192−1.日中友好の関係構築について



日本の文化を見ていると、中国から文化が大量に一方向に入ってく
ることを知る。古くは、遣唐使により密教を導入し、宋の滅亡時に
多くの禅宗の僧侶や宋王朝の人たちが日本に逃げてきた。禅宗が
鎌倉時代に栄えるのは、このような中国からの亡命者だったのです。
京都5山、鎌倉5山を形成する。水墨画なども、日本で流行する
ことになるのです。

 元の滅亡時は、蒙古民族であったために、日本には来なかったが、
次の明が滅亡する時、王陽明・朱子学の学者と明王朝の人たちが
日本に亡命してきた。この人たちが日本の陽明学を立ち上げていく。
つぎの清滅亡時、日本軍が活躍し、最後の皇帝の宣統帝を満州に
連れて行き、満州国を独立させることになる。

 このように、中国本来王朝が滅亡すると、その王朝関係者が日本
に亡命してきて、日本に新しい文化を入れる大きな基礎となった
ことが分かるのです。中華民国も、元日本である台湾に来て、民主
主義を確立していく。中国の歴史上、初の民主主義的な政治体制を
確立している。

 日本は受信し、その受信した文化を日本風に吸収することができ
、また受信した文化は維持する。日本は、さらに新しい文化を入れ
、組み合わせる方向で、さらなる新文化を作ってきた。

これに比べ、中国は古い文化は古い王朝のものということで否定
され、その文化を担ってきた人たちを追放したり、死に追いやる。
中国共産党も、一時、孔子・孟子を否定して僧侶を追放したりした。

この日本の考え方は中国からの亡命者から中国の批判を通して得た
のだと思う。このため、日本文化は受容の文化になった。
亡命者受け入れが、日本文化の厚みを増し、深みを増したのです。
密教も現時点では日本とチベットだけ。禅宗も日本が中心。この文化
はすべて、中国からの亡命者が起源なのです。

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