2461.僕らの世界



僕らの世界     S子   

 ▼キーワードは人口
世界人口が65億人を突破した。幾何級数的に自己増殖し続ける世
界人口がこのまま推移してゆくと、2050年には90億7590
万人に達すると推測されている。日本では少子高齢化による人口減
という現象が続いているためにすんなりとは納得できかねない報告
ではあるが、世界的にみると地球人口はこれで既に飽和状態の限界
を超えたとみていいだろう。

そして、経済成長よりも遥かに著しい量的変化を遂げてゆく人口が
、実は僕らの世界におけるあらゆる諸問題のキーワードとして存在
していると言えば意外な盲点だと驚くだろう。

江戸時代がリデュース、リユース、リサイクル、リペアという循環
型社会として完璧だったのはその通りだが、一番重要なことは日本
という国土面積に対しての人口比率が完璧だったというその一点に
尽きると僕は考える。

つまり日本という国土の受容力(空気。水、食料、原料、化石燃料等
)に対する人口比率が適正であったこと。江戸時代の人口は少ない時
で2489万人、多いときで2720万人と比較的に安定していた。

この安定的な人口推移のおかげで江戸時代は歴史に類をみない調和
と循環型社会を構築し得たのだが、では調和と循環は一体何を基準
にして、もしくは何と共生して達成されるかというとそれは山や川
、海、そこに生きる全ての万物という自然である。

自然はこの循環、もしくは回転する世界において常に浄化作用シス
テムが作動し続けており、そこでは量的問題と速度的問題(時間的
問題)が基軸となって地球という水の惑星を保持、機能させている
。

自然には浄化再生可能な速度という時間的問題が内包されているが
、江戸時代の生活スタイルや安定した人口がそれら両問題を見事に
解決していた。右足と右手を同時に出して歩くナンバ歩きは着物文
化を誕生させたが、そこには呼吸ひとつすらも無駄にはせず、身体
への負担も極力少なくし、自然に見合った循環(回転)速度として生
活時間が流れていた。自然と歩調を合わせることも無理なく行える
から生活リズムがゆったりと流れていた。

リデュース、リユース、リサイクル、リペアという物を大切に使い
、またそれを修理、補修しながら再度使いまわし、最終的には人間
が生きてゆく中で排出するごみを極力少なくして、自然への負担軽
減、つまり自然が浄化再生可能な速度に人間の生活を適応させてい
た。

国土の受容力と人口比率という空間美が見事に調和すると、人の意
識や思考までも自然と同調するようになるのだろう。この適正な人
口比率が、江戸の文化と自然を更に同調させつつ共生させていた稀
有な時代を誕生させ、また、あらゆる面においても見事に黄金比率
が達成されていた無理数世界が開花した時代だったと言えるかもし
れない。


▼成長(量的問題)と発展(質的問題)の相違
産業革命は僕らの世界に量的変化をもたらした。物を大量生産する
だけではなく、それに伴い人口も確実に増加していった。産業革命
による工業化へ向けての流れとその成長は僕らの生活を量的、速度
的に変化させてしまった。そして、この量的変化と速度的変化の両
者が互いに相関し合うことで、僕らの世界の変化はより一層めまぐ
るしくなった。

工業の成長は人口の増加を促進させ、人口の更なる増加は工業の成
長へと向かい大量生産に帰結する。大量生産をするためには地球の
受容力(空気、水、食糧、原料、化石燃料等)に依存しなければな
らず、その依存率も大量生産するごとに増加してゆき、地球の受容
力の限界が訪れるまで僕らはそれらに依存しつつ吸収してゆくとい
うパターンを繰り返す。

産業革命によって得た快適便利な生活は、僕らの視覚と頭脳に成長
神話をインプットさせ、成長という量的な問題が世界を良い方向(
少なくとも悪くはない方向)へと向かわせているように僕らは錯覚
してしまった。

成長という言葉だけがどんどんひとり歩きをし、花の甘い蜜に吸い
寄せられるように飛んで来る一頭の蝶のように僕らを虜にさせてし
まう。何でもかんでも成長あるのみという神話が、物余り現象とい
う物質の飽和状態と幾何級数的に自己増殖する人口の飽和状態を生
じさせた。

このように見てくると、僕らはもしかしたら大きな認識違いをして
いた可能性があるかもしれないということに気づく。成長とは量的
増大を伴う変化のことであって、質的問題(発展)ではないという
ことである。

つまり僕らは言葉の定義を漠然としてしかとらえていなかったとい
う単純なミスを歴史的に犯してしまったのではないか。僕らが真に
希求していた世界というのは、実は量的問題(成長)ではなく質的
問題(発展)ではなかったのかということである。

なぜ質的問題(発展)であるのかというと、地球自体が有限惑星で
あり限界があるという至極当然の事実からである。僕らが生きてゆ
くためには地球の受容力が必要不可欠だ。しかし、産業革命による
工業化成長神話をこのまま持続させてゆくと、つまりものごとを量
的問題(成長)で解決しようとすると遅かれ早かれいずれ地球の受
容力の限界の壁に突き当たる。故に質的問題(発展)が重要になっ
てくるわけだ。

江戸時代の循環(回転)型社会がなぜ完璧であったのかを再度思い
出してほしい。そこには日本という国土の受容力に見合った人口が
そこに存在していたからに他ならないというただその一点に尽きる
。


▼フィードバックループが織り成す世界
では、なぜ僕らはこんな気の遠くなるような歴史的時間を経るまで
、その認識の誤りに気がつかなかったのだろうか。僕らの世界は循
環、もしくは回転(地球は自転しながら公転している)する世界に
ある。

そこにはこの世界を支配している無数のフィードバックループ(出
力に応じて入力を変化させる)による時間的なずれ、つまりタイム
ラグが必然的に生じてしまうために、結果にずれができるからだ。
結果にずれが生じることで、僕らはある程度の時間的経過を待たな
ければ、そのことにまったくその瞬間が訪れるまで何もわからない
、明確に認識できないという側面を持っている。

小さな家族という社会単位では、経済的に行き詰まってくると生活
の質を落としたり、子供を産むことを控えたりしながら、家計の出
費をできるだけ抑えようと努め、それにすぐさま対処してゆく。

ところが、社会の単位が大きくなるにつれて(その集合体が増大する
につれて)、特に国家レベルの経済問題になるとそこに政治問題や利
害が複雑に絡み合ったり、国家蓄積という物理的な余剰部分がある
と危機への反応が鈍感になり、危急に対処しようとしなくなる。ま
た、経済という数字の魔法は操作によっていかようにもなりうると
いう思考も成立するかもしれない等、危機に直面するまでのフィー
ドバックループによるタイムラグが無数に絡み合ってくる。

単一の集合におけるフィードバックループでは把握できるタイムラ
グが、集合体が増大に向かえば向かうほど(人口が増加すればする
ほど)、そこに無数のフィードバックループが介在し、そのことに
よって時空間的に複雑に絡み合ったタイムラグがより問題の本質、
真実、シグナルを見えなくさせる。僕らの世界は時空間を越えたこ
の無数のフィードバックループが互いに相関し合いながら、循環、
回転している。

だから地球という有限惑星では量的問題(成長)ではなく、質的問
題(発展)と速度的問題(時間的問題)が重要になってくるのだ。そ
れ故に僕らの世界ではその方向性が問われるのであり、僕らの循環
、回転する未来は僕ら自身の選択(そこには必ず僕らの強い意志が
存在していなければならない)によって、また、その意識の変化、
進化によって決定される。


▼共生進化
出力により入力を変化させるフィードバックループがより顕著に現
れるのは男女関係だが、ただ補完し合う男女関係のみではこれから
は生き延びてゆくことはできない。補完し合う関係だけでは共倒れ
になる可能性が強くなるからだ。これからの未来の男女関係に必要
なのは、補完プラス共生進化である。

僕らの身体の細胞は時々刻々と変化をしているが、僕らはいちいち
それらを実感しているわけではない。だけどある程度の時間経過を
待つと、確実に自分自身の変化(内面的、外見的)に気づくだろう
。

そして、そこに自分の描きたい、創造したい世界が明確であればあ
るほど、僕らの変化はより顕著に現れ、それがやがて進化へと繋が
ることを僕らは実感するだろう。僕らはこの世界(物質界)で学ぶ
ために、遺伝子の記憶を頼りに家族という最小単位をとりあえず選
択しこの世に誕生した。

しかし、僕ら一人一人にはそれぞれに与えられた使命、今生で成し
遂げなければならない使命というものがあり、家族という絆におい
ては同調しつつも、常に心と身体はその使命に向かって解放にある
ということを僕らは忘れてはならない。

故に誰一人として僕ら自身を束縛することなどできない。僕らが成
すことはアドバイスと観察のみであり、調和と循環、回転する座標
軸の中でいつ、どこで、どのようにして与えられた使命を達成する
のかと修行を積みながら、それを感知、直観してゆくだけである。

男女関係のフィードバックループでは質的問題(発展)が問われる
のであって、量的問題(成長)ではないことは明白だ。産業革命に
よる工業化成長神話は、僕らから質的問題(発展)を見失わせてし
まい、希薄、軽薄な男女関係を生じさせてしまった。僕らは互いの
存在の本質的な意味など歴史のかなたへと葬り去ってしまった。

しかし、幾何級数的に自己増殖する人口が地球の受容力の限界を超
えてしまった今、僕らは否が応でも互いの質的問題(発展)に直面
しなければ、工業化成長神話がもたらした絶滅種と同様な運命を辿
ることになるだろう。僕らは与えられたわずかな時間の中で、今な
ぜここにこうしているのか問い続けてゆくことに意味を見出す必要
がある。


参考文献
「限界を超えて=生きるための選択=」
             ドネラ・H・メドウズ
             デニス・L・メドウズ
             ヨルゲン・ランダース   
                     ダイヤモンド社

「成長の限界」
  =ローマクラブ人類の危機レポート=
             D・H・メドウズ
             D・L・メドウズ
             J・ラーンダズ
             W・W・ベアランズ三世  
                     ダイヤモンド社

「鏡の伝説」       J・ブリッグス
             F・D・ピート       
                     ダイヤモンド社

「フラクタルって何だろう」高安秀樹
             高安美佐子        
                     ダイヤモンド社

「日本人と武士道」    スティーヴン・ナッシュ
             西部 すすむ           
                     ハルキ文庫

「前世あなたは誰だったのか」 平池来耶      
                     PHP文庫

YOMIURI ONLINE
「世界人口が65億人突破、人身売買の問題深刻化」
http://www.yomiuri.co,jp/world/news/20060906i313.htm



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