313−4.二世議員は是か非か



以下の2000字の論文は、産経新聞社が毎月募集している論文募集に
したがって、初めて投稿しました。8月募集「二世議員は是か非か」
です。締め切りは、8月31日。その当日にぎりぎりのところで、電子
メールにて応募しました。
 入賞は2名で、賞金10万円、佳作が3名で、3万円。選考発表は、
10月3日に産経新聞紙上でありました。残念ながら、私は落選で
した。選考結果が出たことにより、ここに、その論文を発表いたし
ます。
 なお、9月募集までの選考委員は、櫻田淳(さくらだ・じゅん)
慶應義塾大学講師・評論家、他2名でした。10月募集からは、委
員変更により、八木秀次高崎経済大学助教授、長谷川三千子埼玉大
学教授、坂村健東京大学教授(パソコンOS TRON トロン 開発者
)の3名になります。
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 8月の論文テーマは、「二世議員は是か非か」である。そして、
その論文募集の趣旨を読んで私は疑義を呈せざるを得なくなった。
では、その「論文募集の趣旨」を分析していきたい。
 すなわち、その内容は、「今回の衆議院総選挙で二世議員は当選
者の約四人に一人の割合を占めました。議員の世襲・二世議員は政
治改革の弊害などと批判されていますが、先代の知名度と選挙地盤
を受け継ぎ、(二世議員にとっては)有力な選出土壌です。地域有
権者との緊密な連帯を特色としているようです。世襲は今後、議員
の世代交代とともに次世代を担う有能な新人議員の登竜門を狭める
ともいわれます。国政における二世議員出馬の是非について皆さん
のご意見をお寄せください。」(波線は筆者)と述べている。
 確かに、今次選挙の当選者の25%が二世議員とは、特筆にあた
る。その二世議員たちが、世代交代とともに次世代を担う有能な新
人議員の登竜門を狭めるのは、事実だろう。しかし、それには条件
が付く。つまり第一に、二世議員は常に無能であること。第二に、
新人議員は常に有能であること。このような噴飯物の話があるわけ
がない。
 上記には、「世襲(議員)は・・・有能な新人議員の登竜門を狭
める」とある。新人議員には、「有能な」という形容詞を付け、世
襲議員には、そのような形容詞を付けていない。これは何を含蓄し
ているのか。世襲議員にも、有能な者もいれば、無能な者もいる。
新人議員も同様である。それでは、上記の文章を書き換えてみよう。
「有能な世襲議員は有能な新人議員の登竜門を狭める」となる。こ
れでは、文章作成者の意図が通じない。もしくは、「意図」とまで
は言わなくとも、作成者の「先入観」を表現できていないだろう。
私は個人的に作成者を批判しようとはしていない。
この作成者の「錯誤」は今や、日本国中、津々浦々にまで浸透して
いるからだ。
 さらに上記では、「二世議員は政治改革の弊害」とある。では一
体その「政治改革」とは何を指しているのであろうか。その中身は
記されていない。ただ単にスローガンのように叫ばれているだけで
ある。私はもうこの「改革」という言葉にうんざりしている。なぜ
なら、この「改革」という言葉はこの10年間、叫ばれつづけてい
るからだ。しかし、その成果はどこへやら。政治改革に始まり、経
済改革、教育改革と。次は何か。だから、この文章についても、書
き換えれば良い。「有能な二世議員は政治改革の弊害」とはならな
い。すでに、二世議員という言葉そのものに、悪いイメージが付い
ていることは明白である。しかし、ロゴス(言葉・logosギリシャ語)
はロゴス(論理)である。二世議員という言葉そのものに悪いイメ
ージを持たせることは、錯誤である。「公共事業」という言葉につ
いても同様である。次に文章中の「世代交代」という言葉である。
西部邁(にしべ・すすむ)氏は、PHP研究所の雑誌「THE21」94年
2月号の題字「世代交代」において、「老害はたしかにあるが若害も
忘れてはならない」と釘をさしている。さらに「善と悪とを見分け
るには老人たちの知恵が不可欠」という。「つまり、世代交代を声
高にいうことそれ自体のうちに上の世代との交流を拒否する姿勢が
示されており、そんな狭量の態度のせいで時代は特定の世代の主張
のみによって単色に塗り込められるといった始末になる」と述べて
いる。これは、保守思想の本義を示している。つまり、保守とは、
自国の歴史と伝統に鑑みて、そこから産み出される「歴史の英知」
をもってして事にあたることである。保守思想は、天秤である。中
心に軸、つまり今(モダン:近代)があり、左には未来(ポストモ
ダン:後近代)、右には過去(プレモダン:前近代)がある。それ
らをバランス良く保つ棒を精神のバランシング・バー(平衡棒)と
いう。ポストモダン(新人議員)ばかり見ていては、バランスを崩
して倒壊するのである。

 私の結論、二世議員は是である。だが、新人を賞賛する錯誤の理
由は何か。それは、保守思想の欠如、忘却である。二世、新人の価
値判断では、幼少期から政治家の親を見てきた二世の方が上である
。しかし、二世であれ新人であれ議員全体が国家代表の政治家から
単なる選挙区代表の政治屋になっているのを憂える。その原因は、
議員のみならず選挙区民に大いにある。その民たちを「衆愚」とい
う。衆愚は、国家の計を考えないからだ。だから本筋の政治家はつ
らい。国家のこと、防衛問題などを選挙テーマに据えられない。衆
愚のみによって選ばれるからだ。世襲議員というだけで非難するの
は悪党でなければ、阿呆である。逆に、新人議員というだけで賛美
するのも同様である。

図越

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