2466.タイ式クーデター



タイでクーデターが起こり、日本への影響が心配されている。この
検討。          Fより

国民が尊敬する王室を持つことが重要であると思うのは、このよう
なタイの平穏・無血クーデターが起きた時ですね。

韓国や中国で軍事クーデターが起きたら、政権サイドの軍と反政権
サイドの軍が対立して、流血の惨事を見ないと収拾しないのが普通
である。ロシアの91年8月のクーデターも赤軍が保守派と改革派
に割れて、エリティンを民衆と改革派の軍が守った。ここでも一部
、混乱があったが、今回のクーデターは戦闘がなく、平穏であった。

勿論、親タクシン派はライフルで武装して抵抗しようとしたが、国
王がクーデターを承認したため、断念している。タクシン前首相も
戒厳令を出したが、国王がクーデターを承認したために、そのまま
英国に亡命したのでしょうね。

このように国王が、流血の惨事を防いでいる。流血の惨事になると
、日本企業の工場が多数、進出しているので、影響も大きかったで
しょうね。今でもタクシン前首相を支持するタイ国民は多数居るた
めに、軍と民衆の激突になった可能性がある。

クーデターを起こした評議会は早期に民政に移管するというが、こ
のまま総選挙をすると、タクシン派(タイ愛国党)が多数を占める
ために、汚職の実体を徹底的に糾弾するとしている。タクシンと、
その一味が選挙に出られないようにするためでしょうね。

しかし、タクシン前首相が行った農村部の国民健康保険制度、低利
貸し付け制度の政策は、貧しい農民にとっては非常に有効な政策で
あったが、都市住民と富裕層には不満があったようだ。そして、こ
の富裕層と軍部が国王を後ろ盾にしたクーデターを行ったように感
じる。

中国もそうであるが、貧富の差を埋めないと次の国の飛躍は無い。
タイも貧富の差をどう解消するのかが、今後の課題であり、貧富の
差を解消する政策が必要になっている。それを都市住民と軍部も認
識しないと、また、第2のタクシンが国民の支持を得ていくことに
なる。

このため、軍部は報道の自由や集会の自由を制限している。民主主
義を否定しているために、学生たちは反発を強めている。欧米各国
も懸念の声を出している。私Fの見解は、農民へある程度の補助金
をばら撒くことは必要であると思う。日本のように補助金漬けでは
いけないが、ある程度の補助金はしょうがない。

ここを軍部は理解しているかどうかですね。軍人は純粋ですから、
必要悪が見えない。そこが心配ですね。
さあ、どうまりますか??
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<タイ・クーデター>内幕 前首相の非常事態宣言察知、決行
(nikkei)
 【バンコク藤田悟、浦松丈二】タイ国軍による19日夜のクーデ
ターは、タクシン首相が20日に非常事態宣言を予定しているとの
情報を国軍が入手し、先手を打って前夜に決行されたことが23日
分かった。国軍関係者が毎日新聞に明らかにした。クーデター決行
が1日遅れていれば、タクシン氏による非常事態宣言が発効してク
ーデターが未然に防がれていた可能性が高く、政権と国軍による水
面下でのぎりぎりの駆け引きが行われていたようだ。

 国軍関係者によると、クーデターを首謀したソンティ陸軍司令官
ら軍高官は、政治混乱を終わらせるため、今月初めにクーデター計
画を決め、決行のタイミングを計っていた。
 ところが、タクシン氏がクーデター計画を事前に察知。20日夜
に首相退陣を要求する市民団体の集会が予定されていたのに合わせ
、首相支持の住民や警官隊を動員して集会参加者との衝突状況を作
り出し、混乱収拾を名目に非常事態を宣言して権力維持を図るとの
シナリオを描いたという。

 これに対し、ソンティ司令官らは数日前に非常事態宣言の情報を
入手し、宣言が予定された前夜というぎりぎりのタイミングを選ん
でクーデター決行に踏み切った。
 19日夜、国連総会出席のためニューヨークを訪問していたタク
シン氏は、国軍によるクーデターを知り、同日午後10時(日本時
間20日午前0時)過ぎにテレビを通じて非常事態を宣言し、クー
デターを阻止しようとした。しかし、この時点では既に国軍は首相
府や国会議事堂など主要個所に戦車や兵士を動員して首都バンコク
を制圧しており、非常事態宣言は手遅れとなって効力を発揮しなか
った。

 国軍がクーデターを計画した理由は(1)タクシン氏に王室を軽
視する発言が目立ち、王室を擁護するためには首相の排除が不可避
だった(2)タクシン政権の汚職体質が深刻化していたのに、ばら
まき型政治によってやり直し選挙でも与党勝利が予想され、クーデ
ター以外にタクシン政権を断ち切る手段がなかった――という判断
が強く働いたという。
(毎日新聞) - 9月24日3時6分更新
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タイ軍政、統制強化に懸念広がる
(nikkei)
 【バンコク=伊東義章】クーデターで実権を握ったタイの民主改
革評議会が報道の制限や政党活動の禁止などの規制策を相次いで導
入していることに、タイ国内で懸念が広がっている。新聞・テレビ
などのメディア団体が「報道の自由」の尊重を求める要望書を提出
したほか、学生らが軍政による統制強化に反対する団体を組織した。
各政党も早期の民政復帰を促した。

 タイのテレビ・ラジオ協会と新聞協会は21日、評議会当てに連名
で要望書を送付した。メディアの恣意(しい)的な利用を禁じた
1997年憲法を尊重するよう促し、国民から言論の自由を奪うことの
ないよう訴えた。同時にメディア側も「政治などに関する微妙な問
題の報道には国益を考える」として軍政に一定の配慮を示した。 
(17:46) 
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タクシン支持派、一時抵抗の構え
(nikkei)
 19日深夜にタイで起きた無血クーデターを主導した同国軍と政権
の座を追われたタクシン前首相支持派との間で、衝突が起きかねな
い局面があった。地元英字紙や地元ラジオ局などが報じた。親タク
シン派はライフルなどで武装していたとされる。タイ国内はクーデ
ター後も平穏と伝えられているが、軍・警察部隊に武力抵抗を図る
勢力も一部にあったようだ。

 報道によると、親タクシン派を率いたのはヨンユット前天然資源
環境相とネウィン前首相府相。プミポン国王が20日、クーデターを
事実上承認した時点で抵抗を断念。ともに21日、クーデターを起こ
した民主改革評議会に身柄を拘束された。軍関係者は暫定首相決定
まで拘束が続く可能性が大きいとしている。
(バンコク=野間潔) (07:00) 
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欧米から懸念の声・タイクーデター
 【マニラ=石沢将門】タイで19日発生した軍事クーデターに対し
、欧米諸国などからは懸念の声が上がった。

 ニューヨークでの国連総会に出席中のオーストラリアのダウナー
外相は20日、同国のテレビ局に対し「このような方法で政府が転覆
されたことは、重大な懸念を引き起こす」と非難。国連のアナン事
務総長も米CNNの質問に「国連は民主的手段を通じた政権交代を
支持してきた。(クーデターは)推奨される行動ではない」と答え
た。

 ただ、バンコク市内が平穏なため当初の懸念が薄らいだ面もある
。米国務省の東アジア・太平洋担当であるヒル国務次官補は20日、
AP通信に対し、「この軍隊が何を考えているかを見極めたい」と
し、「何らかの判断を下すのはあまりに早すぎる」と語った。
 (23:00) 
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タクシン色一掃へ タイ・クーデター政権調査着手 前首相側近の
不正追
 【バンコク21日永田健】タイのクーデターで実権を握った民主
改革評議会(議長・ソンティ陸軍司令官)は21日、タクシン前首
相の影響力の強い政府諮問機関を解散させ、前閣僚に出頭を命じて
事情を聴くなど、タクシン政権時代の不正疑惑を追及する方針を鮮
明にした。早急にタクシン前首相派の影響力を一掃する構えだ。

 同評議会は、ジャルワン会計検査院長に前政権の不正調査の全権
を委任した。ジャルワン氏はかつて、前政権にからむ不正を追及し
ようとしてタクシン前首相と対立、辞めさせられそうになったこと
もある人物だけに、国民の人気が高い。

 疑惑追及の最大のターゲットは、一連の政変の発端となったタク
シン前首相一族の株取引問題。ソンテイ司令官は20日の会見で「
前首相の財産を差し押さえるか」との質問に対し「法に基づいて対
応する。法を破ったものは罰せられるべきだ」と答え、前首相の蓄
財に不正がなかったか追及していく方針を示した。

 注目のジャルワン氏は21日、記者団に対し「新空港の検査機器
導入に関する疑惑について、数日中に結果が出せる」と語った。同
疑惑では与党の実力者である元運輸相の関与が取りざたされている。

 また同評議会は同日、ネウィン前首相府相とヨンユット前資源・
環境相に出頭を求め、2人から聴取した。聴取内容は明らかになっ
ていないが、2人はタクシン前首相が集会を開く際の「動員担当」
だったこともあり、前首相支持派が反クーデター集会を開かないよ
う、評議会が圧力をかけたとの見方がある。

 軍当局はすでに、チャチャイ前副首相とプロミン前首相秘書官を
拘束。タンマラク前国防省はカンボジア国境付近に逃亡したとみら
れる。一部の幹部はタクシン前首相とともにロンドン入り。行方が
わからなくなっている前閣僚もおり、数日前まで権力の中枢にいた
タクシン派は、すでに散り散りになっている。

=2006/09/22付 西日本新聞朝刊=
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クーデターの歴史
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6112/Activity/2001/07_05.html
タイの政治に関して、避けて通ることのできない問題としてクーデ
ターの歴史があります。これは、1932年にタイが立憲君主制へ
と移行してから長らく続いてきた、“軍部主導の政治体制”に原因
があるものと思われます。以下にタイのクーデターに関して、簡単
にまとめた表を作成しました。

発生年
 大義名分
 結果
 
1947年
 政治家の汚職、国家経済の悪化
 軍部優位の政治へ
 
1957年
 不正選挙の放置、共産主義の脅威
 ピブン首相、国外に亡命
 
1958年
 タイ式民主主義の構築
 サリット体制の誕生
 
1971年
 下院議員による政府の行政撹乱
 十月十四日政変起こる
 
1976年
 学生による王室不敬
 血の水曜日事件起こる
 
1977年
 国の安定、経済・経済の悪化
 1976年憲法廃止
 
1991年
 国会の独裁、汚職
 五月流血事件起こる

 以上がクーデター成功の事例です。未遂や計画段階で終了したも
のを含めれば、この数は更に膨れ上がることになります。特に、
1973年以降、学生を中心として民主化を求める声が強まり、軍
部と市民を代表する政党が衝突し合い、それを国王が間に入って調
停するというような形が出来上がっていきました。

こうしてクーデターが繰り返されるタイ政治変動のサイクルを“タ
イ政治の悪循環”と呼びます。

 タイは長年、軍部主導の政治体制が続いてきました。歴代の首相
も、軍人からの出身が多い。本来、軍が政治に係わり合いを持つこ
とは、民主主義からすれば逸脱したもののように見えます。

 が、タイではクーデターの発生が無言の指示を受けることもある
のです。一概に軍部主導の政治体制がタイの民主化を遅らせている
とは言い切れません。


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