284−1.「グッバイ・ジャパン」がない不思議



YS/2000.09.09

 私は所有派である。従ってあまりレンタルショップには出掛けない。
行くとすれば、セールの時ぐらいで廃棄間際のCDを大量に購入するこ
ともある。幸いにも購入するものの多くは新品同様で手に入る。あまり
日本では人気のないアーティストなので借り手がいないためだ。

 学生時代はバンドをやっていた関係で音楽にはちとうるさい。友人の
何人かは現在の日本の音楽シーンの中心にいる。かって学校では常に問
題児扱いされていた面々も今やいいおっちゃんになっている。今でも彼
らとちょくちょく渋谷や六本木あたりに飲みに行く。いつも音楽談義で
盛り上がるが、いつも帰りの電車でむなしさを感じる。

 現在の日本の音楽シーンは、商業主義が徹底され中身がない。一時の
受けねらいで金もうけができるアーティストを次々と投入する。アーテ
ィストの多くは「エリマキトカゲ」みたいなものだ。生まれては消えて
いく運命にある。

 失礼かもしれないが小椋佳の「グッバイ・アメリカ」よりはミスター
・チルドレンや19などの方がまだ骨があるように思う。とはいえ日本
アーティストで所有欲が湧いてくることはほとんどない。

 新譜が出るとおつきあい気分で必ず購入するアーティストがいる。ジ
ャクソン・ブラウン、ランディ・ニューマン、ジョニ・ミッチェル、ロ
ビー・ロバートソン等である。すべてアメリカ人アーティストで、ベト
ナム戦争の影響を受けて登場してきたシンガー・ソングライターである。

 彼らは時にアメリカの良心と形容されることがある。詩を深く読めば
分かるが彼らは強烈に自国を批判する。

 一時はヒットチャートをにぎわせたアーティストであるが、今はあま
り商業的な話題にのぼることはほとんどない。それでもアメリカ・ミュ
ージック・シーンで確固たる存在感を持ち続けている。

 彼らの詩に知的な刺激を受けてきた私もアメリカかぶれの日本人に該
当するのだろうか。

 私はまだまだこの国はアメリカから学ぶべきところは多いと思う。む
しろこれまでの学ぶ姿勢に問題があったような気がしてならない。むか
しアメリカで流行った楽曲に適当な詩をつけて踊り狂う日本のミュージ
ック・シーンがそれを物語っているのではないだろうか。

 そろそろ「グッバイ・ジャパン」もあってもいい。さよならを言う対
象はこの国の中にも多くある。

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