1983.地球規模の「智のゲーム」



地球規模の「智のゲーム」について検討しよう。  Fより

T君からイスラエルの状況を聞き、「智のゲーム」ということにな
っていると思った。この考察をして見たいと思う。
昔、「Head To Head」という本があったが、欧州、米
国、日本の経済覇権の戦いは、付加価値の高さだと言っていた。

しかし、今日、状況は変化した。韓国や中国、インドの製品やサー
ビスが先進諸国の企業と同程度の製品やサービスを提供するように
なり、欧州・米国・日本も最先端技術製品を作るか高付加価値のサ
ービスを充実しないと、中進国家の追撃を受けて失速することにな
る。この意味では経済覇権争いは多極化して、どう組むかが重要に
なっている。

イスラエルは今まで米国と組んで、米国企業のような顔をして行動
していた。しかし、一方の米国企業の方は研究開発にそれほど投資
をしないために、GMやフォードのように日本の自動車会社の追撃
を受けると失墜している。

トヨタとホンダのハイブリット車を5年以上も研究開発しても追い
つけない。研究開発を途中で放棄するなど、米国の企業姿勢に問題
がある。特徴ある新車を日本企業はどんどん出すが、米国企業は、
デザインを変えた車でしかない。車の作り方が変化して、PCでの
自動制御でエンジンを動かして、どう人間の感性と調和させるかの
勝負になっている。この先頭にいるのが日本車で、続いてドイツ車
であろう。米国車はそのPCでの自動化では遅れている。この負け
に対して、米国議会はまたしても日本の為替介入を不正と言い始め
ている。

しかし、日本企業も同様に負けている分野がある。AV分野では韓
国のサムソンに追いつかれた。日本の技術を追いかけてきて、韓国
企業の努力がだんだん実ってきたようである。日本の最終製品が無
くなって、韓国や中国、台湾になっている。しかし、この分野でも
日本の部品生産は好調で中国や韓国、台湾に輸出している。日本は
下請け企業化していると昔なら言うでしょうが、高い技術で作られ
た高度部品はマネが簡単にできない。

一方、最終のアセンブリは労賃が安い中国が断然優位になっている。
低級品は中国で造ることになる。そして、韓国サムソンの優位性は
、決断が早く、何でもチャレンジすることである。デザインも世界
からデザイナーを起用して、欧米人に好むデザインにしている。
日本の良い部品も輸入している。最先端ではないが、中級品として
、良い値ごろの製品を作っている。しかし、中国が韓国を追い上げ
ているし、韓国は日本を追い上げている。日本は一層高いレベルの
製品を生み出さなければならない関係になっている。

日本はどうこのような高付加価値の世界に立ち向かうのかが問われ
ている。その答えが日本文化の活用であろう。日本的な考え方は、
品質でも美術でも究極的な製品を作り上げる智恵と努力を惜しまな
い。日本が世界から負けた20年間はTOC(制約条件の理論)と
いう考え方が日本には教えないということで、日本企業の生産性は
欧米企業より低くなってしまったことによるが、その理論も日本で
普及して今は、欧米企業と遜色がないレベルにある。

このため、米国企業の元気がない。日本企業に負け始めている。そ
れに追い討ちをかけているのが、米ブッシュの宗教支配で今一番最
先端のバイオ分野で政府から補助金が出にくい状況になっている。
米国の国家が富んでいたのは、科学技術の自由な研究を世界の英才
を集めてできた環境がもたらしたのに、そのすばらしい環境を宗教
的な政治行為が潰している。

1つに、テロ対策で米国国内に多くの諸国から英才が入りにくい状
態になっている。2つにはキリスト原理主義に影響されて、科学技
術分野、特に生命科学分野で米国は制限を掛ける方向になっている。
この2つのことで研究開発が遅れ始めている。これを埋め合わせて
いるのは、米国の同盟国であるイスラエル企業と英国企業なのでし
ょうね。

両国の企業は米国のNASDAQやNY市場に上場することで資金
を集めようとしているが、もう1つが米国市場を開拓するのにいい
ためである。それを米国企業と見ている我々が勘違いをしているよ
うな気がする。

しかし、それも近々、様相が変化する可能性が高い。ユーロ市場に
イスラエル企業は上場し始めているし、英国のEU重視と再選され
たブレア首相は言っている。親米国企業が離れていくために米国の
衰退を見ることになると感じているこの頃である。米国の環境の変
化を我々も他山の石としてみていく必要がある。鎖国や近隣諸国と
の摩擦はあまりよくないことを肝に銘じる必要がある。

科学技術の研究開発を行い、かつ世界から優秀な人材を入れて、
その叡智で新製品を開発することが日本を富ますことになる。それ
といい商品は、どこからでも入れて、それを磨いてより良いものに
することで日本が世界に売ることも考えるべき時代に来ているよう
に思う。それは米国の今までのよさを真似する事であると思うが
どうか???
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米下院議員、日本の為替介入阻止を狙い法案(nikkei)
 
 【ワシントン=吉田透】ロジャーズ米下院議員(共和党)は6日、
中国人民元制度の改革や日本による為替相場への介入阻止などを狙
いとする法案を数週間以内に米下院に提出する意向を明らかにした
。人民元を標的とする制裁法案はいくつか米議会に提出済みだが、
日本の為替介入阻止も前面に出した法案提出は最近では例がない。 

 法案には、米財務省に為替相場の「不正操作国」の特定と、不正
操作阻止への「適切な行動」を議会が命じる条項を盛り込む。適切
な行動の内容は示していないが、相手国との協議や国際通貨基金(
IMF)、世界貿易機関(WTO)への提訴などが含まれることに
なりそうだ。 (16:31) 
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始まった地球規模の「智のゲーム」   
   
 日本に3度目の上昇期の可能性  《日本の拡大は米国の脅威》
 正しい「歴史認識」をめぐって、日中、日韓関係が緊張している。だが、見方によって
 はこれは、さまざまな歴史認識の間での「智のゲーム」(説得力や評判を競うゲーム)
 が始まっていることでもある。そこで私も、自分なりの歴史認識の大枠を示してみるこ
 とにしよう。

 明治の日本は内には文明開化、つまり西欧流の近代社会の構築をめざし、外には世界列
 強の一員となることをめざして、富国強兵策、つまり国家形成と産業化の二正面戦略を
 とった。この戦略はかなりよく成功し、第一次世界大戦の終わるころには、日本は極東
 での地域大国の座を確保するとともに、非西欧圏で初めて本格的近代化に成功した国と
 して世界の耳目を集めた。

 しかし日本の成功は、当時アジアに向かって勢力を拡大しつつあった新興の強国、米国
 との衝突の始まりでもあった。米国は、「機会均等と相手国主権の尊重」という国際関
 係の新しい「ルール・セット」を提示して、日本にもその受け入れを迫った。だが米国
 との交渉は決裂し、日本は勝算のない戦争を起こして敗北してしまった。

 戦後の日本は、国際政治面では米国の「同盟国」としてその核の傘の下に入るとともに、
 発展の戦略としては経済成長一本槍の戦略をとり、これまたかなりよく成功した。

 しかし今度もまた日本の拡大は、さまざまな面で米国の脅威となった。その結果、一九
 七〇年代以降、資源政策から貿易政策、さらには通貨政策から経済や経営の構造にいた
 る政策や制度面での自国の主体性を確立・確保しようとする試みは、すべて潰(つい)
 えた。大蔵省は財務省と金融庁に分割され、メーンバンク制は消滅した。民営化と構造
 改革は時代の合言葉となった。さらに、来年の会社法改正は日本の経済体制の「人本主
 義」から「株主資本主義」への転換をだめ押しするだろう。他方、国際政治面では、集
 団安保体制への移行がそう遠くない将来に起こるだろう。

 こうして、二十一世紀前半の日本は、国際政治だけでなく経済運営の面でも、米国が定
 めた冷戦後のグローバリゼーションの新しいルール・セットに従う国になっていくと思
 われる。

《中心は「情報化」と「文化」》

 しかし、話はそれだけで終わらない。少なくとも他の三つの要因がそこに加わってくる
 はずである。

 その第一は、日本にとっての新しい発展分野の開拓である。これからの日本は、明治の
 後半および昭和の中期に続く、三度目の長期的な「上昇の三十年」を迎える可能性が高
 い。そのさいの発展の中心的分野は、「情報化」あるいは「文化」になるだろう。

 日本はそこで、グローバルな「智のゲーム」のプレイヤーとして、世界の耳目をまたま
 た集めるのではないか。その兆候はポップ・カルチャーなどにすでに現れ始めている。
 ただし、グローバルな智のゲームの中核に位置するのは、思想と技術である。日本には、
 この中核的分野でも健闘してもらいたいものである。

《米国単独で進まぬ時代に》

 第二は、新時代のルール・セットはだれが決めるかである。この点について、かつて
 『レクサスとオリーブの木』で米国主導のグローバリゼーション時代の到来を宣言した
 ニューヨーク・タイムズのトマス・フリードマン記者は、最近の新著で興味深い反省を
 している。

 このところもっぱら9・11の影響や企業スキャンダルのカバーに忙殺されていた彼は、
 インドのバンガロールを訪問して大きなショックを受け、国家中心の「グローバリゼー
 ション1・0」と企業中心の「グローバリゼーション2・0」の後に、個人(それも非
 西欧、非白人が多い)と小集団中心の「グローバリゼーション3・0」が、冷戦の終焉
 (しゅうえん)以来始まっていたことに遅まきながら気づいた。同時に、知的発展を中
 心としたこの新しいグローバリゼーションの先頭に立っているのはもはや米国ではない
 ことをも思い知らされた。新時代のルールは、米国だけでは決められなくなっているの
 である。

 第三は、新しいルール・セットの内容である。それは国家間、企業間の関係に加えて、
 「智のゲーム」に参加する個人や集団間の関係を決めるものにならなくてはならないが、
 それはまだほとんどできていない。さらに、新しいグローバリゼーションの「コア」に、
 インドや中国やロシアも加わってくるとするならば、そこでのルールも、さまざまな
 「ローカル・ルール」を積極的に容認するものでなくてはならない。
 (■【正論】多摩大学情報社会学研究所所長 公文俊平)
       Kenzo Yamaoka


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