2494.追悼 アンナ・ポリトコフスカヤ



追悼 アンナ・ポリトコフスカヤ
From: Kumon Tokumaru

アンナ・ポリトコフスカヤとジャーナリストの職業意識
      「春秋左史伝」への連想

1 はじめに: もの足りない追悼集会
 アンナ・ポリトコフスカヤというロシアのジャーナリストの名前は、2年前、
北オセチアであった学校占拠事件のときに、毒を盛られたジャーナリストという
ことで記憶にあった。その彼女が、今月7日自宅前で暗殺されたという。

 収容所群島の時代のロシアは、不当逮捕ではあっても、いちおう刑法58条にも
とづいて逮捕し、手練手管を使って自白させてから裁判を行なって、収容所送り
していたわけだが、プーチンの時代は、いきなり暗殺なのかと、その無法ぶりに
驚いた。

 購読しているメルマガで、アンナ・ポリトコフスカヤの緊急追悼集会が10月12
日の夜、文京区の文京区民センターで開催されるというので、足を運んでみた。

 彼女の肉声に触れてみたいと思ったし、彼女がどんな人生を歩んできたのか知
りたかったし、どのような家族構成でどんな生活を送っていたのかも知りたかっ
たし、なによりも、度重なる本人および家族への脅迫にもめげず、最後まで取材
し記事を書き続けたその闘争心はどこからわきあがってきたのかということを知
りたかったからだ。

 午後7時から開かれた追悼集会は、メインの報告者である林克明さんも、稲垣
収さんも、「まとまりのない報告ですみません」といいつつ発表されたように、
私の関心事であったアンナの人柄や肉声に迫ったものではなかった。

 むしろここ数年のロシアの暴政についての一般的なお話が中心で、専門家たち
ですら、アンナの素顔や心の中に通じていなかったのか、今日においても、ロシ
アはまだまだ遠い文化圏なのだなあということを確認した。

 そして主催者を代表して、チェチェンの子どもを支援する会、日本国際フォー
ラム、アムネスティーなどが発言をしたが、やはりアンナ個人に迫った追悼発言
は少なく、むしろ自分たちの運動を宣伝するという場違いな発言が目立ち、暗然
とした思いがつのった。

 会場で求められたアンケート用紙に、自分が素直に感じた追悼集会のもの足り
なさ、知りたいと思ってきたことにちっとも出会えなかったさびしさを書いてい
たとき、ふと、春秋左氏伝の一節を思い出したので、アンケート用紙ごと持ち
帰って、今こうしてまとめている。

2 ジャーナリストの使命
 追悼集会が始まるとき、自分のことば、自分の表現活動によって殉死するとい
うのは、ヒトの言語活動においてもっとも崇高な行為であり、アンナの勇気と実
力ある行動は、賞賛に値すると、漠然と思っていた。

 アンナがロシアやチェチェンの現実を追求したのと同じ気持で、彼女のあとを
続くべく、我々は、現代日本、現代世界に向き合っていかなければならない、と。

 集会が、アンナ個人やその死の意味づけに対して、わりと淡白なまま進む中、
私の中では、アンナの死は悲劇でもなんでもない、という感情が徐々にわきあ
がってきた。

 暴政はびこる時代にジャーナリストが命を落とすのは当然のことだ。もっとた
くさんのジャーナリストが、進んで取材し、真実を報道することによって、命を
狙われ、命を落とさなければならない。それが仕事じゃないか。

 そして、春秋左氏伝、襄公25年(BC548年)の記述が記憶によみがえってきた。
崔氏が行なった非道を、歴史記録係りが職業意識にもとづいて記録したら、殺さ
れた。すると、後をついだ弟が、同じ記述を行なって、また殺された。とうとう
崔氏は、あきらめたという話である。

 自分の命より職業意識を重んじたのは、アンナが初めてではない。

大史書曰:「崔杼弑其君。」崔子殺之。其弟嗣書,而死者二人。其弟又書,乃舍
之。南史氏聞大史盡死,執簡以往。聞既書矣,乃還。

大史、書して曰く、「崔杼其の君を弑す」と。崔子之を殺す。其の弟嗣ぎて書し
て死する者二人。其の弟又た書す。乃ち之を舍く。南史氏、大史盡く死するを聞
き,簡を執りて以て往く。既に書せりと聞いて及ち還る。

(訓読)

たいし、しょしていわく、さいちょ、そのきみをしいすと。さいし、これをころ
す。そのおとうと、つぎてしょして、しするものふたり。そのおとうとまたしょ
す。すなわちこれをおく。なんしし、たいし、ことごとくしするをきき、かんを
とりてもっていく。すでにしょせりときいてすなわちかえる。

現代語訳(世界古典文学全集13、筑摩書房より)は以下のとおり。

[この事件で]大史は記録に、「崔杼がその君荘公を弑した」と書いた。崔子は
怒って大史を殺したが、その弟があとを嗣いで同じように書いたために、死ぬ者
が二人もあり。さらにその下の弟が同じように書いたので、[崔氏は諦めて]その
ままにした。一方、南史の家のものは、大史のものがみな死んだと聞き、竹の札
をもって出かけたが、[途中で]もう大史のものが記録に書きつけたと聞いたの
で、引き返した。

 追悼のメッセージの中で、国際フォーラムの人が、プーチンに手紙を書くなん
て意味がないと言っておられたが、そのとおりだと思う。

 暴政に対しては、殺されても殺されても、それが暴政であるという真実を、報
道しつづけるほかない。それによってジャーナリストの命が奪われるとしたら、
そういう職業なのだから仕方ないというほかはない。

 アンナの暗殺は、悲劇でもなんでもない。ロシアのジャーナリストたちは、現
代ロシアが、人類史上ほかにないほどに非道な暴政であるということを証明する
ための指標を提供しているのだ。

3 おわりに: マジックナンバー 58
 そう考えて、彼女の「プーチニズム」を購入して、帰りの電車の中で読み始め
たら、「地上軍第58軍」というのが出てきた。第一次チェチェン戦争に関わった
部隊であり、いまだにチェチェンで戦っている。そこでは、想像を絶するほど
の、将校たちによる兵卒への暴行が行なわれており、倉庫からの物資の窃盗も行
なわれているという。

 ロシアにとって、この58という数字は、なにか特別な意味をもつ数字なのだろ
うか。

 ソルジェニーツィンの「収容所群島」の中でも、大量の政治犯逮捕に用いられ
たのは、刑法第58条の国家反逆罪であったと書いてあった。

 アンナが生まれたのは、1958年。関連があるのか、ないのかわからないが、58
という数字が偶然目にとまった。

 私は、戦うべくして戦った、ただそれだけ。あとはお願いね。

 彼女はそう思って、冥府に旅立ったのかもしれない。

(2006.10.13)


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