1775.受容(諦観)と解放



件名:受容(諦観)と解放   S子  

▼自己における受容と解放
人は生きているといろいろなことを体験する。そのいろいろな体験
を通して人は自分なりのひとつの人生を生きる。体験を通して様々
な学びを得ながら、人は主観を通してこの世界を受容、理解してゆ
く。

若い頃の生命力溢れたエネルギーは人に無限の可能性を抱かせ、あ
たかもこの世の全てを手中にできるかのような錯覚を人にもたらす
。ところが、長い人生を生きている間に起こる失敗や挫折を通して
、人は無限であると思われた内なる可能性が閉ざされ、人にできう
るものとできないものがあるということを知る。

どうしても避けることのできない、人の力ではどうすることもでき
ないものがこの世に存在することを人は知るのである。そして、人
は諦観する。が、そこで人は全てを諦観してしまったわけではない
。人は自分にできないものはできないものとして諦めるが、自分の
できることには自分を見い出し、そこに最大限の努力を惜しまずに
やる。

人は自分にできるものの中にひとつの無限の可能性を見い出して、
自己を解放させることを学び知るのである。つまり、人はひとつの
人生を通して多くの失敗や挫折を繰り返し味わうことで、この世に
おける受容(諦観)と(自己)解放のバランスをうまく取るように
なり、人は生きてゆく。

この自己における受容と解放のバランスがうまく取れるようになっ
てはじめて、人はあらゆる面においてスムーズでトラブルの少ない
人間関係を構築でき、前向きに生きることができるのではないだろ
うか。

▼米国の自己解放
私たちが現代の歴史の転換地点に立つとき、二十世紀後半の冷戦終
結は必須であり、その後の世界情勢にいろいろな意味を示唆してい
る。冷戦終結による世界秩序の崩壊で迎えた世界の混沌化はその意
味において当然の成り行きだった。又、共産主義の崩壊による資本
主義の勝利が米国にもたらした意味は非常に大きく、この時から米
国内の変質は始まっていたのではないかと私には思える。

ひとくちに資本主義といってもその内容には様々な形態があるが、
冷戦終結による資本主義勝利が米国にもたらしたものは、結局グロ
ーバル金融資本主義という形態ではないだろうか。実体経済とそれ
を上回る実体なき経済の肥大化、更にそれを世界標準へと強引に浸
透させる今日の米国の金融戦略はすさまじいものがある。

コングロマリットと呼ばれるような独占資本や欧米の国際金融資本
が資本主義の勝利で新たな自信を持ち、利潤を独占することを目的
化しはじめたのだ。共産主義の脅威からも解放されて、特に米国の
独占資本、金融資本は露骨にあらゆる産業分野の自由化と利潤の独
占を謳歌し始めた。

そして、最終的には利潤の独占を目的化することが彼らの唯一の狙
いであったことが、このグローバル金融資本主義において明らかに
なった。資本には国境など存在しないからグローバルな戦略を彼ら
が取るのは、至極当然であり、それが彼ら本来の狙いでもあると私
は思う。その意味においては対テロ戦争を前面に押し出したブッシ
ュ大統領は、グローバル金融資本主義に一役買っている。

今日の世界不況はこのような独占資本、金融資本に富が集中しすぎ
た結果、その他大勢の労働者である一般国民が貧乏を強いられ、社
会保障の削減をされる等、私たち一般国民が保障も少なく余裕もな
い生活を余儀なくされているからにすぎない。それをこの不況があ
たかも私たち一般国民のせいだと言わんばかりの論理は、まったく
的がはずれている。

世界に転がっている利潤を独占しようとして、米国がグローバル金
融資本主義を躍起になって推し進める意味がこれで理解できるだろ
う。そうして、利潤独占のために米国がとった戦略はアングロサク
ソン流の国際ルールを取り決め、そのルールに有無を言わさずに他
国を従わせることだった。

このアングロサクソン流のルールには米国特有のご都合主義、個人
主義、競争至上主義が内包されており、彼らがビジネスにおいて利
潤の独占を有利におこなえるように配慮されている。つまりこの世
界の経済はアングロサクソンのドグマで動き、法による抜け道も必
ず彼らのために用意されており、常に彼らに優位性をもたせている
ということだ。

こうして米国は今日かつてないほどの「自己解放」を見せている。
共産主義の脅威というたががはずれ、止めるものもいない米国の資
本における貪欲さは留まることを知らない。そして、この米国の「
自己解放」の矛先は経済大国日本に向けられ、これをほとんどの抵
抗もなく受容した日本はあらゆるシステムがアングロサクソンの米
国流に塗り替えられ、日本は徐々に解体されて変質しつつある。

▼ 日本の受容(諦観)
米国が毎年十月に日本に突きつけてくる「年次改革要望書」は、日
本におけるあらゆる産業分野に規制緩和や構造改革を米国政府が公
式文書で日本に要求してくるものである。クリントン大統領と宮沢
首相との首脳会談で決まったと言われるこの「年次改革要望書」は
、日本のメディアではまったく報道されることもなく、しかし、米
国の要求は日本政府によって最終的には着実に実行に移されている
ようだ。

そして、ご丁寧にもそれが実際に実行されているどうかというチェ
ック機能(「外国貿易障壁報告書」の中で報告されている)までつ
いているという念の入れようである。既に住宅分野においては米国
は欲しいものを手中に収めており、残るは通信、金融、医療機器・
医薬品、エネルギー、更に商法改正、弁護士業の自由化と日本の司
法制度の改革と、これを内政干渉という生ぬるい言葉で片付けてし
まうにはあまりにも行き過ぎた米国の独断的行為である。

この横暴な米国の独断を素直に受容している日本は、属国と言われ
ても反論できない立場に置かれている。米国の利益のために日本政
府が率先して働き、日本国民の財産を没収しようとしているという
奇妙な構図は前代未聞であり、完全に日本政府が米国の代理人とな
って動いている様子が窺える。

戦後日本は国防を米国に任せて経済問題だけにまい進しておればよ
かったが、その経済問題さえも戦後は米国に頼りっぱなしであった
ことも問題があったのだろう。日本の国防と経済を米国一辺倒にし
ぼったことが、結局は政治まで米国に牛耳られるはめになり、気が
つけば日本のあらゆるシステムがいつの間にか米国流に変わってい
たというまるで「トロイの木馬」的結末を連想させる。

明治維新の脱亜入欧の精神が島国で孤立した日本に信頼のおけるア
ジアの友人を持つことを拒絶させ、米国の要求を受容するばかりの
無能国家に変身させたのか、原爆効果が日本を米国一辺倒に受容さ
せてしまったのか、戦後60年近く経過しても未だに米軍が日本に
駐留し続け、日本が国防を米国にすっかり頼りきってしまった負い
目から米国を拒否できないでいるのかわからないが、今日の日本は
全てに諦観してしまい思考も停止し、ただただ米国の受容に励んで
いる。

そして、米国に追従していさえすれば間違いはないというような米
国信奉に日本政府が毒され、あまりの盲目に今日の世界情勢が客観
視できなくなっている。

▼日米関係の正常化はいつ来るのか
今日米国は自己解放しすぎて世界の多様性を容認できず、自我を押
し通そうとしている。かたや日本は米国を受容しすぎて周囲が見え
なくなり、全てに諦観してしまっている。米国の自己解放は暴力に
向かい、日本の受容はひきこもりとなり、両者とも極端にぶれてし
まい見事に心のバランスを失っている。

日米両者のこのような極端な関係がお互いの適切な判断を誤らせ、
米国はより一層自己解放に向かい、日本はそんな米国をひたすら受
容し諦観してしまうという事態の悪化でしかない。このような日米
の歪んだ関係がより世界を無秩序へと走らせている。

米国の根底にある分断や二元論という対立思想、マネーへの異常な
ほどの執着心からくる拝金至上主義、全ての頂点に個人が立つとい
う個人主義、更にそこからくる自由という概念。世界の人種を受け
入れ米国の心の寛大さを見せつつも米国内は相変わらずの白人優位
、ものづくりを諦め消費大国として世界の需要を一手に引き受け、
生きる道を選択した米国内のジレンマ。

米国が若い人工国家であるだけに、その生き方を私たち日本が理解
するのは難しい。このことは米国にとっても同様なことが言えるだ
ろう。単一民族でありながらも世界の多様性を認めそれを受け入れ
つつ、日本独自のものをつくり上げてきた日本。今では様子が変わ
ってしまったが、その昔は道徳心が厚く社会も規律正しく端正な日
本だった。

始終にこにこ顔で素直に受け入れる日本の姿は、米国にはむしろ不
気味にさえ映ったかもしれない。白色人種と黄色人種という外見上
の違いもあるだろう。男と女さえ日々互いを理解することが難しい
のに、これが国家となると問題も多く乗り越えなければならない壁
はもっと高いだろう。

しかし、なんらかを契機として米国が世界を受容諦観し、日本が米
国に向かって一言でも忠告という自己解放ができたならば、お互い
少しでも歩み寄ることができるはずだ。そこから全てが変わってゆ
くように私は思っている。

日米関係の正常化がいつ訪れるのか、それともまったく訪れること
もないのか現時点では私にはわからないが、互いが受容と解放のバ
ランスをうまく取った時こそが、この世界を救う一歩になるように
私は感じているがどうだろうか。

参考文献   「拒否できない日本」  関岡英之著  文春新書
       「経済」2002年 5月号
         p81「ユーロ通貨の流通開始とEU経済」
                       新日本出版社
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(Fのコメント)
S子さんの米国、日本への論評は非常に的確な指摘であると思う。
そもそも、資本主義にも欠陥があり、そこをマルクスが指摘したの
であるが、まさにその指摘が正しかったと思わせる米国の振る舞い
である。本当に恐ろしくなりますね。

資本主義での理想は、国民全てが豊かになる欧州的な路線であろう
と感じる。社会福祉がある程度充実した社会で、米国のような勝者
が全てを取る仕組みは国民統一の観点からも受容できない。

そして、さらに日本と米国は世界の安定という観点からは、米国の
金融大国を引き継ぐ必要がありそうだ。米国は戦争で国家ごと取っ
て、そこに投資して、100倍から1000倍程度の投資効率を目
指して、戦争を梃子に利益を得ようとしている。特に石油を持って
いる国家は非常に金儲けの効率がいい。今後もこの観点から米国の
行動を見る必要がある。米国には主要な製造業がないため、投資先
がほとんどない。ドルは国際収支が一貫して赤字であるために、い
つ暴落するか分からない。

今後も米国は金儲けのために、国家や地域分捕りの戦争をするしか
豊かな生活を保障できない。このため、世界情勢は不安定になって
いる。それと、戦争で国家分捕りより投資効率が低く、リスクのあ
るテイクオフ国への投資が大きくできない。しないことになる。
投資効率がいい所に金は流れるために、米国機関投資家は米国政府
が進める侵略戦争に加担することになる。

日本は基本的に軍事力を持たないためと、ソニー、松下、トヨタ、
コマツなどの製造業の世界展開であるために、平和でかつテイクオ
フ国への投資が効率がいい。このことは中国の発展で学んでいる。
ODAもテイクオフ国に集中して行うと、この進出する企業や投資
のサポートになり、かつテイクオフ国の発展を促し、その国の国民
は豊かになる。このような投資が出来るのは、今までは米国であっ
たが、日本が行うべき分野になってきている。

日本の米国離れを起こし、独自の視点から世界と向き合う必要を感
じるがどうでしょうか。

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