持続的な経済成長』が必要だ。途上
    国の弱い経済に排出ガス削減が義務づけられれば、成長を阻害
    することになり、絶対に受け入れられない」と主張してきまし
    た。

    確かにCO2排出量削減は、途上国からすれば先進国のエゴイ
    ズムに見えてしまうのもわかる気がします。過去にさかのぼっ
    て排出量を規定するのであれば別ですが、そうなっていないで
    すね。ここに大きな矛盾が生じています。

    1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)においてこ
    の問題が大きくクローズアップされたことは記憶に新しいと思
    います。

    さてどうでしょう。環境問題は各国の文化を内包しながら、途
    上国の債務問題と『持続的な経済成長』とが絡み合い、より複
    雑化してきました。コンセンサスを引き出す為に強力なイニシ
    アチブが必要となってきています。これまでどうりの20世紀
    型社会経済システムの限界が見えてきたような気がします。


参考資料
政党別に見る 環境政策アンケート結果
http://dolphin.c.u-tokyo.ac.jp/~osamu8/OSE/2ndsurvey1999/Result/jimin.html
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YS&柳太郎/2000.10.14


★★サステナブル・ディベロプメント=持続可能な開発は可能か?★★

            ==(完)==

    
☆持続可能な開発は可能か?

柳太郎 YSさんのご指摘通り、「先進国のエゴイズム」という点が環
    境問題を考える上で重要です。

    環境問題自体が経済開発と密接に絡み合い政治化しています。
    そして、OECD諸国だけで40%近い温室効果ガスを排出し
    ているという現状があります。
    
    さらには、先進諸国は環境を自国の都合のいいように破壊して
    発展してきたという歴史があります。例えば、ロンドンでは建
    物が多く立ち並び住宅も密集し、中心地ではハイド・パークや
    リージェント・パークなどの人工の巨大な公園がありますが、
    昔はロンドン一帯全てが森だったのです。ロンドンは森が破壊
    されて出来上がった都市なのです。これはもちろん、ロンドン
    に限ったことではないでしょう。

    このような事実を語らずに、単に途上国には「環境を破壊する
    な」などということは「先進国のエゴイズム」に映るのは当然
    です。植民地化して多くの人命や資源を奪い取り、今ではそれ
    は悪いことだからしてはいけないと言いながらも誤りもしない
    旧宗主国としての先進国のあり方が反映されているように見え
    ます。国際関係ではこのようなバイアスが掛かっているわけで
    すが、それを取り除いていかない限り、新しい解決法は見えて
    きません。

    実際問題として、「環境破壊なしの開発」は先ず無理でしょう。
    得丸さんがNo.311-3で「実際には、食べても食べても減らない
    魔法の食卓や、燃料なしでも止まらない永久機関のようなもの」
    といった表現をされていますが、まさにその通りでしょうね。

    開発が進めば進むほど環境破壊も進むのが現状だと思います。
    とすると、選択すべきは「経済成長を抑制しつつ環境を守る」
    か「環境には気を配りつつも開発を優先させる」かになります。
    途上国が望むものは何よりも経済成長ですから、後者の考え方
    が支配的になるでしょうし、ある程度の先進国で環境問題に敏
    感な国は前者の考え方になると思います。また、これらは国内
    においても保守と右寄りの考え方につながるのではないかと思
    います。

YS  第一章「環境と思想」でこのコラムに参加する保守及び右寄り
    を自称する方々の環境論を呼び掛けましたが、まったく反応が
    なかったようです。変化が読み取れると期待したのですが、残
    念ですね。

    私自信の結論も柳太郎さんと同じです。「環境破壊なしの開発」
    は不可能です。先進国側にとって成長を前提とするには大変聞
    こえのいい「持続可能な開発」と途上国の「持続的な経済成長」
    への熱望に支えられて行き着くところまで行くしかないようで
    す。そして見えてくるのは「破局」だけです。

    この20世紀を今あらためて振り返ると人間はそんなに賢くな
    いようです。このままずるずると一歩手前あたりまで行くんで
    しょうね。

柳太郎 核戦争などは直前で回避されるかもしれません。が、環境問題
    で恐ろしいのは、「じゃあ止めよう」と言ってすぐに事が片付
    くわけではないという点だと思います。

    つもりに積もった環境破壊がある日突然、人類に襲いかかる。
    その時にやめてももう遅いですし、ぎりぎりのところも見極め
    られないでしょう。

    もしかしたら、もうぎりぎりのところまで来ているのかもしれ
    ません。これが分からないのがこの問題の最大の脅威ですね。

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