1832.理念なき「三位一体改革」の愚



イラクで行われているのは、ジェノサイドじゃないだろうか。
アメリカのCIAはイスラエルのいいなりになってるって話だから、
イスラエルがイラク国民を皆殺ししようとしてるんじゃないかな。
スカッドミサイルの仕返しだけじゃないだろうけど、抹殺へのもの
すごい執念を感じる。
第三次世界大戦はすでに始まっているようですね。

name=十返舎玉九
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「理念なき「三位一体改革」の愚 −世界の笑い物とならぬために−」

政府・与党は26日、国・地方税財政の三位一体改革で、2006年度までの改革工
程を示す「全体像」を最終決定した。
補助金見直し額は約2・8兆円。このうち国から地方への税源移譲金額は、04年度
分を含めても固まったのは約2・4兆円にとどまり、小泉首相が当初目標として掲げ
た3兆円に達しなかった。

さて、改革の内容を見てみると、玉虫色という事に加えて何か捉え所の無い鵺のよう
なものに仕上がった感がある。
これは、(1) 中央の権限を手放すまいとする各省庁と族議員、(2) 財政赤字の負担を
地方に押しつけたい財務省と首相、(3) 地方交付税の配分で主導権を確保したい総務
省、(4) 純粋に自由に出来る財源を欲しい比較的富裕な自治体、(5) 補助金削減に怯
える逼迫した自治体、各者各様の思惑と疑心の中で妥協が探られた結果だからに他な
らない。

◆義務教育の在り方◆
焦点だった義務教育費国庫負担金は、地方6団体の改革案の金額に見合う8500億
円を減額、05年度分は暫定措置としてその半額を減額することで決着した。
なお、義務教育制度は国の責任を堅持し、費用負担は地方案を生かす方策を検討、義
務教育の在り方は05年秋までに中央教育審議会で結論を出す事になった。

典型的な先送りの玉虫色決着だが、義務教育費の負担責任が地方に移る流れである事
だけは間違いない。
残念な事だが、これにより将来逼迫した自治体が本来教育に振り向けるべきような費
用を、背に腹は代えられないとばかり他の事に使い、全体として都市と地方の学力格
差が更に開いて行く事は避けられないだろう。

義務教育費国庫負担金制度は、公立小中学校の教職員の給与の半額を国が負担する制
度であり明治から続くものだが、1950年のシャウプ勧告により一旦廃止された
後、地方財政の悪化で53年に復活したものである。

教育での地方の自由な工夫を広げるために、国庫負担制度をなくす事が正しい方向だ
と言う議論があるが、それは「国は金は出すが、基本的な最低限の事以外では口を出
さない」ような仕組みを確立して別途措置するべき問題である。
義務教育の基礎的な費用は、やはりそれぞれの財政に格差が生じる地方が負担する事
には馴染まない。

因みに、欧米先進国では、義務教育の教職員の給与について殆どの国が100%国庫
負担であり、50%程度の負担としている国はむしろ例外である。

◆国のかたち◆
また、社会保障については、国民健康保険は地方への権限移譲を前提に都道府県負担
を導入するとされた。
これも、仕組みとしてかなり劣悪なものである。
それにより、高齢者が多く医療費負担がかさむ地方は、社会保険料が高額になり、若
者にとって更に魅力のない土地となって経済的に疲弊して行く悪魔のサイクルに陥
り、自立からは永遠に見放されるだろう。

これらの「三位一体改革」の玉虫色かつ数字合わせによる倒錯した様相は、言うまで
も無く改革の根本的理念を欠いているのが原因である。

元より、19世紀の夜警国家ではないのだから、国防と外交以外は全て地方や個人の
責任でやらせるという切り分けは他国と経済的に伍して行くためにも成り立たない。
国防、外交等に加えて、義務教育、基礎的社会保障のようなナショナルミニマム、い
わゆる背骨に当たる部分は国家として保障し、それ以外の全ての部分、例えば基幹的
でない公共事業のようなものこそ地方や個人の自由裁量に任せる大胆な切り分けが必
要とされる。

社会生活で自己責任に帰する範囲と国家が最低限補償する範囲を明確に示すことが、
国民に一定の安心を提供すると共にある種の覚悟を促し、「ナショナルミニマムを
伴った自立社会」として我が国を調和ある発展に導くだろう。
それは、国家と地方の関係においても同じである。

各国の国民性、歴史、経済情況によってその在りようは異なるが、これらの事を適切
にシステム化して上手く社会に組み込む事は、メガコンペティションの経済で勝ち抜
くための必須条件となる。

しかるに今回の「三位一体改革」はその逆を行き、中央と地方の関係は混乱し、「こ
の国のかたち」は、背骨を欠いて掴み所のない姿になって行くだろう。

明治維新は、近代国家成立の過程として封建体制から中央集権への移行を基に成され
た。
現在は逆に、大きな流れとして、大胆な財源移譲により行き過ぎた中央集権から地方
分権への移行を行い、地方の意欲と工夫と主体性を引き出すべき時なのは間違いな
い。

「三位一体改革」はもう走り出しつつあるが、誤った目的地と不正確な地図しか持た
ない山登りは、やがて道に迷い遭難して終わる。

速やかかつ適切な軌道修正がなされる僥倖を祈りたい。

                                   以上
佐藤 鴻全
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わが国不況の原因          とら丸   
   
 わが国の財政は破綻している。国及び地方自治体は大あわてであ
る。増税を叫んだり歳出の縮小を説く。しかしこの2つの方法はわ
が国をより深刻な不況へと追いやる。

 不況の素因が少子化にあるからだ。少子高齢化がさらなる少子化
の原因となり、経済不安定構造が出来上がっている。この構造は、
好景気のもとでは、最高のシステムであるが、一旦何らかの外的要
因で不安定構造が形成された場合は、見事にこの不況システムに陥
ることになる。

 少子化の原因は、今の社会が子供を育てにくい世の中であること
だろう。また苦労して生み育てる甲斐のない社会であることを示す
。日本人は現在まで伝統的家の中で育ってきた。日本人にはそうい
った血が流れているのだ。

 今やるべきは、家制度及び伝統的(社会)教育の回復である。家
制度を守るために民法の改正が必要である。ただし軍国主義教育だ
けはごめんだ。太古よりつながる庶民としての囲炉裏をはさんでの
子供との対話や昔話。または武家におけるリーダとして公を重んじ
る教育や、商家での厳しい修行などである。

 しかし一旦失われたものは戻ってこない。これらを壊した今の老
人やわれわれは、将来の日本人のために、これらを越える日本人の
精神性の結晶ともなる思想を構築し後世に伝える義務がある。
 
 簡単にはできまい。われわれは日本人にとって極めて重要なもの
すなわち「日本人的精神を殺したのだから」それだけかけがえのな
い、後世に伝えなければならないものを壊したのだ。われわれは。 
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最近不思議に思うこと

最近歳をとってきたせいか判らないことだらけでどうしてそうなの
か調べようと思ってもその方法すら判らずに困っている次第。そこ
でここに鋭意なご意見を述べられている皆様に聞いていただいて少
しでも教えていただければと思い、投稿させていただきます。

呆け寸前の老人ゆえ、前後の脈絡もなく思いつくままにダラダラと
書いて行きますのでご容赦下さい。

先ず小泉首相の目玉言葉”改革”ですが改革とはなにをどうするこ
となのでしょうか?

例えば政治改革とは行政改革とは一体どうゆうことをどうゆうプロ
セスで実施し、最終着地はどんな形になるのでしょうか?

たとえば道路公団などのばあい首の挿げ替えだけは行いましたが中
身がどう変わるのでしょうか?私などは単純ですから、ヨーロッパ
の無料高速道路を見てきて日本の高速のゲートや各所にある立派な
パーキングエリアなどを見ると何という無だな事をしているのだろ
うと、思ってしまいます。

道路は基本的には公共財なのですから全部無料とし補修は税金です
ればよいし、運送業のような受益の多い業種、車種には課税で徴収
すればすむことですし、パーキングエリアは単に運転者の休憩、ト
イレ、ガソリンの補給さえできれば十分でこの他水と簡易食の自動
販売機があれば事足りるので、道路公団のような無だな施設と膨大
な組織とその先の寄生虫的団体は全廃できると思うのですが暴論で
しょうか?

こう言う議論の場合必ず総論賛成、各論反対で、こういう問題点が
あるからできない式の反対論が各所から澎湃としてわきあがって換
骨脱胎、もとの木阿弥になるのですが、国が財政的に破綻を来たし
つつある現況をみるとそんな悠長な議論をしている段階ではなく,
先ず止めるものは止めると決めて、補うべき点を後から詰めていく
べきではないかと思います。

小泉首相は民営論者で民で出来るものは民へと言いますがこれは平
たくいえば官僚にやらせていたら赤字の垂れ流し、金の無駄遣いの
し放題なので民間人にやらせて収支採算をとらせるようにする、と
いうことで官僚無能の宣言に等しいものと思います。

機構改革には膨大な経費を必要とするので、できれば現況の改善で
同様の効果をあげるのが望ましいのに、それが出来ないのはどうし
てなのかと言う点を官民と言う対立構図のなかで議論をすべきでは
ないかと思います。
要は官僚を民間人同様に働かせることが何故できないのか、という
ことです。
私はこれは官僚組織の中に業績評価、と結果責任をとらせる機能が
働いていないためと思います。我々民間人は常に競争場裡のなかで
業績を厳しく審査され、降格、リストラ、過剰労働死の危険に晒さ
れ生き抜いてきています。そして痛ましいことには年間3万人を超
える自殺者の多くが経済問題でいき詰まった人達です。
一方目を転ずれば目を蔽うばかりの官の不正です。
社会保険庁の実情は国民の血と汗に巣食う害虫としか言い様があり
ませんがグリーンピアをはじめとする数々の失敗と形を変えた不正
に関わった官僚をどのように責任追及し、処罰するのでしょうか?
こうしたむだな事業を誰の責任で起案しこれにどういう人達が関わ
り、最終誰がこれをし様承認したのかを国民の目の前に赤裸々に晒
し、官としての責任をどうとるのか、こうした結果責任のとりかた
をはっきりさせるよう国民的議論を巻き起こすべきだと思います。

このほか市場主義、外交問題、等々不思議が沢山ありますがながく
なりますので徐々に投稿いたしたいと思います。宜しくご指導頂き
たいと思います
name=化石老人
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メコン奔流―新たな物流回廊へ 1   
   
 タイ最北のチェンライ県
対中交易に沸き立つ/辺境の地から玄関口へ
 十年ぶりにタイ最北のチェンライ県を訪れた。当時は首長族やアカ族といった山岳少数
 民族などを目当てにバックパッカーが訪れる辺境の地だった。それが今、商人やビジネ
 スマンが大挙して訪れるようなビジネス拠点へと変化している。メコンが戦乱の川だっ
 た時代からすると、考えもできないようなことだ。今まで国境として単に「行き止まり」
 の場所でしかなかったチェンセンが、沸き立つようなにぎわいの中にあった。(チェン
 セン・池永達夫・世界日報)掲載許可

 交通もバンコクから十時間かかる長距離バスだけでなく、タイ航空はじめエア・アジア
 など一日七便のジャンボ機がバンコク―チェンライ間を一時間二十分で飛び、早朝以外
 は総じて満席だ。

 変化を促したのはチャイナパワーだ。タイ最北部に位置する辺境チェンライ県が、国際
 河川メコン川を介して中国への玄関口に変わった。チェンライ県は、観光地としての輝
 きより交易都市としての輝きに一層の磨きがかかっている。「後の雁(かり)が先にな
 る」との言葉通り、しんがりがその地政学的ポジションを生かして、新たな時代を切り
 開くパイロット役を演じている。

 チェンライ市を歩くと、バンコクにもない交通標識があって驚かされる。交通標識がタ
 イ語と英語だけでなく、中国語でも書かれている。市名もチェンライが「清莱」、チェ
 ンセンが「清盛」、メーサイが「美塞」と中国語表示がなされている。チェンライでは
 観光産業を除きビジネスでは、中国語が英語をしのいで、第一外国語の位置を得ている。

 そのメコン川の玄関口となるチェンセンは、十一世紀にタイ北部で栄えたチェンセン王
 国の都であり、バサック歴史公園など遺跡散策を楽しめる小さな町だ。十年前に訪れた
 時も、朝三時ごろから鶏の声が響く牧歌的な雰囲気が心に残った。

 そのチェンセンには早朝から十dトラックが頻繁に行き交い、鶏の声をディーゼルエン
 ジンの音が消し去っていた。昨年十月にできたばかりのチェンセン港はじめ、五百dク
 ラスの貨物船がメコン川に横付けする格好でずらりと並んでいる。ざっと数えても二十
 隻は下らない。

 十dトラックの貨物は、このチェンセン港およびメコン川岸壁に付け、中国向けの輸出
 品を運び込んでいる。中国からはこの季節はリンゴや梨、タイからは白い果肉が人気の
 ロンガンが運び込まれる。

 チェンライ最大の変化は、このメコン川沿いの変化だろう。数年前までは国境線として
 の意味しかなかったメコン川が、物流回廊として中国とタイの物資を運ぶ大動脈に変化
 しようとしているからだ。物流回廊・メコンのダイナミズムは、「二十一世紀のシルク
 ロードの胎動さえ感じさせる」(華泰開拓国際貿易会社・陳卓豪社長)まで高揚してき
 た。

 メコンには物資を満載した貨物船が浮かび、岸辺沿いのビルには看板が真新しい貿易会
 社が林立している。タイでは国際空港のドンムアン空港でさえ中国の人民元への両替は
 してくれないが、ここではメコン川沿いの雑貨商が、いとも簡単に両替に応じている。

 そのチェンセン港は昨年十月に完成したばかりだが、既に来年には下流十`のソップコ
 ック村にチェンセン第二国際港が開港される予定だ。チェンセン港は手狭なことや、交
 通の便が悪いことから、新港が建設されることになった。

 タイ商業省によると、今年一―十月のタイと中国の貿易総額は約百二十一億万j(約一
 兆二千七百五億円)で、前年同期比で約三割もの伸びを示した。昨年十月にタイと中国
 が果物や農産物など百八十八品目で自由貿易協定(FTA)前倒しに動いた効果の表れ
 だ。

 夜明けを告げる鶏(くだかけ)同様、メコン川から響くずぶとい船の汽笛がチェンライ
 の新たな時代の幕開けを告げている。
       Kenzo Yamaoka
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メコン奔流―新たな物流回廊へ 2   
   
 ラオス式社会主義
中・タイに挟撃、変革迫られる
緩衝国・交易ルートで活路も

 タイのチェンセンからメコン川をさかのぼっていくと、緑豊かな亜熱帯植物が延々と続
 く。ただ、南部で目にする椰子(やし)の木は中国領に近づくにつれ少なくなり、竹の
 群生が目立ってくる。

 インドシナ半島を南下しつつある竹林パワーは、若竹の時の成長力に集約される。つま
 り、雨期の初めに芽吹き、一気に七、八b近くまで伸びる。それからゆったりと葉を広
 げ、黄緑色の若竹から濃い緑のしっかりした竹へと成長していく。

 竹とすれば藪(やぶ)を形成する低木を高さでしのぎさえすれば、後はゆっくりと枝葉
 を広げることで太陽の恵みを独占できる。竹の子から若竹に成長するまでのスピードこ
 そが、森を占拠する秘訣(ひけつ)となっている。

 そうした竹の繁殖力は中国の産業力と似ている。改革開放路線から四半世紀を経て、外
 資と技術をダイナミックに導入した中国は今や「世界の工場」といわれるほど、一気に
 生産能力を身に付けた。そうした中国からすれば、低木群でしかないラオスやカンボジ
 ア、ミャンマーなどメコン川流域国を「竹の勢力圏」にのみ込むことなど赤子の手をひ
 ねるようにたやすいことだ。

 中国船籍「喜陽丸」の袁水平船長に、ラオスでは何が売れるのか聞いた。

 その答えは至ってシンプルだった。

 「何でも売れるさ。ラオスではボールペン一本作れないのだから」

 メコン川を航行すると、川岸の木々が根元から濁流に洗われている光景を目にする。あ
 ばら骨のような根をさらしながら、それでも精いっぱい生存しようと踏ん張っている姿
 は、けなげではあるが、なぜかラオスの国そのもののようにも見える。

 ラオスの小さな市場に中国やタイの製品が怒涛(どとう)のように押し寄せ、ビエンチ
 ャンなどで市民がテレビのチャンネルを合わせているのは専らタイの番組だ。氾濫(は
 んらん)する外国製商品や膨大な情報洪水にさらされて、後、一押しされれば根こそぎ
 持っていかれそうな危うさを感じる。

 ラオス式社会主義は、ソ連崩壊に伴い、西側の市場経済を志向する「改革・開放路線」
 への選択を余儀なくされた。しかし、残ったのは色あせたイデオロギーを棚上げした社
 会主義制度という非効率で硬直した形骸(けいがい)だけだ。

 ラオス政府は外貨の稼げる大規模プロジェクトとして、水力発電ダムの建設を主軸とし
 たエネルギー分野での開発を急いでいる。しかし、国家予算の四割以上を外国からの支
 援に頼らざるを得ない経済体質を改めるには、足腰のしっかりした基幹産業となる生産
 部門を育成するしかない。しかし、社会主義制度そのものを温存したままで、本格的な
 外国企業の投資を期待するのは、どだい無理な話だ。

 ラオスがいずれ立ち向かわなければならない課題は、経済的桎梏(しっこく)状況に追
 い込んでいる元凶そのものである社会主義経済体制の抜本的改革だ。

 メコン流域国が二十一世紀の新市場としての可能性が注目される中、ラオスは近隣諸国
 から「緩衝国家」として期待が掛かっている。タイとすればラオスを経由してベトナム
 中部の港湾につながる道を整備することで、新たな海外への流通網を開拓できる。ベト
 ナムとしても人口約六千万人というタイへの交易ルートになることから期待が掛かる。

 そして何より中国内陸部の雲南省や広西チワン族自治区などが、新たな海への出口とし
 てメコン川流域国との関係強化に動いている。

 中国を源流とする茶褐色のメコン川本流は、ラオスの山岳地帯から流れ込む清流をいと
 も簡単に引き取って、何事もなかったかのように流れていく。世界日報 掲載許可
 
      Kenzo Yamaoka


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