2294.全共闘と2・26事件 読者からの手紙



全共闘と2・26事件 読者からの手紙

当時医学部におられた方を含めて、何人かの方からお便りをいただきました。事
件についての理解が深まると思いますので、一部ご紹介申し上げます。

得丸久文


読者からの手紙1

前略、
「地球浪漫2」を拝読致しました。
島氏の「安田講堂」の内容を知りました。東大紛争の源は、医学部のインターン
廃止の青医連運動にあります。
医学界の上層部が青年医師に廃止のために紛争を起こすように指導したのです。
すでに昭和39年に我々には紛争勃発の予定年と場所(東大医と医科歯科大)が解
かっていました。
それで我々は不快な青医連運動をきらっていたのですが、アメリカによって導入
されたインターン制度を廃止するにも、日本には明治以来法で決められた制度を
廃止したり改める手続きを定めた法が無くて、医学界上層部は紛争を起こすこと
しか思いつかなかったのです。

戦後は東大の総長から都知事までマルキストですから、紛争といえば暴力マルキ
スト手法です。
医学部紛争の過程で、暴力革命のプロの日本共産党の一派が主導して謀略を通じ
て紛争を拡大しました。
この謀略を教授会の半数が容認したために、教授たちの指令で多くの青医連に反
感を持っていた真面目な院生が大学封鎖に参加したのです。
つまり教授会の対立を力づくで学生と院生の暴力を利用して解決しようとしたの
でした。
それで全学に波及したのです。

この手法は、まさに昭和軍閥のなれあいクーデターと同じです。
そして、おめでたいのが、教授に利用された我々学生や院生であり、昔の青年将
校です。

当時の医学部では、基礎系が共産党容認で、臨床系が断固事実に反する謀略の誤
認事件に反対していました。
我々院生は青医連の学生の真実の話を聞いていたので、その場にいて内科の教
授・助教授・医局長を恫喝した円(つぶら)という学生が、不在であったことに
して紛争を拡大したことは、殆ど衆知の事実だったのです。
共産党に反感をもつ青医連でも紛争を拡大したかったので、皆これを容認したの
です。

封鎖を教室毎に指令した教授が、事件の当日退去命令をマイクで伝えたそうです
が、ヘリコプターの音で聞こえるはずもありません。
逮捕されて外につれ出されれば、その指令した教授は、すかさず顔を見られまい
と逃げ出すありさまです。
後で文化勲章をもらった諸橋教授は良心があったのか逃げかくれせずにワーワー
泣いていました。
紛争が始まって20年経った頃に医学部では誰一人として知らない者のいない精神
科の謀略男の円(つぶら)という日共党員が禿頭を振り立てて病院内を闊歩して
いました。
こんな下らない紛争など誰一人語ろうとしないのは当然です。


読者からの手紙2
地球浪漫ありがとうございました。興味深く読ませていただきました。
ずーっと燻り続けているなにかをはっきりさせることができるとき利己心や執着
から解き放たれるのでしょうか。
「戦後」や「敗戦」ということばに相変わらず甘え続けている自分達の世代が時
折恥ずかしく感じます。
他のどこの国のせいでもなく自分達のことなのに。


読者からの手紙3
得丸さん
今回も面白い(失礼かな)地球浪漫2を送っていただきありがとうございました。
特に『最高責任者のいなくなった日本はーーー誰も責任を取らない無責任な国に
なった。
各自が自己の責任を果たさないことには、民主主義は成り立たないのに。』のご
意見は
100%同感。周りを見ていつも思ってるものですから、ついつい社員に説教してし
まいます。
反省大ですね!とにかく知らなかったことを教えていただきありがとうございま
した。以上


読者からの手紙4
全共闘運動にだいぶご興味があるようですが、既にお読みになっているかも知
れませんが、お時間があれば松本清張著「小説東京帝国大学」の一読をお勧めし
ます。
 文庫化されていませんので、単行本でしかありませんが、近くの図書館でお借
りになれば良いでしょう。
 大逆事件もからませ、虚実を交え、山川総長以下東大の実像が書かれています。
 立花隆氏が最新刊で「東大とナントカ」を歴史的に書いていますが、清張さん
の本も種本に使っているのではないでしょうか。
 戦後を含め「現代」はまだまだ歴史的な評価は定まって居らず、「小説」の見
地でのアプローチが妥当ではないでしょうかね。


読者からの手紙5

地球ロマン読みました。私はまさにこの世代ですが、実際にこの時期を過ごして
きた者には、まったく別の思いがあります。

いわゆる全共闘運動に加わった学生は雑多です。その多くはいわば家庭内暴力の
大学版でした。我々の世代には団塊の混雑の中で、いろいろな心理的なストレス
が蓄積していました。思想とか理念とか目標など、この運動には何もありません
でした。指導者が理屈をつけるために、色づけることはあっても、実態は、破壊
することで鬱屈した不満を発散するという暴力行動でした。だから、全共闘運動
に参加し、その後社会人になった人々には真っ当な生きる思想や理念をもって生
きてきた人は非常に少ないはずです。あれは不毛な騒動だったというのが、同世
代の共通の認識です。大学に職を得た時に、学生運動の各派の連中がこぞって教
員になりましたが、共産党系から反共産党系まで、すべての同世代教員はこの点
で意見が一致していました。だから、全共闘運動の後遺症を抱えている法政大学
を改革して、立ち直らせるのに15年以上の時間がかかりました。一部の指導者は
語ることがあっても、それに付和雷同して破壊活動に加わってきた者たちには、
語るべきものがないのです。


読者からの手紙6
「全共闘と2・26事件」の文章を読みました。
面白い比較の仕方だと思いました。ただ、NHKの2.26事件の番組(その時
歴史は
動いた?)を見ましたか。もしまだでしたら、是非見てください。この時の実際の責
任者たちのずるくて卑怯な態度が、最近公表された証人のことばで紹介されていま
す。全共闘問題即ち俗に東大紛争は単なる学生運動ではなく、大学構内を使った市民
戦争でした。このように悲惨になった背後にも何か隠れた責任者がいるのかも知れま
せん。日米英の最高教育機関を体験してきた経験からは、教育改革は世界的視野をも
って取り組むべきと思います。


読者からの手紙7
おはようございます。安田講堂事件と2.26事件とを比較された発想
と勇気には敬意を表します。すばらしい内容で読み易く一気に2回読みました。
ひとつ気になったのは、便殿の間と玉座は関連はあるにせよ( )でくくることは
できないと思います。「便殿の間」で休憩された天皇が講堂での儀式にご臨場され
て座られる席(椅子)を玉座と言ったもので、同じ意味ではありません。市ヶ谷台
にある記念大講堂(極東軍事裁判所法廷)には「便殿の間」と「玉座」も保存されて
おりますので、もしまだ見学されておりませんでしたら一度行ってみて下さい。
ではまた。


読者からの手紙8
全共闘と2・26事件・・・有り難うございました。興味深く読ませていただきまし
た。  私も昭和40年代の初め、東北大の大学院に居りまして、東北大でも、過激
派学生が、教養部の本部を占拠し、コンクリートの階段をぶち抜き篭城し、大学側
は、なすすべも無く、結局、警察力で学生を排除しなければならない事件に直面しま
した。当時、私も、その学生のリーダー達とさしで話をする機会がありましたが、自
分の主張の実現のために、純粋な気持ちで生命をも掛けて行動する意思に共感は覚え
ましたが、理想の大学像や社会像が明確に無いのに、ただ、現状は、良くないという
だけで破壊に突き進む行動には、相容れるものはありませんでした。

得丸さんの、最後の戦後史解釈、考えさせられるものがありました。また、機会があ
りましたら、色々と、お話をお聞かせ下さい。有り難うございました。


読者からの手紙9
得丸さん、貴兄のこのメールほど迫力のあるメールを読んだことがありません。
祖国の美しい伝統をまだ信じることができた2.26の青年兵士に比べ全共闘の
若者たちは何と不幸だったことか。安田講堂事件の時にはすでに社会に出ていて
全共闘運動の渦中にはいなかった私も同じ不幸に我が身を引き裂かれていると感
じます。これはたんなる理屈だけで片付く問題ではないでしょう。近代世界にお
いて人間の志操はどうあるべきかというのっぴきならない問いだと思います。私
もささやかながら同じ世代の不幸を背負い、何が全共闘の不幸をもたらしたのか
を考えて続けていきたいと思います。

全共闘の不幸の一つは彼らの精神的指導者になるような知識人がいなかったこと
だと思います。2.26の北一輝にあたるような。三島由紀夫では役不足でしょ
う。所詮ロマン派の作家ですから。ただし私は右翼ゴロの要素がある北は嫌いで
すが。

 とにかく小熊英二が指摘するように戦後思想家と称された人達の思想はすでに
戦前戦中にできていて、それに戦争体験ショックが加わっただけ。戦後思想とい
うものはなかった。だから全共闘は思想的な混乱と空白の中で無我夢中で運動を
やるしかなかった。それが今になって、ただの暴動にすぎなかったなどと言われ
てしまう原因でしょう。しかし



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