1266.読者の声



Re:1255.日本病の原因と対応策
>教育としては、日本の戦前の日本民族としての誇りを再興すること
>が、必要である。戦後教育は、自己中心、利己的過ぎる。自己の責
>任と義務の上に、自由があることを教えていない。もう1つ、日本
>の存在を世界的な悪とした見方(東京裁判史観)を戦後してきた。
>このような見方をする社会党を中心として、教育を独占してきた。
>しかし、共産党の現状や北朝鮮の現状から、だんだん、国民は可笑
>しいと気が付いている。そのため、日本が悪であるという見方をす
>る教育者が、息を付けるのは教育現場しかない。しかし、このよう
>な教育は、もっとも害を生徒に及ぼす。このような教育者を教育現
>場に置いてはいけないと思う。
>日本のよさを再度認識するために、論語や江戸時代の見直しが必要
>になるであろう。日本の古代史、中世史の見直しも必要であると思
>う。

いきなり論語だ、荻生徂徠だと始めてしまうとなかなか大変でしょ
うから、わかりやすさ、具体性(ちゃんと社会経済的に、よい実績
を残しているという意味で)渋沢栄一のような人をテーマにとって
教育を考えてみるのはいかがでしょう?
また、大英帝国の教育を受けながら真に日本のためを考えた白洲次
郎のような人も手本にすべきです。
倫理観と経済発展の両立を考え、米国式の民主主義から独立できる、
一線を画する方法を考え、教育に反映して欲しいものです。
kojima makoto
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件名:Re: 国際戦略コラムno.1258.国井&山中コラム  

心の闇に苦しんでいるのは本当に子供達だけなのでしょうか?
大人の社会の心の闇は、もっと深刻なのではないかと考えます。
先日のニュースの一つに、BSEを検査した若き監査官が、
上司から結果について虚偽の報告をせよと指示され、自殺を
した方の話がありました。

企業などの腐敗、政治の腐敗などから、中央・地方の役人達に
腐敗が広がり、さらには、大学のみならず、小学校までも、
大人が大人らしく振舞えない社会。 どうしたら良いかわからない
大人達になってきているように感じています。 そして、それは、
回りまわって各家庭に還元されているのでは、ないか? と。

それは、まるでゴミ問題や環境汚染のように、うちぐらい、私ぐらい
が、今までそうしてきたから、他に捨てる所がないから、
捨ててもいい。 汚しても大したことはない。と、河川を汚染し続けた
微量の物質が回りまわって、魚介類に蓄積し続け、最終的には
人に障害が生じるような...だましだまし汚染が広がって、
最終的にはニッチもサッチも行かなくなって、ただ人々の体と心の
健康を長期間にわたって汚染し蝕み続ける...
... そんな状況を見る思いです。

”家庭のマネージメント”なんて、社会の一番基礎となり、好き嫌いに
関わらず、自分自身が一生、その一員として生きて行かなければならない
最後の砦となる場を、まるで会社経営や、証券取引みたいに表現している
事に、少し拒絶感を覚えました。

”家庭”って、家族...自分の大事な子供や親やパートナーの事ですよね。
”マネージメント”するよりも、お互いに思いやってあげるくらいの事を
した方がより人間らしいし効果的なのでは?

国の基礎、人間の基礎は、自分の生きてきた生い立ち、環境や家庭
だと言うのならば、四角四面で機械的なマネージメント・プロトコールなど
よりも、本来の各自の心の方が重要なのではないかと思います。

別に宗教や思想や哲学を語らなくとも、家族を含めた自分以外の人々
(他人)を思いやる事ぐらいできたら良いなあ。と思うのは私だけでしょうか?
そしてその思いが、国を慈しみ、未来へつなげる原動力になるとも
思うのですが... やっぱりこんな誰にでも言えるような夢物語事は、
私のような無知で無学な人間が勝手に騒ぐ妄想に過ぎないのでしょうか?

草々
古賀
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件名:ウォールマートについて  

人に聞いた話なので確かかどうかわかりませんが
ウォールマートのアパレル関係は、貧しい国の子供たちが生産して
いるために、できるロウコストの商品であり、ビジネスとしては、
成り立つが人間としては、考える必要があるといっていた人がいま
した。
アメリカではできない違法労働みたいなものらしいです。
tomominew
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アメリカの経済政策に変化が生じている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/3019291.stm&wb_lp=ENJA&wb_dis=3

強いドル政策
↓
弱いドル政策

強いドル政策で外国から借金したことによるバブル経済での消費拡大
↓
弱いドル容認により輸出増進させ、製造業復活政策へと変化

 ブッシュ大統領は、次の大統領選挙を意識して、今までバブル経
済で恩恵を受けることが出来なかった米国の製造業の復活を目指す
ようだ。
アメリカの経済政策の変更が日本経済に与える影響はいかなるもの
なのでしょうか?
 
 日本はバブル経済を再度発生させることにより、アメリカの製品
を大量に購入できるようにすることです。
 
その為に、スティグリッツ教授を日本に派遣したのです。政府紙幣
発行によるバブル再来を指導しているのです。
 
日本経済再生の為のお膳立てが揃ったのです。間もなく、日本の経
済政策が変更になるのです。デフレからバブル再来になるのです。
Tanaka
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US backs off from 'strong dollar'

A weak dollar will help exports, Snow says
US Treasury Secretary John Snow has broken with the long 
tradition of backing a strong dollar, hinting that the boost 
to exports from a weaker greenback is a welcome change.

His comments were echoed on Monday by a Commerce Department 
official. 

Kathleen Cooper, undersecretary of Commerce for economic 
affairs, told a conference on international trade that the 
dollar's drop was giving exporters "somewhat more pricing 
power". 

Asian and European markets responded positively pushing up 
both the yen and the euro against the dollar to fresh highs. 

By 2200 GMT, one dollar was buying 116.92 yen, a 0.6% gain 
for the Japanese currency, while the euro was up almost 
0.9% to 1.1563. 

The gains for the euro take the dollar's slide against the 
single currency to 12% since the beginning of this year. 

Rock-bottom US interest rates and the likelihood of growing 
deficits for the foreseeable future are encouraging currency 
investors to look elsewhere. 
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イラク戦争が終わって見えた民族への覚醒ーーーS子

台風一過のようなイラク戦争であった。戦争自体も報道自体も集中砲火的であった。
バクダッド陥落以降、この戦争に対する報道は瞬く間に終息したようであった。
旧ソ連の自壊により、米国は世界を支配、管理してゆくようである。

そのためには米国の行動を制約するような国際法は、あってないに等しいものに
なりつつあり、それらを拒否、無視した行動にこれから米国が出ることを私達は
覚悟しなければならない。

国連決議もなく突入した米英による単独イラク戦争であったのに、その復興には
国際協調を取り付けるという矛盾した特権は、今後ますます米国のものとなり、
世界は米国に翻弄されることになる。

湾岸戦争以来、経済制裁下に置かれ宇宙からの偵察衛星で二十四時間監視体制
にあり、また通信も傍受される等、今にして思えば米国はイラクを熟知、把握
していたからこそできえた戦争ではなかったか。

また、フセイン自身がCIAと深い繋がりがあることは以前より指摘されている
ことであり、これがブッシュとフセインの八百長戦争だと言われてもあながち
否定はできない。そしてこの戦争が湾岸戦争時を上回るハイテク戦争であった
こともまた事実である。

なかでも標的だけを狙ったピンポイント攻撃は大きな成果を生み、その被害を
最小限にとどめたようである。しかし、だからといって戦争を美化、肯定する
ような論調だけは避けたい。あらゆる戦争において死傷者がまったくないはず
はなく、必ずや無辜の民がその犠牲になるという現実がある。

今やインターネットのおかげで、イラク戦争も様々な視点、観点から述べられ
ていることは大変に興味深い。視点、観点の斬新さも問われていることは否定
できないが、ややもするとそれらがあまりにも斬新すぎて非人間的なものにぶ
つかる時があり、戸惑いは隠せない。感情論に走りすぎるのもまた危険ではあ
るが、あまりにも冷徹な見解は正直受け入れがたい。

所詮、私達は心をもった人間であることに変わりはなく、感情をもった動物な
のである。

余談ではあるが、私は小泉首相とブッシュ大統領に男としての色気を全く感じ
ない。冷徹非情な政治家だという印象が強く、人間的なぬくもり、暖かみが感
じられないのである。ゆえに女として抱かれたいなどという感情は湧くはずも
ない。

他人の痛み、苦しみ、悲しみのわかりえない男に本物の恋や愛は成立しようは
ずもないからであり、非人間的な人間にはなりたくないというのが私の心情にある。

また、確たる大義名分もなく始まったイラク戦争も、結局はフセイン独裁体制下
からのイラク国民解放と民主化ということになってしまったが、バクダッド陥落
以降の市民の略奪横行は、米軍による扇動があったからだと言われている。

フセインの銅像を倒し歓喜している市民の映像も銅像自体がフセインであるのか
どうか確証はできないようだ。結局、米国が戦後復興をやりやすいようにメディ
アを作り上げたことは間違いないく、今後世界を支配、管理してゆく米国はます
ますメディアを統制化しコントロールしてゆくだろうから、私達はより以上の真
実の目を培ってゆかなければならない。

こうして米国はイラクに米国というひとつの民族の価値を押し付けようとしてい
るが、今や資本主義の終焉、民主主義の危うさ、米国の内部崩壊とともに、米国
という民族の価値さえも崩壊しつつあるように思える。

日本はペリーの来航により近代化が始まり、教育水準の高さと早くから培われて
いた道徳心のために、スムーズすぎるくらいに近代化が進行、戦後は更に米国の
民族価値が流入、日本民族の文化、歴史、教育を否定することでより流入に拍車
がかかった。

そして今や米国の属国としての日本を突き進んでいる。小泉首相になってからは、
この姿勢は更に顕著になり属国どころか勢い吸収されてしまいそうである。戦後
のイラク国民同様、日本もまたひとつの民族としての誇り、尊厳さえもズタズタ
にされてしまいそうだ!

民族とは言語、歴史、文化を共有する存在であると言われているが、民族であり
うるためには、かなりの高い読み書きとコミュニケーションの能力を必要とされ
るのだそうだ。民族の歴史というのは、あるひとつの模範的な価値の模倣につぐ
模倣の繰り返しでもある。

ゆえに歴史は繰り返されるのであり、歴史に学べと言われるのである。
民族でありうるためには学び続ける姿勢が問われると言えよう。

以前私は「愛の年代記」という塩野七生氏の作品を読んだことがある。
その最終章に「女法王ジョヴァンナ」というのがあった。修道士の娘として生を
受けたひとりの女が向学心に燃えたがために、キリスト教の権威であるローマ法
王の座にまで登りつめたという九世紀頃の中世暗黒時代の話である。

そして後にも先にも法王の座に女がついたのはこの時だけである。真意のほどは
定かではないが、どちらかというと真実に近いらしい。私がいつまでもこの話を
忘れられないのは、彼女の生き方がとても美しく思えたからだ。

印刷技術の発達やインターネットの登場で、今でこそ誰でも情報を知り知識とし
て蓄えることなど当然のように思えるが、当時では知識は特別な人にしか許され
ないものだった。

法王の座について二年半が過ぎ、ジョヴァンナは三十五歳を越えていた。ある朝、
金髪に灰色の毛を見つけて以来、彼女の中にひとりの女としての心が動いたので
ある。実はジョヴァンナが女であることはこの時まで誰も気づいていない。

かえって、美男の若い法王として人々の厚い信頼を得ていたほどだ。そのジョヴァ
ンナに二十歳そこそこの若い侍従パオロという男が仕えていた。彼もまたこの法王
を心より尊敬し、仕事熱心であったことは法王も充分に認めていた。役目柄パオロ
は法王宮内で寝起きし、与えられた自室は法王のすぐ近くにあった。

ある日、ジョヴァンナは自室にパオロを呼び、彼の手を取り法衣の上からそっと胸
に彼の手を押し当てた。(だろうと思われる。私だったらおそらくそうする。)
その時のこの若い侍従の戸惑い、驚きと新たなる喜びは何と表現すればよいのだろう。

届くはずもないであろうと思われた法王の存在がひとりの女として若いパオロの腕
の中にあるのである。しかし、パオロの喜びがひとりの男として征服できるなどと
いう単純なものでなかったことは容易に察せられる。

その当時、限られた人にしか与えられなかった知識をもった法王という模範的な価値
を実感することができるという至福に恵まれた男の気持ちは、私には到底言葉では
言い尽くせるはずもない。

「価値とは現実に模範として現れ、我々をその模範に駆り立てる何かである。
民族の成員の平等とは、そうした模範の模倣と共有によって具体化する合唱の
ような平等であるに違いない。この模倣の可能性が人間を民族にした。・・・・

民族とは絆である。」(「民族とは何か」  関 廣野 著 )

そして、これに付け加えるのなら、民族でありうるためにはひとりの人間として
真に解放されることにあるような気がしているがどうであろうか。

参考文献  「民族とは何か」 関  廣野 著


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