1820.日本的な平和とは



日本的な平和とは、何なのであろうか??  Fより

国際的な問題を追いかけていると、世界の情勢は大変なことになっ
ているし、米国の国力がどうなるか気が気でない。日本にも大きな
影響があるが、一歩、日本の政治や社会を見ると、平和で、細かい
手続き論で揉めている。

いい意味での島国根性で政治をしているようであるが、中越地震や
殺人事件を除けば、平和な社会である。国民も日本があまりにも平
和であるために、あまり世界の問題に興味がないようである。

日本の災害は、地震があろうと、台風が来ようと、一過性で過ぎれ
ば、それで終わり。また平和な日常に戻るだけである。日常的には
、毎日の決められた仕事をやれば、秋には収穫があり、それなりに
暮らしていける自然がある。この自然があるために、神道ができた
し、その信仰を守り続けてこれたように感じる。そして、日本では
土地があれば、農業をして食っていける。

日常の細かい工夫と自分がその生活に満足であれば、お金がなくて
も充実した生活が送れることになる。この日本の平和とは何かと
ネットを見ていたら、この「充分生活」というサイトに行き着いた。

この著者は、小学校の先生、ガードマン、そして介護の仕事とあま
り豊かとは見えないが、生活の工夫やその精神的な豊かさ、日々の
細かい観察で自分の生活を充実したモノにしているように感じる。
これが本当の幸福ではないかと思うことがある。日本人の幸福感と
は大陸の米国人や中国人と一歩違うように感じる。特に日本に帰国
して、この「充分生活」というサイトを見ると、隔世の感をする。

日本では大金持ちになることが、幸福の条件ではないことをこのサ
イトを見て感じる。ライフドアの堀江さんに何か違和感を持つ理由
も、このサイトのような日本的な感覚で見るとうなずける。日本人
は平均的な幸福を共有して初めて共同体の幸福ができ、かつそれが
個人の幸福になると思う。

幸福を感じるためには、周りの人も含めて、少しのお金を持つこと
も重要であるが、時間を持つことの方が重要な要素と感じる。

それに比べて、日々の生活と仕事に追われて時間のないサラリーマ
ンは、どう生活を充実させているのであろうかと思うときがある。
会社内の権力の力で、他人を使っても本当の幸福感を得られない。

農家を嫌う人たちが戦後多かったために、今は田舎に住んでいる人
たちは老人しかいない。日本の定年退職したサラリーマンが田舎の
生活に憧れを感じて、田舎に行くのも、そこに土地が空いているた
め、受け入れることが田舎にもできるためである。

そして、定年退職者が田舎にあこがれるのも分かるように思う。自
然を相手にした方が、工夫ができるし、精神的な豊かさを感じるこ
とが出来るためであろう。

徐々に都市の生活から農村の生活に皆が戻るように思う。時間の制
約から抜け出した生活にあこがれる。そして、決まった農作業をす
ると、秋には収穫があるという生活にあこがれる。

そして、石油がなくなると、エネルギーも都市では不足して、自然
エネルギーがある農村部の方が豊かになるように感じる。私に必要
な環境は、インターネット環境と携帯電話がかかることだけである。

日本の田舎に暮らす方が、エネルギーも多い。流れの急な小川にマ
イクロ水力発電を設備すれば、普通の生活で使うエネルギー補給は
十分に可能であり、水洗も簡易水洗で都市と同様な環境が可能であ
る。そして、高サイクル蓄電池の開発を電池メーカにはお願いした
ですね。それができると、太陽電池によるエネルギーの自給も可能
性が出てくる。

インターネット環境は農村電話でADSLか衛星パラボラを立てる
のでしょうね。または、携帯は衛星携帯電話ですかね。そして、
イオンモールが田舎にできて、そこまで車で行けば都市と変わらな
い買い物環境がある。

田舎も都市と同様に便利になった。しかし、それにより、都市と農
村の区別がつかないようになったが、定年退職者が田舎に住める基
礎が出来始めている。
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充分生活
http://homepage2.nifty.com/zyubun-seikatu/zyubun-seikatu.main.htm
                         発行・電版創房  発行人・二木竜太
「充分生活」とは

私たちのまわりには、さまざまなモノがあふれています。持ってい
るといばれるかな、というモノ、ちょっとあると便利かな、という
モノ、まあ持っていてもいいかな、というモノ。モノに、さまざま
な情報がくっついて、いっしょに流通しているのが現代です。
その中で私は思います。「本当に必要なモノは何だろう。」
もちろん、だれも教えてくれません。自分で「これだけあれば充分
」という線を見つけていくしかありません。 

生活スタイルについても、さまざまな情報が乱れ飛んでいます。
でも、「この生活スタイルでいい」ということは、誰も保証してく
れません。ちょっと前には「地球にやさしい」ということばがつい
た本がたくさん本屋に並んでいました。今は、ほとんど見かけるこ
ともなくなりました。今は「節約生活のススメ」とか「『捨てる!
』技術」とか、「粗食のすすめレシピ集」とか、シンプルなものに
向かっているようです。若者たちの、厚底に代表されるスタイルも
、もう古くなりました。もっとオーソドックスな服装・生活スタイ
ルに、これからは変化していくでしょう。「新富裕層」というネッ
ト長者の生活スタイルも、少しずつマスコミで取り上げられはじめ
ました。「都心のマンション」などのモノといっしょに。その中で
私は思います。「本当に気持ちのいい生活スタイルは何だろう。」

もちろん、だれも教えてくれません。自分で「これだけあれば充分
」という線を見つけていくしかありません。 

「気持ちのいい生活」の情報も、たくさんあります。やれ○○セラ
ピーだの、○○健康法だの、「○○を食べるのが健康にいい」だの
。私もかつて、「菜食がいい」とか「地球にやさしい生活を」とか
、いろいろ工夫しました。だけど、自分のからだが本当に要求して
いるものではなかったので、どこかに無理がありました。結局借り
物のスローガンや大義名分にのっかって、現代の情報の洪水の中に
いる不安を隠していただけだったように思います。今、改めて思い
ます。「本当に自分にとって充分な生活スタイルとは何か」と。

スローガンや大義名分を人から借りてくるのではなく、本当に自分
のからだが要求している生活。そのスタイルが見つかってくれば、
それは気持ちのいい生活になります。私はその生活スタイルを「充
分生活」と呼びたいのです。決して豪華ではなく、かと言って禁欲
的でもなく、シンプルで質の高い生活。そのスタイルは、結果とし
て「地球にやさしい生活」になってくると思います。また、本当に
地球全体・人類全体が持続可能な生活スタイルかもしれません。
自分のからだの感覚が第一ですが、地球全体のことも、スローガン
にならない程度に思いやる生活を、「充分生活」と名づけようと思
います。
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平和の道具として  

イラク攻撃の可能性が高まる中、私のPCにも「転送歓迎」の反戦
行動メールがいくつか入ってきています。「このメールに署名して
ほかに転送してください」などという、不幸の手紙を思わせるよう
なものまであります。 

私は「転送歓迎」メールを転送したことがありません。もちろん
その趣旨には賛成なのですが、私は自分のことばで語りたいし、自
分の頭で考えて行動したいと思うからです。 

しかし、HPやメルマガなどで「戦争反対」と表明するだけでは広
がらないかな、とも思います。何か、象徴的な行動を提案できれば
、と思っていました。 

そこで思い出したのが、「聖フランチェスコの祈り」です。私はク
リスチャンではありませんし、本当のところ聖フランチェスコのこ
とは「小鳥に神の説教をした」とか、そういう神話的な逸話しか知
りません。でも、この祈りはいいなあ、と思いました。 

実際に私がそう生きているわけではありませんし、そういう人にな
りたい、とは一足飛びには思えません。「分裂のあるところには一
致を」というより、さらにはっきり分裂させてしまうような行動を
、私は今までやってきています。ですが、ここに書かれているよう
なことを望む人にはまぶしさと憧れを感じます。 

この祈りのことば自体が「平和の道具」になるのでは、と思います
。この祈りをただ目にとめるだけでもいいし、自分の内面と世界で
起こっていることとの関係を考える手立てになるかもしれません。
マラウィでは国民の14%がエイズに感染しているそうです。ツバ
ルやソロモン諸島は海に沈み続けています。私たちの周りのホーム
レスの人たちは冬は乗り切りましたが、まだきつい生活が続きます
。その反面、世界的大企業の創業者が4兆8000億円の資産を持
っていまし、世界の長者番付の2位は投資家で、実際に額に汗して
働くのではなく、お金がお金を生む仕事の人です。それだけでなく
、私の現在の生活も、多くの人の犠牲の上に成り立っていることも
知っています。そういう状態への変化への祈りとしても、このこと
ばはいいのでは、と思います。 

もちろん、具体的に「戦争反対」のメッセージとして使ってもいい
かもしれません。実際、私は日本語部分は首相官邸や新聞社にメー
ルで送りましたし、英語部分はホワイトハウスとイギリス首相官房
に送りました。ただ、そういう行動だけでない何かがこの祈りから
汲み取れれば、と思い、紹介します。 

聖フランチェスコの祈り 

私をあなたの平和の道具としてください 
憎しみのあるところには愛を 
諍いのあるところには許しを 
分裂のあるところには一致を 
疑いのあるところに信仰を 
誤っているところに真理を 
絶望のあるところに希望を 
闇に光を 
悲しみのあるところに喜びを 
もたらす者としてください 
慰められるよりは慰めることを 
理解されるよりは理解することを 
愛されるよりは愛することを 
私が求めますように 
私たちは与えるから受け 
許すから許され 
自分を捨てて死に 
永遠の命を頂くのですから 

Prayer of St. Francis 

Lord,make me an instrument of thy peace. 
Where there is hatred,let me sow love; 
Where there is injury,Padon; 
Where there is doubt,faith; 
Where there is despair,hope; 
Where there is darkness,light; 
And where there is sadness,joy, 
O,Divine Master,grant that l may not so much 
Seek to be consoled as to console; 
To be understood as to understand; 
To be loved as to love; 
For it is in living that we receive. 
lt is in pardoning that we are pardoned, 
And it in dying that we are born to eternal life. 

なお、私のこの文章全体は、著作権を放棄しています。コピーの便
を考えて、段落だけはありますが、フォントの指定などはしません
でした。それこそ「平和の道具」としてご自由にお使いください。 
(2003,春)
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穏やかな人間関係と規律ある文化の構築を   
   
 学級を崩壊させないために/家庭でも同じ論理で子育てを
アビリティトレーニング社長 木下晴弘氏に聞く
 アビリティトレーニング代表取締役の木下晴弘氏は、長く関西の有名進学塾に勤め、多
 くの生徒や保護者、教師と交流し、その体験を踏まえて教員向けの授業開発セミナーを
 開き、好評を得ている。木下氏に円滑な学級運営、家庭での子育ての秘訣について聞い
 た。(聞き手・鴨野 守・世界日報)掲載許可

 最近、叱(しか)り方が分からないという先生が多い。だからつい生徒に嫌われること
 がイヤで、叱らないという先生も沢山(たくさん)います。こうなると、まずい状態が
 クラスに起きてきます。

 学級崩壊が起きる原因は、極めて単純明快です。まずは穏やかな人間関係ができなけれ
 ば、クラス運営というものはできません。

 でも、教室内が穏やかな人間関係だけでは、学級崩壊を招くのです。それと同時に、こ
 れと相反すると思われるもう一つの極である、「規律ある文化」を構築する力が必要な
 のです。この両立ができて初めて、クラス運営が円滑にできます。そして、規律ある文
 化を創るのが苦手だという教師や保護者が増えているのが、最近の特徴のように感じま
 す。

 穏やかな人間関係とは、友達のような関係。教壇を一歩、降りれば、生徒と恋愛のこと
 を話したり、それこそゲームの話をしたりする関係です。

 規律ある文化について、具体的にお話しましょう。例えば、先生が黒板に書き終えて、
 これから生徒に説明したい場面を想定しましょう。

 「全員、鉛筆を置きなさい。今から先生が説明するから」

 ここで新人の教師は、まだ二、三人の生徒が鉛筆を持っているにもかかわらず、説明に
 入ってしまうのです。その瞬間、そのクラスにはあるノームが出来上がってしまう。ノ
 ームとは、規律、規範の意味です。どのようなノームができるかと言えば、「この先生
 が『鉛筆を置きなさい』と言っても置かなくてよい」というノームです。

 このノームは、組織の“床”をつくり、時とともに成長します。やがて、この学級は一
 カ月後、学級崩壊となってしまいます。「この先生の指示には従わなくてもよい」とい
 うノームに成長した結果です。

 だから、私が進学塾の幹部だった時代、まず新人の講師には徹底的にこの面を指導しま
 した。「鉛筆を置きなさい。これから説明するから」と生徒に促します。様子を見て、
 「まだ、持っている生徒がいる。鉛筆を置け」。それでも持っている生徒がいるとしま
 すと、「鉛筆を置きなさい! 置け! 先生の言うことが聞けないのか。聞けない者は
 前に来い!」。こう叫ぶと、まだ鉛筆を持っていた生徒が驚いて鉛筆を放します。

 それを見て、「置いたね、よし!」と笑顔を見せて、生徒たちと人間関係をつなぎます。
 「これから、面白い説明するから、よく聞くんだよ」とようやく次の動作に移ります。
 すると、この瞬間、このクラスには「この先生が、『鉛筆を置け』と言えば、鉛筆を置
 かないといけない」というノームができるのです。

 家庭でも、同様です。保護者の中には、子供が勉強するのを嫌がったりすると、すぐに
 「塾辞めさせるよ」という方がおられます。いったんそう言ったのなら、塾は辞めさせ
 ないといけません。絶対、辞めさせるのです。

 これは譲ってはいけません。もし、親がそうできないなら、言ってはいけないのです。
 親が感情的になったりして子供に対し、「塾を辞めろ!」「お小遣いをあげない」など
 と脅迫めいたことを言って、しかし、実行しない。

 それは、子供にとって、単なる「脅し」にすぎない。すると、子供は「親がいろいろ言
 ってもどうせ実行しない」と見限ってしまい、やがて親の言葉に従わず、反抗してしま
 い、親子関係の崩壊につながる危険性があるのです。

 教師と生徒、親と子の間に、信頼と尊敬の関係を持続し、クラスや家庭を穏やかに営む
 「両輪」は、この規律ある文化の構築と、穏やかな人間関係の構築に尽きるのです。
 (談)
 きのした・はるひろ 昭和40年大阪府生まれ。同志社大学商学部卒業。学生時代から
 関西の大手進学塾、浜学園の講師となり、大学卒業後、専任講師に。その後、関西屈指
 の進学塾、希学園の設立・経営に参加。平成13年、退職し、アビリティトレーニング
 代表取締役に。教職員向けの授業開発セミナー等で活躍。著書に『ココロでわかると必
 ず人は伸びる』『本番で勝つ!数学[図形]』『ズバピタ数学[図形]』。

Kenzo Yamaoka
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武器輸出3原則を緩和   
   
 常任理事国入り明記−新防衛大綱
 政府は十六日午前、今月中にも策定する新たな「防衛計画の大綱」の骨格を与党側に提
 示した。この中で武器輸出三原則を緩和する方針を打ち出したほか、国連安保理常任理
 事国入りを目指すことを明記した。新大綱は目標達成年次を「おおむね十年後」とし、
 五年後に必要に応じて見直す。見直し年限が盛り込まれるのは新大綱が初めて。
 政府が示したのは「新大綱に盛り込むべき事項」(案)。小泉純一郎首相の私的諮問機
 関「安全保障と防衛力に関する懇談会」が十月に答申した報告書を踏襲した。

 武器輸出三原則については「国際紛争の助長を回避する平和国家としての基本理念は堅
 持する」と強調。その一方で弾道ミサイル防衛(MD)の導入を踏まえ、「国際共同開
 発・生産の趨勢(すうせい)への対応」の必要性を指摘した。ただ、三原則の緩和を新
 大綱に盛り込むか官房長官談話とするかは今後調整する。

 常任理事国入りに関しては「安保理・国連改革の実現に努め、その実現の際は常任理事
 国として責任を果たす」とした。

 また「安全保障の目標」として「国際的な安全保障環境の改善」を掲げ、国際平和協力
 活動に主体的、積極的に取り組むと強調。国連平和維持活動(PKO)など国際協力の
 自衛隊の本来任務化を目指す方針をにじませた。

 「防衛力の在り方」では、国際テロや弾道ミサイルなどにも対抗できる「多機能弾力的
 防衛力」整備の方針を示した。自衛隊の具体的な装備や定数を示す「別表」の内容につ
 いては、財務省と防衛庁の調整難航を反映し、今後の検討事項とした。
 政府は与党の承認を得た上で、三十日にも新大綱を閣議決定する方針だ。
(世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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