190.教育問題について



(読者の意見:NO.185−1に対して)
難しいっすね。  
 
 確かに「数学」の件に関しては僕も100パーセント賛成です。
しかし、何かと「融通の聞かないこの日本」において、その本質論
が反映されることは、悲しいかな「皆無」でしょうね。その意味で
は、どれっくらい歴史をさかのぼるかわかんないけど「アカデメイヤ」
でやってた頃の方が、「コンピュータが普及している現代」より、
よっぽど進んでいたのかも・・・。
 僕は「投稿された皆さんのような素晴らしい文体」でものを書く
ことはできないので、簡単に、ストレートに行きます。

 何か、「要は、教師が子供なのでどうにもならん」ってな感じの
言葉がありましたが、そうでしょうね。もちろん、日々、頑張って
おられる先生方には、この言葉はムカツクでしょう。けど、僕がここ
で言いたいのは「先生の選ばれかたに問題がある」ということです。
かく言う、自分は、やはり「教師」を目指しており、現在、大学院
修士ですが、「小、中、高、の教師」にだけはなりたくありません。
あらゆるシステムが悪すぎ!
僕は大学時代、教職課程を取りたかったんだけど、ウチの大学は
「1単位ずつ」お金で支払う制度の学部だったので、自費で学費を
払っている自分としては教職を取る余裕はありませんでした。

 けど、現行の日本の制度では、学生時代、そいつがどんなんでも、
そして、レールに乗っかって来ても「教職免許」さえ取れば、学生達
から「先生!」とか呼ばれちゃうんだもんね。変なの!

 だけど、学校側としても、そういった「扱いやすい教員」の方が
嬉しんだろうね。だって、へんに「個性的」な先生なんか現れたら、
その学校の校長とか教育委員会とかが震え上がるもんね。そんな肝っ玉
の下で「理想教育」なんて・・・、絶対無理!
お上がワイルドにならん限り、雇われる先生達は「レール組」ばっか
っしょ。

 あと何か「大々的なカリキュラムの改良案」みたいのんがありまし
たが、すいませんが僕的には正直「興味のかけらもわきません」。
だって、その改良で学生が変わるものなら、とっくのとうにほかの
方法で変わってますよ。そんなんじゃなくて、もっと抜本的で、
根源的で、本質的で、人間的で、文化的で、・・・、これ以上、切り
ないっす・・・。

 僕としては「そもそも勉強と何か?」くらいのとこから入った方が
いいと思うんですけど・・・。
 僕ら、言われませんでした?「勉強は、背筋を伸ばして、机の上で
、まじめにやるもんだ・・・」。こんなんじゃ
「本来、知的好奇心を促進させるはずの勉強も大っ嫌い」になりま
せん?「勉強」って、もっと自由で楽しいものじゃないっすか!
 つまり、教育制度、学校・・・、何でもいいけど、「ちょこざいな
改革」をしても生徒は食いつかないんですよ。
だって冷めきってんだから・・・。
 50年落ちの「ポンコツ車」動かしたって「国道」走れないように
、もうそろそろ「新車」に変えないと・・・。
「ポンコツ車」、いくら修理したって、また「新たな故障」が出てく
るっしょ。「もぐらたたき」的に・・・。
 だから、「現行」引きずってないで「新車」買いましょ!
けど、こんなこと言うと「反発」が絶えないんでしょうね。「現実は
そんなにシンプルじゃない」とか「極端な改革案は犠牲を増やす」
とか・・・。
けど、そんな事言ってるうちは、一生、変わらないでしょうね。
改革に犠牲はつきもの!それを最小限にフォローすんのが我々の責務
なんじゃないかな!あと、付け加えると、現行の教育体制では慎重に
、結果、教育一掃改革しなくても、毎日のように「泣き寝入りの犠牲
者」が出てるよね。どっちがいいんだろう・・・。
 自分はよく思うのは、多くの人が「教育」という「ご立派な単語」
を隠れミノに、結局は「逃げてんじゃないかな・・・?」って・・・。
 だって、今の教育は明らかに「世代」に、「時代」にフィットして
ないじゃん!
そしたら、そこで、さも学問的に「難しく様々な要因が・・・」とか
言ってる場合じゃないはず!悪いものは悪い!
悪いもんは即、変える!ただそれだけ!
 頭のいい大人達が「ああだこうだ」言ってる暇はないと、僕は、
思います。

以上!かなりの「失言」を感じられたことでしょう。けど、何事も
「簡単に、ストレートに、本音で」話さない限り
、一切のスタートはできないと僕は思います。

では!
Nobinmt
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(Fのコメント)
どうも、教育制度や先生を変えても、結果はあまり変わらない可能性
があるように感じている。日本社会全体の価値観の変更が重要だと
思う。戦後生まれの40代から少年たち全てが、神を意識できない
状態で、自分の存在を確認できず空虚な存在として意識しているので
はないか。
そして、とうとう左派の河合隼雄までが、宗教の重要性を言い始めた。

 5月19日付朝日新聞に日本のユング派の親玉、河合隼雄の
インタヴュー記事:「日本の教育の中で倫理とか宗教とかいうことを
何らかの形で取り上げなくてはいけないということは,私も思ってい
る。今までしり込みしすぎて,宗教そのものまで教育の場から消えて
しまったのは,失敗だったと思う。そういう意味では,首相の言いた
いことには基本的に賛成する。」さらに,河合隼雄は,「(教師が)
宗教倫理を(...)教えられる人間関係を子供と作っているか,
さらに,教えられるような人間になっているかが問題になる」。

このように、日本の縄文時代の人間が持っていた自然と人間の一体感
を根底とした感性(神)を復活させる必要性が高まっているのでは
ないか?この問題は今後も追及する必要があるので投稿お願いします。

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