266−2.ボーダーレス時代の行動哲学



4年前に書いた記事ですが、吉田松陰にご興味のある方の参考にな
ればと思い、お届けします。

得丸久文
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ワールドプラザ No. 48 (Oct.-Nov. 1996)より
国境のない惑星(3)

ボーダーレス時代の行動哲学 
時代の転換期に必要な理念“仁智勇”とは?

・ 時代の転換期と吉田松陰の教え

現代国際政治の舞台で「東西冷戦の壁」という背景が急に崩れ、私
たちは一瞬思考の拠り所を失って茫然とした。冷戦がヤラセであっ
たかどうかは別にして、世界が転換期にあることは確かだ。

時代の大きな変わり目では、まず思想家が登場し、人々の行動を規
定し統一する人生観を提示する。それに影響された実行家が旧体制
を打破し新しい時代の地ならしを行い、最後に実務家が新体制の組
織を整え機能させる。明治維新では、思想家が吉田松陰、実行家が
西郷隆盛、坂本竜馬、高杉晋作、実務家が大久保利通、大村益次郎
らであった。

吉田松陰は、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文ほかその感化を受けた
長州出身の若者が多数活躍したことで、思想家の役割が認められて
いる。先の見えない幕末に、どう考え、どう行動せよと松陰は説い
たのだろうか。

1830年、現在の山口県萩市で毛利藩の下級武士の家に生まれた松陰
は、数え6歳で藩の兵学師範を務める吉田家を継ぎ、家学の山鹿流兵
学を継承するために学問を始めた。15歳の時に、近年欧米諸国がア
ジアを侵略している情勢を教えられ、国際問題を極めようと志を立
てる。1850年21歳のとき九州に遊学。翌年江戸で佐久間象山門下に
入ると本格的に西洋兵学に取り組み、その実験に根ざした実践性に
心を惹かれる。1853年ペリーが来航すると、自ら世界を観察しよう
と思い、翌年3月再航したペリーの船による渡米を図ったが拒否され
、幕府に自藩幽閉処分を受け、10月萩に護送され投獄される。

獄中で松陰は同囚者のために『孟子』の講義を行い、ついで囚人間
で『孟子』の輪講(読書会)を行い、松陰は各章が終わる都度自ら感
想や批判を筆録した。出獄し自宅謹慎となると家族を相手に講義を
続け、丸一年かけて『孟子』全章の講義を終え、『講孟剳記(こうも
うさっき)』が完成した。(近藤啓吾全訳注のものが講談社学術文庫
版で入手可能、上下で3000円)

松陰は幼少から『孟子』に親しみ、孟子の「至誠にして動かざるも
のは未だこれ有らざるなり」が座右の銘だった。孟子の説く人間の
性善を、激動する時代状況の中でどう行動や善政に結びつければよ
いか考え抜いた結晶が本書である。

ちなみに松陰が直接若者たちを指導した松下村塾(しょうかそんじ
ゅく)の時期は、本書完成後から、1858年秋に安政の大獄により投獄
されるまでの約2年間である。松陰は1859年10月江戸で刑死するが、
自らの命をも顧みない純粋な行動主義に体現される思想は多くの若
者に受け継がれた。

・ “無私の心“の絶対真実性と”仁智勇“の行動哲学

本書冒頭で松陰は、孔子や孟子を学ぶ際に彼らの教えに追従しては
ならないと説く。無批判な受容はむしろ有害だと。

それまでの価値体系が時代への有効性を急速に失って崩れていく時
に、松陰は絶対の正しさ、絶対の真理の基準をもっていた。それは
私心や私欲を完全に捨て去ったまごころと、そこから生まれ出る行
為だ。

無は絶対概念だ。自分の心が無私がどうかは自分に問えばわかる。
心を無私に保つため、心の中を仁愛や礼で満たすため、常に自省せ
よと松陰はいう。コンピュータのつくり出す音や画像が人工的な現
実感を脳にもたらすように、外部から受け取る情報に真実性の保証
はない。しかし、自分の心の真実は内省によって確かめられる。

無私の心から無私の行為が生まれ出る。心の中が人目に映らぬと思
うのは大間違い。行跡が行為者の心を衆目にさらす。行跡が無私を
帰納的に証明する。絶対零度で超電導現象が起きるように、無私に
なることによって行動の衝撃力や影響力は飛躍的に増す。

松陰の行動哲学は、無私の絶対性に基盤をおく、仁智勇の三徳の実
践である。

「蓋(けだ)し仁心あり、故に聞く所見る所皆善なり。人の善を取
りて己が善とするは智なり。是(これ)を行うの決なるは勇なり。
注に至虚と云(い)ふは仁なり。至明と云ふは智なり。宜(よろ)
しく至断の二字を加へて勇の義を明かすべし。(略)人苟(いやし
く)も勇なくんば仁智並(ならび)に用をなさざるなり」(『講孟
剳記』下・330頁)

仁とはまっすぐな心、無私の思いやり、まごころだ。私がなければ
私を思い患(わずら)う必要もなく、腹も立たない。無欲で心平ら
かであるため、見るもの聞くもの全て前向きに受け止められ、相手
や社会全体の幸福のために自らを役立てようと思う。仁にもとづい
て志が立てられ、それが智や勇の原動力となる。

智とは人に学ぶこと、人の善いところを摂取すること。志に沿って
自分を磨き人間として高め社会に役立てるための主体的な学習であ
る。行動を正しく照準するために智の道は険(けわ)しい。師弟の
交わりも真に必要なことを教えられるか学べるかを確かめてからで
なければ結んではならない。読書は先入観を排して、書いてあるこ
との道理はどうかと無心に著者の心を迎えとらねばならない。自分
流にこじつけて解釈してはならない。逆に書物を信じすぎたり本の
言葉にとらわれてもいけない。

海外渡航を企てた松陰は、直接見聞することの重要性も認識してい
た。書物や見聞を通して世界を知り、行うべきことを明らかにする
のが智の役割である。

仁智勇は孔子の説く君子のもつべき3つの徳である。『論語』では
「仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼(おそ)れず」と三徳が
並列に語られるが、松陰はそれらを直列に論じ、最後の勇(実行の
決断)がもっとも大切で、仁も智も勇がなければ無用と言いきる。

どんな立派な思想や計画も、それを具体化するためには、実行を決
断する契機を必要とする。兵学者一流の現実感覚(リアリズム)か
ら松陰はそれを見抜いていた。

また、言葉は様々な解釈を許しえるし、発言後の取り消し訂正や二
枚舌もありうる。これに対して行動は取り消し不能で自らの実存を
賭けた重みをもつ。価値観の揺らぐ転換期には行動が一層重要とな
る。

いざという時に怖(お)じ気づいて時機を逸することがないように
、平素から命を抛(なげう)つ覚悟をし、決断力を養っておけ。歴
史上の英雄や聖人とて同じ一人の人間だ。発憤すれば我々も彼らの
ようになれる。自分が日本の運命を担うという気概をもて。仁は必
ず不仁に勝つのだから、何も心配せずにひたすら仁を実践せよ。自
らが仁を実践し、それを家族に及ぼし、さらに同村同郷の同士に語
り伝えよ、すると仲間はすぐに増える。松陰は仁の実践、学習、行
動へとかりたてる。

・ 地球維新の原理

前々回に紹介した小説『悪童日記』は、仁智勇相互の関係が明らか
ではないものの、まごころ、学習と鍛錬、実行の大切さを訴えてい
る。前回取り上げた鈴木大拙は、概念にとらわれず、世界と自分と
同一化して認識する必要性を訴える。これは松陰の目的合理主義的
な智よりもさらに深い次元だ。

外夷(がいい)から日本の独立を守ることが急務であった松陰の時
代と、どこにも壁の存在しない現代とでは時代が異なる。国民国家
制度の形骸化が深刻な今、世界はひとつとして捉えるべきだ。この
点に留意すれば、松陰の仁智勇は現代でも有効ではあるまいか。

近代以降欧米諸国が掲げてきた自由、平等、博愛や人権、民主主義
といった理念もあやしい。そもそもこれらは明確な定義をもたず、
普遍的に適用されてもこなかった。昨今の民主化も、複数政党制と
自由選挙という形式の踏襲にすぎず、政治の質が向上しているよう
にはみえない。

またたとえば各人が自由にふるまうと結果は必ずしも平等にならな
いように、これらの理念は相互に矛盾や対立をはらんでいる。にも
かかわらず相互の関係は明らかにされない。

これに対して、無私の無は絶対的な基準であり、あいまいさはない
。無私にもとづく仁は他者への思いやりにあふれるため、自由と自
由がぶつかると対立を招くが、仁と仁が出会うと礼と和が生まれる。

仁と智はそれぞれに奥が深いため、君子のとるべき行動の全てを正
当づける自己完結性をもつ。仁智勇を極めれば周囲の状況に関係な
く、自分の判断で正しい行動をとりうる。西欧近代の政治理念が揺
らいでいる今、仁智勇は信頼するに足る内部規範となるだろう。

ボーダーレス化した地球上では経済や環境をはじめとして惑星レベ
ルの相互依存が不可逆的に高まっている。フロンティアはどこにも
ないため、問題を解決しないまま外部に押しつけたり、外部から略
奪することによって帳尻を合わせたりすることはもはやできない。
世界は一個の有機体であることを自覚し、その内部で調整して問題
を解決するシステムをつくる必要がある。

仁智勇はその際の行動基準にならないだろうか。
(得丸久文)

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