315−3.得丸コラム



 no.288-1ゲームについて へのコメント

文化としてのゲームという言葉にも抵抗があるほか、現実と仮想現
実の峻別という重要な問題をはらんでいるので、司馬さんへという
より、ゲーム愛好者の皆様への質問という形で提示し、みなさんと
いっしょに考えてみたいと思います。

話を具体的にするために、司馬さん(あるいは賛同者の方々)にお
願いしたいのは、

1 ゲームの良い面を具体的に説明していただけますか。

2 それによって何が自分自身の中に残ったか、何が意識の上に構
  築されたか。説明していただけますか。

3 それは生身の人間に対して有効に機能しますか。具体的に現実
  を変えましたか。どのような場面で有効でしたか。
得丸
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日本に生まれ日本に育ち、日本語で考え話し、日本食や日本酒が好
きで、日本の四季が好きで、日本の神話も神社も山も海もみんなみ
んな好きで、日本人の勤勉さや潔癖さを誇りに思い、この国の弥栄
(いやさか)を心から願っている私なのだが、ときどき自分はどう
にも他の日本人と精神構造の違った「みにくいアヒルの子」のよう
だという気分になって、一刻も早く成田空港から海外に高飛びして
この国を逃れたいと思うことがある。

 どうにも居づらくてたまらない。義憤にも似た怒り、何か大切な
ものが欠けているという欠落感、そういった感情に耐え切れなくな
って側にいるほかの日本人に話すと、理解されないか、否定される。
逆に私が白い目で見られるのが落ちとなる。「どうして君はみんな
と同じように振舞えないのか」と。

 昨日、自動車運転免許の更新に出向いて、久々にこの気持ちに陥
った。やりきれない、ブルーでブルーでたまらない、背筋が寒くな
る気分。

 インターネット上で同じようなコメントをしておられる方もおら
れるのでいまさらという気もしないでもないが、かわらない現状を
許している日本人全員に問い掛けたいので、あえて書くことにする。

☆ 免許更新ビジネス ☆
1 そもそも必要なのか
 イギリスでは70歳の誕生日まで有効な免許証だった。この国に
は写真付証明書(ID)に対する嫌悪があって、免許証に写真を貼ら
ない。A-4の紙を8ツ折りにして持ち歩くのだが、紙がすぐにぼろぼ
ろになって困った。

 フランスでは、有効期限はなかったような気がする。写真ははっ
てあった。フランスらしいのは、身分証明書(ID)と免許証が同じ
大きさに統一されていたことか。

 日本では、どうして3年に一回更新しなければならないのだろう
。いろいろなことで、欧米の実情を学ぶための調査団が派遣される
のに、免許証のことは学ばないのだろうか。有効期限を70歳まで
としても不都合はないのでは、と思う。

 私の場合、3回の海外滞在中にそれぞれ更新期間がきて、免許証
が失効してしまった。そのため帰国する都度、パスポート(失効期
間中の外国滞在を証明するためと、帰国して一ヶ月以内に手続きを
しなければならないという条件を満たしていることを証明するため
)と外国免許証をもって免許場に行った。そして裏に「初心者標識
免除」とスタンプを押した発行したての新しい免許証をもらってい
た。だから、今だに金色の優良ドライバーになれない。

 だから今回の更新は、ほぼ10年ぶりの経験だった。車を持って
いないから、無事故無違反なのだけど、3年前に帰国してから3年
しかたっていないので、優良ドライバーにはなれない。

2 申請書に写真は必要か
 富山県は比較的狭くて、東西の交通が発達しているため、県内に
は一箇所しか免許場がない。富山市内に住んでいる私は、当然免許
場は市内中心部にあると思っていたら、なんと市中心部からバスで
40分近く(片道540円)離れたところにあるという。

 7時45分の始発バスを待っているのは、まだ20才前くらいの
若い人が中心。彼らはこれから試験を受けるようだった。
 車社会は、階級社会では、低所得者層を痛めつけるが、日本のよ
うな豊かな社会では、老人と子供が不便をこうむるようだ。私の目
の前で、八尾行きのバスがちょうど発車したのだが、一瞬の差で乗
車口にたどり着けなかった女子高生らしき姿を見た。本数もないの
だから、ちょっと待ってあげればいいのに、と思う。

 前日に免許場に電話して確認したところ、場内に写真を撮影する
ラボがあり、2枚で500円だという。外で撮影するより安いから
、そちらを使うようにというアドバイスをもらった。

 ところが、バス停と道を挟んで反対側に2枚300円の70秒写
真のボックスがある。話が違うと思ったが、とりあえずそこで写真
を撮影した。中はやはり2枚で500円だった。ちょっと狐につま
まれた気分。

 私は東京から富山に住所変更したので、今回は住所変更と更新で
写真が2枚いると言われていた。

 しかし、どうして写真がいるのだろう。

 申請書には古い免許証も添付する。ここに写真があるではないか
。それに、新しい免許証の写真はその場で撮影する。写真がどうし
て必要なのか理解に苦しむ。

3 千円を笑うものは、千円に泣く? 交通安全協会の「任意」会費
 記載事項変更の窓口では、古い免許証の本籍地の丁目地番が「2-28
-5」となっているのは「2丁目28番5号」が正しいから、本籍地
についても変更届けを書くように言われる。

 書類が揃うと、「1番窓口から回ってください」と言われた。で
、1番窓口に行くと、「交通安全協会の会費として千円お願いしま
す」といわれる。

 昨日家賃を払って、手持ちの金があまりないこともあって、「そ
れ絶対に払わなければならないのですか」と聞くと、「そんなこと
はありません」という。あっさり書類を返してくれた。

 窓口の横に、交通安全協会への支払いは「任意」であると書いて
ある。しかし、私はたまたま質問したから任意だとわかったものの
、他の人は強制か義務と思って支払っているのではないだろうか。
なんか不透明な気分で次へ。

 次の窓口では、県の証紙2250円を更新手数料として、700
円を受講料として徴収される。
 3階にあがって講習会場に入る。いくつかの資料が後ろにおいて
あるが、常識的なこと以外書いていないだろうと思って、手にとら
ない。30分の講義の中で、何回かテキストのページが指定される
が、たいていは「時間がないので、帰ってから読んでください」だ
った。

 講習はたいくつで、眠っている人もいた。我慢強いということは
はたして美徳なのだろうか。30分だけだから我慢しているのだろ
うか。それとも平気なのだろうか。

 フランスやイギリスでは、日本の免許を現地の免許に替えてもら
ったために、一切講習や教習を受けなかったが、まったく困らなか
った。自分が教習と試験を受けた日本で、どうして3年に一回講習
が必要なのだろう。理解に苦しむ。

4 御守り札としてのSDカード
 講習が終わると、交通博物館なる隣の建物に移動して、そこで更
新された免許証をもらう。
 免許証ができるまでの間、係のおじさんがSDカードの売りこみを
する。SDカードを持っていると、指定した店で5%から20%の割
引が受けられて得であるから、どうぞお持ちください、と。

「SDカードには、割引以外にもうひとつ効用があります。それは御
守りの役を果たすということです。」 つまりこのカードを持つこ
とによって、自分が安全運転者(Safety Driver)であるという自覚
が持てるから、交通安全の御守りの役割を果たすというのだ。

 なんか信仰宗教の販売活動みたいだ、と思った。
 でも、けっこうみんなこの一枚700円のカードを申しこんでい
た。もしかすると、私が間違っているのだろうか、不謹慎なのだろ
うか。悩んでしまう。

5 売る側よりも売りつけられる側が問題なのではないか
 結局、免許証の更新も、申請用紙に張りつける写真も、交通安全
協会会費も、更新手続きの後の講習も、そして御守り札扱いして売
られているSDカードも、何一つとして絶対に必要なものはないので
はないかと思う。警察OBあるいは特定の人々の生活を潤すために、
庶民からお金を巻き上げているだけという可能性はないだろうか。

 そもそも交通安全協会の財政内容やSDカードの売上金の使途は公
開されているのだろうか。民主的に運営されているのだろうか、と
いう問題もある。

 でも、私が一番問題にしたいのは、そのような不必要かもしれな
いものを制度化して利権としている警察関係者よりも、1000円
や700円に鈍感な日本人の態度である。言われるままに、何の疑
問ももたずに金を払い続ける日本人である。

 必要であるか、必要でないかを、しっかりと自覚して、払うべき
ものは払い、払う必要はないものは払わない。そのような態度はど
うして取らないのだろうか。
 
 係の人に言われるままに金を払い、SDカードを買う人々の姿を見
て、私はいいようのない疎外感を味わった。もしかすると盲目的に
金を払うことが正しくて、私のように考えることこそが間違ってい
るのかもしれない、とまで思った。

 運転教育センターを出る前に、交通安全協会の説明パネルを写真
で撮影したところ、フラッシュに驚いたのか、中にいる5,6人の
人がジロジロと私のほうを見て、何か言っている。彼らは後ろめた
いのだろうか。こちらから中を覗くと、ブラインドで見えにくくし
た。それでも入れ替わり立ち替わり外に出てきては、こちらのほう
を伺っていた。とても薄気味悪く感じ、不愉快であった。それは富
山市内に向かうバスが来るまで15分ほど続いた。
(得丸久文、2000.10.05)

インフォシークで「交通安全協会 → 会費」で検索したら出てき
た。同じことを考えている人はやはりいた。ちょっとほっとするが
、現実が大多数の人に当然のごとく受け入れられて、何十年も変わ
っていないことが、私には恐ろしい。
 
http://law.leh.kagoshima-u.ac.jp/STAFF/oguri/koutuu2.htm
 先日、運転免許の更新に行ったところ、交通安全協会の会費納入
をもとめられたが、入会は任意であるし、私自身はこの会のあり方
などに疑問を感じていたので、払わなかった 。
 しかし、受付嬢は領収書に私の氏名・住所などを記入している。
会費を支払ってないのだから領収書など必要ないので「どうして書
くの」と聞いたら、入会しなかった者の名前を残すよう、安全協会
からいわれているとの返事だった。
(南日本新聞「声」への投書、一九九〇年四月二五日に掲載)

http://www.wafu.ne.jp/~hasep/99/09/24.htm
 さっそく、案内葉書と写真を持って受付に行く。流れに沿って指
定された番号の窓口を移動するシステムはなかなか合理的。
 指定された2番目の窓口では交通安全協会会費をお願いしますと言
われる。この日記に何度か書いたことがあるが、私は安全協会費を
一貫して払っていない(最初の取得時だけは知らぬうちに払ってい
たようだが)。安全協会の趣旨はまことに結構だと思うのだが、過
去に、制服の警察官から「それでは、更新費用と安全協会費合わせ
て○○○○円を払って ください」というように一括請求されたり、
「安全協会費○○○円をいただくことになっています」などと当然
であるかのように言われると、どうみても任意性が圧迫されている
ような気がする。今回は窓口の応対そのものは適切であったと思う
が、免許更新の一連の手続の流れの中に安全協会費納入が組み込ま
れており窓口で明確に拒絶の意思表示をしないと次に進めないとい
うところは旧態依然。
(得丸久文、2000.10.05)
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鳥の将に死なんとするや、その鳴くこと哀し。人の将に死なんとす
るや、その言うこと善し。(論語 泰伯第八)

 雑誌「技術と人間」2000年3月号で武谷三男さんの「若き日のあこ
がれ」という小文を読んだとき、武谷さんの心の一番奥底にあった
のであろうなつかしくも物悲しい若き日の思い出をストレートに感
じた。

 ああ、この人はもはや魂そのものとして生きておられるのだな、
といった感想をもった。

 4月22日に武谷さんがお亡くなりになったことは新聞で知った
が、「若き日のあこがれ」を読んでいたので、とても自然なことの
ように受け止められた。訃報に6月17日の「武谷さんを語る会」
の案内がでていたので、メモしていたところ、たまたまその日に東
京におり、私は一度もお目にかかったことのない武谷さんを語る会
に足を運んだ。

 そこでは武谷さんとおつきあいのあった様々な方が、それぞれの
視点からの武谷三男を語っておられて、大変に刺激を受けた。

 おそらくそこに居合わせた人たちにとって、武谷さんが生きてい
るか死んでいるかということはどうでもよいことで、むしろ会に参
加することによって、武谷さんの業績、人柄、趣味などを他の人か
ら聞いて、自分の中で武谷三男という人間を再構築し味わいなおす
という意味があったのではないだろうか。

 武谷三男氏は、湯川秀樹らとともに素粒子の研究をされ、戦後は
「原子力三原則」を提唱され、一貫して反権力と合理主義を貫かれ
たという。武谷さんに影響を受けた科学者や医療現場の看護婦さん
や音楽家や演劇家や弁護士たちが、それぞれに武谷さんを語ってく
れたので、私のような不勉強な人間にも、氏のひととなりがおぼろ
げに感じられた。

 岡村春彦氏によれば、武谷氏は80年前に子供のころ宝塚で見た劇
の話を死ぬまで覚えておられたという。「それは、家の戸を背負っ
た人たちがつぎつぎと出てきた歌を歌うんだ。”ガッタリコ、ガッ
タリコ、ガッタリガッタリ、ガッタリコ”ってね」

 岡村氏は宝塚に問い合わせたところ、大正6年(1917年)に
上演した「ゴザムの市民」という劇であることがわかり、わざわざ
宝塚から写真を手にいれ、そのスライドを見せてくれた。武谷氏は
6才のときに見た、反骨の市民の登場する舞台を死ぬまで覚えてお
られたのだ。

 ロビーで武谷さんの本も売っていたので、おそらく武谷さんが最
後に出された本であろう「危ない科学技術」(青春出版社2000年、
930円)を買い求めたところ、大変おもしろかった。

 そのときの記録を中心にした「それぞれの武谷三男」が、技術と
人間の臨時増刊号としてこのほど出版された。(1000円+税50円) 
雑誌の臨時増刊号というのは、技術と人間にとっては10年ぶりだそ
うだが、最近の出版業界でも珍しい部類に入るのだろうか。

 これを読むと、6月の「語る会」の様子がとてもよくわかる。武
谷三男という物理学者をまだ知らない方には、お勧めではないかと
思う。「ゴザムの市民」の写真も出ている。
(得丸久文 2000.10.05)

技術と人間社の連絡先は:電話03-3260-9321,  FAX 03-3260-9320
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(Fのコメント)
 私も免許証の書き換えを5年か3年毎にしているが、安全協会の
存在自体を意識していないため、無意識の内に払わされているので
あろう。官に対して、民が認識することでしょうね。おかしいと。
官が行動でおかしいことが多すぎますね。

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