2543.日本仏教の特徴



***** 日本仏教の特徴 *****    得丸久文

 東京国際仏教塾の第19期生として、スクーリング、合宿、
課題図書などから得た体験と知識を総合して、以下に日本仏
教の特徴をまとめる。

1 非論理性・無宗教性

・非論理性
 非論理性は、漢文・サンスクリット語のまま丸暗記して読
むお経に代表される。読む側も聞く側も意味を理解できない
漢文やサンスクリット音のの読経は、日本仏教が生者への語
り掛けを無視・拒絶している象徴である。

 般若心経の色即是空の「空」を、「実体がない」と理解し
て、「存在するものは実体がない」、「物質には実体がない」
などというすっきりしない解釈を釈然としないまま受け入れ
てそれ以上深く追求しないのも、論理的でないことの証左で
ある。

(「空」は時間の最小変化量、デルタtが正しいと、私は信
じている。アンベードカル著「ブッダとそのダンマ」参照)

・無宗教性
 宗教とは、ヒトが幸福になるための、ヒトが不安から解放
されるための思考法・行動のパッケージである。しかるに日
本仏教は、死者が極楽浄土に旅立つための追善供養の呪文を
唱える葬式仏教以上のものではなく、生者に生き方を提示し
ない。

 生者に語りかけるべきなのに怠ってきた。人生訓である法
句経を軽視・無視しており、戒律を尊重しないところは宗教
的でない。

2 親権力性・権威性

・親権力性
 主だった寺の多くが、歴代の天皇の要請によって建立され
た勅願寺である。それ以外の寺も天皇の家族が建立要請した
御願寺、氏族が建立した氏寺など、貴族や時の権力者によっ
て建立されている。

 律令制の時代(七-十世紀)には、私度僧の増加が国力衰退
につながるとして、毎年の得度者数を国家が管理していた。

 江戸時代になると、キリシタン禁教を名目として、寺請制
度が実施され、寺は幕府が民衆を管理するツールとなった。

・権威性(イエ社会性)
 江戸幕府は、全ての寺を、各宗派の本山を頂点とする階層
構造に本寺・末寺として組み入れる本末制度を導入した。

 釈尊から宗派開祖を経て代々仏法が受け継がれたとする擬
制を血脈(ケチミャク)という。朝課で歴代和尚の名前を唱
えたことがあるが、まさに日本というイエ社会ならでは慣行
だ。戦前に歴代天皇の名前を暗誦したのと似ている。「天上
天下唯我独尊」とは逆の発想である。

 各宗派内で、今なお分裂騒動が絶えないのは、まさにおイ
エ騒動であり、仏教の思想や宗教性とはまったく無縁なこと
が起きているとしか思えない。

3 現世肯定

・ 僧侶の無戒
 公然と肉食妻帯を行ったのは親鸞が初めてだったが、事実
上は他の宗派の僧侶も実践していた。明治五年に太政官布告
で肉食妻帯が許された以降は公然と行われた。禁酒も五戒の
ひとつだが守られていない。

・ 天台本覚の思想
 芽が出て花が咲き実を結び枯れていく草や木の一生を、そ
のまま発心・修行・菩提・涅槃の姿と受け取り、草木も成仏
するととらえる草木成仏の思想は、日本独自である。

 あるがままの「具体的な現象世界をそのまま悟りの世界と
して肯定する思想」は、「古代末期から中世にかけての日本
の天台宗でおおいに発展し、天台宗のみならず仏教界全体、
さらには文学・芸術にまで大きな影響をおよぼした。天台本
覚思想は、あるがままの自然をそのまま悟りとして肯定する。

 しかし現世がそのまま悟りの世界であるならば、わざわざ
修行をして悟りを開く必要もないと強弁する僧侶たちの放蕩
堕落をもたらしたとして、本覚思想への批判は強い。

最後に:二十一世紀の本覚 

「自然が大陸のように厳しくなく、四季折々に美しいたたず
まいをみせる島国では、自然の変化はむしろ望ましいものと
みられ、人間の生死の無常もその自然の変化の一部分として
受容され、肯定された。」

 人間も自然の一部としてみる本覚思想は、生命進化の法則
にも合致する。人間は裸化し言語を話すサルにすぎないから
だ。

 地球環境問題が深刻化する二十一世紀に、本覚思想の読み
替えが求められている。

 人間は生まれながらに悟っている。しかし飲酒、無益な殺
生、嘘、盗み、邪淫などの人類文明特有の悪によって、日々
悟りから遠ざかり、自分たちの存在基盤である地球環境を破
壊している。

 我々は野生動物の時代の記憶を取り戻してこれ以上自然を
破壊しないためにも五戒他の戒律を守って生活すべきではな
いか。

 日本仏教は、本覚思想を生み出した日本人の本質直観能力
を生かして、世界の人々にわかりやすい形で、自然との付き
合いを提示していくべきではないか。

(終わり)


仲々に手厳しいご意見ですが、その通りですね・・と思います。(箕輪)


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