2284.天皇とGHQ憲法



1 天皇と GHQ 憲法、2「鄭南榕先生を偲ぶ集い」のご紹介

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今日の毎日新聞朝刊に、「GHQ憲法草案受け入れ」「天皇が内閣説得」という記
事が出ていました。
国民としては、元首に裏切られた思いがするのでは?


http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060305k0000m010096000c.html

憲法草案:天皇がGHQ案受け入れで幣原内閣を説得

 1946年2月の連合国軍総司令部(GHQ)の日本国憲法草案づくりで天皇
に関する条項を担当したリチャード・プール氏(2月26日に86歳で死去)
が、生前の1月26日と2月17日、米バージニア州の自宅で毎日新聞のインタ
ビューに応じた。

 プール氏は「GHQの立場は、天皇を戦争犯罪で裁くのは誤りという点ではっ
きりしていた」と語った。日本政府がGHQ案を受け入れる際、昭和天皇が幣原
内閣を説得する「重要な役割」を担ったとも強調した。

 プール氏は当時、26歳の海軍少尉。46年2月4日、民政局の「天皇・条
約・授権規定小委員会」メンバーに起用され、象徴天皇制などの条項を起草し
た。草案は同13日に日本側に提示された。

 プール氏は、GHQ最高司令官のマッカーサー元帥には当初、憲法草案を作る
意図はなかったが、日本側の案が不満足なものだったためGHQ案を作ったと説
明。「天皇の権力が相当弱められたとしても、天皇の役割は占領に重要だった」
と述べ、天皇制維持がGHQの確固とした方針だったと強調した。

 さらに、昭和天皇は日本政府案がGHQに採用されないと考えていたと指摘。
当時、閣内でGHQ案受け入れをめぐり対立があったと述べたうえで、「天皇は
草案が自らの権力を弱めることを知っていたが、受け入れるよう説得した」と
語った。この経緯は、草案づくりの中心となったチャールズ・ケーディス氏(当
時陸軍大佐で民政局次長、96年死去)から聞いたことを示唆した。

 日本側資料にはGHQ案について幣原内閣が受け入れを決め、天皇に拝謁(は
いえつ)し了承を得たとの記述があるが、天皇の積極的な関与を裏付ける有力な
証拠はない。プール氏の証言は、天皇制維持に向け、昭和天皇のイメージを対外
的に好転させたかった当時のGHQの意図を反映したものとの見方がある。【松
尾良、ワシントン及川正也】

毎日新聞 2006年3月5日 3時00分


−2−
4月1日の土曜日に、台湾の三島由紀夫といわれている鄭南榕を偲ぶ集いがあり
ます。

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 「台湾の三島事件」と呼ばれる出来事は、烈士・鄭南榕の自決事件です。
 国民党の独裁時代に、外省人でありながら深く台湾独立に共鳴し奔走し、つ
いには官憲に取り囲まれての籠城線の果て焼身自決。その壮烈な魂は多くの人
士に衝撃をあたえた。
 この烈士を讃える催しが下記の要領で日本でも取りおこなわれます。どなた
でもご参加出来ます。三島由紀夫研究会、協賛です。
           記

と き  平成18年4月1日(土)午後2時30分〜5時30分(二時会場)
ところ  文京区民センター3F
(文京区本郷4-15-14  TEL:03-3814-6731(文京シビックセンターの斜向。
都営地下鉄:三田線・大江戸線「春日駅」徒歩1分、東京メトロ:丸ノ内線・
南北線「後楽園駅」徒歩3分、JR総武中央線「水道橋駅」徒歩10分)

プログラム  主催者挨拶、来賓挨拶、祭電披露、祭文奏上、献花
講 演    黄文雄先生(評論家、拓殖大学日本文化研究所客員教授)
       「国士・鄭南榕の自焚の意味するもの」
       宮崎正弘先生(作家、評論家)
       「鄭南榕と三島由紀夫について」
参加費    おひとり 1000円
懇親会    同会場にて、午後5時30分〜7時30分(懇親会費別途2000円)
主 催    鄭南榕顕彰会(日台交流教育会、日本李登輝友の会、台湾研究
              フォーラム)
協 賛    三島由紀夫研究会
後 援    在日台湾同郷会、在日台湾婦女会、台湾独立建国聯盟日本本部、
       日本台湾医師連合、怡友会
           ★ ☆ ☆ ★



(参考)
http://urawa.cool.ne.jp/masakim/Taiwan/History/history12.html

内外での民主化要求が高まる中、起きたのが「鄭南榕事件」である。鄭南榕は宜
蘭生まれの外省人二世で、強烈な台湾独立の推進者であり、国民党政権を痛烈に
批判する『自由時代』という政論雑誌を主宰していた。毎号のように発禁になっ
ていた。鄭南榕は海外の台湾独立運動を紹介したり、社説で台湾独立を主張する
だけでなく、1987年4月18日の台北市での集会では台湾独立を数千の聴衆の前で
主張した。これは戒厳令解除前のことで、生命を賭しての行動であった。鄭南榕
は1989年1月20日に反乱罪容疑で台湾高等検察庁に召還されたが拒否、4月7日午
前、強制連行を拒否して『自由時代』の編集長室に篭城して抵抗、最後は焼身自
殺を遂げた。この壮烈な死は台湾人を大きく勇気付けたのである。

こうして、内外の圧力により、1987年7月15日に38年間も続いた戒厳令がついに
解除となった。

得丸
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幼時教育・伝統文化・国家戦略      とら丸 

教育は大切である。技術面での高等教育も力を入れないといけない
が、今必要なのは、幼児教育だと思われる。適切な幼児教育ができ
ないと、日本人としての精神性を受け継ぐことができない。

国と国との生存競争に勝つためには、国家・民族としての誇り(精
神)が必要である。精神主義といえば、軍国主義を思い出すが、軍
国主義は共産主義や一部の新興宗教と同じく、人々を利用したにす
ぎない。

国と国との生存競争に勝つということは、他国の相対的力を弱める
ことである。
方法として@戦争をしかけるA相手国の文化を破壊する

である。逆に言えば、国を守ると言うことは、
@相手国の侵攻を阻止するA相手国の侵攻の意図をつぶす
B自国の文化を守る

ということである。戦争に負けた場合でも自国の文化が守られれば
、怪我が治るように普及はさほど困難ではない。
しかしBの自国の文化が破壊された場合は、体の心が少しずつ腐っ
てくるので、すぐには気づかないが民族にとって致命傷となり、災
いは子孫累々に及ぶ。

民主主義など誰もが反対できないようなスローガンの下、進歩主義
者を支援して科学主義思想を植えつければよい。本来の科学と伝統
文化は次元の違うものであり、従い科学が伝統を排斥することはな
いが、科学主義(科学を絶対と考える思想)という一種の宗教の元
では伝統文化の衰退が始まる。

これこそが最も恐ろしい戦略である。 
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(Fのコメント)
日本の伝統文化を軍国主義という理由で、米国GHQに潰されてい
る。このため、心がどんどん腐ってきているのが現状でしょうね。
そして、災いが子孫累々に及んでいる状態ですね。今の日本は。


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