194−1.日本を神国という意味



 岩手県神社庁参事の高野司氏の新聞(5/26夕刊)に掲載された
記事を紹介します。
森総理大臣が15日の神政連国会議員懇談会の会合で「日本は天皇
を中心にした神の国」と、挨拶の中の一部で話した。連日、マスコミ
は報じているが、一体批判している側は、この言葉の意味を知った
上でのことであろうか。単に戦前イコール悪という史観による拒絶
反応ではないだろうか。

 神国という言葉が古典に出てくる初めは、神功皇后紀で新羅王の
言葉として「東に神国あり、日本という」とある。この神国とは、
不思議な国というような意味で使われたが、これは外国人が我が国
を表現したものである。

日本人自身が自国のことを神国と言ったのは、推古憲法(聖徳太子
十七条憲法)で「我が国は神国にして仏の本の神あり」。次いで
二百七十年後の「三代実録」の貞観八年の條に「日本朝は、いわゆる
神明の国なり」とある。

 また源義経の「腰越状」にも「我が国は神国なり」と見え、平安・
鎌倉の不安定な時において神国という文字が様々な記録に残っている。
これは神の助けたもう国という意味で使っている。
 さらに今から六百年前、北畠親房は「神皇正統記」で「大日本は
神国なり。天祖始めて基を開き」と説いている。これは天照大神を
はじめとして、そのご子孫がおられる国であるから、神国であるのだ
という意味に用いている。

 このように、時代によっていろいろの意味で使われているが、日本
最初の歴史書である「古事記」や「日本書紀」の古典に出てくるよう
に日本は神のつくった国である、というのが根本ではあるまいか。
 人間ではない、宇宙の力によって、その法則のまにまに生成された。
国土、人々、一木一草。その力、働きを目に見えないものとして「神」
と表現したのであろう。
 戦前を上代までさかのぼって先祖を一切否定し、自分の先祖は下等
であった、他人に迷惑をかける悪人であったとする歴史観を有するなら
いざ知らず、自国に誇りを持ち、名誉ある国際社会における地位を
目指す国であるなら、森総理の発言は、当然すぎるほど当然で批判され
る筋合いのものではないと思う。

 まして、その発言を取り消せば、国際社会におけるわが国の自己存在
を否定し、アイデンティティーを失う。
 ここで思わなければならないのは憲法観である。”ポツダム宣言
執行法”とも称される現憲法は、人類共通の理想を高らかに前文に
うたい上げ、平和で民主的な社会をつくり上げるのだという。
スターリンは言った「綱領とは、まだ達成できないもの、将来獲得し
闘い取らなければならないことについて述べるもの。憲法とは、既に
あるもの、現在獲得され、闘い取られているものについて、述べる
のだ」と。
 この立場に立つ限り憲法の精神に反するのであろう。しかし、
二千年のわが国の歴史と文化と伝統は、すべてなかったものとして
地上世界から抹殺できるのであろうか。終戦によって今の日本人は
空から降ってきたか、人工的につくられたと、それが日本の始まり
である、と極論すれば良いのであろうか。成文憲法主義に対する挑戦
であろう。総選挙も近い、大いに議論すべきである。
 以上
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(Fのコメント)
 日本の神は、欧米の神のような人工的な強さがない。神というより、
神々、多神教。自然の諸々の現象を言うのであり、欧米的一神教の
ような強さはない。この意見に大賛成。日本も自然との調和や自然と
人間の共存があれば、昔の神々を否定しなければ、17才の少年たち
の空虚さは、その多くを埋められるのであろうと思う。日本の神々を
誇りにもできるのです。日本の縄文時代から続く神々なのであるから。
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平成12年5月15日
  神道政治連盟国会議員懇談会
  結成三十周年記念祝賀会

 森首相挨拶全文

 神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話が
あったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく
神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから
、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。
綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期
には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、
その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪
の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永
光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に
小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、
たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私ども
が、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も
大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる
神社本庁の神道政治連盟、国会義員懇談会を設立したわけでございます
から、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたもの
と自負しておるわけでございます。

 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を
致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位
五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、
いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になること
をしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている
神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く
、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます
。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っております
のは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだな
あと思っているわけでございます。

 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難
いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく
、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないで
しょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さっ
たんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された
仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばなら
ぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみま
すと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会
というものを構成していきたい。このように思うわけです。

 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革を
すすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりま
すが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを
造ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大
変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だっ
たんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、
私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場
で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん
、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの
、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし
、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないと
いけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろう
か。いや子どもたちに教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだと
いえば、私はその通りだと思う。

 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集ま
りまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまし
て、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が
戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事に
しなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけ
ですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。

 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、
小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入った
わけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式
のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。
しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は
申し上げなかったんです。

申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事に
しよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生
の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、
この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様
から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか
。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞
聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に
宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよという
ことをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから触れ
てはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏
も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でも
いわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、
日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思
うんです。

 私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚
に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の
三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参り
してくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれ
るんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日
小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、
孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」と
いうと、「お参りしよう、神様に」というんです。

 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が
将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っていると
のことですので・・・。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ
石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要は
お参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやること
によって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番
悪いじやないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、
おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるように
なる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと
、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよ
ということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、
そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやる
ことが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなという
ことを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、
私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、
こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力を
もたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって
今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうした
ことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出
す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍
をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導
を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点
をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなけれ
ばならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでござい
ます。

 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうした
お立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言った
んです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えて
おらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事
長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であって
おるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいう
ことになって私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命
ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうか
と思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、
まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ま
したが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通った
ときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれま
せん。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に
嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったの
かなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げま
した。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをして
はならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃ
るんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちになら
ないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。

 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の
行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら
、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、
私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は
有難うございました。
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(Fのコメント)
また、マスコミが、一部を取って、全然違う意味にしたようですね。
森さんの挨拶には、神様は出てくるが、宗教の大事を訴えているだけ。

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