1452.国の指導者のあるべき姿



日本が尊敬される国家になるためには、その国を代表しているリー
ダが、体現していなければならない姿がある。  Fより

日本の戦前のリーダには、近寄りがたい威厳があった。凛とした姿
がそこにあった。この威厳はどこから出ているのであろう。
私の見解は武士道・論語などの中国為政学を心得ていたことであろ
う。東アジアの教養(気の使い方)を持っていた。戦後教育には、
この論語を頂点とした中国為政学が見捨てられた。この元で指導者
が育ってきたが、この頃のリーダの見解に胆力(気)を感じない。

リーダが心がけなければならないことは、自分の心に恥じない行動
をしているかだと思う。これがないと凛とした姿にはならない。
他国への侵略戦争は、自分の行動に疑問を持つ可能性が高い。何も
していない国家・国民を侵略して、多くの人を殺すことになり、か
つそこに存在する住民が望まない体制を押し付けるのであるからで
す。それ以上にいやなことは、自国の軍隊もある程度死ぬことです。
この自国軍人の死者に何のために死んだか、説明できるか?という
問題になる。

米国の侵略戦争に付き合い、経済的・政治的な面の利益から死んで
来いというのは、国家の指導者としてあるまじき姿である。自軍の
兵にどういうのか?
軍を動かす時には日本としての正義が必要なのです。太平洋戦争は
日本が負けた戦争であるが、米国にあそこまで戦えたのは、アジア
の植民地解放という正義が日本にあったからである。そして、戦後
、日本が目指した戦争目的はかなえられたのは、それが正義だった
からです。

死地に自国の国民でもある軍隊を出す時に、自分の心にやましさを
持っていると、力強い推進力を生まない。それは、軍隊にも伝わる。
このため、負け戦を引き起こす。このため、この戦いは正義の戦い
といえるのか?と自問することが指導者に必要なのです。

日露戦争では国家の危機と桂太郎首相が戦争権限を大山功に与え、
大山は乃木大将を祭り上げて兵の立場で、死地を切り開くために、
奮闘する。その姿が兵の力になる。そして、203高地をロシアか
ら奪うのです。

イラク派遣にはこれがない。国の指導者の指示が弱弱しい。選挙ま
で延ばす。次は年内まで。それが次の難題を産むことになる。その
ような弱弱しい状況では兵を出してはいけない。正義がないから指
示が強くない。利便的に軍隊を使ってはいけない。これは最低限の
軍利用のルールです。

日本は大戦争ができる経済力を持っている。このため、これなしに
軍隊を憲法等で正法化するともう1度、日本は大敗戦・大失敗を犯
すことになる。今の政府指導者では軍利用に心配がある。軍事政策
学が必要であり、その観点から軍利用を制限するべきなのです。

経済学者や政治評論家は、自分でない・家族でもない者が行くため
に、米国との経済的な面や政治的な損得勘定だけで軍隊を使おうと
している。これは米国のネオコンより悪賢いことです。経済的な問
題で軍隊があるわけではない。

日本の安全保障上の問題のためにあるので、兵に死ぬ危険がある所
に行かせるには、経済面や政治面で得するからと行かせてはならな
い。日本の世界の安全保障上に問題がある時に使いのです。このよ
うな打算的な政治家・経済評論家が米国のネオコンと同様に国を誤
らせるのです。軍利用においては、首相の近くにこのような打算的
な政治学者・経済学者を置いてはいけない。

国連平和維持軍は、その意義や正義がある。その地域の安定は世界
のためになる。今回のイラク派遣はイラク国民が望まない米英の植
民地支配を支援するためでしかない。そこには正義のかけらもない。
このため、弱弱しい行動になる。

もし、米英の植民地支配を止めさせる戦いをイラク・ゲリラがやっ
ているなら、正義は断然ゲリラサイドにある。これに米英は対抗で
きない。
米英は民主主義の確立と言って、ゲリラ掃射と言ってイラク国民を
殺すことになり、イラク国民が米英軍を嫌いことになる。このため
、米英軍は撤退するしか方法はない。そして、早期に選挙をしてイ
ラクの民衆が体制を決定すればいいのです。米国軍事委員会の前委
員長であったリチャード・パールまでもが、イラク侵略は違法であ
ったと認めているのですからどうしようもない。

このコラムは小泉首相を基本的に応援していますが、このイラク派
遣だけは、小泉首相に反省を求めます。米英の不正義に同調しない
でください。日本の品格が落ちます。
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日本人は低俗化していないか?という疑問。
CHOCO chiyoko99@hotmail.com

それにしても、昨今の新聞やテレビのニュースを賑わしている事件
のおぞましさよ。正直言って、モスクワのような毎日の犯罪に事欠
かない世界の中でも危険といわれる都市に去年まで暮らしていたが、
これほどまでに、日本の治安が悪化し、人心が乱れているとは思っ
てもなかった。

もちろん、あちらでは公のニュースというのは、あくまで国家的な
規模の死亡事故(潜水艦の沈没だとか、軍用機の墜落など)を伝え
ることはあっても、個々の犯罪、事件なんかに構っていては、毎日
のニュースが成り立たないほど、刑法犯罪が多いわけで、要するに
、一日に起きた交通事故、殺人事件、検挙などを取材しただけで番
組が成り立ってしまうから、数としては比較にならないほど多いわ
けだが、しかし、一般的な生活の中では、それほどまでに、危機感
はなく、けっこう市民は大陸的性格というか、えらくのんびりして
いたものである。

しかしながら、今の日本の事件は、市民生活を脅かすレベルのもの
が非常に多くなって、どこからどこまでが常識的な一般市民と呼べ
る、良識と善意ある人々なのか、同じ日本人ですら判断がつきかね
る段階まできているのではないかと思われるのだ。それが、非常に
悲しくもあり、残念で、また情けない。

そして、これに対して、警察官の数を増やすだとか、外人の不法滞
在者を追い返すだとか、子供に携帯電話を持たせて、常に監視する
とか、女性専用車両の電車を走らせるというようなことで、なんと
かしようというのが、私から見ると、愚の骨頂である。

それよりもまず、日本人の全体的な道徳観念の教育、あるいは、徹
底をするべく、商業主義のためなら、何をやってもいいという昨今
の嘆かわしい風潮を、一掃すべきではないかと思うのだ。そして、
当然そのためには歴史観の修正や、国家としての威信を取り戻すた
めの憲法改正など、大規模な改革が必要となろう。

大体、どこの国でもポルノや風俗があるかもしれないが、ここまで
大手を振って、見たくもないところに、変態じみた趣味のHPや写真
集、雑誌などを山積みにして、無神経にも、平気で一般家庭のポス
トにまで風俗アルバイトのチラシを配る神経。

また、無職だからといって、電話帳で調べて、適当に当たった年寄
りなどを騙して、大金を振り込ませるような輩。
それをまた、銀行も銀行で、特定できないなんて、あほな話が罷り
通って、許される事自体異常だというのを、もっと多くの人が気付
いて、行動に移すべきだろう。

「おかしいこと」を「おかしい」と言わないまま、あまりにも放置
してきた結果が今の日本の堕落であることは、良識ある人なら分か
っている事実だと思う。

今日、久しぶりにウラジーミル・ナボコフの「ニコライ・ゴーゴリ
」についての著書を読んで、目から鱗が落ちるような一節に出会っ
た。まさに、私が日頃、この商業主義天国、肉体から魂までも売れ
るもんならなんでも売りそうな今の世の中で、感じていることを代
弁する一節である。

「・・・よい例はいくらでもある。何か手近の雑誌を開けてみれば
、そこに諸君は必ずや、家庭へ届いたばかりのラジオ・セット(あ
るいは車、冷蔵庫、銀食器その他なんでもいい)といったものを見
出されるであろう。ママは嬉しさに茫然として固く手を握り締め、
子供たちはその周りにひしめきあい、坊やと犬は偶像の玉座たるテ
ーブルの縁に届かんものと懸命に身を伸ばし、おばあさんすらも喜
びに皺をほころばせ、(おそらくは、その朝嫁ととり交わしたおそ
ろしい口論のことも忘れ果て)どこか背景に顔を覗かせている。
そして、やや離れて、得意満面の贈与者であるパパが、量の親指を
チョッキの腋に突っ込み、両脚を拡げ、眼を輝かせ、上機嫌にも勝
ち誇っている。

この種の広告が強烈なposhulust(ロシア語「ポーシュロスチ」は低
俗、俗悪、悪趣味を意味する軽蔑的な言葉)を発散させるのは、そ
れがあれこれの実用器具の素晴らしさを誇張している(あるいは捏
造している)からではなく、それが<人間の至福とは購入可能なも
のであり、この購入によって購買者の品位は幾分か高まるという考
え>を仄めかしているからである。

もちろん、こうした広告の作り出す世界は、それ自体としては全く
無害なものである。
なぜならこの世界とは、買手がその虚構の片棒をかつぐであろうと
いう想定の下に売手により作り出されたものであることは誰しも承
知しているからである。

笑うべきはこの世界にあっては天の穀物を供しまた天の穀物を食っ
ている人々の法悦溢れる微笑を除いて、精神的なものは何ひとつ長
持ちしないことや、またこの世界にあって五感のゲームはすべてブ
ルジョア(フローベル的意味での「ブルジョア」、マルクス的意味
ではない)のルールにしたがってなされることではなく、その世界
が実は<売手も買手も心底では実在を信じてはいない付随的な影の
世界にすぎない>
ーーーとりわけこの賢明で落ち着いた国にあってはそうだーーーと
いうことである。」

抜粋なので、やや分かりにくいところもあるが、つまり、ロシア貴
族として革命後に各国を転々とし、アメリカに辿り着いて、この時
期、自分の故郷ロシアの劇作家ゴーゴリについて、異国から、思い
を巡らせた時期に出てきた言葉である。

かなり冷笑批判的に物を見ているのもたしかだ。
しかし、知識欲旺盛かつ、世界全体に対する芸術家らしい直感的な
分析能力に長ける、
このロシア的思想の代表者ともいうべき、作家ナボコフが、見た資
本主義のお手本的社会アメリカの「幻想的消費システム」の有様は、
非常に悪趣味であると同時に、無意味な幻影のようであったことに
は違いあるまい。

また追加的に述べていることには、
「poshulust とは単に誰が見てもつまらないというだけのものでな
く、偽りの勿体ぶり、偽りの美しさ、偽りの利口さ、偽りの魅力を
も意味している」

まさに、私のような、反ブランド主義者から見れば、これが一般的
ルイヴィトンやシャネル崇拝の人に、教えてやりたい、ブランド頼
みで美しくなれるなどと勘違いしていることを、客観的に見た評価
である。そんなものにかける金があったら、なんで自分の内面的教
養を磨かないのか、不思議でならぬが、彼女らにとっては、そのよ
うな方法が一番お手軽かつ、「みんながやっている」安心かつ安全
な方法なのであろう。

あるいは、マイホームを持てば理想的な家庭を作れそうなイメージ
を焼き付ける、馬鹿馬鹿しいほどワンパターンな宣伝なんかも、ま
さに彼のいう「幸福の捏造行為」に他ならない。

しかし、おそらく問題なのは、そういう日常を何十年も続けてきた
人間にとっては、その「偽りの美しさ」に満ちて、誘惑の多い消費
社会の真っ只中にいながら、その「低俗さ」だとか、とんでもない
「悪趣味」、騙し騙される関係の売買とマネーゲームに、知らず知
らず、自らの人間としての品性を貶めていることに気付かないでい
ることであろう。

「低俗、俗悪、悪趣味」の極みであっても、「消費社会」において
は、この「実在なき妄想」に突き動かされて、上っ面では非常に聞
こえのいい、美しい絵物語ばかり見せて、ただただひたすら拝金主
義の価値観のみで動いていく。

当然ながら、それと正反対の「高貴、品位、高尚」といったような
価値観や道徳的概念は放っておけば、衰退する一方である。

その事実に目を向けずに、ただ起こってしまった後の事件や事象の
みを追ったり、実際に自分の親を殺すような気狂いどもの精神鑑定
なんてやっている場合じゃない。
原因なんて、逆にいうと誰に聞くよりも、もっと分かりきった、当
たり前のところにあるのではないか。

つまり、日本人として、もっと誇りを持ち、歴史伝統を正しく継承
する自覚を持ち、人の道に外れぬ生き方というものが何か、問い掛
けて生きている人なら、それはおのずと分かることであり、そうで
ない人々をどうすれば、そのようなまっとうな生活に戻らせること
ができるか、という問題ではなかろうか。

そういう意味では、すこぶる評判の悪いロシアではあるが、ある面
でこの国の人々の不思議な精神世界については、文学など高尚な芸
術においては、まだまだ学ぶところが多い。犯罪者のことなどは、
馬鹿に聞くより、ドストエフスキーの作品を読む方がよっぽど面白
く、また、何か目が覚めるようなところがある。
また、チェーホフ、トルストイなど人生について、深く思考する偉
大な文学者からは今日も学ぶことが多く、モスクワでは連日連夜、
それが芝居小屋の舞台の上にかけられて、今もなお、人々のそれぞ
れ独自の解釈による上演がなされ、それを見た鑑賞者もまた、深く
その世界に触れるという暮らし方もある。

日本の現実から言えば、このような芸術鑑賞で感化するやり方より
もまず、なにより、最初に、当たり前のことから教育し、人間の精
神面を常に清く保てる社会環境を整えることの重要性について、社
会全体が心がけるべきだろう。
ある面、それは伝統的な信仰の復権という形でも取り戻せるかと思
われる。それゆえに、古代神道的な八百万のものに対する畏敬の念
はもっとも大切な思想といえるのではなかろうか。

もっと普段の生活から、日常レベルから、「忌むべき行為」、「や
ってはならぬこと」「あるべきでない生き方」を恥ずように、日本
人一人一人が生きる時にきているということではないか。ふとそう
思ったのであった。

CHOCO
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件名:総選挙を顧みて思う  

依然「変革」を忌避する日本人・国民のレベル以上の政治家生まれず
国民の政治的成熟は未だし

 賢哲孟子は「天下の為に人を得るは難し」と述べているが、いま
、日本人は、総選挙で初当選した新人、再選・復活した旧人の議員
を総覧してどのような感懐を抱いているのだろうか。

 しかし、60%を割る低投票率で終幕するようでは国民も偉そうな
ことは言えまい。「民衆とは無知であるけれども真実を見抜く能力
は持っている」と古代ローマの政治家キケロはおだてているが、不
祥事議員を落選させたり苦戦させたりする程度の道義的裁定で満足
してはなるまい。せっかくの二大政党対決の秋を迎えながら、政府
与党に安易に安定多数を与えてしまうようでは政治的成熟は未だし
と言ってもよいだろう。

 特に争点を年金と道路・郵政問題に収斂し、日米関係や憲法に直
結する自衛隊のイラク派遣の是非について国論を戦わせない有権者
のスタンスは感心できない。選挙後も続発する自爆テロと戦争状態
の激化を見るにつけても、なぜ国民の一員である自衛隊員を死地へ
追いやるのか、派遣についての基本計画の閣議決定の扱いをどうす
るのか、与党に対米屈従と狡猾な作為があるのか、明確に問うべき
ではなかったか。それこそが日本の国家像を明示するマニフェスト
選挙の根幹だったのではあるまいか。

 もちろん、派遣に反対する民主党は躍進している。世論調査でも
派遣反対の声が多かった。だが、それは選挙結果に反映されていな
い。依然として日本人はファジーな政治姿勢を持ち続け、「変革」
を忌避している。

 その証拠に小選挙区における十二日間の選挙活動の現状を見るが
よい。百六十八の議席を得た自民党候補者はじめ民主党候補に至る
まで、最後は演説会場で両手をついて土下座し「当選させてくださ
い」と泣きじゃくっていたではないか。国権を担うべき人々のこの
情けないおぞましい姿の中に選挙の実体が窺える。

旧態依然たる情念的なムラ型
 一方、公明党推薦を受けた自民候補の会場には、公明党市議、県
議が配置され、選挙事務所では「約束通り後援会員名簿を渡してい
ただきたい」と迫られ自民候補選対責任者は渋々と「公明党比例票
」用の名簿を手渡していた。その結果、公明党は比例区集票を九十七
万票増やし、自民党は小選挙区で二千六百八万票を得て百六十八議
席を獲得した。

 こうした旧態依然たる情念的なムラ型、土下座方式と自公票バー
ター取引が今度の選挙だったのである。もし、この形態を打ち壊し
てリーゾナブルな市民型選挙を望むならば、まず、民主党が労組依
存を脱却して日常活動を強化し、小選挙区ごとの組織を強固に再構
築することである。それはまた二大政党へ接近する大切なステップ
となろう。なぜなら「死票」を「生票」へと転換できるからである。

 民主党は小選挙区で二千百八十一万票取っている。自民党との得
票差はわずか四百二十七万票、7%にすぎない。にもかかわらず議
席数は六十三も違いがある。つまり、民主党の死票は自民党よりも
二百六十万票も多く、得票の51%にも及んでいる。比例区では自民
党に勝っているのだから小選挙区での戦略・戦術の多角化と共感力
を高めれば当確度は増していく。公明党の小選挙区集票力は百万票
を大きく下回っている。自公政権与党との戦いは小選挙区で勝利を
得る以外、民主党政権の道はひらかれない。

 保守新党の惨めな解体と社民党の党首辞任、解党の危機は、自公
・民主・共産の三党時代を迎える。自民党はますます公明・学会の
集票力依存を強め、公明の発言力は拡大する。それはまた、公明党
の自民党化を意味し、この宗教政党の独自性は一段と薄められてい
くだろう。自民即公明と見たらよい。ことに「平和と反戦」をモッ
トーとする公明党がイラクへの自衛隊派遣を容認するようでは「不
殺生」を根本義とする仏教者の政党とはいえまい。権力扈従よりも
断然たる菩薩道を歩んでこそ存在意義があるのではないか。自民と
一蓮托生となって来夏参院選に一千万票獲得を国民が許容するか。
私は難しいとみる。イラクにおけるテロは、イスラム過激派の宗教
テロリズムとフセイン派の政治テロとの重層構造化が進んでおり、
和平維持は一層困難化しつつある。そこのところを明敏に把握しな
くてはテロ撲滅は死文化するだろう。公明党は果たしてその文明的
意味を理解しているのか。

小沢氏の先見性に追い付けぬ
 政権交代の可能性を左右するのは、国民の政治意識の練達度にあ
る。七十代の老政治家や密室と派閥に盤踞する多選議員を再選して
良しとするようでは見識が疑われる。よく言われるように国民のレ
ベル以上の政治家は生まれないのである。レベルが低ければ愚かな
政治家が輩出する。そして、良き指導者を持たぬ大衆は無価値も同
然と言われる。
 今回の選挙を評価分析して満足しているようでは、この国の未来
への政治的展望は望めまい。逆説的に言うなら小選挙区比例代表並
立制を導入し、新民主党を構築して国民に信を問うた小沢一郎氏の
政治的先見性に有権者はまだ追い付いていないのである。
 評論家 高瀬 広居 世界日報 ▽掲載許可済です
Kenzo Yamaoka


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