1873.新しい中世



新しい中世―相互依存深まる世界システム 田中 明彦
田中さんの本「新しい中世」は、このコラムでのFの意見と同様で
あるので紹介する。            Fより

世界が「新しい中世」に移行している。この特徴を示す第一圏域、
まだ、「近代」の特徴を持つ第二圏域、近代からも脱落した第三圏
域の3つの部分が並存している状態に世界はなっている。

この構造が「覇権」の時代を終焉させて、「相互依存」の時代にし
ている。

現代を現す「新しい中世」とは相互依存の進展し、近代の国家中心
主義から多次元の権力が輻輳したヨーロッパの中世に似ている。ヨ
ーロッパの中世には実にさまざまな主体があり、そのネットワーク
でできていた。皇帝、王、伯爵、ローマ教会、修道院、騎士団など
というそれぞれが独立した存在である。都市連合のハンザ同盟もあ
った。

この主体間の関係がきわめて入り組んでいる。帰属意識も複雑であ
る。権利関係も入り組んでいる。領土と主体との関係も流動的であ
る。この複雑な状態のために国内政治と国際政治の区別ができない。

これに比べて、近代世界システムは「近代主権国家」が圧倒的優位
な主体でそれ以外はその従属物でしかない。主権国家として統一的
である。主権国家の「内」と「外」は明確に区別された。内は行政
機関と警察で、「外」は外務省と軍隊である。

そして、今を見ると、主体として企業やNGOが国家権力を越えて
活動している。個々人の帰属意識も国家より企業やNGOになって
きている。米国が日本の流通機構の問題を国際外交の争点にしたこ
とで見れるように、国際、国内の区別がだんだんなくなることにな
っている。

イデオロギー的にも、共産主義 対 民主主義の対決をした近代世
界システムとは違い、民主主義、市場経済は普遍的な思想になって
いる。その普遍的なイデオロギーであり、それを共産中国も認めて
いる。ここには世界を二分する争点がない。

経済面、技術面では中世とは違うが、相互作用や相互依存が世界的
に広まった。現在の世界に単一の「権威」は存在しない。多数の権
威が存在して、米国の一国権威主義という物を受け入れない。

ここまで述べたのは第一圏域の話で、近代世界の国家主義である中
国のような第二圏域の地域もあるし、アフリカのように近代からも
脱落した第三圏域の地域もある。このため、東アジアは第一圏域の
日本・米国・台湾・韓国 対 第二圏域の中国・ロシア・インドな
どとの戦いになっているようだ。領土や資源問題が大きな紛争理由
になっている。相互依存の商取引だけでは、このような問題を解決
できずに、国家間の問題になるのでしょうね。この紛争のために軍
拡競争になる危険がある。このため厄介なことになっている。

第二圏域の地域との交渉には多国間協議や個別問題の解決しかない。
第三圏域の地域はPKO、ODAなどの援助にかないでしょうね。
自分の意見か、田中さんの意見かが混同しているような気もするが
、ほとんど同じような国際外交のスタンスになっている。
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バック・トゥー・ザ・フューチャー
http://www.iswatch.net/Texts/Kobrin.html
―――新しい中世とポストモダン・デジタル世界経済
Stephen J. Kobrin, Back to the Future

 冷戦秩序崩壊直後に話題を呼んだ「バック・トゥー・ザ・フュー
チャー」という論文があったが、同じタイトルを持つ本論文は、ポ
スト冷戦論よりいっそう歴史的射程を広げて、ポスト近代の世界秩
序を考察しようとするものである。コブリン(ペンシルバニア大学
教授)によると、われわれは世界政治経済秩序の大きな変動期を迎
えつつあり、これは16〜17世紀の中世から近代への変化に匹敵する
ものだという。そして、次の世界秩序はある意味で中世世界に似た
ものになる、とコブリンは主張している。

 本論文で言う「ポスト近代」とは、主権国家を中心としたウェス
トファリア体制を越える世界秩序が現れつつあるという状況判断で
あり、フランス哲学のポストモダン論とは必ずしも関係しない。近
代の世界秩序は、領土的主権・国境・国内と国際の区別などを特徴
とし、国民国家とともに発展してきた。領土的主権原則の下で、世
界は地理的に明確に区切られ、相互に排他的な支配権をもつ国家に
よって統治されてきた。政治経済の統御も、地理的支配を基盤とし
てきた。ところが、国際金融やインターネット、そして両者の結び
ついた電子マネーや電子商取引の領域に先駆的に現れているように
、経済は世界を一つに結ぶ電子的ネットワークに統合されようとし
ている。電脳空間(サイバースペース)と地理的空間(ジオグラフ
ィック・スペース)、電子的に統合された世界経済と地理的に固定
した領土的国民国家、要するに経済と政治の不均衡が増大している
のが、今日の世界である。国家が消滅するわけではないが、領土主
権に基礎をおいた政治経済の統治効率は低下し、国家は多くの統治
機構の一つにすぎなくなるだろう。

 コブリンは来るべき世界秩序の特徴を、次の六点にまとめている
。(1)空間・地理・境界、(2)権威の曖昧性、(3)多元的な
忠誠心、(4)脱国家的エリート、(5)公共財と私有財の区別の
不明確化、(6)信条体系の統一と超国家的集権化、である。以下
、各ポイントを簡単に紹介したい。

 第一の特徴は、海外直接投資や多国籍企業同士の戦略的提携など
によって、企業や商品の国籍が不明瞭になる点である。さらに、サ
イバースペースを使った商取引は、経済活動を地理的空間から解放
する。その結果、法の適用と税の徴収などに、これまでの枠組みで
は対処できない問題が生じる。

 第二の特徴として、国家以外の政治主体の登場を挙げている。
EU(欧州連合)を典型とする地域機構、WTO(世界貿易機関)
やIMF(国際通貨基金)のような機能的国際機関、グリーンピー
スやアムネスティ・インターナショナルのようなNGO(非政府組
織)などである。とくに、電気通信とコンピュータ技術の融合によ
って電子メールやホームページの利用が可能となり、NGOは政治
的発言力を強めている。

 第三の特徴は、これもコンピュータネットワークの発達によるも
のだが、地理的に離れた人々の間にコミュニティ(世界市民社会)
が形成されつつあることである。世界秩序の観点から重要なのは、
重複する忠誠心そのものではなく、環境問題に見られるように、政
治的忠誠心・政治的アイデンティティが多元的になっている点であ
る。

 第四の特徴は、世界企業の経営者やインターネットに接続した市
民が、世界的なエリート層を形成する可能性である。情報システム
にアクセスできる者とできない者との階級的格差が広がるかもしれ
ない。

 第五点として、ポストモダン・デジタル世界経済においては、公
共財と私有財の区別が曖昧になると指摘している。インターネット
はパブリックとプライベートの違いを希薄にする。社会的インフラ
ストラクチャとして公共財の性格を持つと同時に、基幹回線の敷設
・管理・運営を行っているのは主に民間主体である。社会的有害情
報の規制と表現の自由の問題、複製が容易なデジタル・コンテンツ
と知的所有権の問題、中央銀行による統制が困難な電子マネーと信
用秩序維持やプライバシーの問題など、これらの領域に政府の介入
がどこまで許され、また介入した場合、はたして実効的にコントロ
ールができるのか等々、検討されなければならない課題は多い。

 第六の特徴は、リベラリズム・デモクラシー・環境主義といった
普遍的イデオロギーの流布と、国家を越えた世界大の権威への強い
関心である。世界政府ではないが、領土国家を越えた、世界秩序維
持のための権威が求められている。さもないと世界は、金融崩壊、
環境破壊、疫病の蔓延、人口過剰、難民流入、正当な動機のない犯
罪、私兵や民間安全保障会社の武装強化といった、文字通り無秩序
な「暗黒時代」になってしまうかもしれない。

 「新しい中世」というメタファーは、コブリンのオリジナルでは
ない。周知の通り、ヘドレイ・ブルが20年以上も前に検討した概念
である。近年、他の論者も同様の議論を展開しており(田中明彦『
新しい「中世」―21世紀の世界システム』日本経済新聞社、1996)
、それほど新鮮味はない。コブリンのオリジナルがあるとすれば、
「新中世論」をデジタル世界経済に適用したことであろう。市場調
査会社インターナショナル・データ・コープ(IDC)の最近のレ
ポートによると、2002年までにインターネット関連世界市場は5,000
億ドルの規模に達するという。経済のサイバースペース化は、今後
ますます進展して行くだろう。未来の世界が「新しい中世」になる
かどうかはわからないが、脱領域化した経済のガバナンスをどのよ
うに維持して行ったらよいのか、学際的な研究が必要な分野である
ことは間違いないだろう。

(中沢 力)
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http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/2003/20030211AtaraWordPo.html
『新しい「中世」』ってタイトルだけみると、「なんだ、中世ヨー
ロッパについての最近の研究ってことか」って感じだけど、ぜんぜ
んそうじゃない。

田中センセイいわく、いまの国際情勢をかんがえると、中世に似て
いる。そうかんがえるといろいろアナロジーが広がるとおもうんだ
けど、どうよ、ってこと。

まず、1章から6章までが、19世紀から現在までの国際秩序の分
析にあてられる。そこでは、冷戦構造がどのような起源をもったも
ので、それがどのように終焉に向かっていったかがていねいに語ら
れる。

そしていよいよ第7章で、ポスト冷戦の時代を、ポストなんとかと
いう消極的な言い方ではなく、もっと積極的に捉えようとしたら
どう表現したらいいのかという問題提起があって、それに対して<
新しい「中世」>という概念が提案される。

<新しい「中世」>とは、主権国家以外の、たとえば企業や国際機
関、非政府組織などのさまざまな自律的主体が、重層的かつ多元的
に関係を織りなす国際秩序を意味している。

ちょうど、ヨーロッパ中世に、神聖ローマ皇帝、フランス王、イギ
リス王、あれこれの貴族、ローマ教会、騎士団、ハンザ同盟、大学
などが権力関係で百花りょう乱だったように。

もちろん、いま世界が、主体が多様化し関係が複雑化したとはいっ
ても、総体的にはけっして無秩序に向かっているわけではない。
むしろ逆で、経済的相互依存関係を深めながら、自由主義的民主制
を共通理念とした国家群を形成しようとしている。

そんなようすを田中センセイは、<新しい「中世」>と呼んでいる
のだ。

そして、人類の歴史上、「自由主義的民主制の国同士は、お互いに
戦争をしない」といわれているから、もし世界がすべて<新しい「
中世」>に向かったら、戦争は根絶されるかも…。そんな期待もう
っすらしてしまうというわけ。

とはいっても、欧米や日本は着実にそうした国際秩序を形成しかけ
ているけれど、その一方で、いまだ<近代>的な主権国家意識を強
調する国もある。中国、北朝鮮など、日本周辺の国々がまさにそれ
である。かれらは、国家間関係を政治的あるいは軍事的に対立する
図式でとらえようとする傾向がいまだ強い。

いや、それどころか、世界には国家としてまとまることさえできて
いない、破綻をきたしたような国家群もある。

つまり、世界は、<新しい「中世」>的な国ぐに(第1圏域)、<
近代>的なところ(第2圏域)、そして、混とんとしたところ(第
3圏域)に分けられる。

そして、問題は、わたしたち第1圏域と第2圏域の関係、あるいは
第1圏域が第3圏域をどう援助するか。そこにある、というわけだ。

さて、『新しい「中世」』の続編ともいえる『ワード・ポリティク
ス』では、最初まず、『新しい「中世」』概念のおさらいがある。

(だから、こっちだけ読んでもだいじょうぶ。っていうか、この『
ワード・ポリティクス』には『新しい「中世」』のリフレインが多
くて、両方読むとときどきちょっとめんどい感じがする。ともあれ…)

で、じゃあ、日本外交は具体的にどうしたらいいのという政策提言
的な議論に入っていく。

そこでひときわ重要になってくるのが、「東アジア」という、ほか
でもない日本周辺の地域をどうするかという問題である。

日本は、じぶんたちは<新しい「中世」>、いいかえれば第1圏域
になっているけれど、まわりを囲んでいるのはとっても近代近代し
た、第2圏域の国々である。中国しかり、北朝鮮しかり、いや韓国
だってまだまだ。

であるから、日本はまずはこの地域が<新しい「中世」>に向かう
ようにリードすることによって、みずから居心地よい地域にしたら
どうだというわけである。

つまりは、東アジアに経済的相互依存を浸透させ、自由主義的な民
主制を広めること。そのために、各国を「開放化」して、市場経済
を定着させよう、ということ。

しかも、そういうとき、今のご時世では国際的な会議でのアピール
がことさら重要になる。そういう席で周囲を説得する能力、すなわ
ち<ワード・ポリティクス>が重要なのだと。

…なんて、2冊をあわててまとめてしまったけれど、そんな骨子よ
りも、じつは新聞なんかでよく知っている外交の話題のあれこれを
<新しい「中世」>とか<ワード・ポリティクス>という概念です
っきり整理してみせてくれる、そういう具体例のところがとっても
おもしろい。

たとえば、唯一の「覇権国」となったアメリカについて、その軍事
力の「遠方投入能力」は世界の「公共財的側面がある」など。イラ
ク情勢などを思い起こしながら、ふむふむなんて読めてしまうのだ。


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