316−3歴史の見方について



ひみこ(日皇子 or 卑弥呼)b竄ワと(大和 or 邪馬台)の意見
交換は、Fさんの言われるように、そろそろ終わりにしてもいいかも
しれません。

ただ歴史については、念押ししておきたいことがあります。

フランス語で、「歴史」は histoire です。histoire には「お
話」という意味もあります。英語でも、 history と storyですから
似ていますね。
その通りに、歴史は所詮お話でしかないのです。

私たちが自分史以外の過去を考えるとき、タイムトラベルできる人
はいませんよね。実際に遺跡を発掘しても、ある時代に使われた道
具でしかないため、歴史を実証することなんてできないのが普通で
す。

また、古文書や歴史書だって、そこに書いてあるものが真実かどう
かの保証はありません。

歴史をめぐる議論の、ある意味で不毛なところは、お互いに「私は
こうだと信じる」という対立で膠着してしまうことです。過去のこ
とについて証拠を出すことは、お互いにできませんから。

これは、歴史がすべて概念であるからです。

歴史と言われているものは、すべて誰かが語ったことです。語りに
は真実もあれば嘘もあります。それらが混じったものを、お互いに
「信じる」ところから、解決の見とおしのたたない対立に陥るので
す。

現実存在に根ざしていない(かもしれない)概念をふりかざすこと
は不毛です。
人の使う概念に対して、目くじらを立てることは不毛です。

所詮お互いに概念と概念を戦わせているのだくらいのふっきれた気
持ちで歴史論議は行われるべきだと思います。

そうなったときに、本当に自由にものごとを考えられるようになる
のではないでしょうか。
(得丸久文、2000.10.05)
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木村愛二です。

 先にも同じ件でmailした記憶がありますが、魏志倭人伝では邪馬
壱国なのに、それを使った後代の史料で邪馬臺国にしているのであ
って、この論争は、まず、どちらを、いかなる理由で採用するのか
を、明言してからでないと、無意味です。大和朝廷ヨイショなら、
魏志倭人伝を隠してでも、邪馬台国で行くしかないでしょうが、私
は、北九州の血筋なので、大和朝廷より以前に栄えた九州王朝に惹
かれており、断乎、邪馬壱国に加担します。やまいち、と考えると
、山口という地名は北九州にも沢山あります。もしかすると、海峡
を隔てた今の山口県は、その片割れなのかもしれません。

 以上。
木村愛二:Web雑誌『憎まれ愚痴』編集長
E-mail:altmedka@jca.apc.org
URL:http://www.jca.apc.org/~altmedka/
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(Fのコメント)
 得丸さんの考え方に賛成です。どうせ所詮、ほんとのことは分な
いのですから、あまり剥きにならずに、議論しましょう。
古代史はたのしいと思います。いろいろなロマンがある。その歴史
の可能性を、楽しみましょう。

 T君の4代前は、博多港の港長をやっていた中村門左衛門だと
自慢するが、この中村門左衛門は郷士で、その郷士がなぜ九州にだ
けあるのかの追求をしている内、古田史学に突き当たったのです。

なぜ、博多港を根城にした海賊を倭寇と呼ばれたのかや、なぜ郷士
という武士階級が九州にだけあるのかが、分かるのです。そして、
この郷士という武士階級を歴代の日本政権は、優遇するのですから
、何か理由があるはずです。この合理的な歴史の解釈ができるため
、今は古田史観を信用していますが、これはT君の祖先を調べる内
に出てきたことなのです。

T君のロマンに駆られて、調査した結果なのです。歴史はロマンだ
とだから思うのです。なお、小倉の歴史博物館では、中村門左衛門
の日記があります。これを読むと、最初細川は小倉城主であったこ
とも分かる。津田村が安定しないので、博多港の港長をしていた
中村門左衛門を呼び寄せるのです。

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