112.続・英語の公用語化について



(国際戦略コラムno.106の読者の投稿に対して:ふる@鶴川) 

うさぎさんの高校世界史の先生へ

 最近、自虐史観だ何だと、教科書が叩かれていますが、確かに、
不正確な部分や、本質を外している内容が多いのも事実です。歴史
は本当に奥深いですから、一方向からしか見ないと誤ってしまいま
すね。あの、忠臣蔵だって、忠義を貫いた英雄的行為と後生が伝え
られなければ、単なる私怨で争乱を起こした輩になってしまいます。

 ところで、日本の朝鮮に対する皇民化政策で、創氏改名に限って
は法律的には、強制ではなかったようです。あくまで自発によるもの
であって、朝鮮名のままで暮らしていた者や便宜的に日本名を名乗っ
ていただけの者も大勢いました。

 従って、帝国陸軍で中将まで昇進した「洪 思翊(ホンサイク)」
氏や、「朴 春琴」衆議院議員のように、全く朝鮮名のまま高い地位
に着いた者もおりましたし、町田町議になった「金 鍾在」(戦後、
居留民団幹部)のように「金山」という仮の日本名を使っていただけ
の例もあります。
 この種の戸籍制度に関する法制の通例として、また、建て前の上
では欧米の法制を継承していた当時の日本の法制からしても、
創氏改名は「改名する自由」を与えるものだったと思われます。
改名しないことを処罰する「不改名罪」というものが存在しなかった
ことからも、改名は法的には任意のものであったと思われます。
 ただし、これはあくまでも「法的には」自由、という意味であり、
改名を強要するさまざまな社会的圧力があったことは間違いないで
しょう。その意味で、軍隊に所属しながら父祖伝来の氏名を改めな
かった「洪 中将」の決断は賞賛に値すると思います。

>戦後のアメリカによる日本への政策は
>実際どのようなものだったのでしょうか?
>私には知識がないのでどうにもいえないのですが

話しが長くなりますが、この話はテレビでも放送されているので、
お教えします。

 GHQの日本に対する民主化政策の中で、難しい日本語の改革
意見があったことは事実です。

 この日本語の改革について担当していたのは、CIE
(民間情報教育局)の言語簡略化担当官「ロバート・キニブ・ホールス
大尉」なる人物でした。彼は、ハバード大出の語学の天才と言われて
いたような優秀な人だったようですが、この天才を持ってしても、
当時の日本語は難しかったらしく、特に、漢字は非効率のものと決め
つけ、日本の庶民が使用されていた漢字を理解出来る訳が無いと信じ、
実際に自分で新聞を持って全国を回り、各階層の人達に新聞を読んで
みろと質問をしたようです。

 しかしながら、質問を受けた人の中には、生まれて初めて外国人に
接する人も数少なくなく、脅えて答えられなかった人が多かったそう
です。そのため、ロバート大尉は自らの調査から、日本人の85%は
漢字が難しくて読めないと決めつけ、軍部や権力者の思想統制を容易
にしたと確信を持ち、漢字全廃のみならず日本語のローマ字化を検討
しました。 その後、アメリカの教育使節団が、漢字の廃止とローマ
字採用を勧告したのも、彼が教育使節団に対し、意図的に習字の授
業を見学させて、漢字の非効率化を唱えたことが原因だそうです。

 しかしながら、日本語改革は何も戦後において、急に始まったもの
ではないのです。戦前より日本語は改革の動きがありました。日本語
のローマ字化とカタカナ文字化、そして漢字をもっと簡単に少なくし
ようとする動きです。カタカナ文字化は、実業家の「山下 芳太郎」
が大正9年に「カナモジカイ」を創立し、日本語を合理化し、発音
どおりに書くことを推進しました。

 日本語のローマ字化については、明治42年地球物理学者の「田中館
 愛橋(あいきょう)」なる人が「日本のローマ字社」を設立し、日本
のローマ字化計画の推進役となりました。これは、欧文字26文字で
済み、漢字を覚える必要もなくタイプライターで使えることが趣旨で
す。この「日本のローマ字社」は現在でもあるそうです。この一派と
先のロバート大尉が、戦後の日本語のローマ字化の先鋒となりました。

 日本語改革はローマ字での実験校などもでき、ほぼローマ字で決ま
りかけた時、ここで問題が発生しました。ローマ字で勉強している生徒
の成績が、従来の日本語で勉強している生徒よりも明らかに学力が劣る
問題が発生しました。

 そこで、GHQは、全国20箇所で15〜65歳の2万人をくじ引きで
選別し、日本語のテストを行ったのです。この結果は、GHQを驚愕
しました。90点満点中80点以上が半数、60点以上が8割と、日本語は
民主化を阻害するものと思っていたところ、アメリカ人よりも識字率
がすぐれていたことを証明したのです。この結果、日本語のローマ字化
は中止されました。

 さて、日本語改革は戦後は、昭和20年11月27日に文部省の第8回国語
審議会で始まりました。「戦後は…」と、書いたのは、戦前より改革の
討議がなされていたからです。第8回が戦後のスタートとなります。
この時の審議委員は、先のローマ字、カタカナ文字推進派も含まれ、
新聞社、言語学者など、当時の日本語におけるハイレベルの人達が集め
られました。この回では、さまざまな議論がなされましたが、当時の委員
には共通の暗黙の了解事項があり、「これ以上難しい漢字を使っていた
ら、西欧の工業化についていけない、読みにくい、書きにくい、歴史的
仮名遣いは発音どおりに表すようにしよう。」と、言うことだったそうで
す。

 さて、審議委員は任期が2年ですが、この審議会の幹事長として、長く
国語改革に関わっていた人物がいました。言語学者の「保科 孝一」
です。彼は、日本語をやさしく簡単にしようと、戦前より文部省の嘱託
として研究にたずさわって来た人物です。彼の研究は、難しい漢字を
廃止し、表音文字の表記を主張していた人で、アジアの占領地の人々が
日本語を簡単に学べるよう、大東亜共栄圏語の研究をしていたのです。

 日本語改革は、占領地での同化政策の国策でもあったのです。明治より
、アジア全てに日本語を広める国際化を図るのが、文部省の国語行政の
悲願でありました。従って、たまたま戦後において大きな日本語改革が
行われたに過ぎず、歴史的仮名遣いがGHQによって改革されたと、考
えられているのは事実と反するようです。

 日本語は昭和21年11月16日 漢字は1850文字まで削減され当用漢字と
名付けられて公布されました。この削減の経緯の中で、動物等のけもの
を表す漢字は原則廃止されこととなりましたが、農林省の反対で「豚、
馬、犬、牛、鶏」が復活しました。そして「象」も法務省の反対で復活
しました。なぜ法務省が反対したんでしょう?

  それは、憲法第一条「天皇は、日本国のしょう徴…」になってしま
うからでした…

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ふる@鶴川 yutaka77@terra.dti.ne.jp
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(読者の意見)
英語の公用語化についてですが、私は賛成です。“公用語”とまで
はいかなかくても今よりももっと力を入れて教育した方が良いと思
います。(今までの受験勉強的教育ではなく)日本文化の崩壊には
ならないと私は思います。というのは私自身英語圏の国(イギリス)
で生活して感じていますが英語が話せればそれが自身となって
日本人特有の外国人コンプレックスも無くなっていくでしょう。
(あぁ、外人だ、どうしよう英語なんて喋れない、、、といって
パニックに陥るのが日本人です。)英語が話せれば日本の良いところ
ももっと世界に伝えられるのですから。国家レヴェルでの文化摩擦も
少なくなっていくでしょう。日本人は構え過ぎなのです。
イギリス人なんか英語しか話せません(日本人よりも語学音痴です)。
 
やはりこれからの時代良くも悪くも英語がある程度自由に使えな
ければ国際社会から取り残されて行くのは確かです。英語が母国語の
国はそう多くはないかもしれませんが旧植民地であったところはもちろん
英語が公用語ですし、公用語ではなくても北欧諸国の人達は皆当たり前の
ように話せます(高齢者であってもです)。事実上ほぼ公用語といって
も良いでしょう。欧州大陸の人達もやはりある程度は話せるでしょう
(ドイツ人、オランダ人他のゲルマン系の人はなおさらです)。
そしてアジア人もシンガポールはもちろんある程度の教育を持って
いる人は皆さんほぼ話せます。
 
一国の首相、しかも世界の中でも代表的な経済国の首相にはせめて
英語くらいは話していただきたいと思います。

Mari さん
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(Fのコメント)
ふる@鶴川さん、投稿ありがとうございます。勉強になりました。
今後も投稿をお願いします。

 Mariさん、英国・欧州の実情をありがとうございます。
うさぎさん、このメールも先生に見せてください。

また、岩国議員は英語の第2公用語化反対とのこと。記事参照。
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(共同通信からの引用)
02/16 19:36 第2公用語提言をやり玉 まず正しい日本語、岩國氏

 十六日の衆院予算委員会で民主党の岩國哲人氏は、英語を第二公
用語とする小渕恵三首相の有識者懇談会の提言をやり玉に挙げて「
正しい日本語でさえ使えない人が多いのに、第二公用語なんておか
しな話だ」と批判した。                   
 答弁に立った青木幹雄官房長官も「それ以前の問題として、美し
い日本語が話せるようにしなければいけない」と指摘。     
 青木氏の郷里、島根県で出雲市長を務めた岩國氏は「(市長)選
挙の時に青木氏から『演説で英語を使ったら駄目だ』と忠告いただ
き、おかげで当選できた」と披露。「出雲大社で英語で祝詞を上げ
る時期が来るとは思わない」とも断言し、第二公用語への道の険し
さを浮き彫りにした。                    
(了)  000216 1936              

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