178.憲法論議の視点について



  雑誌「世界」6月号所収の 杉田敦法政大学教授の書いた
「憲法をめぐる対話 国民という単位を超えられないのか」は、広い
時代的・空間的な視野から、憲法の問題を根源的にとらえた好論文で
ある。

 以下論文の筋道にしたがってかいつまんでご紹介する。

1 憲法と政治

 まず、現在の憲法調査会や憲法論議において「一番良くわからない
点は、一体どこを変えなければならないのか不明なままに、とにかく
変えなければ、という思い込みだけが先走りしている」ことだ。

 国民の世論や草の根の議論が活発でないということ以前に、「むし
ろ政治論が憲法論に飛躍している」のだ。「政治的な問題というのは、
色々なレヴェルであらわれるし、色々なレヴェルで解決できる。そう
した努力をギリギリまでしないで、憲法という最も抽象度の高いとこ
ろに政治を押し込めようとしていることを批判」しているのである。

 日本に小選挙区制を導入した「いわゆる政治改革をめぐる議論」の
ときに、杉田教授は、「選挙制度なんか変えたって、人々の政治的な
行動様式がかわらなければどうにもならない、と言って、顰蹙を買っ
た」が、今までのところ結果は杉田教授の予想通りだった。

 これは評者(得丸)の印象であるが、日本人は、先のことについて、
丁寧な分析や議論をすることを好まず、自分の都合のいいように事態
を解釈して、考えることなく結論に飛び込む傾向があるが、そのやり
方を繰り返して、政治改革の二の舞いを憲法に対して行っていいのか
というところに、著者の危機意識が働いているのだろう。

2 憲法解釈をめぐって

「残念に思っているのは、いわゆる左派に近い人々が、憲法の存在に
安心してしまって、政治を活発に展開してこなかったことだ。色々な
政治的な問題について、きちんと問題提起し、社会運動を背景として
行政当局に認めさせたり、必要なら議会の場で新たな立法を目指すと
いう努力をあまりせず、憲法上の権利をもとに司法の場で解決しよう
としすぎてきた。」

「裁判闘争戦術に限界があったことは明らかだ。憲法があれば、あと
は司法で解決できるということにはならない。憲法の範囲内でどこま
で行けるかということは、政治的な力量にかかっているんだよ。(略)
ただ新たな権利が紙に書かれたって、どうにもなりはしない。」

 環境権については、「環境権が規定されればあらゆる環境問題が解
決されると考える人がいたら、おめでたいというほかない」し、また、
9条については、「外交のほうはおざなりのまま、憲法で軍隊の位置
付けを強化するだけじゃ、近隣諸国の不安は高まるばかりだ」と、し
ごく当たり前のことが見失われていると指摘する。

3 共和主義について

 では、「日本国民の手によって新たに制定されなければ、本当の憲
法ではないという考え」はどうだろう。

「憲法調査会で議論し、国会が提起し、一度国民投票にかけた」とし
ても、「後の世代はどうする」のか、「毎日死ぬ人もいれば生まれる
人もいるから、国民という集団は日々入れ替わっている」のである。
「たとえ一回国民投票をやっても、後の世代にとっては、憲法は「押
し付けられた」もの」になりかねない。

「もし国民の連続性を言うなら、五十年以上もの間、現行憲法が受け
容れられ、それにもとづいてさまざまなことが行われてきた事実を軽
く見ることもできない」。「今さら、現行憲法が無効だったとするこ
とは国民の名において許されないはずじゃないか。そもそも法という
ものは、人々がそれを受け容れているかぎりにおいて効力をもつんだ。
現に支持されていることの方が、成立経緯より重要だ」。

 話題は日本的な価値観にも及ぶ。そもそも「『和をもって尊しとな
す』こそ、日本古来の正しい憲法だ、という議論が出てきたとき、上
手に反論できるかどうかも、あまり自信がないのが正直なところだ。
昔なら、西洋の近代憲法には、そんなことは書いてない、といえば済
んだけど、いまはそうも行かないからね。
 自主的に憲法をつくる以上、近代立憲主義にしばられる必要がある
のか、と言われたらどうしようかな」

 いわゆる「自主憲法」論者が、現実には西洋立憲主義を一歩も踏み
こえていない発想の貧困、文化的植民地主義の根深さを杉田教授は指
摘し、むしろ目覚めさせようとしているのだろう。

4 「われわれ」と「彼ら」

「共和主義は「われわれ」という主体を大事にする。「われわれ」の
政治という言い方は、それ自体としては麗しいが、その裏側には、
「われわれ」/「彼ら」という区別がひそんでいる。つまり「われわ
れ」とは、「彼ら」を排除することによってはじめて成り立つものだ。」

 気がかりなのは、「このところ、日本だけではなく、他の地域でも
そうだが、かつてのような国際主義や理想主義が失われていることだ。
南北問題という言葉は、ほとんど死語になってしまった。」

「経済のグローバル化の中で、他国の人々の生活への関心もグローバル
化するかと思えば、むしろ事態は逆だ。」

「僕が問題提起したいのは、日本国の国境を強化し、国家主権を絶対的
なもにとして再確認し、国民という単位の運命に専念するというやり方
しかないのか、という点なんだ。」

「デモクラシーや市民自治を、一国単位の憲法に結びつけることには問
題がある。憲法はそれ自体が目的なんじゃなくて、あくまでも一つの手
段だからね。最近の議論はそのことを見失っているように思えてならな
い」。

以上

得丸久文(思想道場 鷹揚の会)
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(Fのコメント)
憲法問題の議論では、何のために改正するかを明確にする必要
があるでしょう。日本だけ世界統合を夢見てもしょうがないはず。
欧米諸国は、グローバリズム派と反グローバリズム派の闘いで大変。

特に、カトリックが反グローバリズムを支援している。この動向は
見る必要がある。憲法を改正する時は、日本の戦略検討も必要で
あり、その面からは真剣な検討が必要でしょう。

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