2019.人民元の切り上げ要求



欧米の先進諸国より人民元の切り上げ要求が相次いでいることに
ついて。

人民元のレート問題を通貨戦争として考察する。はじめに、1997
年から1998年にかけてのアジア金融危機は通貨戦争だったとい
う立場から考察する。

80年代中頃東南アジア及び韓国・香港・台湾のアジア諸国は通過
を対ドルレートで10%から20%下げ、ドルペッグ制に移行した。
目的は外資の導入による経済開発だった。つまり、国内資本の不足
による供給力不足を補うため、ドルペッグにより通貨切り下げに伴
う外資から見た通貨切り下げに伴う投資リスクの解消をはかり、工
場等の誘致優遇策と合わせ外資導入により経済を発展させることだ
った。この目的は成功したが、90年代に入り三つの問題を抱えた。
1番目が貿易収支の赤字が解消しなかった。その補填に短期資金を
借り入れた。2番目が米国と各国とのインフレ率の差により実質的
な通貨切り上げとなっていたこと。3番目が中国の参戦だった。

当時、中国が通貨戦争を仕掛けていると、ほとんどの人たちが気付
いていなかった。中国は94年に天安門事件の経済制裁による貿易
赤字解消のため、5年ぶり3回目となる人民元切り下(33%)を
した。そして、初めてドルペッグを実施し参戦をした。これにより
、華僑と日本を中心とした外資の投資先がアジア諸国より中国に変
わった。そして、数年後にアジア金融危機が起きた。なにも、ジョ
ージ・ソロス氏の陰謀ではない。通貨戦争を冷静に見ていた人たち
は金融危機の前に警告を発していた。例えば、当時の米国財務省長
官は金融危機の半年ぐらい前にドルペッグの変更を提案していた。
これは、為替市場の自由化を意味していた。しかし、アジア諸国は
この警告を米国の利益追求の手段と見ていた。また、通貨を切り下
げる事により外資流入が減少することを恐れていた。

当たり前のことだが、この危機に動じなかったのは国内資本で投資
資金を賄い、貿易黒字の日本及び台湾と通貨戦争を仕掛け、そして
、対策を施しておいた中国だった。

これを中国より眺めれば、通貨戦争を仕掛けた後、2年間以上の間
に中国は外資の投資を輸出専用工場等に限定し盛んに外貨を稼いだ。
危機の時点では、通貨を下げる必要が無く、かえって通貨を下げな
いことで安定した投資先としてアピールすることができ、かつ、ア
ジア金融危機の広がりを防いだという名誉を得た。そして、米国金
融首脳以外の世界の人が人民元を33%切り下げて通貨戦争を仕掛
けたことに気付かなかった事により通貨戦争に決定的な勝利を得た。
その後は競争相手がいない状況で、最も有利な外資の投資先となり
世界の工場へと突き進んだ。

今回の人民元問題を通貨戦争として考えると、当事者は米国と中国
になる。表面上のテーマは相互に雇用問題となる。雇用問題の打撃
が大きいのは中国だ。元々戸籍による貧富の差別があるところに、
開放経済を推進した結果その差が開きすぎ、社会の安定性が弱まっ
てしまった。この時期にこれ以上の雇用悪化政策は共産党独裁政治
にとって危険すぎる。一方、通貨切り上げによるインフレ抑制によ
って民政安定をはかるという考え方を考察すると、資源高騰はドル
ペッグ経済圏では等しいので説得力がなく、中国にとって石油等の
輸入資源高騰によるインフレを防ぐより雇用問題の方が重要である。
米国の雇用問題はそこまでは至らない。ただし、議会制民主主義の
ためその圧力は相当高い。基本的に通貨が経済力に見合って段階的
に切り上がることは、その国民の生活向上につながる。その経済力
とは高い付加価値の品物(ハード&ソフト)を生産する経済活動で
あるが、現在の中国指導者たちは中国全体がまだそのような状態に
至ってるとは判断していないだろう。

深層部分では、相互に別の目的がある。中国としては、アジア通貨
戦争に勝利した現状の維持を長期にわたって狙うだろう。その間に
、世界の工場として一段と規模の拡大をはかり、社会安定として必
要な雇用の拡大と世界最大市場としての世界的主導権の獲得を謀り
たいはずだ。世界最大市場になれば経済的覇権の一部を獲得したこ
とになる。

米国が通貨戦争で獲得する目標は、中国での国家の介入のない自由
な金融市場だろう。自由な金融市場で荒稼ぎできるノウハウを持っ
ているのは主に米国企業だ。米国金融首脳はこれが目的だろう。
しかも、別の目的もある。一度、自由な金融市場ができると通貨戦
争は基軸通貨国である米国有利になる。これにより、中国の発展と
行動をコントロールすることができる。また、米国の価値観への統
合をそくする道がより開ける。ようするに、米国がコントロールで
きる体制に中国を組み込むことが目的だろう。

米中通貨戦争は前哨戦から本番に入ったと思う。米国商務長官が中
国で呉儀副総理(対外貿易担当)・薄■来商務相と会談した。先ほ
どドタキャンした呉儀副総理を日本の新聞は飾りもの扱いしていた
が、実際は中国がWTO加盟するときの司令官&タフな対外交渉人
の実力者。薄■来は第5世代のホープの一人。今年中に胡錦党主席
が訪米するときまでに調整できるタイミングでの会談だと感じた。
米国議会に色々な決議等が出てきた。過去の日本の場合に起きたこ
とと同じように見える。しかし、日本と中国とでは覇権に対する
DNAが極端に違う。同じ結果になるとは思えない。今後の成り行
きをしっかりと見ていきたい。

佐藤俊二
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利潤なき経済社会3−「利潤なき経済社会」の“経済論理”
                          あっしら
●輸出超過は活動力の壮大な無駄である
 これまでの書き込みでは、貿易収支の黒字こそが“真実の利潤源
泉”と主張してきたが、「利潤なき経済社会」では、輸出超過(貿
易収支の黒字)をめざすこと自体が愚かな所為となる。
 輸出は、国民経済で供給できない不足を輸入で補うために行う経
済活動であって、それを超える輸出を追求することは、国民の活動
成果を外部に流出させてしまう愚かで無駄な行為である。
 輸出超過になるのなら、その分生産活動を抑制し、休息するなり
遊ぶなりするほうが、国民生活の満足度や資源の消費を抑えるとい
う観点から見て好ましいことである。

 もちろん、“必需財不足”に苦しんでいる外部国民経済があるの
なら、そこのために喜捨的ないし慈善的に生産活動を拡大して輸出
したほうがいいと合意されることもあるだろう。
 また、エネルギーや鉱物資源を中心に、自前で調達できる資源の
利用法開発や消費した資源の再生サイクルを追求することで、輸入
の必要度合いを下げるべきである。

●市場原理の基礎が「供給=需要」から「需要=供給」に変わる
 これも、「供給が需要を生み出す」というセイの法則まで持ち出
し、供給=需要であり、供給の増加こそが需要の拡大であり「デフ
レ不況」を解消すると主張してきた従来の書き込みとは大きく異な
る。
 需要と供給が左右入れ替わっただけではないかと思われるかも知
れないが、「供給してから需要を待つ」という構図と「需要がある
から供給する」という構図は言葉の違い以上の根底的な変化である。

 需要がなければ、供給(生産)されなくなり、無駄がなくなると
は思わないが、“過剰供給(生産)”はなくなる。

●具体的な財種別による生産優先度の明確化
貨幣経済の普遍化は、「必需財」・「利便財」・「奢侈財」・「快
楽享受財」といった財の需要性格区分を曖昧にし、売れる(利益が
得られる)ものと売れない(利益が得られない)ものという二項区
分に収斂させてきた。

その行き着いた先が、もっとも優先度が高い「必需財」であるはず
の食糧の自給率が40%という日本の姿である。

「需要=供給」に変わることで、「必需財」→「利便財」→(「奢
侈財」・「快楽享受財」)という財供給(生産)活動の優先度が自
然と明確になる。

●生産者(供給者)と消費者(需要者)の一体化
 消費者もしくは生活者重視という言い方もなされているが、生産
者と消費者という分断対立的意識情況は近代特有のもので、需要=
供給になることで解消されていくだろう。

 家族単位で考えれば、生産者(稼ぐ)と消費者(消費する)が同
一であることは自明である。消費者重視というスローガンが持ち出
されること自体が、「近代経済システム」が内包している矛盾の現
れである。

●経済活動は財的な欲求実現活動となる
 まともな「利潤なき経済社会」では、GDP的経済指標を気にす
る人はいなくなるだろう。経済活動は、通貨を獲得する活動ではな
く、財に対する欲求実現活動や必要な用役の提供活動になるからで
ある。

● 義務的労働従事時間は大幅に削減される
 現在の「労働価値」(生産性)レベルでも、現在レベルの財や用
役を供給するためであれば、週休4日でさえ可能であろう。
 需要=供給になれば、どういう財が供給可能なのかという情報が
必要なだけで、需要を喚起する活動である営業は不要になる。
(これは財や用役の供給活動に従事できる人口が増加することを意
味するので、輸出入均衡と相俟って、一人一人に要求される勤労時
間は大きく減少する)

 まともな「利潤なき経済社会」では、人々の活動(生活)パター
ンが大きく変わることになる。

■ “余剰労働”の在り方
“余剰労働”とは、
1)子供・老人・病気・怪我など、労働ができないもしくは免除さ
  れた人々への財や用役の供給活動
2)道路や公共施設などの社会的インフラやその他の国家的需要を
  満たす財や用役の供給活動(生産設備など生産財も、社会的イ
  ンフラと考えられるようになるかもしれない)
である。

非就労状態の人々も当然のように供給を求めて需要を主張できるし
、ある種の需要が満たされれば、それまでできなかった労働(活動
)ができるようになる場合も多いだろう。

とりわけ、用役の供給は、身体的条件で就労できない人々に対する
ものが優先的なものと考えられるはずである。
ここでイメージしている用役は、教育・医療・看護・“日常の世話
”などであり、“日常の世話”は家族が第一義的に行うとしても、
サブシステムとして、家族が負う期間や量の軽減をはかる用役の提
供が必要と了解されるだろう。

社会的インフラの整備は、現在のように経済成長を促進する手段と
いう性格は消え、地域維持にとっての必要性や利便性、さらには「
開かれた地域」間の関係をスムーズに維持することを目的として行
われることになる。

現在は“余剰労働”を税負担というかたちで提供しているが、まと
もな「利潤なき経済社会」では、活動力の提供に置き換わることに
なると考えている。

そして、自己(家族を含む)の必要(欲求)を満たす活動も“余剰
労働”も等価の活動として扱われるだろう。(余剰労働に従事すれ
ば、自己が必要とする財や用役の供給を受けられるというイメージ
で受け止めて欲しい)

■ 通貨の性格変化
資本すなわち保有通貨の極大化を目的として動いている「近代経済
システム」から、これまで書いてきたような経済活動を基礎とした
「利潤なき経済社会」に移行することで、通貨の役割も、根底から
変更されることになる。

● 通貨から蓄蔵手段が消滅する
通貨は、活動力の交換手段として位置づけられ、使われないまま貯
め込まれるという“余剰通貨”問題は存在しなくなる。

人の活動力そのものが保存できないものだから、その表象である通
貨も蓄蔵できないものとなる。
これは、「近代経済システム」においても同じ論理が通底している
のだが、愚かにも理解されていないだけである。
デフレ不況の根源要因である“余剰通貨”問題の発生は、基本的に
、通貨の蓄蔵性に拠るものである。

供給(活動力)に見合う需要(通貨)がなければ、デフレ不況にな
るのは自明である。
デフレ不況になるということは、無駄な供給(組織された活動力)
が行われていたり、需要を実現する条件である通貨的“富”が歪ん
だかたちで配分されていることの反映である。(かつてそれが見え
なかったのは、赤字財政支出でごまかしていたからである)

前述の“余剰労働”が十全に機能していれば、老後・病気・怪我な
どに備えた貯蓄も不要であり、将来の生活及び生存を支える手段と
しての通貨蓄蔵は意味がなくなる。

(住宅など個人ないし家族の活動力を対価としてはなかなか補うこ
とができない大量の活動力を必要とする家族向け財の供給について
は別の機会に説明したい)

一般的交換手段という通貨機能はそれなりに重宝なものであるから
、活動力の交換を行う手段として有効かなと考えている。

● 通貨の貸し出しを通じた利息は公的にはなくなる
一般的交換手段としての通貨が存在する限り、それを貸して利息を
得るという行為はなくならないかもしれないが、公的には認められ
なくなるだろう。
(破滅的な性格で、借りてまで酒を浴びる人もいるだろうからね)

● 銀行は決済システムとしてのみ残る
貸し出しを通じた利息の取得が認められないのだから、銀行は、決
済機能のみを担うことになり、過去の銀行とはまったく性格が異な
る経済主体となる。現在の銀行も利息がほとんどないために、似た
状態になっている。

この他、土地や生産手段の所有形態問題などもあるが、所有と排他
的占有の違いなどをきちんと区分けして説明したいと思っているの
で、ここでは、プライベートなものは私的な専有対象として扱われ
、パブリックなものは、地域・国家など重層的な共同体組織が用途
の違いで管理主体の位置に立つというレベルでとどめておきたい。
(河川・エネルギー・交通体系などで地域を超えて機能する部分の
インフラは、地域ではなく、国家が管理主体となるべきである)

まともな「利潤なき経済社会」というものを提示した背景をご理解
いただくために、簡単にまとめたものを添付したので参照していた
だければ幸いである。

【利潤に関する簡単な捕捉説明】
利潤とは、本来、遠隔地交易による商業利潤であり、外部共同体か
ら得る貸し出し利息である。
そのようなかたちで得られた利潤であれば、それを退蔵しようとも
、共同体の経済活動が縮小することはない。

商業利潤と貸し出し利息の違いは、利潤を手に入れるための活動力
の有無であり、拡大的再生産の可能性の有無である。
貸し出し利息は、自己の活動力ではなく、他者の活動力に依存して
得るものであり、商人の活動力に依存する貸し出しも行われる。
(貸し出し利息と投資配当は、返済及び果実支払いの強制力がある
かないかという違いがあり、根源的に性格が異なるものである)

商業利潤は、それを元手に組み込んで仕入れを増加させることを通
じて拡大的再生産をもたらすこともあるが、貸し出し利息は、貸し
出し利息をさらに取得するための追加的貸し出し原資となり、経済
主体や国家をより苛酷な状況に追い込む可能性が高いものである。

外部国民経済から利潤(経常収支黒字)を獲得するか、貸し出し利
息が追加的な貸し出しとして使われない限り、貸し出し利息分が、
国民経済の“縮小再生産圧力”として積もっていくことになる。
利息が及ぼす“縮小再生産圧力”は、国家財政が危機にある日本の
現状を見ればわかる。
近代の通貨制は、貸し出し利息をより多く稼ぐための“詐欺師”の
仕組みである。(日本はそのような意図で通貨制度が運用されてい
るわけではないが...)
そして、“詐欺手法”の究極が現在の管理通貨制である。この“詐
欺手法”は、高経済成長の源泉でもあるが、経済破綻の要因でもあ
る。

共同体内商業活動で退蔵してしまう利潤を得たり、共同体内貸し出
しで利息を得れば、共同体の生産・再生産活動は危殆に瀕すること
になる。
(利潤や利息が消費や投資に使われれば再生産活動に支障は生じな
いが、“高利貸し”(=銀行家)は、守銭奴的に保有通貨の増大を
志向しがちである)

利潤や利息を得ても問題にならないのは、外部共同体からそれに見
合う通貨的富の流入がある場合のみである。(通貨的富の流入は、
掠奪でも、返済しないのなら対外債務でもかまわない)

商業は、輸送業を兼ねていない限り、自己の活動力で「交換価値」
(=「労働価値」)を生産するわけではなく、商品販売活動の一部
を代行することで生産者が生産した「交換価値」の一部を譲り受け
るだけである。
(このような論理が現実として貫徹するのは、社会的分業を基礎と
した貨幣経済である「近代経済システム」のみである)

前近代の商業活動であれば、商才で利潤を得たとしても、多数の人
の生存活動を引きずり込むレベルのものではなく限定的な経済活動
であったから、それが社会的な問題を引き起こすことは少なかった。
(生存活動そのものが市場原理に規定されていたわけではない)

売値>仕入れ値+輸送費+手間賃(生活費)+店舗償却費であれば
、商人に利潤が生じる。(商人の生活費の多寡は問わない。派手に
使えばそれに向けた供給活動が発生するので問題にならない)

「手間賃(生活費)+店舗償却費」は生産経済主体の商業活動の延
長代行部分であり、それらに仕入れ値を加えたものが、商品として
生産された財の「交換価値」(=「労働価値」)である。

宗教に関心がある人であれば、商人の宗教とも言えるイスラムが、
利息取得を禁じたり、税や喜捨で商業利潤の吐き出しを求めた意味
がわかるはずである。
(ユダヤ教(「旧約聖書」)も、同胞からの利息取得を禁じている)

共同体内から得る利息や利潤(使わず退蔵する利潤)は、共同体を
疲弊させ沈滞させるものである。

米英が中心となって仕掛けている「対イスラム戦争」の根っこには
共同体価値観や経済価値観をめぐる対立があり、米英支配層は、共
同体(国家)統治や経済活動からイスラム価値観を排除し、イスラ
ムを“心の問題”に閉じ込めようとしているのである。
(イスラムを、“近代化”したキリスト教やユダヤ教のようにした
いと思っていると考えてもらえばよい)

イスラム法国家が壊滅したとき、世界は、初めて近代価値観(法)
をベースにした国家で覆い尽くされることになる。(ちなみに、米
英政権による攻撃が取り沙汰されているイラクは近代法国家であり
イスラム法国家ではない)

セム系宗教として同根である変容したユダヤ・カソリック源流キリ
スト教とイスラムの対決が、「対イスラム戦争」の本質である。
(アジア的価値観はその柔軟性から“近代価値観”をなんとかうま
く呑み込んだ。ギリシア・ロシアなど正教会的価値観国家は、ロシ
アに代表されるように、近代的価値観に引き寄せられつつある)

原油を中心とした資源問題だけではなく、このような価値観の対立
を踏まえなければ、“代理人”である米国政権の対イスラム政策も
見えない。
私は、“生産者主義”なので、イスラムを信仰しているわけでもな
いし、啓示宗教全般を受け入れてもいない。

【これから起きる「世界同時デフレ不況」は近代的手法では解消で
きない】
これから本格化すると予測している「世界同時デフレ不況」は、前
回の「大恐慌」とは異なり、“余剰通貨”問題の源泉である利潤獲
得目的の経済活動すなわち近代経済価値観を超克しない限り、乗り
切ることができないだろうと考えている。

「近代経済システム」がその旺盛な増殖力によりグローバルな社会
的分業を推し進めてきたことで、“余剰通貨”(使われない利潤)
の増大が、「世界同時デフレ不況」を現出させることになった。
(それをなんとか防止してきたのがケインズ主義政策であるが、貧
乏人にまで過大な負担を強いてもなお膨らんでいくという公的債務
状況では、そのような防止能力はほとんどなくなったと言える)

それぞれの国民経済にとって外部国民経済(外国経済)が外部共同
体とは言えないほど緊密なる世界経済構造になっており、政府部門
の支出によって補うことができないほどの“余剰通貨”の増大は、
世界同時的なデフレ不況を誘発せざるを得ない。

(“余剰通貨”が大きく動き始めるような新しい製品や用役が供給
されるようになれば、一時しのぎにはなるが、現在の経済価値観が
生きている限り、その供給を通じて再び“余剰通貨”が積み上がる
ことになるから、近代の先延ばしだけで根源的な解決にはならない)

1929年に始まった「大恐慌」(「世界同時デフレ不況」)は、
余剰通貨を減少させることになる戦争体制と第二次世界大戦を通じ
て生じた世界経済構造の変化によって乗り切ることができた。(世
界経済構造の変化とは、端的には通貨的富と供給力の米国一極集中)

しかし、世界経済構造が大局において変動する余地がないところま
でグローバルな「近代経済システム」ができ上がった現在において
は、先進国数ヶ国の供給力を破壊するような戦争が起きない限り、
短期的にも乗り切ることができない。(だから、日本は気をつけな
ければならない!、中国を潰すことで乗り切れると考えている可能
性はある。)
失礼ながら、イラクをはじめとする中東地域に破壊的な軍事行動を
仕掛けても、「デフレ不況」を解消することはできない。

戦後世界で達成された高経済成長は、第二次世界大戦で米国以外の
多くの先進国が陥った壊滅的な経済状況の復興過程が経済指標とし
て現れたものでしかなかったのである。

復興過程の軸となったのが米国経済である。
通貨的富の国際移動をベースに、物的供給力(生産財や原材料)を
米国経済主体が輸出し、供給力を輸入した諸国の経済主体がそれに
よって生産した財の一部を米国に輸出することで、借りた通貨を米
国に返済していくという国際的循環構造である。
米国に一極集中した通貨的富と財供給力を他の先進国に再分配し、
輸入を媒介として再度通貨的富を米国が回収していくという過程が
70年頃までの高度成長時代である。
高度成長後も米国の輸入に依存するという循環構造は残り、日本な
どの輸出国家は、通貨的富を米国に再配分する役回りに変わった。
(米国に通貨を貸して財を輸入してもらうという倒錯的な経済成長
の追求である)

「近代経済システム」は、“新世界”と呼ばれたアメリカ大陸の通
貨的富の略奪を資本の本源的蓄積として国際交易にいそしみ、それ
が西欧の通貨的富を減少させてしまうという状況を克服するために
形成されたものである。
(“新世界”からの通貨的富の流入が欧州の商品生産を活気づけた
が、その主力を担ったスペインとポルトガルは、近代に至る前に国
際交易の覇権争いの戦いで敗れ去った)

産業革命以前は英国を中心とする西欧の輸入超過であるから、国際
商人自体は通貨的富を増加させるとしても、欧州全域での通貨的富
は減少し、最終的には輸入財も売れなくなってしまう。
これを解消する手法が、輸出商品を生産するための“産業革命”で
あり、インドや中国における強圧的な販売市場の確保である。
英国は、近代産業と軍事力を国際商人(金融家)の利益拡大のため
に一体化させ、インドや中国に流出した通貨的富の回収をはかり、
新たな販売市場や植民地も拡大していった。

そして、その過程で増加していった通貨的富は、第一次・第二次世
界大戦という大災厄を挟む歴史過程を通じて、周り回って米国にほ
とんどが“戻った”。

“新世界”から略奪されて流出した通貨的富が、“新世界”で覇権
を打ち立てた米国に戻る過程で、世界全体が「近代経済システム」
に組み込まれていったとも言える歴史である。

「近代経済システム」は、“新世界”で強盗的に国家を樹立しつい
には世界の経済覇権を握るまでに至った米国が、通貨的富の追加的
流入が実現できずに対外債務を返済できない事態に陥ることで、終
焉の兆しをあらわにすることになると考えている。

近代は、“新世界”からの略奪を端緒とした歴史段階で、“新世界
”に生まれた覇権国家が経済的に破綻することで幕を閉じなければ
ならないことになる。
まさに、世界の通貨的富がゼロサムであることを如実に示す歴史過
程である。

しかし、自然現象ではない経済システムは、自動的法則的に終焉を
迎えるわけではない。
人々が知恵を絞って新たなシステムを創り上げない限り、世界中が
、“近代の断末魔”がもたらす災厄にもがき続けることになる。
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対アジア経常黒字が3割増、過去最高の8兆8千億円 (読売新聞)

 財務省が9日発表した2004年の地域別の国際収支は、海外と
のモノやサービスの取引などを示す経常収支の黒字のうち、対アジ
アが前年より32・8%増えて8兆8623億円となり、1997
年(7兆977億円)以来、7年ぶりに過去最高を更新した。

 中国や韓国、台湾などへの半導体部品や半導体製造装置などIT
(情報技術)関連製品の輸出が増えたためで、日本企業のアジア進
出の増加やアジア経済の好調ぶりを反映する結果となった。一方、
米国向けの経常黒字は同4・7%増の9兆6915億円だった。

 同時に発表した4月の国際収支状況(速報)によると、経常黒字
は前年同月比5・2%増の1兆6269億円となり、2か月連続で
黒字幅が拡大した。

 米国債などへの投資が増えたため、海外への証券投資や直接投資
がもたらす配当や金利収入などを示す所得収支の黒字が同18・5
%増の1兆65億円と幅を拡大したのが要因だ。海外とのモノの取
引を示す貿易収支の黒字は、原油高で原油や石油製品の輸入額が増
えたため、同5・6%減の1兆1966億円と4か月連続で黒字幅
が縮小した。一方、旅行や航空輸送などのサービス収支の赤字幅は
9・4%減となり、3か月連続で赤字幅を縮小した。

(読売新聞) - 6月9日12時0分更新
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内需拡大への点火は未だし   
   
 1―3月期のGDP統計/どっちつかずの半端な状況
経済ジャーナリスト 尾関 通允
微増でも景気の上昇力は弱い (世界日報)掲載許可

 景況の行方が、依然として見定めにくい。もちろん、悪くなっているのではないが、し
 かし、上昇に向けて動き始めたという気配もない。どっちつかずの半端な状況が続いて
 いる―というのが、現況であろう。

 経済バブル破裂後の長期低迷から多数の企業が立ち直って収益条件の改善―それも著し
 い改善―に成功したことは、前三月期決算をみれば歴然としている。その事実は、例え
 ば大手の銀行・金融七グループで不良債権処理損失の大幅減が実現していること、その
 ため金融システムが再び機能不全の危機に直面する懸念もほぼ解消したといっていいこ
 と―からも、疑いない。もちろん、製造業や金融以外の非製造業でも業況順調を告げる
 ものが相次ぎ、それを反映して増復配に踏み切るものも少なくない。だが、それにもか
 かわらず、景況は上昇指向の姿になっていない。内閣府が公表した一−三月期の国内総
 生産(GDP)の数字は、それを裏付ける。

 それでみると、一−三月期は名目値で対前期(十−十二月期)比で微増を記録しており、
 二期連続のプラス成長を示したことになるものの、実勢はさほどよくない。それという
 のは、この期のGDPを押し上げた要因が民間設備投資と民間在庫投資ならびに個人消
 費なのだが、このうち民間在庫投資は需要増見込みを背景にしての積極的なものという
 より需要の伸びが鈍いことの結果として生じた意図せざる増加のきらいが強く、個人消
 費の伸びは前々期と前期の不振の反動という部分が小さくないこと、そして、民間設備
 投資については東南アジアなど海外に流出するものもあって国内経済拡大への寄与は以
 前ほど大きくはなくなっていること―などがあるからで、それだけに、景気の上昇力は
 むしろ弱いとみるのが、情勢判断としては適切だろう。

災害後の消費が回復しただけ

 一−三月期は、期中の輸出から輸入を差し引いた純輸出は、わずかだがマイナスだった。
 マイナスは、輸出が伸び悩んだのに対して、輸入は伸び率こそ低かったが増加したこと
 による。純輸出のマイナスと国内プラスから、大方のマスコミは、日本経済の活動が内
 需主導型になった―と報じた。数字づらからは、確かに、そう読めるだろうが、本質を
 つかんだものとは言いがたい。

 仮にの話だが、本当に内需主導型の経済活動に移行したというのであれば、輸出の増勢
 はもっと鈍化し、反対に、輸入は伸長しよう。ところが、一−三月期の実績を点検する
 と、輸出の減は海外需要の後退と自動車に関しては輸送用の船腹の不足などが主因で、
 国内需要が増えたから海外向けが減ったのではないし、内需が盛り上がるなら輸入は活
 況を呈するはずのところが、そうなってはおらず微増に止まっている。石油や石油製品
 その他の輸入代金が価格上昇のため増高していることを考慮すると、実質上は輸入はせ
 いぜい横ばい程度にすぎまい。

 輸出と輸入の右に述べた実情からしても、一−三月期の日本経済は、内需に点火したと
 か内需主導型に転じたとか認め得る局面ではないことが分かろう。気候条件や災害のせ
 いで落ち込んだ個人消費が反動的に増加したというだけのことで、だから、それがなか
 ったとすれば、対前期比は横ばい以下だったに違いなく、したがって、日本経済自体に
 は上昇の活力はなお不足しており、今後の景況を左右するのは、海外条件の展開いかん
 にかかるということに、ならざるを得ない。

不透明で強気になれない日銀

 その海外はといえば、引き続き、不透明状態からの脱出の見通しが立たない。米国経済
 は順調ながら財政と対外経常の双子の赤字という“病気”をかかえているし、中国経済
 も低所得層の不満の潜在や電力・水・環境などの天井への接近も加わって調整局面への
 移行の可能性がある。日本経済にとって、対米輸出・対中輸出のほか部品や素材の中国
 経由の対米輸出などに直接の不安があるばかりか、世界貿易が足踏みすることの景況へ
 の悪影響も弱材料になろう。もとより、これらは、そうした事態の発生もあり得るとい
 う程度のことなのだが、内需に勢いが乏しいだけに、要注意ではあろう。

 日銀が五月二十日の金融政策決定会合で発した金融政策の方向を語るメッセージは、す
 こぶる付きで歯切れのよくないものだった。ついしばらく前まで日本経済復調の予測を
 明言してきたのが福井総裁なのだから、違和感が残ることを否めない。国債発行残高が
 膨大で、借り換えをも含めて当分はなお高水準の国債発行が継続することから、金融緩
 和の後退に財務省が慎重な態度を崩しておらず、そのことへの配慮もあってのことだろ
 うが、それ以上に、エコノミスト集団としての日銀自身が日本経済を取り巻く外的環境
 条件のこれからにまだ強気にはなり切れない事情も手伝っている―と考える。
       Kenzo Yamaoka

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