2026.縄文・弥生のハイブリッドシステムを忘れるな



YS/20050619


縄文・弥生のハイブリッドシステムを忘れるな


■弥生中期の戦士の墓

 今からちょうど20年前の夏、私は東大阪市と八尾市にまたがる
久宝寺緑地内の遺跡発掘調査現場にいた。炎天下の中、汗だくにな
りながら弥生時代中期の方形周溝墓の木簡の中から出土した人骨と
連日向き合っていた。ボンド片手に骨を固めながら丁寧に掘り出し
ていくと、北側に向いた頭骨から密着した状態でサヌカイト製の石
鏃(矢じり)が出てきたのである。また、頭骨周辺には多量の水銀
朱と思われる赤色顔料も検出している。この頭部からの石鏃発見は
「戦士の墓、発見」の見出しと共に新聞各紙も取り上げた。

 後にこの人骨は身長1.6m前後の20歳前後の男性と鑑定され
ている。従って若き戦士を弔うための墓だったのだろう。弥生時代
の戦士の墓は、鳥取県の青谷上寺遺跡、京都市南区の東土川遺跡や
松江市・友田遺跡などで続々と発見されているが、この時期広範囲
にわたって戦いの爪跡を残している。

 縄文人が一万年以上も平和に暮らしていた日本列島に水田稲作文
化をもった渡来人が主に朝鮮半島経由でやってくる。縄文人の多く
は、この渡来人から稲作を学びながら血も混じり合っていく。弥生
人とはこの縄文系の混血弥生人と新たな渡来系の弥生人によって構
成され、現在の日本人の原型となっている。
 
 狩猟・採集民族であった縄文人は比較的平和であったのに対し、
農耕民族である弥生人はテリトリー意識が芽生え、貧富の差も拡大、
階層を生みだし、攻撃性も増していく。しかし、混血は見られるも
のの、縄文人と弥生人の礎となる渡来人が戦った形跡は残されてい
ない。渡来人は縄文人を「うまく言いくるめたのではないか」と知
り合いの考古学者は笑って話していたことを思い出すが、北米大陸
のネイティブ・アメリカンの歴史を重ね合わせれば信憑性が帯びて
くる。

 しかし、縄文人とて自らのアイデンティティーにこだわり、渡来
人との窓口に位置していた西九州地方では伝統的な世界観を象徴す
るために土偶作りが行われ、小林達雄はこれを幕末末期攘夷運動の
縄文版と呼んでいる。

■エルヴィン・ベルツの混血説

 この日本人の起源に関する「混血説」を唱えたエルヴィン・ベル
ツを紹介しておきたい。明治初期に医学を教えたベルツは、アイヌ
人が北部日本を中心に分布した先住民族であるとしながら、アイヌ
人と沖縄人の共通性も指摘している。

 ベルツが指摘したアイヌ沖縄同系論は最近のDNA分析でも実証
されつつあり、斉藤成也はアイヌ沖縄同系論を支持しつつ、遅くと
も縄文時代が始まった1万年以上前には大陸と縄文人としての日本
列島集団との間に遺伝的な分化が始まり、縄文時代が終わる300
0年前頃には、北海道集団は本州以南の集団と遺伝的に少しずつ離
れていく。そして、弥生時代の朝鮮半島あるいは中国からの渡来人
による遺伝子流入によって、北海道と本州以南の集団の遺伝的近縁
性が減少し、沖縄を中心とする日本列島南方集団が遺伝的に分化す
る。日本列島本土では弥生時代から奈良時代までは朝鮮半島南部を
含む周辺集団と混血しながら、平安時代以後は大規模な混血を経ず、
今日に至っているとの見方を示している。

 おそらく、神宿る森と共生した縄文人は渡来人の圧倒的なパワー
に屈しながらもその信仰を鎮守の森にそっと隠したのだろう。また、
融合できなかった一部の民は熊野や四国、九州南部、そして東北の
山奥へと逃げ込んでいった。アイヌ人と沖縄人は日本列島の周縁に
あたることからその影響を逃れた。渡来人に次いで、後に仏教、さ
らにはキリスト教をも受け入れた寛容性は縄文の伝統が生きていた
証だったのかもしれない。縄文人は負けながらもその信仰を八百万
の神々として弥生的な神道に植え付けていく。どうやら、太古から
続く主体的な伝承者としての縄文末裔一族のネットワークも今なお
存在しているようだ。

 この負けて勝つ縄文人を支え続けてきた八百万の神々は、自らも
国家的な死に直面しながらも、日本人の根っ子に生き続け、敗戦後
の日本を救うことになる。

■縄文との断絶

 明治期、皇国史観が支配する中で、縄文人は当時日本人の祖先と
考えられていた天孫族が日本に来る前に住んでいた先住民と位置付
けられ、野蛮で低劣な存在と見られていた。その結果、鎮守の森や
山の奥深くでひっそりと受け継がれてきた縄文信仰も近代化を目指
す明治期の天皇を中心とする神道の再編成によって国家的な死を迎
えることになる。これは縄文との断絶を意味した。

 神道を国家的存在と位置づけるべく、神社分離令(廃仏毀釈)(
1868年、明治元年)に始まり、神社合祀令(1906年、明治
39年)に至る過程で仏教施設はもとより全国で約7万社の神社と
その神々、そして鎮守の森が姿を消した。神々の一元化による淘汰
としての神社合祀令に対して、抗議の声をあげたのが熊野の森を愛
した野人・南方熊楠であったことはよく知られている。南方が命を
かけて守ろうとしたのは、自然だけではなく、熊野の地と自らのD
NAに刻まれた縄文そのものであった。

 先に紹介したエルヴィン・ベルツは日本人を長州型と薩摩型とに
分け、それらが異なる二系統の先住民に由来するとしながら、支配
階級に見られる長州型は満州や朝鮮半島などの東アジア北部から、
薩摩型はマレーなどの東南アジアから移住した先住民の血を色濃く
残していると考えていた。このベルツの分類は現在の靖国参拝問題
を読み解く上で示唆に富んでいる。

 1869年(明治2年)に靖国神社は、明治天皇の思し召しによ
って戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された。設立当初は東
京招魂社と呼ばれたが、1879年に靖国神社と改称されて今日に
至っている。

 一部に敵味方を問わず国のために身命を失った人々を弔う場とす
る見方もあるようだが、中国・韓国以前に会津出身者に申し訳ない。
よく比較に出されるアーリントン墓地には敗北した南軍の兵士も弔
われているが、靖国神社の場合、戊辰戦争の敵方であった会津白虎
隊や西南の役で明治政府に反旗を翻した西郷隆盛は祀られていない。

 会津藩士族出身であり本物の右翼を自称した田中清玄は、靖国神
社を「長州の護国神社のような存在」と切り捨てる。確かに、戦前
の靖国神社は長州・薩摩出身者の強い影響下にあった陸軍省、海軍
省と内務省が管轄する別格官幣社であり、祭神の選定も陸・海軍省
が行っていた。このことは靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍
の創設者・大村益次郎のいかつい銅像がなによりも象徴している。

 「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」という言葉を時の首相
・鈴木貫太郎に送り、日本を終戦に導いた名僧・山本玄峰の元で修
行し、「(陛下は反対であったにもかかわらず)どうしてあの戦争
をお止めにはなれなかったのですか」と昭和天皇に直接伺い、山口
組三代目組長田岡一雄とも親交があった田中清玄が許せない存在と
して名前をあげたのが岸信介・児玉誉士夫一派である。このあたり
の『闇』はさすがの田中清弦も語るのをためらっているようだ。

 いずれにせよ岸信介の孫である安倍晋三が「小泉首相がわが国の
ために命をささげた人たちのため、尊崇の念を表すために靖国神社
をお参りするのは当然で、責務であると思う。次の首相も、その次
の首相も、お参りに行っていただきたいと思う」(2005年5月
28日)と札幌市内の講演会で発言した背景には、安倍の偏狭な長
州史観が実によく表れている。

 また、小泉首相が薩摩の血を引いていることを考えれば、現在の
靖国参拝問題は単なる薩長史観に国民全体が振りまわされているに
過ぎず、薩長連合による靖国参拝が、分裂寸前の中国・韓国を結束
させていることを考えれば、意外と裏では『闇』つながりの仲良し
勢力が潜んでいるようだ。

■縄文・弥生のハイブリッドシステム

 「日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんに
もなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日
常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければこん
な、なんのひっかかりようもない御嶽が、このようにピンと肉体的
に迫ってくるはずがない。−こちらの側に、何か触発されるものが
あるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄ら
かさに対する共感がいきているのだ。この御嶽に来て、ハッと不意
をつかれたようにそれに気がつく。そしてそれは言いようのない激
しさをもったノスタルジアである。
 それにしても、今日の神社などと称するものはどうだろう。その
ほとんどが、やりきれないほどに不潔で、愚劣だ。いかつい鳥居、
イラカがそびえ、コケオドカシ。安手に身構えた姿はどんなに神聖
感から遠いか。とかく人々は、そんなもんだと思いこんで見過ごし
ている。そのものものしさが、どんなに自分の生き方のきめになじ
まないか、気づかないでいる。」

 これは岡本太郎が御嶽と呼ばれる沖縄の聖地を訪問したときに書
き残したものである。拙著「最新アメリカの政治地図」(講談社現
代新書)の推薦文を書いていただいた坂本龍一教授、宮崎駿なども
含めて一流のアーティストと呼ばれる人々は感性で見抜くことがで
きるのだろう。

 しかし、敢えてここで縄文に対するノスタルジアを否定しておき
たい。結論から言えば、沖縄やアイヌは周縁であるがゆえにたまた
ま残ったに過ぎない。周縁と呼ばれる場所に行けば同じ神々に出会
うことが出来る。東アジアにこだわる必要もない。

 その神々を今なお根っ子に残しているという点では特筆に値する
ことは事実であろう。拙著の中で、トヨタの地政学的な戦略から日
本人の両生類的なDNAがあると書いたが、縄文人を海洋文化、弥
生人を大陸文化と位置付けることで日本人=両生類説を見出してい
たのである。

 大陸を隔てた反対側の周縁にはケルト民族がいる。妖精が今なお
生きるケルト民族と日本人との共通点を見出したのは、「庭の千草」
(アイルランド)や「蛍の光」(スコットランド)などのケルト・
ミュージックを日本に持ち込んだ森有礼、そして小泉八雲 (ラフカ
ディオ・ハーン)であった。

 岡本太郎、坂本龍一、宮崎駿に続き、矢野顕子やネーネーズの古
謝美佐子がケルト・ミュージックの重鎮であるチーフタンズと共に
歌い、THE BOOMの「島唄」がアルゼンチンに次いで今年ロ
シアでもヒットした。アイヌではOKIがトンコリの心安らぐ音色
を奏でる。

 一方では、今なお進化し続けるトヨタの「ハイブリッドシステム」
は世界を席巻している。海外勢はこのシステムをまさに神憑りと見
ていることだろう。このシステムの本当の原動力は縄文と弥生のハ
イブリッドにある。 

 縄文は地球に生きる人類の歴史の原点である。そして今まさに八
百万の神々とともに世界を舞台に可憐に踊り始めようとしている。
われわれの歴史を今一度丁寧に復元しつつ、現代風にアレンジしな
がら蘇らせる努力こそが必要だ。

 言霊を忘れたかのような罵声が東アジアを飛び交い、日本人が再
び縄文と断絶し、ハイブリッドを見失う時、戦争はまた起こる。



□参考・引用
佐原真・小林達雄「世界史のなかの縄文 対論 」(新書館)
小林達雄「縄文人の文化力 」(新書館)
斉藤成也「DNAから見た日本人 」(筑摩書房)
岡本太郎「沖縄文化論 忘れられた日本」(中央公論新社)
「田中清玄自伝」(文芸春秋) 他多数
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次期首相たちに突きつけられた歴史カードとしての靖国神社

 中国が小泉首相の靖国参拝を問題視していることに、経済人や政
治家の一部が同調している。経済人の動きは台湾の財界総理がはま
った罠と同じで、経済人として利潤の為なら頼にならない所属国家
の存在を無視した行動・発言と思える。ある意味わかりやすい。国
家の存在を真剣に考えなくてはならない政治家のうち、一部の政治
家の行動・発言が軽挙・盲動に見える。

 なぜなら、元米国国務省次官が発言したとおり、「日中間には、
いつでも、何回でも、中国が歴史カード持ち出せば日本から謝罪と
経済援助が簡単に入手できた不思議な関係」が存在した。しかし
ながら、日中関係を常識な関係として扱う小泉首相は、戦後初めて
それを拒否した。中国にとっては政治的優位性の1番の根拠である
歴史カードを失う事態だ。そのため、首相の反対者はもとより首相
周囲の人間をも北京に招いて歴史カードの復活に全力を挙げている。
巧みに首相周囲の人間の中で情緒に弱い人間や政治的立場上の反対
者をねらい打ちしている。

 ここで問題になるのは、マスコミが大事に取り上げる過去の人た
ち発言ではない。彼らにとって自己の実績を自慢する種を失う行為
に反対するのは、老人たちが普通にすることだからだ。問題は、
これから首相になる意欲を持った政治家が、歴史カードとしての靖
国参拝をどう捉えるかが重要だ。戦略的思考に優れた中国指導部は
小泉首相後をにらんだが故に盛んに問題提議をしてる。つまり、遅
くとも来年9月までには小泉首相以外の政治家が日本の首相になっ
ている。その時までに、若い政治家に自分から靖国参拝をしないと
だけと発言させれば、再びあらゆる歴史カードが復活する。その後
に、「先に歴史カード(教科書問題でもよい)を切り出し日本の
マスコミを利用して日本に謝罪をさせ、謝罪の証明に尖閣諸島を中
国領土とすることを認めろ。」と中国が要求してきた場合に、歴史
カードを認めた次期首相はどのように対処するのだろうか。
そのことをわきまえている政治家はどのくらいいるのだろうか。

 政治は妥協の産物とか政治家個人の信条だからとかの理由がある
にしても、政治家が靖国参拝発言をする場合はその説明とそれ以外
の事への立場表明が必ず必要である。また、マスコミに一部の発言
だけを取り上げられて本人の発言内容と違った誘導をされないよう
に発言には特段の注意が必要だ。

 小泉首相が「日中問題は、靖国参拝を中止すればすべて解決する
のか。そうではない。」と発言した意味を表層的に捉えてはいない
だろうか。靖国参拝さえしなければ、一つの問題が解決すると考え
ていないだろうか。また、中国国内の安定を優先するために靖国参
拝中止を持ちだされ納得してはいけない。中国の国内安定のために
日本が犠牲になる必然はない。その国の発展・安定に必要なのこと
は、外部環境の平和と適切な内政政策である。経済発展に伴う歪み
の解決は内政政策でしか解決しない。政治はその基本を忘れては
どこの国でもうまく機能しない。中国の発展は次の段階にきている
と感じる。方向転換ができなければ、独裁覇権国家に突き進み危険
な隣人になる。それは他国へ要求・命令のみのする過去の中華帝国
以外何者でもない。
 佐藤 俊二
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死生観から考える靖国問題   
   
 文化の異層と重い課題/中国では死者も生身の人間
評論家 高瀬 広居
外交と国益を十二分考慮せよ  (世界日報掲載許可)

 反日デモ以来、本紙の論調や寄稿はどちらかといえば日本の国益優先に立った中国批判
 の主張が目立つ。その中で私の意見は若干趣(おもむき)を異にしている。なぜなら、
 日中関係を外交の本質と両国の歴史的、文明的交流の視点からとらえようとする座標軸
 を崩さないからである。

 その故か読者から愛国的でないという苦言の書簡を数々頂いている。しかし、私は自説
 を撤回する考えは毫(ごう)もない。もちろん、他国がわが国を極めて偏見に満ちた主
 張によって誹謗を加える時、憤然として反論抗議するのは当然のことである。ただしそ
 の場合においても、国際社会における日本の存在感の軽重、相手国との戦争と平和にか
 かわる歴史的曲折、そしてわが国の独自の戦略性と外交哲学を踏まえた国益を十二分に
 考慮しなくてはならない。

 事実、この十数年の日本の政治と外交の責任を担ってきた歴代首相や立法府の河野議長
 までが「首相の靖国参拝が国家利益を損なう」と警告を発し日中関係の正常化と賢明な
 対応を求めている。戦時中の狂信的右翼の再来を想起させる安倍晋三たち偏狭なナショ
 ナリストはいまや頭を冷やすべき時ではないのか。

 もし「冷たい頭脳」に立ち戻れば、世界の新たな一極に台頭しようとする中国に対しな
 ぜアメリカがこれほど焦立ちを抱き、CIA諮問機関が「衝撃と脅威」とまで断定する
 のか、その底流にある覇権パワーも読み取れるのではないか。持続力のある高成長、拡
 大する軍事力、ハイテクの積極的な普及、広大な国土と厖大(ぼうだい)な労働力、知
 的階層の増大、アジアの盟主を希求する青年層のナショナリズム――それはやがてパッ
 クス・チャイナ・アメリカーナを招来し、さらに中ロ、中印コネクションの世界史的展
 開を予知するからである。

中国の価値観は普遍的と思考

 その中国のエネルギーの源泉には十九世紀以来の「屈辱の歴史」がある。卓越した五千
 年間の普遍的文明の荷ない手である「中華人民」の自負を踏みにじった西欧と日本の
 「鬼子」への怒りと憎悪である。一九九〇年代の愛国教育運動とは長い間封印されてき
 た「屈辱と苦痛」に民衆を向かい合わせる「抑圧感の解放」と「矜持(きょうじ)の復
 元」にねらいがある。「いまや中国は何者も恐れることはない――」。

 この尊大な民族的自尊心と優越性は伝統的な「中華思想」に由来する。紀元二世紀の後
 漢末期に仏教が伝えられて以来、中国人は自己の文化の優位性を基礎づけるためいかな
 る真理の教説も「すべて元(もと)は中国で成立したもの」だとし、西晋の時代(四世
 紀)には『老子化胡経』がつくられ老子は釈尊であるとまで云い切っている。天台大師
 智覬(ちぎ)はシナの聖人が発生源でインドの聖人は末だと唱えた。西洋の天文学は紀
 元前四世紀にシナの暦法家が西方に赴(おもむ)いて教えたものであると『史記』の暦
 書には記されてる。このように異国の文化価値は、歴史的系譜や中国中心の優先性と源
 泉論理によってすべてひっくくられてしまう。これが中国人の価値観であり、そこから
 また儒教倫理や死生観も人類の普遍的文明と位置付けられてきた。

 日本の愛国者は短絡的で史眼が乏しい。中国を一党独裁の共産主義と把えるのはよいが、
 それは表層で彼らの民族哲学は儒教にある。しかも保守派の好む教育勅語の「父母ニ孝
 ニ、兄弟ニ友ニ……」の徳目は五常五倫という儒教の人間関係道徳論を掬(すく)い上
 げたもので、『孟子・滕文公(とうぶんこう)篇』に端的に述べられている。儒教は仏
 教やキリスト教と異なって人間は意志・能力によって最高原理の理解に至る(窮理〈き
 ゅうり〉)を説く。つまり、いかなる障害もその人の「誠心と努力」という現実行動に
 よって解決するとみる。「格物至知(かくぶつちち)」ともいう。孔子の『大学』にも
 ある。

 さらに中国人の場合、儒教理論に基づく、「死者観」がある。死者はあくまでも人間と
 しての死者として扱われる。そして、死者の霊魂を鬼神(きしん)と名付け「神(かみ)
 」ではなく「神(しん)」とし、鬼神は浮遊して再生の機会(降霊・招魂)を待つとい
 う。だから死者に怨みがあれば墓を発(あば)いて遺体を傷つける。『史記』の「伍子
 胥(ごししょう)伝」にナマナマしく描かれている。

日本の死生観通用する相手か

 中国人にとってA級戦犯は「成仏」のホトケでも「成神」のカミでもない。あくまでも
 人間としての死者「しん」なのだ。いくら小泉首相が「死んだらみんなホトケ様だ」
 「罪を憎んで人を憎まず」と叫んだとて胡錦濤主席の儒教的死生観は変わるまい。つい
 でに触れておくが、戒名や四十九日など仏事追善供養は儒教や道教の死者儀礼をとり入
 れたものである。

 同じ儒教文化圏にありながら日本人は死によって死者は生前のすべてが浄化されると信
 じ、中国人はナマ身の人間と見る、ということのギャップにすら日本の政治家は思い到
 らない。しかも中国は連合国の一員としてA級戦犯を断罪している。さらに靖国神社の
 元は「招魂社」である。加えて戦犯死刑執行日は十二月二十三日現天皇誕生日であり、
 この日靖国神社では鎮魂の祭祀が営まれるという暗合。

 日中二千年の歴史に澱む深いかかわりと文化の異層の闇をたぐりながら、いかにして東
 アジア共同体の一員として「和」を築くか。私たちの背負っている課題はまことに重苦
 しい。(敬称略)
       Kenzo Yamaoka


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