280−2.教育問題について



皆さんのご意見拝見し、多少のくいちがいがあっても、
それぞれ”ごもっとも”なことを、おっしゃっていると思います。
私も日本の義務教育を受けたものとして、発言します。

日本独特の風土のためか、「無意味な強要」が多すぎるのと、
「教師の質が悪い」、「早めに自主性を摘み取る」、
「中学で、既に将来の進路(大学)のルートを作ろうという安易教育
(私学への進学をめざす方に多い)」など、特に問題だと思うのです。

まず、「無意味な強要」というのは、体育系上がりの教師に見られる
根性を鍛えるとか、(この頃では、稀かもしれませんが)
あるいは、集団の部活動や旅行などでの、
あらゆる時間的・空間的な拘束。(連帯主義のような空気)

私の学生時代の場合、特に大人数の部活動だったためか、
休日まで束縛し、上下関係も厳しく、個人の責任感はないのに、
集団に帰属する限り、なんとか安泰のような、おかしな幻想を抱かせ、
共通の価値観を押し付けるものでした。
(もちろん、私はそれに反抗し途中で退部しましたが)
また、横暴な指導者(教師)だったせいもあり、
意見の多様性も認めない雰囲気があったのも確かです。

そして、関西の教育熱の高い地域に育ったこともあり、
進学率ばかりに目を白黒させる教師や親を前に、
小学校高学年にもなると、「この受験で将来がかかっている」という
異様な空気が流れはじめ、「医者になれば、金が儲かる」式に
親が医者なら、ほとんどの子供が馬鹿でも医者になることを
強要(?)されていたようでした。(実際、無理しなくていいのに
かなりの割合でそうなってしまったようです)

そして、さらに恐ろしいことは私の旧知の中で見ても、周りに聞いても、
「単なるがり勉で、教師にまったく不適としかいいようがない、
性格的欠点の強い」の人たちが、
大体、国家試験にしぶとく受けて合格し
小学校・中学校の先生になっていることが非常に多いことです。

この理由はなんでしょう。
私は、日本の試験制度のマークシート的、センター試験的な
コンピューター任せの採点法、評価法によるものではないでしょうか。

個人の解答に至る思考の特徴を一切無視し、
唯一の正答を探すのには、(学科によっては構わないとしても)
迷わず、ひっかけのいくつかの答えを消去すればいいのです。
まるで要領のよさと器用さを求め、地味な努力よりむしろ
もっと楽して、得するといった気風がすでに私の頃からありました。
これは、大学側の担当者にも当てはまることでしょう。
(受験科目を減らしても、受験者数を確保。受験代金も確保)

こういう矛盾のある試験制度は、予備校や塾で磨かないと、
高得点は無理なような非人間的制度のもとに
大学や高校、あるいは中学の試験を実施している
非常に怠慢な教育機関側の、まんねり極まりない態度からくると
思えてなりません。(まったく、大学関係者というのは努力しない)

だから、そういう試験に受かる連中を私は頭がいいと思ったことは
ありません。(もちろん、例外はいつでもありますが、稀です)
実際、大学卒業後に分かるのですが、自分より
いい大学を出ていても、大学では遊んでいるだけなので、
結局、海外に旅行しても英語ひとつまともに喋れないような、
そんな状態の人がけっこういるので、驚かされされます。

そして、この人選の不条理は当然、社会に出ても続くものでして、
女性はこねがないと無理。(それも一年前から頼むのが常識とか)
男性は要領よく、はったりかましてでも、
相手をまるめこむ話術と、(これもHOW TO本が溢れていますね)
見事な欠点のない企業向けの内申書あるいは、推薦、OBがいるなど、
結局、そういった伝統的(?)な非合理の
継続で日本の社会はだめになっているのではないでしょうか?

思わず、独断と偏見で申してしまいましたが、皆さんのご意見、
聞かせてください。
おそらく、個人的な感情が露骨に出ている面も多々
あると思いますが、これが私の見てきた体験談です。

CHOCO
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(Fのコメント)
 教育の多様性が重要なのでしょうね。高レベルの進学率になって、
高校の問題が大きくなってきています。進学もいろいろな目的があ
っていいはずですよね。また、高校教育も多様性があってもいいはず
です。

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