311−3.持続可能な開発は可能か?(1)



YS&柳太郎/2000.10.03

★★サステナブル・ディベロプメント=持続可能な開発は可能か?★★
            ==(1) ==

「持続可能な開発」という概念は1987年の国連ブルントラント委員
会(環境と開発に関する世界委員会)の報告書”Our Common
Future”の中で打ち出されました。1992年の地球サミットで
この概念が世界が目指すべき目標として採択され今日に至っています。
ここでそれまでの経済成長一辺倒から人間と自然の共生できる経済へと
いうパラダイムの転換が行われたことになります。

環境問題は1960年代から1970年代にかけて主に先進国を中心に
議論が高まりました。しかし1980年代半ば以後は途上国問題を含め
た形で地球規模の問題として認識されるようになります。そして「持続
可能な開発」へとつながっていきます。
   

☆環境と思想

YS  このパラダイムの転換は世界的に見ても思想上かなり奇妙な変
    化をもたらします。それまで「成長か環境か」「開発か環境保
    全か」といった二元論で扱われる中で、思想上の対立軸となっ
    ていました。極端な事例かもしれませんが、チェルノブイリ事
    故直後の反原発運動の高まりを振り返っても明らかであると思
    います。

    当時の産経新聞には「エコロジストはトマトだ」とする社説を
    掲載したことをよく覚えています。最初は「緑」だがすぐに
    「赤」になると主張しました。当時の社会状況を象徴する内容
    でしょう。つまり環境問題を取り上げること自体、反社会的、
    反企業的なものとみなされていたのです。

    私自身はこの記事で産経新聞の先見性に大きな疑問を感じて以
    来、この新聞を手にするのを控えてきました。
     
    このコラムならではのスタートとなりました。この思想的な側
    面は日本だけに見られる特徴ではないはずです。国際関係に詳
    しい柳太郎さんはどう思いますか?

柳太郎 環境問題を思想的なベースをもとに捉えるために、リベラルと
    マルクス主義的思想の二つに大きく分けて考えてみようと思い
    ます。

    前者の場合、環境保全運動は、グローバルな視点で個人の権利
    を守る為の運動と捉えられるでしょう。これは別の言い方をす
    れば、カント的思想になると思います。つまり、人間が安全な
    環境で生きることを「権利」として認め、さらにはそれが普遍
    的な権利であるという主張になるわけです。

    後者の場合、環境問題のほとんどは先進資本主義国の手によっ
    て引き起こされていると論じます。人間の生活の中には必要最
    小限の環境破壊はあっても、それが必要以上に拡大していくの
    は資本主義経済のせいであり、さらには開発途上の国にまで環
    境汚染を輸出している(例えば、日本企業の工場が東南アジア
    諸国に移転され、汚水を垂れ流し煤煙を出しまくっている現状
    や、日本に輸出する為に森林を伐採している現状)ことを強く
    主張します。先進資本主義国による環境の搾取が行われている
    わけです。

    「持続可能な開発」というのは、この両者を満足させようとす
    るスローガンであったように見えます

YS  時あたかも東西「冷戦」の終結に遭遇します。この結果、政治
    が多様化・多元化するなかで、ドイツ、フランスに見られるよ
    うに「新しい政治」の担い手として環境主義が独立した思想と
    して確立していきます。

    私自身はエコロジー運動の世界的広がりの要因として「持続可
    能な開発」の概念化と冷戦終結は密接につながっているように
    思います。冷戦終結によって環境主義のマルクス的色彩が薄め
    られ、より中立な存在となった。時には政治的に利用されなが
    らもユニバーサルに浸透していくような気がします。

    日本の場合、冷戦終結の歴史的な認識が希薄です。根本的に何
    が事実として起こったのかいまだに理解できていないところが
    あるように思えてなりません。

    日本では赤緑連合と揶揄されることも多いドイツ・シュレーダ
    ー政権ですが、試みとしては非常にユニークだと思います。原
    発廃止を巡る是非で混乱が続いているようですが、結果生み出
    されるものは21世紀に向けて極めて貴重なものになるように
    思います。

    このコラムには保守及び右寄りを自称する方々多く参加されて
    いるように思います。ぜひ環境論を聞きたいですね。
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YS様、柳太郎様、ご無沙汰しております。

「持続可能な開発」というテーマと、たまたま昨日友人からもらった
「仕事と育児」というテーマがダブる気がして、ちょっと考えたこと
を書いてみます。

人間やその他の動植物が生命を維持し続けることができる自然環境
の保存と、再生可能資源・非再生資源を未来の世代にも残すことが
「持続」という言葉の内容でしょうか。(もっと丁寧に定義するこ
とができるとは思いますが)

一方で、「開発」とは、自然を採取したり加工することによって、
人間が必要とする食料やエネルギーを入手すること、といえるでし
ょうか。

したがって、「持続」可能な「開発」とは、言葉の上では大変にす
ばらしいですが、実際には、食べても食べても減らない魔法の食卓
や、燃料なしでも止まらない永久機関のようなものがないと実現で
きない性格のものではないかと思います。

もちろん、永久機関とは言わないまでも、再生資源や太陽熱利用と
いった非再生資源を消費しない生産システムをつくりだすことが必
須ではないでしょうか。

私が思うのは、口先では「持続可能な開発」といいながら、実際に
持続可能なシステムを目指している動きがあまりないのではないか
ということです。言葉だけが存在して、実態が伴わない(あるいは
弱い)ものとして、この言葉を受け取りました。

具体的な技術ブレークスルー、あるいは実践活動などあれば教えて
いただけないでしょうか。
得丸
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得丸様

YSです。こちらこそご無沙汰しております。
鷹揚の会になかなか出席できなくてすみません。
当方、現在携帯電話半日充電サイクル状態にあります。
余裕ができたらお願い申し上げます。
今回の『★★持続可能な開発は可能か?★★』は柳太郎さんと
下記の5部構成で議論を進めています。

☆環境と思想
☆予測される自然観の対立
☆環境と企業
☆環境と政治
☆持続可能な開発は可能か?

得丸樣の御意見は最終章で取り上げる予定です。
実は柳太郎さんも最終章をほぼ書き上げており
私一人取り残されている状態です。
しかし取り上げてはみたもののこの問題は難しいですね。
広げ過ぎると収拾がつかなくなりそうです。

具体的な技術ブレークスルー、実践活動は過去を振り返って考えた
方がいいのかもしれないですね。
このあたりでFさんやTさんも協力してほしいなあと思います。

上記内容で関心があればぜひ参加下さい。
今のところ非常にゆったりしたペースで進んでいます。

YS

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