1676.最新日本政財界地図(6)第二世代キリスト教人脈



YS/2004.07.03



最新日本政財界地図(6)第二世代キリスト教人脈



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■ロックフェラー三世とキリスト教人脈

 盛田昭夫は愛知県小鈴谷村の300年も続く造り酒屋の名家盛田
家の15代目当主であり、その夫人盛田良子も大手書店「三省堂書
店」を経営する亀井豊治の四女であった。夫婦共にエスタブリッシ
ュメントの血を引くものの、当時世界を代表する財閥であったロッ
クフェラー家やモルガン家とは明らかに格の違いがある。それにも
かかわらず彼らのサークルに招かれた理由を探って行きながら、日
本の現代史におけるキリスト教人脈を明らかにしたい。

 このキリスト教人脈を説き明かす鍵も「盛田・ロックフェラー対
談」にあった。読売新聞は1991年12月3日付の「盛田・ロッ
クフェラー対談」を一冊の本にまとめた「21世紀に向けて」を9
2年12月に出版している。この中でロックフェラー家と盛田家の
出会いを「妻と私は、あなたのご家族とはちょっと変わったつなが
りを持っておりまして、妻は(ジョン三世夫人の)ブランチェット
・ロックフェラーさんとは非常に親しくさせていただいています。」
と発言している。実際デビッド・ロックフェラーの日本初訪問は6
2年であり、それまではデビッドの実兄であるジョン・D・ロック
フェラー三世とその妻ブランチェット・フェリー・フッカー・ロッ
クフェラーが日本と米国とのパイプ役を務めていた。

 このジョン・D・ロックフェラー三世(1906−1978)に
関わる日本人を丹念に調べていくと戦前・戦後のキリスト教人脈が
はっきりと浮かび上がる。彼らは英語力を武器に戦後日本企業史に
名を残すソニーの原点はおろか、そのネットワークが保守本流、財
界、そして天皇家まで及んでいることがわかる。

■「第二世代キリスト教人脈」と吉田茂

 ここで簡単に整理してみたい。昭和後期から現在に至る山本正、
緒方貞子、小林陽太郎らの国際派カトリック人脈を中心とするキリ
スト教人脈を「第三世代キリスト教人脈」と位置付けることにしよ
う。第三世代はデビッド・ロックフェラー主導のもとで1972年
の設立準備会を経て翌73年に設立されたトライラテラル・コミッ
ションの現在の中核を担うメンバーである。そしてこのトライラテ
ラル・コミッションのメンバーの多くが世界的なビッグ・リンカー
となっており、小林に代表される世界規模の日本人ビッグ・リンカ
ーを生み出した。

 「第二世代キリスト教人脈」を戦後の昭和期に活躍した人物と位
置付け、前回取り上げた石坂泰三(元東京芝浦電機会長)、そして
戦後を支えた名宰相の誉れ高い吉田茂(1878−1967)もこ
こに含まれることになる。

 「陰の総理」と言われたと石坂はすでに触れたとおり、石坂本人
もキリスト教への関心が深く、戦死した次男泰介はカトリック信者
だった。泰介との天国での再会を願った石坂の妻雪子もカトリック
を信じ、「マリア」の洗礼名を授かっていた。「雪子のところへ行
きたい」と本音を語った石坂の晩年にはカトリックの洗礼名「ペド
ロ」が用意されていた。

 吉田茂の妻は大久保利通の二男で文相、外相などを歴任した牧野
伸顕の長女雪子である。従って石坂の妻と同じ名前であった。石坂
同様、雪子の影響でカトリックに興味を持った吉田も最後の病床で
カトリックに帰依して、自分を「天国泥棒」だというジョークを吐
いてこの世を去っている。吉田の葬儀は故人の信仰に従ったカトリ
ック教会(文京区関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂)での葬儀
と東京・日本武道館で行われた戦後初の国葬とに分けられた。この
吉田のカトリックへの改宗はその子供達によって政界と天皇家に拡
がりながら、第三世代へと引き継がれることになる。

 吉田の三女和子は麻生セメント社長や自民党代議士を務めた麻生
太賀吉と結婚している。その長男が現在の総務大臣、麻生太郎であ
る。つまり麻生太郎は吉田茂の孫にあたる。拙著「最新・アメリカ
の政治地図」(講談社新書)でも書いたとおり、麻生太郎もカトリ
ックである。96年3月15日に和子は亡くなっているが、ミサ・
告別式は父吉田茂と同じ東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた。
麻生太郎の妹である信子(三女)は三笠宮寛仁親王殿下と結婚され
ており、三笠宮寛仁親王妃殿下(信子さま)もカトリックではない
かと思われる。

 この麻生太郎は米国の昨今のイラク戦争におけるキリスト教右派
やネオコンまではいかないまでも、理想主義からくる暴走傾向が見
られる。これもキリスト教人脈の特徴として認識しておく必要があ
るだろう。

 吉田茂や石坂泰三の周辺で第三世代の山本正と同じようにフィク
サー的な存在として日米における民間レベルのパイプ役を担った人
物がいる。山本正の先輩格にあたるこの松本重治(1899−19
89)について詳しく見ていきたい。

■松本重治の橋渡し人生

 松本重治は太平洋戦争を阻止できなかった反省から、「宿屋(国
際文化会館)のオヤジ」を自認し、民間レベルでの日米の懸け橋と
なってきた。「国際日本の将来を考えて」(朝日新聞社)では松本
を「明治の気質」と「平和憲法の精神」とを兼ね備えた無形文化財
と評し、松本を形作るイメージとして、進取の気性、不屈の闘志、
教育重視、博愛主義、愛国心、人生意気に感ずる男気、民主主義、
自由主義、平和主義、性善説、国際協調、文化国家などをあげてい
る。実際には「現実をふまえて物言うキリスト教的理想主義者」あ
るいは、「戦後リベラリスト本流」などが似合っているかもしれな
い。

 松本重治は1899年に松本松蔵の長男として大阪に生まれる。
明治時代に銀行、現在の南海電鉄などを興した関西財界の松本重太
郎の孫にあたる。妻花子は明治の元勲、松方正義公の孫で、松方コ
レクションで有名な松方幸次郎の娘である。松本はエドウィン・ラ
イシャワー元駐日大使とも家族ぐるみでつきあっていたが、ライシ
ャワーの妻松方ハルは松本のいとこにあたる。

 松本は東京帝大法学部卒業後、米エール大学をはじめとする欧米
の大学に留学し、帰国後は東大の高木八尺教授(米国憲法)の助手
に就任する。1925年に太平洋会議などの国際会議の裏方を務め
たあと、32年に同盟通信社の前身である新聞連合社の上海支局長
となり、中国人要人、「中国の赤い星」の著者エドガー・スノーら
と交遊を深めた。この時には日本軍に父張作霖を爆殺された張学良
が蒋介石を監禁し、国共合作の契機となった西安事件を36年にス
クープしている。39年に帰国し、終戦まで同盟通信社編集局長や
同社常務理事を務め、戦後は公職追放処分となった。

 その後、松本は「宿屋(文化会館)のオヤジ」の拠点となる財団
法人「国際文化会館」を設立し、ソ連封じ込めのジョージ・ケナン、
インドのネール元首相、歴史学者アーノルド・トインビー、キッシ
ンジャー元米国務長官らを招き、文化交流に努めた。 

 この松本が亡くなったのは1989年1月10日である。その二
日後の1月12日、東京都世田谷区にある日本聖公会の東京聖三一
教会で松本の密葬が行われている。東京聖三一教会が属する聖公会
はローマ・カトリックとプロテスタントの中間に位置し、両者の橋
渡しの教会(ブリッジ・チャーチ)と呼ばれている。聖公会は松本
の人生そのものを映し出していた。

■アメリカン・アセンブリーでの命がけのスピーチ

 松本の密葬に集まった約350名の中には中山泰平(日本興業銀
行特別顧問、以下当時)、柏木雄介(東京銀行会長)や池田芳蔵(
NHK会長)などとともに、わざわざ米国から駆けつけたジョン・
D・ロックフェラー四世(ジェイ・ロックフェラー)の姿もあった。

 現在、ジェイはウエストバージニア州選出の大物上院議員(民主
党)として、イラク戦争の大義、そしてイラク人虐待問題をめぐっ
てブッシュ政権を激しく追求している。ジェイは知日派として知ら
れており、ハーバード大学卒業後の57年から60年の3年間を東
京三鷹にある国際基督教大学に留学している。また、強い要請によ
ってトヨタのウエストバージニア工場(TMMWV)の誘致を実現
させたことでも知られている。

 ジェイの国際基督教大学の留学に際し、保証人になったのが松本
であった。そして、ジェイの父、ジョン・D・ロックフェラー三世
と松本重治とは誰もが認める親友同士であった。

 ここで現在につながる松本のエピソードを紹介しておきたい。松
本は当初からベトナム戦争に反対し、米国外交最大の失敗と語って
いる。そして、外務省の参与でありながらも周囲の反対を押し切り、
「中央公論」や「ニューヨーク・タイムズ」に米国批判の記事も掲
載している。一部から反米家とのレッテルを貼られながらも、米国
を愛すればこそ勇気を持って発言したのである。

 松本は当時のことを振り返って、健康上の問題と国際文化会館が
つぶされる心配から、まさに命がけだったと告白している。そして
北爆が始まった1965年に命をかけて米国に乗り込み、スタンフ
ォード、バークレー、ハーバード、プリンストンなどの大学を回っ
て、米国批判の講演を行った。中でも1965年10月にアーデン
・ハウスで開かれた第二十八回アメリカン・アセンブリーに招かれ
て講演したことは日米関係史に残る出来事だったかもしれない。こ
の時の概括的テーマは「日米関係」であった。

 アメリカン・アセンブリーはコロンビア大学の付属独立機関とし
て1950年に後に大統領となるアイゼンハワーらによって設立さ
れている。会合場所となるアーデン・ハウスはニューヨーク市北方
の広大な丘陵地の山の上にあり、もともとは鉄道王W・アヴレル・
ハリマンの別荘であった。ハリマンはこの別荘をコロンビア大学に
寄付し、現在は80人程度が宿泊できるように増築されている。会
議は年に一度もしくは二度開催され、米国の公共問題について大物
知識人が数日間缶詰となりながら討論を行い、時には米大統領への
提言としてまとめられる。最近では対中国政策などが盛んに話し合
われているが、現在のアメリカン・アセンブリーの理事長はリチャ
ード・W・フィッシャーが務め、理事会にはポール・ボルカーの名
前もある。リチャード・W・フィッシャーはキッシンジャー元国務
長官とクリントン時代の大統領首席補佐官を務めたマック・マクラ
ーティが1999年に共同設立したキッシンジャー・マクラーティ
・アソシエイツの副会長であり、トライラテラル・コミッションの
メンバーでもある。

 このアメリカン・アセンブリーに乗り込んだ松本は国務省高官、
言論界の代表、大物財界人を前に「日米関係が過去数ヶ月の間のよ
うな緊張状態にあるのは戦後初めてのことだ」と指摘し、次のよう
な直言を行っている。

一、戦後の日本国民のなかには、アメリカ人の想像する以上に、反
戦感情が根強く心の底にしみこんでいる。なぜ半数以上の日本人が
ベトナム戦争に批判的かを知るには、この戦争反対の感情を理解す
る必要がある。(中略)もしアメリカ政府が、日本の保守党政府が
世論を無視して望むがままのことをなし得ると考えるなら、それは
重大な誤りである。ベトナム戦争がこのような状態で長引けば、日
米関係は深刻な危機に直面するだろう。

一、ベトナム戦争は、結局中国問題の一部である。アメリカと中国
との間にある日本は対中関係の好転を・・・それをむずかしいもの
と知りながら、期待せざるを得ない。日本はアメリカとの友好を望
むとともに、隣国である中国との正常な関わりを望んでいる。

一、私は自由主義者であり、日本の共産化には強く反対するもので
あるが、日本の民主主義国家としての発展、アメリカとの友好関係
の永続のため、アメリカと中国との激突を恐れる。私はアメリカ国
民が中国問題について反省し、考え直されることを切望する。ベト
ナム戦争のために日米の友好が失われてはならない。
(以上、「国際日本の将来を考えて」P72、73より)

 ベトナム戦争をイラク戦争に置き換えれば松本の想いは現在に蘇
ることになる。

 アメリカン・アセンブリーの影響力については、この時にキー・
スピーチを行った人物からも理解できる。初日のスピーカーは後に
シティー・バンクの会長となるウォルター・リストン、最終日三日
目はCIAから当時国務省極東担当次官補(ジョンソン政権)とな
っていたウィリアム・バンディである。ウィリアム・バンディはケ
ネディ、ジョンソン両元大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務
めたマクジョージ・バンディの実兄であり、後にフォーリン・アフ
ェアーズ誌の編集長になっている。そして松本のスピーチは二日目
に行われた。

 なおこの第二十八回アメリカン・アセンブリーで日米関係が初め
て取り上げられたことが、二年後の下田会議開催のきっかけをつく
ったのである。下田会議はアメリカン・アセンブリーのフォローア
ップという位置付けだった。下田会議が山本正の率いる日本国際交
流センターとアメリカン・アセンブリーの共催となっていたのもこ
のためである。

 従って、山本正は松本なくして存在しなかったといっても過言で
はないだろう。松本は命をかけて米国に向かった。はたして山本正
はイラク戦争に関して行動を起こしたのだろうか。

 アメリカン・アセンブリーに挑む松本に対して保守派として知ら
れたロックフェラー三世(アメリカン・アセンブリーには風邪のた
めに欠席できなかった)は「君の考えはだいたいつねづね承知して
いる。君の考えどおりに素直にやってください。日米関係のために
なると信じているからね」と激励している。

 はたして現在の日本政府関係者や「第三世代キリスト教人脈」、
そして「小泉純一郎首相を囲む会」の中に米国の有力者との深い友
情に支えられて、時には批判であっても発言が許される人物はいる
のだろうか。

 軽々しい親米・反米論争や親中・反中論争が飛び交う今、我々は
先人達の生き様を学ぶ必要があるのではないだろうか。


□引用・参考


21世紀に向けて
D・ロックフェラー、盛田 昭夫、読売新聞社編
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4643921188/kokusaisenrya-22

国際日本の将来を考えて
松本 重治 (著) 朝日新聞社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022558156/kokusaisenrya-22

国際関係の中の日米関係―松本重治時論集
松本 重治 (著) 中央公論社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120021300/kokusaisenrya-22

昭和史への一証言 
松本 重治 (著) 毎日新聞社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620305286/kokusaisenrya-22

アメリカン・アセンブリー
http://www.columbia.edu/cu/amassembly/


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