1934.沖縄事情



米海兵隊の移転と自衛隊の増強が話題になっている沖縄に行きまし
た。その報告。                 Tより

17日から3日間、沖縄に行って、沖縄の首里城、国際通り、公設
市場、久高島、玉泉洞文化王国、万座ビーチ、海中道路、嘉手納基
地などを見てきました。そして、一番印象の残るのが、文化王国で
見たエイサーと久高島の家々で見たシーサーと琉球放送のラジオか
ら流れる現代の歌手たちでした。そこに沖縄の現代と将来の可能性
を感じましたね。

シーサーは中国の獅子が沖縄に伝わり、家々の門と屋根の上にいて
その家を守る神になっている。日本にも伝わり、狛犬になったが神
社の守り神でしかない。ここまで普及してない。沖縄は文化を取り
入れるのに日本本土以上に積極的であり、かつ文化的には中国に近
い。しかし、中国より政情が安定しているために、文化の継続性が
あるし、庶民にまで普及する。

沖縄は、江戸時代も琉球王朝として国際貿易を行っていた。このた
め首里城などは日本の形式と中国の形式の混在した独特の様式を生
み出している。アジアや中国からの文化の受け入れを継続している。
江戸時代、中国の属国であり、かつ薩摩藩の属国でもあるという二
重の支配を受けていたが、それをうまく利用して自国の自由を守り
、かつ交易を通じて富も得ているという存在であった。富により琉
球文化(芸能、漆器、建築)を作り上げている。

そして、公設市場や平和通りを見ると、釜山シャガルチ市場やソウ
ルの南出門のような雰囲気を感じるし、そこに売っている熱帯の果
物は台北の市場を思い出す。このように沖縄はアジアと日本の中間
にある。中国やアジアと日本が問題を起こすと、沖縄に問題が集中
する。このため、沖縄県民は平和を望むことになる。

そして、戦後米国の占領時代があり、多くの米軍兵士との子供たち
が生まれ、沖縄から米国などに移住した人たちがいる。私がロサン
ジェルスで日本食(沖縄料理)を食べていた店は、沖縄から出てき
ている人が経営していたが、その人によると多くの沖縄人が米国に
来ていると言う。1つが米兵と結婚した沖縄女性、もう1つが職を
求めて米国に来た人たちらしい。戦後も日本と米国の中間に位置す
る存在であったようだ。ロックバンドや歌手が基地の米兵を対象に
サービスしたために、英語のうまい歌手が輩出することにもなる。

このように沖縄は日本の中で一番、国際的な文化を取り入れている
環境が揃っている。勿論、第2次世界大戦での沖縄戦と言う不幸や
、明治維新時に琉球王国を廃止させられる不幸もあるが、日本と世
界の接点に沖縄はいつも立たされている。

もう1つの沖縄の文化の根底にあるのが、古神道(縄文時代からの
古典的なアミニズム)である。久高島に行って、石垣と家々とその
家を守るシーサー、その素朴な神を祭る社などを見た。怖ろしい姿
のシーサーに霊気を感じる。このため古神道の神として沖縄の人た
ちに自然に溶け込んだような気がする。そして、自然の神々に抱か
れている久高島の時間はゆっくりと過ぎていく。儒教のような倫理
と言う人間界の縛りがないために、人々は大らかである。

この癒しと珊瑚の海に魅せられて、本土から大勢の観光客が夏に沖
縄を目指して押し寄せ居ている。万座ビーチを見たが、オフシーズ
ンであり、この夏の観光客向けにビーチサイドの建物が工事中で、
益々この夏も多くの客がくるのでしょうね。沖縄の魅力は海もある
が、沖縄の音楽により多くの魅力を感じる。そうしないと、海だけ
であれば、沖縄より大幅に安いアジアシーリゾートに行くはずであ
る。そうならないのは、沖縄の海でけではなくて、沖縄の文化(古
神道)に魅せられるためにあろう。バリにも同じ感じを持つが、バ
リよりもいろいろな文化と複合している分、魅力があると感じる。

この古神道の神々に対する祈りの歌やエイサーのような神を呼び寄
せる昔ながらの祭りがある。この調べと現代の音楽に欠けている癒
しの調べが一致して、沖縄の音楽が注目されてきているように感じ
る。縄文時代(古神道)の癒しの調べがそこにあると感じる。沖縄
の現代歌謡は「島うた」などに見られるように民謡やエイサーなど
の祭り歌をアレンジしたものが多い。このなかに癒しを感じる。
この頃は、ロックやラテンに沖縄の癒しの調べを入れたワールドミ
ュージックなるものまで出てきている。沖縄文化の根底に古神道が
あるためにそうなるのであろう。

もしかすると、沖縄が世界を変える1つの拠点になる可能性を感じ
て沖縄に行くことを決めたが、将来本当に古神道の調べが入った沖
縄の音楽(エイサー太鼓、歌謡、ロック、ポップス)が世界に影響
を与えるような気がする。

癒しの調べで古神道を伝道する沖縄人たちよ、ガンバレ!!!
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シーサーロード
中国の絹を西へと運んだシルクロードは、逆をたどると、沖縄に獅
子をもたらしたシーサーロードでもあった。

シーサーのルーツを探れ
http://www.wonder-okinawa.jp/011/roots/world/rw01/rw01.html
獅子像の原形は百獣の王といわれるライオン。
したがって、獅子像の本場は、ライオンの生息地である古代オリエ
ントやインドということになる。オリエントやインドで造形された
獅子が、シルクロードを旅しながらさまざまに変容し、中国を経て
沖縄にもたらされたというのが通説になっている。
 太古のメソポタミアにはライオンが生息しており、紀元前7世紀
にオリエントを支配したアッシリア帝国の王は一千頭のライオンを
退治したという。ライオンは獰猛な野獣ではあるが、反面その強大
な力は人々の憧れや畏怖の的であり、いつしか最強のものを象徴す
るようになる。また、古代オリエントの人々はライオンに翼をつけ
たり、スフィンクスのような怪物を考え出しており、獅子が降魔除
災の守護神として変容していくようすを垣間見ることができる。

中国に伝わった獅子
http://www.wonder-okinawa.jp/011/roots/world/rw02/rw02.html
 中国で墓前に据えられた最古の獅子は武氏祠(山東省嘉祥県)の
翼をつけた石彫獅子。これは後漢時代の獅子で、翼をつけたその姿
は西域の様式といえる。漢の時代には、すでに西域との交通路(シ
ルクロード)が開かれており、獅子の概念もこのころに導入された
ものと思われる。
 中国の獅子には、はじめのうちは西域の強い影響が見られるが、
やがて中国独自の様式が生まれてくる。古代より中国には、麒麟・
龍・白沢といった縁起のよい瑞獣、あるいは鳳凰のような瑞鳥を創
り出す慣習がある。獅子もいつしか中国風に変容し、現実のライオ
ンから遠ざかっていったのであろう。
こうして唐の時代になると、中国独特の唐獅子が登場してくる。
 ところで、洋の東西を問わず、獅子には「権威の象徴・守護神(
魔よけ)・装飾」という3つの共通した意味づけがなされている。
どちらに比重を置くかは、その時々の用途によって異なり、また複
合的に用いられたりもする。
中国の獅子は、もっぱら貴族の墓前や廟、宮殿、寺院の守護神とし
て設置されており、公的な場所に獅子を据える形式は古代オリエン
トの慣習が伝わったものといえる。

唐獅子・狛犬
日本本土では狛犬や唐獅子、沖縄ではシーサーとよばれる獅子像、
この瑞獣の正体は古代オリエントやインドのライオン。したがって
唐獅子・狛犬・シーサーのルーツは同じで、中国大陸から直接わた
ってきたのが唐獅子、朝鮮半島を経てきたのが狛犬、そして中国か
ら沖縄に伝わったのがシーサーとなった。
 唐獅子が日本に伝来したのは唐の時代になってからである。日本
では、奈良・平安時代に当たり、遣唐使や留学僧がさかんに往来し
た時代であった。伝来当初の獅子は宮中の守護獣として用いられて
いる。また、そのころの獅子頭が正倉院に宝物として保存されてお
り、これは日本各地に見られる獅子頭の原形とみなしてよいであろ
う。
 社寺に置かれる一対の獣像・狛犬は高麗犬とも書く。古代の日本
人は初めて獅子像に接したとき、犬のようだがどこか違うというこ
とで高麗犬と名づけた。高麗というのは、朝鮮半島におこった王朝
のことで外国というほどの意味で使われていたらしい。つまり高麗
犬は外国の犬という意味になる。狛犬が参道に置かれるようになる
のは江戸時代のころからで、それ以前は神社や寺院の建物に安置さ
れていた。
 ところで、狛犬のことを本来は「獅子・狛犬」とよび、神殿に向
かって右側で口を開けているのを獅子(阿形)、左側で口を閉じた
のを狛犬(吽形)と区別していた。それが江戸時代に入り、参道に
定着するようになると、一般には単に「狛犬」とよばれるようにな
っていった。

「Wonder沖縄」
http://www.wonder-okinawa.jp/jp/index3.jsp
ようこそ! シーサー's 館へ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~z-booska/

2005年3月:沖縄

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