1530.ソラナ・ドクトリン(下)



by Z 
2004年2月7日

■	クーパー理論
さて、では本題のクーパーの理論に入ろう。まずクーパーは世界を
三つの圏域(ゾーン)に分けている。それぞれプレモダン、モダン
、ポストモダンという。

 プレモダン圏域とは国家不在の世界である。これは国家が内部で
民族、宗教、部族、民兵組織、犯罪組織などによって割拠されてい
る状態である。ソマリア、アフガニスタン、リベリア、チェチェン
共和国、コロンビアの麻薬栽培地域などがこの例である。そこでは
有効な政府というものは存在しない。政府が存在しないため、法も
存在しない。まさに混沌した圏域である。破綻国家failed stateの
世界である。それぞれのグループが独自の武力を持っているのだ。

 モダン圏域とは国家が主役の世界である。1648年に宗教戦争
に終止符が打たれたウェストファリア条約以来の世界秩序である。
現在の地球上の大部分はこの圏域に含まれる。アメリカも西側で唯
一ここに含まれる国だ。パワー・バランスか覇権による秩序形成か
、このどちらかの状態で成立している。国連というのも根本的には
「国家」をそのメンバーとするため、この世界に含まれる。かつて
マックス・ヴェーバーMax Weberは国家のみが「正当な物理的暴力の
行使を独占する」と定義したように、一国内では政府のみが軍事力
を持つ。

 ポストモダン圏域とは国家がより大きなものへと溶け出している
世界である。各国家はお互いにオープンで相互への干渉が頻繁に行
われている。モダン圏域がむき出しのパワーの世界だとしたら、
道徳的意識が高い世界である。秩序は法によって作られている。
欧州連合(EU)がその代表的なものである。モダン圏域では国民
が、つまり民族集団全体が、価値体系の中心に置かれたが、ポスト
モダン圏域では共同体という集団ではなく、一人一人の個人が主人
公である。国家の主権はヴェーバー的な軍事力の独占的所有・行使
ではなく、<会議室の席>に座ることでしかない。国家は多国籍企
業やNGOといった非国家主体によって相対化され、制限されたもので
ある。

我々(=ポストモダン世界の住人)にとって現在の主要な脅威とは
何であろうか。脅威は上の3圏域からそれぞれやって来る。プレモ
ダン圏域は豊かなポストモダン圏域に食指を伸ばそうとしている。
プレモダンの混沌で生成した病原菌は周囲の部位を汚染するのだ。
国家による統治機能が破綻したあとには、犯罪組織による麻薬、奴
隷の密貿易、売春婦などの人身売買によってポストモダン世界に悪
影響を与える。何百万人もの難民の発生は周辺諸国を混乱させ、不
安定化させる。さらにこのような間接的な脅威のみならず直接的な
脅威としてテロ攻撃がある。混沌に生まれ育ったテロリスト・ネッ
トワークはいまや直接的にポストモダン世界を攻撃できるのだ。
9・11同時多発テロはまさにこの典型であろう。
 
モダン世界からの脅威は大量破壊兵器の拡散である。イラン、シリ
ア、北朝鮮などのならず者国家が大量破壊兵器を入手することはポ
ストモダン世界にとって脅威である。さらに大量破壊兵器がテロリ
ストの手に渡ることは悪夢である。

 ポストモダン世界からの脅威とは内部からの腐食ともいえるもの
である。「国家」がある意味解体していくのがポストモダン世界で
あるが、それが「社会」の解体に連動することが恐ろしい。ポスト
モダン圏域の特徴である出生率の低下というのは社会の存続を脅か
す例の一つである。

■ほとんど同じ!?ブッシュ・ドクトリンとクーパー理論の比較
 さてこの世界観がどのように実際のソラナ・ドクトリンに反映さ
れているかを見ていこうと思うが、その前にブッシュ・ドクトリン
というものはどういうものかをおさらいしておこう。ブッシュ・ド
クトリンとは地球規模で活動するテロリストの撲滅や、これらテロ
リストやならず者国家が大量破壊兵器を入手することを防ぐことを
アメリカの最優先課題と掲げている。そして脅威が現実となる前に
行動するという「先制攻撃」を正当化する。圧倒的な軍事力を誇る
アメリカは、単独でも、またときには「有志の連合」を作って、行
動しなくてはならない。脅威となる政権に対しては体制転換regime 
changeを実行し、民主化と市場経済化を推し進めることによって世
界はより平和になる、としている。キーワードは「先制攻撃」「単
独行動主義」そして「体制転換と民主化推進」である。

 これに対してクーパーはどのような考えを持っているのであろう
か。そしてソラナ・ドクトリンは彼の考えを反映されたものになっ
たのであろうか。

 まずクーパーの考えであるが、率直に言ってかなりブッシュ・ド
クトリンと似ている。アメリカと欧州の乖離を指摘したネオコン論
者ロバート・ケーガンRobert Kaganは「カント的な性善論に根ざし
た欧州の価値は、法の支配や多国間協調主義といった国際問題への
アプローチを生み出したが、これは欧州の弱さの裏返しに過ぎない
。この弱さが戦略的な判断、脅威意識、国益評価、国際法の解釈な
どを決定しているのだ。そして欧州はこの弱さに安住したいのだ。
」と述べた。クーパーは驚くほどあっさりとケーガンの糾弾する欧
州の弱さを認めている。欧州が自らの地域に閉じこもり、その外へ
の軍事展開を実行する軍事能力・気力を持っていないこと。また軍
事力こそが欧州の信奉する法の支配を裏付けるということ。よって
自分たちの楽園に閉じこもって浮かれていては今そこにある脅威に
は対抗できないということ、にクーパーは賛意を示している。

 このようなほぼ同じような認識点に立ったクーパーは、欧州には
より積極的な安全保障・外交政策をとることを提言している。
つまり従来の受身から積極的な「予防的な行動」を取るべきである
というのだ。内政不干渉の原則に縛られていては現代の機動的でグ
ローバルに動く新しいタイプの脅威から身を守れない、というまさ
にブッシュ・ドクトリンと同様の脅威認識だ。
 
■ブッシュ・ドクトリンとの決定的違い
 ここまで聞くとほとんど「クーパーっていうのはネオコンと何ら
変わらないではないか」という声が聞こえてきそうである。しかし
ネオコンと違う点はここから先である。クーパーが特に協調する点
は「正当性」である。「正当性」がないかぎりそのような行動をす
る主体は信頼を勝ち取ることができない。アメリカのブッシュ・ド
クトリンのような先制的な行動も必要であるが、それは厳格な法的
拘束と国際社会の是認のもとに行わなければならない。単独行動は
許されないのだ。クーパーが考える行動とは多国間主義にのっとっ
たものであるのだ。

このような認識に立った上で、欧州は効果的な軍事能力の獲得と運
用を目指さなければならない、とクーパーは言う。と同時に物質的
な軍事力の強さのみならず、その行使をためらわない精神的強さも
持たなければならない。より具体的には加盟国軍隊間の相互運用性
の向上、展開能力の向上に努めなければならない、としている。

■ソラナ・ドクトリン
 欧州にとっては少々過激とも思える意見は果たして受け入れられ
たのであろうか。今回可決された安全保障文書をまとめると以下の
ようなことである。

25ヶ国に拡大するEUは4億5千万人の人口を抱え、世界経済の
1/4を占める。これに見合ったグローパルな役割をEUは期待さ
れている。安全保障環境の課題としてテロリズム、大量破壊兵器の
拡散、地域紛争、組織犯罪、国家の破綻が新たな脅威として現れて
きた。

これらに対処すべく戦略目標が掲げられている。まず拡大した欧州
は隣接する不安定地域に安定とグッド・ガバナンス(良い統治)を
もたらすように努力しなければならない。東からぐるりと時計回り
に、ウクライナなどの旧ソ連地域、グルジアなどの南コーカサス地
域、パレスチナ・イスラエル問題、地中海南岸の国々が具体的な対
象だ。二つ目には多国間主義を効果的なものとし国際秩序の基礎に
すえる、ということだ。国連やWTO(世界貿易機関)などの国際
組織、ASEANなどの地域組織などとの協力体制を一層発展させ
ることが重要だとしている。第三に新旧の脅威に対応することが目
標に上げられている。とくに新たな脅威はEUからは物理的に遠い
位置にあるが決してEUの安全保障と無縁ではなく、雪だるまのよ
うに膨らむダイナミックさがあり、組織犯罪など非軍事的なものに
も及ぶという多様性がある。このため最初の防衛線はEU域外にな
るだろうし、事が起こる前に動くことが要求され、貿易管理の強化
・資金洗浄取り締まりなど多様な手段で対応することが必要とされ
ている。

実際の政策としては、より活発に、より実行能力のある、より緊密
なEUの政策を目指す。脅威に対して、早期の、素早い、時には強
力な介入を実行できる戦略文化を醸成する。軍隊をもっと柔軟で機
動的なものにし、行動能力を上げる。危機への介入中・介入後の民
間部門の役割強化する。アメリカとは効率的でバランスのとれたパ
ートナーシップを目指す。

 この内容にクーパーの理論の基調は反映されている。5つの新脅
威を焦点に合わせた点、非軍事的手段を重要な政策ツールとして明
確に打ち出した点、遠隔の混乱地域の脅威も急速に世界規模の脅威
となることを指摘した点などである。実際の政策としてEUは現在
ボスニアやマケドニア、さらにはコンゴ民主共和国で警察や平和維
持活動を実施している。昨年10月には英仏独3外相がそろって、
テヘランを訪問し、イランに核査察を受け入れさせた。

■妥協の産物
ところがクーパーの理論と比べると核心であるともいえる「軍事力
の行使」「先制」といった言葉は安保文書にはない。実は初期の草
稿には「軍事力の行使」という言葉があった。しかし数度の協議を
経て出来上がったものからはこの先鋭的な表現は抜け落ちてしまっ
ている。さらに「先制」という言葉も使われず、これに代わって「
予防的な対応」という気の抜けた表現に変わってしまった。やはり
「軍事力の行使」というような厄介な決断をEUがすることはでき
ないのだろう。また「先制」という言葉についても、アメリカとは
別の道を歩もうとする欧州の空気のなかでは、とても受け入れられ
るものではなかった。ブッシュ・ドクトリンのキーワードである「
先制攻撃」「単独行動主義」はこうして否定された。「体制転換と
民主化促進」についてもあまり触れられていない。ただし、この点
ついては民主化促進が下手なアメリカよりヨーロッパのほうが果た
す役割が大きいとし、積極的な役割をEUは担うべきだとする声も
ある。「ネオコンに任せるにはあまりに重大な問題」(スティーブ
ン・エバーツStephen Everts欧州改革センター上級研究員)だとい
うのだ。

 ブッシュ・ドクトリンにしろソラナ・ドクトリンにしろ新たな脅
威に関してはかつての静的な「封じ込め」ではなく、能動的な行動
をとろう、という点において違いはない。おそらくこれは「今そこ
にある脅威」に備えることに関しては妥当な判断なのであろう。
ロシアも同様な先制攻撃権の留保を明言したドクトリンを昨年10
月に発表している。

 だが問題は山積みだ。どのようにして脅威を判断するのか。対応
の政策手段はどのようになるのか。脅威対応における最終的解決を
どこに置くのか。実際に先制的な(EU的に言えば予防的な)対応
をとるに当たってはこのような問いに答えなければならない。極め
て疑わしいインテリジェンスのもとにイラク攻撃を行ったアメリカ
は明らかにこれらの問いに答えてはいない。強硬に見切り発進した
イラク戦争とその後の大量破壊兵器未発見、イラク政情の長引く不
穏といった状況から、クーパーも今後はこのような先制的な介入は
難しくなったと考えている。

アメリカ一国行動主義には反対しながらも、先制的な行動を良しと
するロバート・クーパー。今後もEU外交安保政策を描く彼からは
目が離せない。次回はクーパー理論のなかでも特に問題となってい
る「リベラルな帝国主義」について考えてみたい。


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